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という段階を経てはいるのですが、表現としておかしい部分が残っているかもしれません。
個人の覚え書きとして、温かい目で見ていただければ幸いです。
*記事内の写真は元記事からお借りしています。
やっと見えるチェ・ジェリム
歌がうまい、声量猛者。ミュージカル俳優にとって申し分のない褒め言葉だが、彼をこの小さな枠の中に閉じ込めるのは正しくない。先日、舞台で会った彼は完全に変わっていた。その代価であるかのように韓国ミュージカルアワードの主演男優賞も受賞した。余裕と楽しさの味を知ってしまった俳優チェ・ジェリムにやっと会う。
188cmのすらりとした身長、声楽を専攻した声量猛者。ミュージカルマニアでない限りチェ・ジェリムについて知る手がかりはそれほど多くないだろう。もしかすると、まだ多くの人は彼をTV芸能<男性の資格>合唱団編で音楽監督パク・カーリンの補助の先生として出演した人だと記憶しているのかもしれない。あれからいつのまにか10年余り。チェ・ジェリムにとって2019年はさらに特別な一年だ。ミュージカル<マチルダ>を通じて‘第3回韓国ミュージカルアワード’主演男優賞という気持ちの良いスタートとなり、組み合わせたかのようにデビュー10周年を迎えた。
2月11日。6ヵ月に渡った<マチルダ>の千秋楽を終えた翌日だった。彼はバックパックを背負ったまま約束の時間より早くスタジオに到着した。舞台の上を圧倒した偏屈な校長先生はもはや姿を消し、化粧っ気のないさっぱりした日常に戻っていた。“打ち上げですか?軽くやってきましたよ(笑)”<マチルダ>の千秋楽が終わり、半年の時間を共にした俳優、スタッフと打ち上げをしたところだ。乱れたはずの千秋楽の翌日だが、やや疲れているような顔だけが千秋楽のエピローグを物語るようだった。
正確には5ヵ月。チェ・ジェリムは世の中にはいないあくどくて、偏屈で、しかも不細工なトランチブル校長先生役として生きた。世界的な作家ロアルド·ダールの小説を原作にした<マチルダ>は、幼い少女‘マチルダ’が大人たちに投げかける愉快なブラックコメディー。当然主人公は‘マチルダ’だ。 ところが、彼はこの作品を通じて主演男優賞を受賞した。俗に私たちが常識的に考える主演男優賞は、主人公役に与えられる確率が高い。その点でさらに好奇心が湧く。一体トランチブル校長としてどんな舞台を繰り広げたのか?
主演男優賞に輝く
“<マチルダ>は公演自体が面白いです。単純で見え透いた内容のようですが、簡単で、共感でき、現実と童話的な非現実が共存しています。子役の俳優と呼吸を合わせるのが難しかったのではないかですか?全くです。練習を含めた7ヵ月半の間、隣(の家)の子どもたちと戯れるように楽しくしたようです。わざと僕のほうが子供のように振る舞いましたね(笑)”一番大人っぽいマチルダとむしろ大人らしくない大人が登場するミュージカル<マチルダ>。チェ・ジェリムが担当したトランチブルは、口答えをしたり命令に従わない子供たちを苛酷に苦しめる、一言で言うとあくどくて偏屈な校長先生だ。 巨大な体格に醜い外貌まで加わり、一度見れば忘れられないキャラクターだ。 実際、原作のトランチブル校長は‘ミス・トランチブル’、すなわち女性の役だ。ところが、韓国公演では男性俳優に変わった。女性の演技を男性俳優が演技するという独特な設定とともに高難度の歌を消化しなければならない役割の特性上、最も念入りにキャスティングした役もまたミス・トランチブルだったから。この独歩的なキャラクターをチェ・ジェリムはそれこそ完璧に、いや、あまりにも楽にこなしている。飛ぶには十分さらに飛ばせるキャラクターだが、適切なバランスとウィットで舞台の上を楽しく動き回る。そのためだろうか。このあくどい校長先生はある瞬間親近感があり、可愛さまで出て来る。ばりっと引き裂くハイトーンの声で子供たちを‘虫けら!’とわめく最後の瞬間までだ。現実と非現実の境界で愉快な風刺とウィットを投げる<マチルダ>。そのチームにトランチブル校長は断然圧倒的だ。子役が注目されるしかないこの公演で主演男優賞が誕生したのは一見異例だが、当然の結果だ。千秋楽まで舞台を一杯にした<マチルダ>の熱気を覚えている観客なら、この点すべてに同意するだろう。
チェ·ジェリムを‘聴く’
“元々この公演は1年あまり前から企画したが、偶然に主演男優賞受賞とデビュー10周年という時期がぴったりかみ合ったようです。”<マチルダ>の熱気が冷めないうちに、彼はまた別の舞台を準備中だ。チェ・ジェリムの初の単独コンサート<The VOICE:チェ・ジェリムを聴く>が3月9日と10日の両日間ペガムアートホールで開かれる。もちろんデビュー10周年を記念して企画されたコンサートではないと彼は付け加えている(正確には初の単独コンサートではない。 日本の東京ですでにコンサートを二度開いたことがある)。
“70~75%はミュージカルナンバーで占める予定です。実はミュージカルナンバーは作品の中が最も輝いています。一曲一曲離せば伝えにくいんです。”曲の流れとともに感情が熱くなる時ミュージカルナンバーがさらに美しく聞こえるのは、その瞬間を観客みんなが一緒に経験するからだ。ただ歌だけでどうやって舞台を輝かせるのか、限られた楽器とサウンドで音楽の性格をどのように目新しく演出するのか。音楽監督であり演出家のパク・カーリンが演出を、キム・ソンス音楽監督が編曲を担当し、チェ・ジェリムの悩みをともに折衝中だ。“<エドガー・アラン・ポー>、<ノートルダム・ド・パリ>、<キンキーブーツ>、<エアポート・ベイビー>、<ジキル&ハイド>などのミュージカルナンバーーをはじめ、僕の音楽的ルーツでもある声楽的な雰囲気を見せられるオペラ<トゥーランドット>の‘ネッスン・ドルマ(Nessun Dorma)’をロックバージョンに編曲した曲など多彩な曲をお見せする予定です。”チェ・ジェリムが参加したミュージカルナンバー、ジャズ、ポッペラ、ここに彼がメンバーとして参加した三重唱ポッペラグループ‘マティーニ’の初舞台も一緒に組み入れる予定だ。この特別な公演にひとつ残念な点がある。チケットオープンとともに、すでに800席が売り切れたという話。もしかしたらアンテナをたくさん立てて空いた座席を攻略しようとするすばやい姿勢がチェ・ジェリムの10年の功徳を聞く機会を開いてくれるかもしれない。
10年、ともに成長してきた時間
“声楽専攻者としてミュージカル、舞踊に対する背景の知識が皆無でした。当然演技に対する恐怖がありました。"舞台で音楽がない瞬間が訪ねてくるととても怖かったです。裸になって光化門を歩けという指令を受けたように”声楽を専攻した彼に演技は大きな恐怖だった。デビュー3年目、彼は恐怖を克服するため、2年間しばらく舞台を離れた。2015年<ジーザス・クライスト・スーパースター>で戻ってきてからちょうど3年。チェ・ジェリムは主演男優賞という輝かしい栄光を手にした。“大学院に通いながらものすごく演技が上達したというよりは、舞台の上でいくつかの恐ろしさが少しなくなりました。練習の時、ディレクションを受ける時、聞き取れる深さが変わったりもしました。正解が正しいかどうかにかかわらず、俳優が舞台の上で自分に対する確信が多ければ多いほど良い結果が出るようです”これから彼はこれ以上歌が上手いチェ・ジェリムではない。実際、今回の舞台ではかえって演技がさらに輝く。そして、私はその隙間からチェ・ジェリムの‘余裕’と‘自信’を見た。舞台の上のチェ・ジェリムはいつにも増して楽しくて気楽に見えた。彼が手放したのは小さな恐れだが、その中で高濃縮の余裕を悟ったようだ。事実、彼は今日のインタビュー撮影でも‘チェ・ジェリムがこれほど顔をよく使う俳優だったのか?’と思えるほど多くの表情演技を披露した。普通の俳優のインタビューだったなら、恐らく最も素敵でシックな表情だけ残しただろう。しかし‘ビング 빙구(注)’のような姿がもっとも好きだというチェ・ジェリムの願い(?)のように変化に富んだ表情の彼を撮りたかったことを明らかにする。もしかすると、それはチェ・ジェリムのもう一つの自信かも知れない。
愉快なジェリム氏
実は彼に会う前、番組でちょっと紹介された表情とスタイルを土台に完璧主義の冷徹な(?)イメージ"を思い浮かべた。“僕は敏感さとは程遠いようです。人々がツンデレと言います。とっても親切に(笑)”実際、近いスタッフの言葉を聞いても、彼は冷静な完璧主義者というよりも配慮のアイコンに近いという。だからといって見事に配慮するスタイルではない。だから‘ツンデレ‘って言われると。“僕はいつも妥協します(笑)。”状況に遮られ、希望する演出にならない場合、意地を張る代わりに妥協を選択するチェ・ジェリム。彼と同じ空間の中に30分だけいても彼がどれほどおおらかで意外な茶目っ気を兼ね備えているかをすぐに気づくことになる。しかし俳優としての心意気を語る時は、すぐ茶目っ気を消して、再び謙遜で真摯な表情の彼が現れる。
“俳優として違うメディアの演技、コンサートなど他の分野に挑戦してみたい気持ちはあります。その瞬間が来る前にどれだけ準備されているかが重要だと思います。ただ元のルーツを失わないことも重要です。私の才能の大きな枠組みは‘音楽’で、私に向いた人々の情が何から来るのか忘れてはならないという思いです"。”根、根源を語る彼の答えの前にふと知りたくなった。一体歌が上手だというのは何だろうか。“リズムと音程と各音に合った良い音を出し、全体の歌のオーラをどう見せるか、どれだけ楽しむかが重要だと思います。僕ですか?僕はうまくいっていますよ(笑)”彼は冗談のように笑いながら言ったが、私たちみんなが彼がどれほど歌が上手なのか、すでに知っているんじゃないか。
2009年ミュージカル<レント>でデビュー、<ジーザス・クライスト・スーパースター>のユダ、<キンキーブーツ>の女装男子‘ローラ’、<ノートルダム・ド・パリ>の吟遊詩人グランゴワール、<エアポート・ベイビー>の中の養子まで。チェ・ジェリムはいつも平凡な役割とはかけ離れていた。彼の言葉通りこの10年はともに成長してきた時間だった。今や思いっきり彼が望む配役ができる位置ではないかと?“あぁ、今もオーディションに落ちているんですが?(笑)ただ落ちた後の考えは変わりました。うぬぼれを入れた答えを言うと、最近は‘自分とはイメージが合わなかったんだな’という(笑)”<ミス・サイゴン>、<ノートルダム・ド・パリ>など彼も数多くのオーディションに落ちて、これからもそうだろう。主演男優賞受賞は短い間の喜びにすぎず、彼は依然としてすべての俳優と一緒にオーディションに参加しなければならない大韓民国のミュージカル俳優にすぎない。
舞台の上の扮装を落として過ぎた10年の時間を話するように1人で舞台でただ歌だけで観客を迎えることになるチェ・ジェリム。彼は心配だと言ったが、自信があるという言葉に聞こえた。真剣さを重んじておいて‘余裕’と‘楽しさ’の味をしっかり知ってしまった俳優チェ・ジェリムに何が必要なのか。
*注:빙구について、先生にニュアンスの説明もしていただき、どう翻訳するか一緒に考えてもいただいたのですが、ぴったりハマる言葉が見つからなかったため、韓国語のままにしました。印象としては「お馬鹿さん」とか「お調子者」とかかなぁ?と思いましたが、ちょっと違うみたいです…
という段階を経てはいるのですが、表現としておかしい部分が残っているかもしれません。
個人の覚え書きとして、温かい目で見ていただければ幸いです。
*記事内の写真は元記事からお借りしています。
やっと見えるチェ・ジェリム
歌がうまい、声量猛者。ミュージカル俳優にとって申し分のない褒め言葉だが、彼をこの小さな枠の中に閉じ込めるのは正しくない。先日、舞台で会った彼は完全に変わっていた。その代価であるかのように韓国ミュージカルアワードの主演男優賞も受賞した。余裕と楽しさの味を知ってしまった俳優チェ・ジェリムにやっと会う。
188cmのすらりとした身長、声楽を専攻した声量猛者。ミュージカルマニアでない限りチェ・ジェリムについて知る手がかりはそれほど多くないだろう。もしかすると、まだ多くの人は彼をTV芸能<男性の資格>合唱団編で音楽監督パク・カーリンの補助の先生として出演した人だと記憶しているのかもしれない。あれからいつのまにか10年余り。チェ・ジェリムにとって2019年はさらに特別な一年だ。ミュージカル<マチルダ>を通じて‘第3回韓国ミュージカルアワード’主演男優賞という気持ちの良いスタートとなり、組み合わせたかのようにデビュー10周年を迎えた。
2月11日。6ヵ月に渡った<マチルダ>の千秋楽を終えた翌日だった。彼はバックパックを背負ったまま約束の時間より早くスタジオに到着した。舞台の上を圧倒した偏屈な校長先生はもはや姿を消し、化粧っ気のないさっぱりした日常に戻っていた。“打ち上げですか?軽くやってきましたよ(笑)”<マチルダ>の千秋楽が終わり、半年の時間を共にした俳優、スタッフと打ち上げをしたところだ。乱れたはずの千秋楽の翌日だが、やや疲れているような顔だけが千秋楽のエピローグを物語るようだった。
正確には5ヵ月。チェ・ジェリムは世の中にはいないあくどくて、偏屈で、しかも不細工なトランチブル校長先生役として生きた。世界的な作家ロアルド·ダールの小説を原作にした<マチルダ>は、幼い少女‘マチルダ’が大人たちに投げかける愉快なブラックコメディー。当然主人公は‘マチルダ’だ。 ところが、彼はこの作品を通じて主演男優賞を受賞した。俗に私たちが常識的に考える主演男優賞は、主人公役に与えられる確率が高い。その点でさらに好奇心が湧く。一体トランチブル校長としてどんな舞台を繰り広げたのか?
主演男優賞に輝く
“<マチルダ>は公演自体が面白いです。単純で見え透いた内容のようですが、簡単で、共感でき、現実と童話的な非現実が共存しています。子役の俳優と呼吸を合わせるのが難しかったのではないかですか?全くです。練習を含めた7ヵ月半の間、隣(の家)の子どもたちと戯れるように楽しくしたようです。わざと僕のほうが子供のように振る舞いましたね(笑)”一番大人っぽいマチルダとむしろ大人らしくない大人が登場するミュージカル<マチルダ>。チェ・ジェリムが担当したトランチブルは、口答えをしたり命令に従わない子供たちを苛酷に苦しめる、一言で言うとあくどくて偏屈な校長先生だ。 巨大な体格に醜い外貌まで加わり、一度見れば忘れられないキャラクターだ。 実際、原作のトランチブル校長は‘ミス・トランチブル’、すなわち女性の役だ。ところが、韓国公演では男性俳優に変わった。女性の演技を男性俳優が演技するという独特な設定とともに高難度の歌を消化しなければならない役割の特性上、最も念入りにキャスティングした役もまたミス・トランチブルだったから。この独歩的なキャラクターをチェ・ジェリムはそれこそ完璧に、いや、あまりにも楽にこなしている。飛ぶには十分さらに飛ばせるキャラクターだが、適切なバランスとウィットで舞台の上を楽しく動き回る。そのためだろうか。このあくどい校長先生はある瞬間親近感があり、可愛さまで出て来る。ばりっと引き裂くハイトーンの声で子供たちを‘虫けら!’とわめく最後の瞬間までだ。現実と非現実の境界で愉快な風刺とウィットを投げる<マチルダ>。そのチームにトランチブル校長は断然圧倒的だ。子役が注目されるしかないこの公演で主演男優賞が誕生したのは一見異例だが、当然の結果だ。千秋楽まで舞台を一杯にした<マチルダ>の熱気を覚えている観客なら、この点すべてに同意するだろう。
チェ·ジェリムを‘聴く’
“元々この公演は1年あまり前から企画したが、偶然に主演男優賞受賞とデビュー10周年という時期がぴったりかみ合ったようです。”<マチルダ>の熱気が冷めないうちに、彼はまた別の舞台を準備中だ。チェ・ジェリムの初の単独コンサート<The VOICE:チェ・ジェリムを聴く>が3月9日と10日の両日間ペガムアートホールで開かれる。もちろんデビュー10周年を記念して企画されたコンサートではないと彼は付け加えている(正確には初の単独コンサートではない。 日本の東京ですでにコンサートを二度開いたことがある)。
“70~75%はミュージカルナンバーで占める予定です。実はミュージカルナンバーは作品の中が最も輝いています。一曲一曲離せば伝えにくいんです。”曲の流れとともに感情が熱くなる時ミュージカルナンバーがさらに美しく聞こえるのは、その瞬間を観客みんなが一緒に経験するからだ。ただ歌だけでどうやって舞台を輝かせるのか、限られた楽器とサウンドで音楽の性格をどのように目新しく演出するのか。音楽監督であり演出家のパク・カーリンが演出を、キム・ソンス音楽監督が編曲を担当し、チェ・ジェリムの悩みをともに折衝中だ。“<エドガー・アラン・ポー>、<ノートルダム・ド・パリ>、<キンキーブーツ>、<エアポート・ベイビー>、<ジキル&ハイド>などのミュージカルナンバーーをはじめ、僕の音楽的ルーツでもある声楽的な雰囲気を見せられるオペラ<トゥーランドット>の‘ネッスン・ドルマ(Nessun Dorma)’をロックバージョンに編曲した曲など多彩な曲をお見せする予定です。”チェ・ジェリムが参加したミュージカルナンバー、ジャズ、ポッペラ、ここに彼がメンバーとして参加した三重唱ポッペラグループ‘マティーニ’の初舞台も一緒に組み入れる予定だ。この特別な公演にひとつ残念な点がある。チケットオープンとともに、すでに800席が売り切れたという話。もしかしたらアンテナをたくさん立てて空いた座席を攻略しようとするすばやい姿勢がチェ・ジェリムの10年の功徳を聞く機会を開いてくれるかもしれない。
10年、ともに成長してきた時間
“声楽専攻者としてミュージカル、舞踊に対する背景の知識が皆無でした。当然演技に対する恐怖がありました。"舞台で音楽がない瞬間が訪ねてくるととても怖かったです。裸になって光化門を歩けという指令を受けたように”声楽を専攻した彼に演技は大きな恐怖だった。デビュー3年目、彼は恐怖を克服するため、2年間しばらく舞台を離れた。2015年<ジーザス・クライスト・スーパースター>で戻ってきてからちょうど3年。チェ・ジェリムは主演男優賞という輝かしい栄光を手にした。“大学院に通いながらものすごく演技が上達したというよりは、舞台の上でいくつかの恐ろしさが少しなくなりました。練習の時、ディレクションを受ける時、聞き取れる深さが変わったりもしました。正解が正しいかどうかにかかわらず、俳優が舞台の上で自分に対する確信が多ければ多いほど良い結果が出るようです”これから彼はこれ以上歌が上手いチェ・ジェリムではない。実際、今回の舞台ではかえって演技がさらに輝く。そして、私はその隙間からチェ・ジェリムの‘余裕’と‘自信’を見た。舞台の上のチェ・ジェリムはいつにも増して楽しくて気楽に見えた。彼が手放したのは小さな恐れだが、その中で高濃縮の余裕を悟ったようだ。事実、彼は今日のインタビュー撮影でも‘チェ・ジェリムがこれほど顔をよく使う俳優だったのか?’と思えるほど多くの表情演技を披露した。普通の俳優のインタビューだったなら、恐らく最も素敵でシックな表情だけ残しただろう。しかし‘ビング 빙구(注)’のような姿がもっとも好きだというチェ・ジェリムの願い(?)のように変化に富んだ表情の彼を撮りたかったことを明らかにする。もしかすると、それはチェ・ジェリムのもう一つの自信かも知れない。
愉快なジェリム氏
実は彼に会う前、番組でちょっと紹介された表情とスタイルを土台に完璧主義の冷徹な(?)イメージ"を思い浮かべた。“僕は敏感さとは程遠いようです。人々がツンデレと言います。とっても親切に(笑)”実際、近いスタッフの言葉を聞いても、彼は冷静な完璧主義者というよりも配慮のアイコンに近いという。だからといって見事に配慮するスタイルではない。だから‘ツンデレ‘って言われると。“僕はいつも妥協します(笑)。”状況に遮られ、希望する演出にならない場合、意地を張る代わりに妥協を選択するチェ・ジェリム。彼と同じ空間の中に30分だけいても彼がどれほどおおらかで意外な茶目っ気を兼ね備えているかをすぐに気づくことになる。しかし俳優としての心意気を語る時は、すぐ茶目っ気を消して、再び謙遜で真摯な表情の彼が現れる。
“俳優として違うメディアの演技、コンサートなど他の分野に挑戦してみたい気持ちはあります。その瞬間が来る前にどれだけ準備されているかが重要だと思います。ただ元のルーツを失わないことも重要です。私の才能の大きな枠組みは‘音楽’で、私に向いた人々の情が何から来るのか忘れてはならないという思いです"。”根、根源を語る彼の答えの前にふと知りたくなった。一体歌が上手だというのは何だろうか。“リズムと音程と各音に合った良い音を出し、全体の歌のオーラをどう見せるか、どれだけ楽しむかが重要だと思います。僕ですか?僕はうまくいっていますよ(笑)”彼は冗談のように笑いながら言ったが、私たちみんなが彼がどれほど歌が上手なのか、すでに知っているんじゃないか。
2009年ミュージカル<レント>でデビュー、<ジーザス・クライスト・スーパースター>のユダ、<キンキーブーツ>の女装男子‘ローラ’、<ノートルダム・ド・パリ>の吟遊詩人グランゴワール、<エアポート・ベイビー>の中の養子まで。チェ・ジェリムはいつも平凡な役割とはかけ離れていた。彼の言葉通りこの10年はともに成長してきた時間だった。今や思いっきり彼が望む配役ができる位置ではないかと?“あぁ、今もオーディションに落ちているんですが?(笑)ただ落ちた後の考えは変わりました。うぬぼれを入れた答えを言うと、最近は‘自分とはイメージが合わなかったんだな’という(笑)”<ミス・サイゴン>、<ノートルダム・ド・パリ>など彼も数多くのオーディションに落ちて、これからもそうだろう。主演男優賞受賞は短い間の喜びにすぎず、彼は依然としてすべての俳優と一緒にオーディションに参加しなければならない大韓民国のミュージカル俳優にすぎない。
舞台の上の扮装を落として過ぎた10年の時間を話するように1人で舞台でただ歌だけで観客を迎えることになるチェ・ジェリム。彼は心配だと言ったが、自信があるという言葉に聞こえた。真剣さを重んじておいて‘余裕’と‘楽しさ’の味をしっかり知ってしまった俳優チェ・ジェリムに何が必要なのか。
*注:빙구について、先生にニュアンスの説明もしていただき、どう翻訳するか一緒に考えてもいただいたのですが、ぴったりハマる言葉が見つからなかったため、韓国語のままにしました。印象としては「お馬鹿さん」とか「お調子者」とかかなぁ?と思いましたが、ちょっと違うみたいです…