「電車の中で」
コメント不可にした理由ですが。
内容を書き上げて、ちょっと疲れ果てまして、内容に関しての「会話」はできないと思ったこと。
情報として手渡して、考察は読んだ方にお任せしたかったことが、自分の中の表の理由です。
裏の理由というか、これは、好奇の視線にさらされるような言動が生まれることを避けたかったことです。
本文にも書きましたが、痴漢行為に対して被害者として車内という密室で行動を起こすと、わたしは好奇の視線にさらされました。
「被害者の容姿を確認」という感じの、観客的視線はきつかったです。
また、逆ギレの恐怖感も引きずっています。
被害者という構図は自分が考えるもので、自分の想像通りには世の中は動かない。
そんな学習もしました。
電車という密室の中で、加害者と被害者以外の人々に「正義感」を要求できるか。
今、冷静に思うことですが、難しいんではないかと思います。
これは人間に対してのあきらめというよりは、大人になってからの冷静な判断です。
混雑した電車での通勤、朝のラッシュ時の電車。みな、疲れてますよ、通勤自体に。「正義感」なんていう元気なエネルギーを朝のラッシュ時に居合わせた人々に要求するのは酷ではないかとも思います。
「正義感」というより、まきこまれたくないという意志のある男性は、最初から両手を上げています。
つり革に置いた片手の腕に、もう片方の腕を添えたり、腕をくんでいたり、カバンを両手で抱え込んでいたりします。
こうした方々は、もしかしたら、にらまれる等のえん罪経験者かもしれません。
電車の中での痴漢行為というものは、性的行動以前に、性的興奮喚起の要素を求めているのかもしれないとも思います。
被害が明確に確定するまでの時間というものが存在するのです。
ふれているかいないか、微妙な状態の手の甲。その手の甲の指一本の力のようなものの存在。そしてその力の微妙なかすかな上下運動。様子をうかがうように微妙に止まり、またかすかに上下運動が始まる。そして段々とその状態はひどくなっていく。
微妙ですよね、この「開始部分」。この相手が加害者なのか、それとも気のせいなのか、ずっとこちらは様子をうかがい続けるわけです、自分の体の一部を提供しながら。
もちろんこの時点で「逃れたい」ですよ。でも混雑時に体の位置や向きを変えたり、移動しようとしたりするという行動は、無関係の人にはけっこう迷惑な動きなんですよね。だからこの時点で自分が行動を起こすことは集団の中の1人としてある意味難しいことなわけです。
口惜しいことに、それが加害者の意識的行動ならば、この間、ずっとこの加害者は「楽しい」んでしょうね。
電車の中での痴漢行為というものは、たいがいこうした「前戯」のようなものが存在するんですよね。この「前戯」の段階でストップさせようとすると、誤解やえん罪のようなものが起きてくることがあるのだと思います。
でもこうした「前戯」の状態でも、当事者にとっては実は立派な性被害なんですよね。訴えることができるのは、電車の中での性被害の、本当に一部なんだと思います。
通勤のついでの痴漢行為というよりは、本職というか、マニアの目的行動というか。そう言いたくなるような方に遭遇するのは「山手線」でした。一駅の時間が数分。どの駅もある程度の乗降客がいますから、車両の乗換でターゲットの変更も可能だということもあるんでしょう。乗ってくるときに車内に素早く視線を走らせる男性は、わたしは「危険人物」と認識していました。
「女性専用車両」に対して、いろいろな意見があるようですが、それはそれぞれの方の考えに、わたしはお任せしたい。
ただ、「女性専用」という女性優遇は差別だと言われる男性の方に対して思うのは、女性は女性としての体を持っているだけで性被害の可能性があるという「差別」を受けているということを、もっと理解していただきたいということ。
そして、専用車両でなくても、どんな混雑の中でも、場所を動きたがっている女性に居合わせることがあったなら、協力してあげて欲しいということ。ほんの少しの位置移動で状況は変わる可能性が大きいのです。
それが電車の中の世界なのだと思います。
*参考データ
はてなブックマーク S嬢のPC日記:電車の中で
コメント不可にした理由ですが。
内容を書き上げて、ちょっと疲れ果てまして、内容に関しての「会話」はできないと思ったこと。
情報として手渡して、考察は読んだ方にお任せしたかったことが、自分の中の表の理由です。
裏の理由というか、これは、好奇の視線にさらされるような言動が生まれることを避けたかったことです。
本文にも書きましたが、痴漢行為に対して被害者として車内という密室で行動を起こすと、わたしは好奇の視線にさらされました。
「被害者の容姿を確認」という感じの、観客的視線はきつかったです。
また、逆ギレの恐怖感も引きずっています。
被害者という構図は自分が考えるもので、自分の想像通りには世の中は動かない。
そんな学習もしました。
電車という密室の中で、加害者と被害者以外の人々に「正義感」を要求できるか。
今、冷静に思うことですが、難しいんではないかと思います。
これは人間に対してのあきらめというよりは、大人になってからの冷静な判断です。
混雑した電車での通勤、朝のラッシュ時の電車。みな、疲れてますよ、通勤自体に。「正義感」なんていう元気なエネルギーを朝のラッシュ時に居合わせた人々に要求するのは酷ではないかとも思います。
「正義感」というより、まきこまれたくないという意志のある男性は、最初から両手を上げています。
つり革に置いた片手の腕に、もう片方の腕を添えたり、腕をくんでいたり、カバンを両手で抱え込んでいたりします。
こうした方々は、もしかしたら、にらまれる等のえん罪経験者かもしれません。
電車の中での痴漢行為というものは、性的行動以前に、性的興奮喚起の要素を求めているのかもしれないとも思います。
被害が明確に確定するまでの時間というものが存在するのです。
ふれているかいないか、微妙な状態の手の甲。その手の甲の指一本の力のようなものの存在。そしてその力の微妙なかすかな上下運動。様子をうかがうように微妙に止まり、またかすかに上下運動が始まる。そして段々とその状態はひどくなっていく。
微妙ですよね、この「開始部分」。この相手が加害者なのか、それとも気のせいなのか、ずっとこちらは様子をうかがい続けるわけです、自分の体の一部を提供しながら。
もちろんこの時点で「逃れたい」ですよ。でも混雑時に体の位置や向きを変えたり、移動しようとしたりするという行動は、無関係の人にはけっこう迷惑な動きなんですよね。だからこの時点で自分が行動を起こすことは集団の中の1人としてある意味難しいことなわけです。
口惜しいことに、それが加害者の意識的行動ならば、この間、ずっとこの加害者は「楽しい」んでしょうね。
電車の中での痴漢行為というものは、たいがいこうした「前戯」のようなものが存在するんですよね。この「前戯」の段階でストップさせようとすると、誤解やえん罪のようなものが起きてくることがあるのだと思います。
でもこうした「前戯」の状態でも、当事者にとっては実は立派な性被害なんですよね。訴えることができるのは、電車の中での性被害の、本当に一部なんだと思います。
通勤のついでの痴漢行為というよりは、本職というか、マニアの目的行動というか。そう言いたくなるような方に遭遇するのは「山手線」でした。一駅の時間が数分。どの駅もある程度の乗降客がいますから、車両の乗換でターゲットの変更も可能だということもあるんでしょう。乗ってくるときに車内に素早く視線を走らせる男性は、わたしは「危険人物」と認識していました。
「女性専用車両」に対して、いろいろな意見があるようですが、それはそれぞれの方の考えに、わたしはお任せしたい。
ただ、「女性専用」という女性優遇は差別だと言われる男性の方に対して思うのは、女性は女性としての体を持っているだけで性被害の可能性があるという「差別」を受けているということを、もっと理解していただきたいということ。
そして、専用車両でなくても、どんな混雑の中でも、場所を動きたがっている女性に居合わせることがあったなら、協力してあげて欲しいということ。ほんの少しの位置移動で状況は変わる可能性が大きいのです。
それが電車の中の世界なのだと思います。
*参考データ
はてなブックマーク S嬢のPC日記:電車の中で
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