S嬢のPC日記

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「障害」と「尊厳」

2005年02月26日 | ○○さんにトラックバック!
「障害児を育てる」ということは、わたしにとっては、「今まで知らなかった世界」の扉が開くことでもありました。

「障害」というものの概念の扉を開いていったときに、そこに見出したものは「自分というものの尊厳」というものでした。
プラスになると人から思われるものも、マイナスになると人から思われるものも、全て「自分」というものの「存在」自体の「尊厳」である。
「障害」というものを持つ、ということは、そのことを哲学的に広げていかなければならなくなる。
逆にいうと、「自分というものの尊厳」に関しての思考を、無限に広げていく可能性を持っているのかもしれないとも思う。

「魔法の手の子どもたち―『先天異常』を生きる」という書籍は、「障害について」を超え、自分自身の尊厳を持つということの大切さを考えさせる名著だと、わたしは思います。
この本は、友人に借りて読み、この名著を自分のものにするために買い直しました。
この本を読んでから、ずっと頭を離れなかったのは、「プロローグ 電話の向こうの人生『障害』を心に閉じこめて」という部分です。
自分の持っている一つの「部分」に関して、誰からも「直視」されず「言及」されず、結果的には「無視」という形で否定され、そのことで自分自身が「直視」することを許されず、自分自身を認められなくなっている人の「悲痛な叫び」がそこにありました。
「部分」の否定は、全てを肯定することを許されないことにつながっていく。

娘が予防接種を受け始める時期「MMR」が「危険な予防接種」として話題になっていました。
幸運なことに、娘が受け始める時期には、このことが大きく問題化され、法律が変わり、この「危険なワクチン」を接種する必要がなくなりました。
「危険なワクチン」を接種する必要がなくなったのは、喜ぶべきことです。
しかし、その陰に、亡くなった命と後遺障害を負った命は存在するわけです。
わたしはこの「事実」を知ったときに、思いを馳せたのは「母親に対して」でした。
予防接種を受けるために、注射を嫌がる我が子を「押さえつけて」接種させただろう「母親」に対してでした。
わたしがそこで思っていたのは、その「事実」に対しての「同情」ではなく、この被害に遭った「母親」たちが、そのことでずっと背負っていく「自分に対しての他者の解釈」ということです。
子どもだけではなく、そういう「他者の目」、そして「自分の後悔」という「障害」を背負わされていくのだろうなと。
それは、たまたま、その方だった。
誰もが背負う可能性を持っていた、という思いもありました。

さて、前述の「障害」に対して、もう一度。
「障害」というものの概念の扉を開いていったときに、そこに見出したものは「自分というものの尊厳」というものでした。
プラスになると人から思われるものも、マイナスになると人から思われるものも、全て「自分」というものの「存在」自体の「尊厳」である。

「ゆうくんちの日常」「もうひとつの誕生日」を読む。
そこに、わたしは一人の「母親」が歩いてきた日々を思う。
また、彼女自身が背負わされた「障害」を思う。
しかし、それもまた、彼女の「『自分』というものの『存在』自体の『尊厳』」のひとつなのだと思う。
彼女の背負わせられた「障害」の精神的な部分は、誰もが踏み込むことのできない「結界」だと思う。
しかし、その「結界」自体が「存在」することを、わたしは彼女の「尊厳」として肯定する。

「ゆうくんちの日常」のリエさんにお会いした日、わたしは彼女にひとつの「歌」を贈りました。
もともと好きだったその「歌」ですが、この「歌」ほど、彼女にマッチしているものはないだろうと思った。
その「歌」の「歌詞」はコチラです。

「ゆうくんちの日常」「もうひとつの誕生日」にトラックバックです。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (リエ@裕母)
2005-02-27 02:56:29
S嬢さん、わたし、こういう風に客観的に

>その「結界」自体が「存在」することを、わたしは彼女の「尊厳」として肯定する。



と、文章で伝えてもらったことは初めてで、ありがたかったです。



わたしの気持ちはわたしの気持ちで、

ユウヤの気持ちはユウヤの気持ち(笑)。

人がわたしやユウヤの気持ちになって考えたところで

それは「わたしやユウヤの気持ちを考えたその人の気持ち」

以外の何ものでもない訳で…。



そういうことまで察してもらってたこと「やっぱりね」という感じでしたが(笑)。

なんか最後の方は決意表明みたいになっちゃったけど、

あのTB記事はS嬢さんへのRespectをわたしなりに込めて書きました。

いろんなこと、感じてくれて、気持ちに添ってくれて

本当にありがとう。

感謝です。

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いや、あのね (S嬢)
2005-02-27 12:54:39
「結界」なんですが。

web辞書ではこんな風に、意味、出てきますが。



(1)仏道修行に障害のないように、一定地域を聖域として定めること。寺院などの領域を定めること。



わたしの中で「結界」って言葉が浸透したのはね、実はドラクエなんだな。

確か「ドラクエⅡ 悪霊の神々」だったと思う。

入れないんだよね、って場所がある。

イメージとしては、ぴーんとものすごい強力な感じ。

「結界がはられています」とかなんとか言われちゃって。

まあ、でも入らなきゃ、「敵を倒せない」から入るんだけど、「特別の方法」でね。

ただ、こう、衝撃だったのよね、「結界」という概念が。

「入っちゃいけません!」って感じで。

で、わたしは「体験」として「結界」を知っているというか。



で、この「結界」という言葉を、久々に実感を持って思い出した。

「結界」って言葉が一番ふさわしかったんだな。

この間、おうちに行ったときに、この「結界」という言葉を使いながら、

(わっかるかなあ、「結界」って言葉を選ぶ感覚)

とか思ったけど、ものすごい勢いで、首を縦に振りつつ、

「そーーーー」とか言ってたよね。

なんか、別次元なんだけど、

(おお、「結界」で通じるんだ・・・)とか思ってました。



インターネットというものは、新しいコミュニケーションツールとして、ものすごく有効だな、と思う。

リアルだったらね、



>その「結界」自体が「存在」することを、わたしは彼女の「尊厳」として肯定する。



んなこと、こっぱずかしくて、言えませんよ(笑)。

あと、「歌」を贈るなんてこともね。
返信する
あとさ (S嬢)
2005-02-27 13:03:56
「聖域」。

これは、ドラクエから生まれた「トルネコの大冒険」ってゲームがあって。

魔法を使えない「トルネコ」ってキャラ、魔法の代わりに「巻物」が使える。

巻物に書いてある「呪文」を読むことで、モンスターに対抗するための魔法が使えるのだけど。

その巻物の中で「聖域の巻物」、最強。

この「聖域の巻物」で作ることができる「聖域」。

敵の直接攻撃を受けなくなる。

でも、遠距離攻撃は受ける。



リエ殿。

「遠距離攻撃」には、強くなったみたいだね。

それが「時を重ね、生きる」ってことなんだと思うよ。
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