S嬢のPC日記

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「同窓会」

2004年11月27日 | 時々プロフ
中高一貫教育の私学のお嬢さん学校、というヤツの出身なのですが。
なんでも7月頃に、学年会という大きな同窓会をやるそうで、そのための名簿再編に、何人かが尽力しているらしい。

自分、薄情か?
と思うほど、興味が無い。
会ってない人間は、18から会ってないわけで。
20年以上コンタクトを取ってない人というのは、「知らない人」に近くないか?と思う。

娘が生まれる前、妊娠中に、
だから、14年前になるだろうか、
当時の友人の一人と会って、ものすごく有意義な時間を過ごしたことがある。
在学中に亡くなった彼女の母親の話、そして、生と死の話、子どもだった自分たちにはできなかった話が、年齢が上がったことで有意義にできる充実感があったというか。
この時の彼女との会話は、その後に自分が出会っていく「死」の経験の中で、少なからずの影響は、あったと思う。
在学中に、個人的にそんなには密接に親しかったわけではない相手なのだけれど、当時、いっしょにいて、その生活の中で「相手を知っている」ことを元に、構築された会話を楽しんだ。
発見を伴う、いい機会だったと思う。
「知り合い直す」というか。

ここで、また、長い間、彼女との接点は無くなっていくのだけれど、
この、会っていたときにいた「お腹の中の子ども」が実はダウン症児であり、そして、生後すぐに死の危険にさらされたということ、そんな話は年賀状のやり取りという中で行われていくわけで。

先日、この彼女とまた電話で話す機会があり、このときの「会話」の話を、再度して。
14年前と、それからの経験の中で、また、その影響を感じたという話などをして。

そうね、
やっぱり「会って話したくない」わけではないんだな。
ただ、「会話」というものが成立するための、
「元気~~?」
「なつかし~~~~」
とか言う「前戯」を集団でやらなくちゃいけないのが、わずらわしいんだろうな、きっと。
そのための「着飾り合い」に参加するのもどこか面倒だし。
で、「誰」が「あのとき、ああだった」の「その先」の「現在の会話が成立する相手」なのか。
「集団」の中では「迷路」にはまり、結局、「笑顔」と「過去の話題」でお茶を濁して終わる。
そんな気がするんだろうな。

あとは、この20余年の間に、
「つるむということが苦手」という自分の個性に磨きがかかったってことなのかもしれないな。

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