この門の軒先にある三角形の瓦は滴水瓦、別名高麗瓦と呼ばれ以前紹介したことがあります。
高麗瓦と滴水瓦
>豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加し、陶工や瓦職人を連れて帰った加藤清正が熊本城を築いた時、彼ら渡来朝鮮人が
>滴水瓦を造ったのがその名の由来です。
実は、この写真の「ろの門」は高麗門と呼ばれています。
その特徴は開いた扉が城内側の屋根の下に納まることです。だから、雨が降っても扉は濡れないし、門の屋根も小さくてすみます。
門としては簡単な棟門は扉の上に屋根がありません。その代わり扉の上をトタン板で覆っています。
えっトタン板?? トタン板が江戸時代にあった?そんな筈はありません。多分、姫路城が一般に公開されてからトタン板が使われたのでしょう。三左衛門は菱の門以外の門が閉じられたのを見たことがありません。閉じる必要がないからですが、そうすると雨に濡れて木製の扉は傷んでしまいます。だからトタン屋根が作られてのだと思います。
それではこの高麗門も高麗瓦と同様、朝鮮半島からその技術を輸入したのでしょうか?
何人か韓国からのお客さんに訊ねたのですが、こんな形式の門が韓国にあるかどうか判らないと言われました。
どうやら、秀吉による朝鮮侵略の文禄・慶長の役頃に発明された日本オリジナルの城門のようです。
同じように唐破風も日本オリジナルで中国から輸入したものではないです。
高麗、唐のような外国名をつけるのは、今で言うとフランス風何々とかアメリカン何々と名付けるようなもので、シャレた感じがしたのかもしれません(^_^;)