アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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後藤さん“見殺し”の裏にアメリカの影

2015年02月05日 | 安倍政権

         

 後藤健二さんの命が救われるチャンスは、少なくとも2回ありました。それがことごとくつぶれたのは果たして不可抗力だったのでしょうか?

 ①ヨルダン政府は自国パイロットの殺害を知りながら「交渉」をすすめ、後藤さんと死刑囚の交換を拒否した

 イスラム国によるヨルダン軍パイロットの残虐な焼殺は言語道断。絶対に許されることではありません。
 しかし同時に、そのあまりの残虐性ゆえに、交渉にあたっていたヨルダン政府、そして安倍政権の問題を不問に付すことも間違いです。
 ヨルダン国営放送は、「パイロット虐殺」がネットで流された直後に、「殺害されたのは1月3日だった」という衝撃的な発表を行ないました(写真左)
 ヨルダン政府はそのことをいつ知ったのでしょうか。

 ヨルダン情報相は、「諜報機関やイスラム国によると1月3日だ」と述べており、「諜報機関」によって早くから知っていた可能性を示唆しました。
 日本の「専門家」たちも、ヨルダン政府はかなり早くから知っていたと思われるという見解でほぼ一致しています。

 ヨルダン政府だけではありません。「取材によれば、日本政府は1月24日から27日の間には(パイロット殺害情報を)つかんでいたのではないか」(4日夕、テレビ朝日系Jステーション)という報道もあります。

 ということは、ヨルダン政府も日本政府も、パイロットがすでに殺害されていることを承知で、イスラム国に対し「パイロットとの交換」あるいはその「生存確認」という不可能なことを後藤さん解放の「条件」として出したということです。つまり、初めから「交渉」がまとまる可能性はなかった、いやまとめるつもりはなかったと言うことではないでしょうか。

 結果、後藤さんは人質交換の期限の「1月29日の日没」には交換場所のトルコ国境まで連れていかれながら、ヨルダン政府が死刑囚を釈放しなかったため、殺害されたのです。
 すでに自国パイロットの死を知っていたヨルダン政府が、死刑囚との交換に応じていれば、そして日本政府がそれを要請していれば、後藤さんの命は助かった可能性はきわめて高かったと言えるでしょう。

 ②安倍政権は昨年11月、「身代金20億円」の水面下交渉に応じなかった。

 後藤さんたちの解放は、イスラム国がネットで公にした1月20日以前の、水面下での交渉が勝負だった、ということは、「専門家」たちの一致した見解です。
  
 安倍政権は、昨年11月1日に後藤さんの家族からの通報で「行方不明」を知り、11月3日にはイスラム国からの最初のメールで後藤さんが拘束されていることを知ったと認めています(3日の参院予算委員会)。

 イスラム国が当初、後藤さんの家族に要求した身代金は「20億円」です。フランス人などこれまでイスラム国から解放された事例から、これが相場だとみられています。その「身代金」が「2億㌦」にハネ上がり、ほとんど政治的意味合いしかもたなくなったのは、安倍首相が有志連合への「2億㌦支援」を表明したためです。

 昨年の水面下交渉で、「20億円」の身代金を出していれば、後藤さんも湯川さんも解放された可能性はきわめて高かったと思われます。しかし、安倍政権はそれを行わなかったのです。

 ③なぜ「交渉仲介」はトルコでなくヨルダンだったのか?

 安倍政権は昨年末に現地対策本部をヨルダンのアンマンに置きました。ヨルダンがイスラム国と対立していることを承知の上で。
 当初から「専門家」の間では、「ヨルダンよりもトルコ」の方が、仲介国としては適切だという指摘がありました。トルコはイスラム国とパイプがあり、現にこれまでの人質解放で成果を挙げてきたのもトルコです。
 しかし安倍政権は「はじめにヨルダンありき」だったのです。なぜでしょうか。

 「ヨルダンがすでにパイロット解放でイスラム国と交渉していたから」というのが政府の言い分です。おかしな話です。自国の人質と現に交渉中のイスラム国の敵対国(ヨルダン)と、そういう関係になく交渉実績がある国(トルコ)と、どちらが「交渉仲介」として適切かは、素人でも分かることではないでしょうか。
 安倍政権がはじめからトルコを交渉仲介国にしていれば、いいえ少なくともヨルダンと並行してトルコにも仲介を要請していれば、結果は違ったものになったのではないでしょうか。

 以上、少なくとも3点いおいて、安倍政権は「後藤さん解放」のチャンスを自らつぶしたのです。

 問題は、なぜそうなったのか、ということです。
 後藤さんと死刑囚の交換をあくまでも拒んだヨルダン政府。それを了とした安倍政権。初めから身代金交渉に応じようとせず、トルコでなくヨルダンと連携した安倍政権。その裏には、一貫して「身代金にも人質交換にも応じるべきではない」と表明し、ヨルダンを有志連合につなぎとめようとしているアメリカ・オバマ政権の影があったのではないでしょうか。それが直接の圧力だったか、暗黙のそれだったかは別として。

  以前、アメリカのジャーナリストが人質になり、家族が募金で身代金を集めようとしたとき、アメリカ政府は圧力をかけてそれを止めさせたことがあります。結果、その人質は殺害されてしまいました。それがアメリカ政府のやり方なのです。

 そもそも「罪を償わせる」(1日)など挑発的で危険な発言を繰り返す安倍首相の基本姿勢が、「有志連合」の盟主であるアメリカへの同調・追従そのものではないでしょうか。

 「日米軍事同盟」の下、具体的な「人質解放」という問題においても、アメリカの圧力を受け、あるいはそれに追従し、結果、殺されなくてもいい命(少なくとも、後藤さん、湯川さん、そして2人の死刑囚の4人の命)が失われたとすれば極めて重大です。

 日本政府はこうしたアメリカとの関係も含め、昨年にさかのぼって、今回の事実経過を検証し、公表する必要があります。
 しかし菅官房長官は早くも「他国にかかわること」は公表しないと予防線を張っています。さらに、人質にかんすることは「秘密保護法」の対象にする動きすら出ています。
 真実が明らかにされる可能性は、絶望的なほど小さいと言わざるをえません。

 

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