周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

3月20―26日

2011年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo避難範囲ではないが、いわき市はまるでゴーストタウンだとか。 原発事故となりゃ日本中どこでもそうなるやろ。この写真は3年前に華々しくオープンした巨大ショッピングセンターのレストラン街。土曜日の午後なのに閑散としていた。同じような光景は教会でも見られる。もしかして…神なんて必要がないということがバレたんかも知れん。

3/20(日) 柳井で開かれた反原発講演会は立ち見が出るほどの盛会やった。地震の前から企画されていたこの集会やが、今回の震災がなければたぶん閑古鳥が鳴いとったやろ。だが驚いたのは質疑応答の時、手を挙げるおばちゃんたち。しかもモックスなどという専門語が飛び出る。おばちゃんを侮っておりました。

21(月) 風評被害、風評被害、と注意を喚起しとるが、分からんのは放射線量の報道。たとえば、被曝したホウレンソウなどの野菜に対し、「基準値を超えていますが食べても身体に影響はありません」と断言すると同時に、「販売ならびに摂取は禁止」などという。こんな時、大阪の人間ならこう言いまっせ。「どないやねん!」

22(火) 開幕でモメとるセリーグやが、やっぱり分からんことがある。「野球を通して被災された方々に元気を与えたい!」という言葉。ほとんどの被災地ではテレビなど見られんで。野球だけやない。「サッカーを通して」「ゴルフを通して」「大相撲を通して」「無理を通して」「肉に火を通して」「この祈りを主の御名を通して」 …。

23(水) 知らん間にロングラン上映中やった映画『ヒア・アフター』が中止されとった。理由は津波に襲われて命を落とす人のシーンがあるからやという。あまり興味のある映画ではなかったけれど、これも僕には微妙に分からん。もしかしたら、飲み屋やカラオケボックスではサザンの『TUNAMI』も自粛されとるんやろか?

24(木) 業者に出すと2~3千円かかるし、これくらい自分でやろうと冬タイヤを外した。でも花粉の飛ばん夜に作業をせにゃならん。また今夜はえらい寒い。手がかじかむ。やっぱ業者に出すべきやったかなあ…などと考えつつ、十字レンチを回している時にふと思い出したのは映画『卒業』。ベンは十字架を振り回しとったなあ。

25(金) 久しぶりに映画『東京原発』を観た。この映画は2004年に封切られたが、ほとんどの映画館で上映されんかった。電力会社の圧力が如実に現れた証拠や。中でも役所広司が扮する都知事の「この世に絶対なんて言葉があってたまるか!」というセリフはいつ聞いてもシビレるなあ。そりゃあ、圧力もかけたなるで。

26(土) 今朝、ボタン電池の形をした核燃料を素手で持ってカンカンに入れるという夢を見た。誰かがせにゃならん!という場面で、周囲のみんな(誰がいたかは分からん)は「そりゃあ、牧師の役目でしょ」という視線で見ているので、仕方なく僕がやったというわけです。しかし、これがホンマやったら…真っ先にトンズラやな。


3月13―19日

2011年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo被災地はもちろん、関東周辺も食料品や水,チリ紙やオムツ,乾電池などが品切れ状態。地震と原発パニックは山口にも影響を及ぼしている。テレビで「買占め」禁止を呼びかけてはいるが効果は期待できん。ところで…ふと気付いたら廊下に積み上げてあったガスボンベや水。なんやこれは?ま、うちは相撲部屋みたいなもんやからな。

3/13(日) 福島第一原発のことが気になり、夜を徹してテレビニュースに釘付けになった。東京電力や保安院が発表するたびに固唾を飲む。情報の混乱もあるし、パニックを誘発してもいけん。彼らも必死なんやろ。家に帰れず風呂にも入れんのやな。乱れた髪型や見るたびに濃くなってゆくヒゲが非常事態を物語っている。

14(月) 余震があるたびにテレビは連呼する。「被災地のみなさんは絶対に海に近づかないでください!」。しかし、腑に落ちないのは、ライフラインを絶たれた被災地の人々は、たとえテレビがあったとしても見る事ができんやろ。それ以外にも多々ある伝わらん放送内容が空しく響く。いらん心配かもしれんが…気になる。

15(火) 知人を中心に「上関はどうなった?」というメールが届く。さすがに工事は中断しているが、なぜか調査作業は今なお続いている。誰が命令してるねん?福島の人たちには申し訳ないけれど、原発計画と30年闘ってきた現地の人々や反対者たちにとってはチャンスであるだけに、複雑な気持ちで見守っている。

16(水) ヒゲじいが来会。久しぶりに遅くまで語り合った。息子の愛策は鹿島で被害こそ少なかったがライフラインが断たれたままらしい。ところで明け方、「バーン!ドッシャーン!」と、何かが倒れて割れた音と揺れ。地震かと飛び起きた。なんのかんの言っても息子や孫が心配なんやろ。ちょっと飲みすぎたヒゲじいでした。

17(木)「大学の先生に紹介されました」と、横浜から来た学生が一人来会。放射能のことが心配で避難を兼ねて西に旅して来たとのこと。言わばプチ避難民ってとこやな。ようこそ周防教会へ。でもここには放射能こそ無いけれど、心身に影響を及ぼしそうなレベルの毒舌が君の健康をむしばむかも知れん。要注意やで。

18(金) 上関町議会で原発計画の中止を求めた議案が8対3で否決された。結局、推進派は誰ひとり議案に同意してくれんかったというわけや。そりゃ、つい先日86億円の原発交付金の支給が決まったばかりやもんな。ま、推進派も同じく30年闘ってきたんや。お互いの傷口はゆっくりと癒しながら解決するしかない。

19(土) 山口県に原発難民がやってきた。「ふるさとの福島を出るのは裏切りに似た気持ちです」、「それでも家族の将来のことを思うとガマンができなかった」などと語っておられた。原発交付金というのは、「どんなことが起こっても決して文句を言いません」という被害見舞金の前払いなんやということが今よくわかる。


3月6―12日

2011年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 旧50円玉を汚れ落とし液に浸して磨いた。思い出すのは小学生時代、友達と二人で原っぱで拾った50円玉(この画像で左側のやつや)。どうしようかとおじさんに相談をしたら25円ずつに分けてくれた。当時の小遣いは一日5~10円やから25円は大金や。何を買ったかは忘れたが、嬉しくて駄菓子屋に飛んでったのはよく覚えている。

3/6(日) グループホームを作りたいと計画している人たちが三人、亀の里の見学に来られた。熱い気持ちを持つ青年の話を聴いているうちに僕も熱くなってしまい、久しぶりに障害者論を一席ぶってしまう。昔は亀の里の連中らとよく語り合ったなあ…。ふと気付いたら、面食らったような表情で三人が僕を見ていた。

7(月) NHKの『家族に乾杯』でふるさとの岸和田が紹介された。だが観ていて衝撃が走ってしまう。取材されているオッサンらが体のことを「からら」などと発音している。舌が空回りしとるんや。ああ品が無い。これぞ岸和田のオッサン。しかも50以上のオッサンはもれなく空回り。そして不安になった。僕もああなるんやろかと。

8(火) 一度は食べてみたかった「すき家」のメガ丼を注文したが、出てきたのは何のことはない「吉野家」の特盛とほぼ変わらん量や。メガなんて言うからてっきりドカ盛りで丼からはみ出してる姿を想像しとったのに。まあメガなどとパソコン用語に過大な期待をした僕が悪いんやけどね。ぜひギガを出してもらいたいもんや。

9(水) 天語にストーブの灯油を入れさせたらドバッとこぼしよった。何しとんねん!アホか!こぼすなて言うたやろ!と怒鳴り散らした。天語が言うにゃ「灯油ポンプをまだ使ったことがない」と。そんなもん常識じゃ!これくらい覚えとけ、ボケ!幸い僕の舌はまだ空回りしとらんが、岸和田のオッサンの素質はあるようや。

10(木) 今日の山口県東部の花粉飛散警報は「極端に多い」。そんな中、ひとりでドライブに出かけた。気分はまるで海の底を進む深海艇のよう。ゆえに窓は絶対に開けられない。そんな風に考えると、ついつい面白くなってあちこちを走り回った。でもちょっと調子に乗り過ぎてしもたわい。夜になって鼻の奥が痛くて泣く。

11(金) 95年の大震災を知ったのは人々が食い入るように見ていた病院のロビーのテレビやった。今日、道の駅のテレビであの時と同じように客たちが見入っている姿を見た途端、背筋が冷たくなった。よみがえる16年前の記憶と惨劇。とんでもない絶望的な光景が目に飛び込んできた。ノアの箱舟やソドムとゴモラの

12(土) 話ができないのは、こんな光景が現実に存在するからや。ところで福島原発が気になってテレビの前から動けない。これで上関の原発計画は頓挫するやろか?それとも大事故はまぬがれそうな状況らしいから「やはり日本の原発は安全です」などと推進側は胸を張るんやろか?ある意味で…祈るしかない空しさ。


2月27日―3月5日

2011年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo井上陽水も高く評価していたというギター『S・ヤイリYD304』。そんな名器を大阪の旧友は「形見分けや」と言って僕にくれた。35年前僕が上京した時にも彼は餞別にモーリスのギターをくれた。もちろん今も使っている。ところで形見分けなんて言った旧友はまだまだくたばりにそうにない。次の35年後は彼の宝物のマーティンをもらおっと。

2/27(日) 今回も高速道路休日千円の利を生かすため、PAに車を置きっ放しにし、フェンスを乗り越えて金牧師がやって来た。なんかまるで悪事を働いているようにも見えるが法律上は何のお咎めもないやろ。巨体が金網を揺らす。落ちるなよ。ここでケガして治療費でもかかりゃ、この作戦はマヌケとしか言えんからな。

28(月) 大阪へ。JR環状線に「玉造(たまつくり)」という駅がある。その駅に着いた時のこと。3歳くらいの可愛い女の子の言動で車内に旋律が走った。母親に笑いかけながら大きな声で「タマツクリやて!」と言って自分の股間を指さしたのだ。凍りつく母親。戸惑う父親。聞こえんフリする祖母。僕まで固まってしもたがな。

1(火) 母と一緒に出かけ、ギターの付属品を買おうとした時のこと。財布を出そうとしたら僕を横に追いやりながら母がこう言った、「お母さんが買うてあげるがな」。気持ちはまことにありがたいんやけど、店員らはきっと(680円のカポタストをママに買ってもらっている、ええ歳こいたオッサン)に見えたに違いない。

2(水) 迎えに来てくれた金牧師の車で岸和田の実家を出て、山口に帰り着いたのは午前5時。今回の帰阪はアッと言う間やったが収穫は大きい。特に親友からもらったギターは興奮もの。代わりに僕が彼に贈ったのは錦川清流線(旧国鉄岩日線)で使われていた列車のつり革と猫柄のバッグ。興奮してくれたやろか?

3(木) 歯が次々に抜けてしまう夢を見た。先日、母が歯のインプラントの事を熱く語るのを適当に聞き流していたのが夢に出たんや。実にリアルな夢やった。ポロポロと抜ける歯を握り締めながら「おふくろの言うことを聞いておけばよかった」と後悔していた。聞き流したつもりが潜在意識の中にまで食い込んどる母の熱弁。

4(金) 朝、教会に道を尋ねに来た婦人がいたが僕もよく分からん。そこで、「電話も分からないんですか?」と尋ねたら、「そうそう!」と携帯でかけたかと思うといきなり僕に電話機を差し出す。普通「かわりに聞いてくれますか?」とか言えへんか?僕はあんたの息子かい!おばはんの珍行動は関西限定ではないみたいやな。

5(土) 柳井教会のゆうちゃんがパストラルホールで開かれる、京都市立芸術大学の学生たちの弦楽リサイタルにピアノでゲスト出演するというので聴きに行く。トップバッターで出てきたゆうちゃんの演奏を聴いた後は、ことごとく夢の中。しかし、バイオリンやピアノの生演奏を聴きながら眠るなんて、けっこうな贅沢やで。