S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

アクセス数というもの

2005年06月12日 | インターネット雑記
「アクセス数をあげるために」なんていうサイト・ブログはあっという間に高アクセスというような、「アクセス数が欲しい」というのが通常の常識のようですが。
でも、「高アクセスはいらない」という人も、存在すると思います。
正直、わたしは、安易に高アクセスに憧れを抱く人には、疑問です。
高アクセスというのは、自分が漠然と考える閲覧対象者から大きくはずれる人も入ってくる可能性があり、そのことによるトラブルが起きかねないことを覚悟しなければならない。
そのことをどこまで自覚しているか、という思考があるからです。

ネット上にアップロードした以上、人に見てもらいたいと思うのは当たり前じゃないか。

と、そう思う人は多いかもしれない。
でも、この「人に見てもらいたい」という感覚の「色」のようなものは、人によってそれぞれなんではないかと思うんですよね、わたしは。

例えば、わたしは過去記事で、ブログ開設当時のことに関してこんなことを書いています。
自分の考察を、誰に相手にして欲しいというわけでもない、
ただ、公開されるところで意見を表明していくことはわたしにとっては緊張感を伴うものであり、その適度な緊張感は、非常に考察にプラスになる、という感覚がこれまで養えてきたものでありまして。
「自分のためのアップロード」ということ。
こういう感覚というのは、存在すると思うのですよね。
「自己満足サイト」という呼称に、「そうですよ」と。
自己が満足したいためにツールを使う。
そんな感覚もアリだと、思う。
実際、わたしははてなダイアリーを使った「S:今日の一言」ってのは、堂々と「自己満足エリアです」と豪語できてしまうところがありますし。

そうした「自分のためのブログ」というものを、閲覧した場合、どうするか。
どうなんでしょうね。
わたしは被リンクで、こうした「ひっそりと自分のためにつぶやくブログ」というものを、見つけてしまっているのですよね。
この方はわたしのブログを読破されていて、そうした「ひっそりと自分のためにつぶやくブログ」だからこその正直な感想というものは、とても興味深かったし、ありがたかった。
この方のこのブログ、「ひっそりと自分のためにつぶやくブログ」だから、書いてあることの内容が全然わからなかったりします。
人に聞かせるためじゃないから、話の前後関係なんてのに説明はいらないし、そんなことはぶっ飛ばして「思考」だけしてますから。
でも、すごくよくわかるんですよね、全て、自分のために役に立っているということが。

昨日、この「ひっそりブログ」にわたしの記事内容に関しての反応がありまして。
とても「なるほど」と思うことがあった。
それは「アクセス解析をつけるブログを歓迎する思考」というもの。
自分がどこかのブログ記事の感想を書いたからといって、それを先方に公開の場で伝えて、ブログ閲覧者の「その他大勢」にまでぞろぞろと来られたくはないんだと。
わざわざ伝えるほどのことか、という思考もあるんだと。
ただ、相手がアクセス解析をつけていたなら、相手だけに伝わる可能性があって、そこで自分のとこを閲覧するかどうかは、相手に判断がゆだねられるからだと。
目からウロコ、でしたね。

ブログというツール、
人によって、いろいろなとらえ方、いろいろな使い方というものがあると思う。
ツールというものの使用が誰にでも平等に提供されているなら、その人その人の自由な使い方があっていいのだとわたしは思う。
「公開」という覚悟はもちろん必要なのかもしれないけれど、不特定多数の「100」よりも届く人に届くかもしれない可能性を持った「1」。
そんな感覚というものも、わたしは尊重したいと思います。

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