日記

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「ロンドンはやめられない」 高月園子

2010年09月03日 | 読書
1985年、夫のロンドン駐在に伴って子供二人を伴い家族で渡英し、夫が帰国後もイギリスで就職した二人の子供のため、一年を半分ずつ日本とイギリスで暮らす著者が、在ロンドン邦人向けの新聞に連載したエッセィをまとめたもの。

大部分が駐在員夫人から見たイギリスと日本の比較。イギリス本はいろいろあるけれど、どんな立場でどんな人と付き合ったかで見えてくるものはだいぶ違う。ここにあるのは金銭の苦労はなく、狭い日本人社会で右往左往する駐在員の妻の姿。なかなかに観察が鋭く、容赦がない。著者自身の合わせ鏡のようでもある。

イギリスでは、そしてたぶんどこへ行っても「主婦です」などと自己紹介すると、何もしていない空っぽな人として、相手にしてもらえないそうで、曲がりなりにも翻訳の仕事をするようになり、やっとまともに扱ってもらえたとか。

海外から帰った女性が、かの地で習った料理、テーブルセッティング、フラワーアレンジメントなどの講師になるのは「これは自分だと言えるものをしたい」という思いに突き動かされて。
私の考え…成功するのはごく一部だとしても、海外で刺激を受けて人が変わるのはいいことだと思う。
所詮は恵まれた人間の「お仕事」と著者は自嘲気味だけど、それはそれでいいんでないの。すべてものごとにはいろんな関わり方があるんだから。

子供二人がケンブリッジを受験したとか(合格したかどうかは書いてないけど、たぶん合格したんでしょうね)、エルメスの何とかというバッグを持っているとか、たまに自慢モードがいるのもまあ御愛嬌。とえらそげてすんません。

中小出版社から新潮文庫への大抜擢。素晴らしい。つくづく日本人ってイギリス好き。それを買って読む私も。

以前読んだ「高く手を振る日」の女主人公、息子夫婦がロンドンへ駐在することになって…あれがカンボジャならどうよ、ナイジェリアならどうよ、コートジボアールならどうよ、といらん突っ込みをする私でした。小説のたたずまいも微妙に違う。

もう少し社会の底辺の人とも付き合うとまた違う日本とイギリスが見えてくるかもしれないが、それはないものねだり。他の人の本で。

写真はトヨタ博物館新館で。昔のアンアン、ノンノ。
何を隠そう、私は1960年代終わりのアンアンの創刊号を買った過去があるという高齢者でありました。
当時はELLE JAPON ANANのキャッチフレーズ、あちらの雑誌と提携した記事もあったのかな。
今の時代には信じられないかもしれないけど、それまでのファッション誌は洋裁雑誌、はじめて既製服の情報誌として登場したのでした。服は作るものから買うものへ。マスプロダクションの時代の幕開けを告げる出来事でもありました。
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3 コメント

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すごい! (きもの大好き)
2010-09-04 20:08:00
アンアンとノンノの表紙
外国人のモデルさんだから古さを感じさせないですね

中ほどの上の段に、水色の着物を着ているのでしょうか…
なんか間延びした着物姿に見えますが…
着物はやはり日本人の小柄なモデルさんでお願いしたいですね

それと2つ右隣のM字開脚は、当時、受け入れられたのでしょうか?
笑ってしまいました!
懐かしすぎて・・・ (管理人)
2010-09-05 01:46:49
雑誌は紙が茶色になって砕けてしまって、当時のものはほとんど持ってません。

確かに表紙はほとんどが外人モデルですよね。おっしゃる通り間延びして、確かに日本人が着るのとは違いますよね。

もっとも最近は帯の幅も31センチくらいになって、大きくなった現代っ子に対応していますけど。

うーーーむ、言われてみれば。。。。当時は中腰のつもりだったのかも。
Unknown (キョンチャン)
2021-12-04 00:18:19
私は、留学していたロンドン🇬🇧に魅了されて1996年に帰国してもロンドン🇬🇧で生活したいと気持ちでワクワクドキドキしています(≧∇≦)
記憶に残っているのはロンドン🇬🇧屈指の高級住宅街ハムステッドの街並みです(≧∇≦)
コロナが落ち着いたら✈️でロンドン🇬🇧に帰ってこよう&住んでみよう&楽しんでみよう(≧∇≦)
カナダ🇨🇦も候補の中に入れておこう(≧∇≦)

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