周防教会・牧会ジャーナル

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11月12―18日

2017年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

最初はこんなやったけど(左)、次第にこんなになって(中)、最後はこんなありさま(右)。子供の頃、岸和田でだんじりを曳いて以来の祭り参加。高校は神社神道の学校やったので僕は洗礼の前に伊勢の五十鈴川で禊(みそぎ)を受けている。宗教改革500年?アホくさ。俄然こっちの方が楽しいぞ。

 

11/12(日) 朝8時から天神境内の掃除に行く。十八日の祭りに向けての大掃除と舞台の設置に百人以上の人が瞬く間に集まった。すごいなあ。天神さんにゃ勝てんわい。さて、来年僕は地区の自治会長になるが、午後の役員会で「天神祭りの実行委員長もやっていいよん」というお墨付きをいただいた。もしかしてこれこそ究極のエキュメニカルとちゃうか?

 

13(月) シャイな慶君が遊びに来た。彼が定時制高校時代に書いたという作文集を読ませていただいたが、良いご両親と学校に恵まれたことがヒシヒシと伝わってくる。うちの子も二人ほど定時制の高校に行ったので共感点も多い。思うんやが、全日制高校と定時制高校って、機械で作ったパンと、手作りパンに似ているなあ。まあ僕はどっちも好きやけどね。

 

14(火) 船頭多くして船山に登る・・・という言葉を連想する会議に出させていただきました。途中、ヤボ用で4時間ほど中座したけれど、この会議に全参加された方々は本当にお疲れさんでした。♪ええ~え~、舟は櫓でやる~櫓は唄でやる~唄は船頭さんのよ~心意気~♪みんなに選ばれた船頭さんたちよ。どうせなら調子を合わせて仲良く舟を漕ぎましょうや。

 

15(水) 映画『母』を観に行く。先日うちに来たお客さんが「私も観ましたが最後は宗教で終わりましたね」と、ややご不満な感想を述べられていた。原作が三浦の綾ちゃんやからねえ。確かに最後は宗教でチャンチャンみたいにとれる結末は、カタギの衆にはチョット残念かなあ。でももっと残念なのは、最近の宗教は大きな流れとチャンチャンをしてしまうことや。

 

16(木) 子供の頃、箸をくわえて転んだ子が病院に運ばれたのを見た母が「絶対にマネしたらあかんで」と言った。僕も目撃したのでショックやった。以後、自分の子供らにも注意した。深夜、夜食を作っている最中、箸をくわえたまま便所に行き、電気を消して出ようとしたら戸にぶつかって舌根にグサリと突き刺さる。ショ~ック!でも誰にも見られなくて良かった。

 

17(金) 初期の水戸黄門の再放送を観ているとセリフがやたらとカットされる。禁断の差別・不快語の部分や。その多くは何という言葉がカットされたか想像できる。たとえば「め〇〇」とか「お〇」とか「つ〇〇」とか「き〇〇〇」とかや。今の時代は「お〇〇」や「お〇〇〇」なんかもNG?これこれそこのあなた。何を想像してまんねん。これは下ネタじゃありまへんで!

 

18(土) 来年の天神祭りの参考にと、大まかな神事の流れを今から少しでも知っておくため早朝から参加。玖珂天満宮と書かれた青いハッピを羽織って交通整理や雑用をする。祭りのクライマックスは天神さんから八幡宮までのご神幸行列。僕は旗持ちを担当。ああ面白かった。さて帰って明日の礼拝準備でもするか。こんな牧師って・・・裏切り者でしょうか?


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