25日の会見で安倍首相は「解散の大義」なるものをあれこれ並べましたが、どれもまったく説得力はありませんでした(写真左)。それどころか、その厚顔無恥ぶりに改めてあきれました。「高等教育の無償化」を「公約」したからです。
「子どもたちには無限の可能性がある。…格差の固定化を防ぎ、意欲さえあれば大学に進学できる社会にする」
よくも言ったものです。「教育の無償化」と言うなら、真っ先にやらねばならないことがあるはずです。朝鮮学校の生徒たちを「高校無償化制度」(2010年4月施行)から除外している不当な差別を直ちにやめることです。
「高校無償化制度」は民主党政権で創設されましたが、法案成立直前に「北朝鮮との外交問題」を口実に朝鮮学校を対象にすることを保留しました。
そして2012年12月、自民党が政権に復帰して第2安倍政権が発足すると、待ち構えていたように、下村博文文科相(当時)が記者会見で、「拉致問題や朝鮮総連との関係」を口実に朝鮮学校を無償化の対象から除外すると言明しました。
この制度の画期的なところは、無償化の対象を学校教育法第1条で規定する学校(1条校)に限らず、外国人学校やインターナショナルスクールなど「各種学校」にまで広げたことです。朝鮮学校も当然その中に入ります。
その朝鮮学校を排除するのは、憲法上の「法の下の平等」(第14条)、「教育の機会均等」(第26条)の明白な違反です。そこに「北朝鮮との関係」などという「政治・外交問題」が入り込む余地はありません。
無償化からの不当な排除に対し、朝鮮学校の生徒たちが原告となって現在全国5カ所で訴訟が起こっています。大阪地裁は原告勝訴の画期的判決(7月28日)で国の不当性を断罪しました。広島地裁(7月19日)、東京地裁(9月13日)は原告敗訴の不当判決でしたが(写真中、右)、いずれも「政治・外交問題」を除外の理由とすることを正当化することはできませんでした。
朝鮮学校はもともと、朝鮮の子どもたちが帰国後に困らないよう朝鮮語を教えるために朝鮮半島出身者がつくった国語講習所でした。日本の敗戦(朝鮮の解放)によって多くの生徒たちは親と一緒に本国へ帰国しました。
その後朝鮮学校は、生活の基盤がある日本に残った人々が引き続き日本で生活することを前提に、民族性を守り民族教育権(子どもの権利条約など)を実現させるものとして維持・発展してきました。だから、「他の外国人学校と比べ、朝鮮学校は日本の社会で暮らす人たちを育てるという意味合いが強い」(前川喜平前文科次官、8月14日付東京新聞)のです。
これに対し、日本政府は敗戦直後から、文部省が占領軍の指令にもとづく通達(1948年1月)を出すなどして朝鮮人学校の存在を事実上否定し、日本の教育制度に従わせようとしてきました。
「占領軍を後ろ盾とした文部省のこの措置は、在日朝鮮人にとっては戦前の「皇民化教育」の再現として受け止められた」(水野直樹・文京沫著『在日朝鮮人 歴史と現在』岩波新書)のです。
その後も朝鮮学校に対する不当な差別・弾圧が繰り返され、いまの「無償化除外」「補助金停止」などに連綿とつながっています。
朝鮮学校は、「朝鮮半島が日本国に植民地支配された当時に、朝鮮民族の民族的文化を維持・継承・発展させることを阻害されたことによって喪失ないし停滞した文化的尊厳と固有の文化の回復を図るため」(2016年4月18日、埼玉弁護士会会長声明)のものです。
それを不当に差別することは、憲法の平等原則に反するだけでなく、戦前の植民地支配への無反省を露呈し、さらにはその事実上の継続を図るものと言わねばなりません。
安倍政権が朝鮮学校を目の敵にしている根本的理由もそこにあると言えるでしょう。
朝鮮学校に対する差別を直ちにやめない限り、安倍首相に「教育の無償化」、「民主主義」を口にする資格はありません。
くしくも安倍首相が空疎な会見を行った同じ25日、東京朝鮮学校の卒業生たちは東京高裁に控訴しました。