寝袋要る?

2005-05-27 01:59:06 | 旅 voyage
ペルー旅行、寝袋持って行かなくてもいいよねー、もうすぐ夏だし、

と思ってたけどすっかり、すっかり忘れてた!!

ペルーは南半球だった!!向こうは今秋なのだ!!

Pにペルーは今秋だってよーと言われ、

何馬鹿なこと言ってんのよ~って反論しようとして、

ハッ!と気づいた。

そうだぁ!季節が逆だったーあ!!すっかり忘れていた!!

旅直前に気づいた私って

あーもうそうならぜったい寝袋要るね、と返事したのでした。

朝晩は冷える高地のホステルは

備え付けの毛布だけじゃ寒いこともあるらしい。

寝袋って使わないときは持ち運びでかさばったりするんだけど

夜行バスにも乗るし重宝するかな?

"Ashes and snow"を観て来た。

2005-05-25 14:19:31 | NY生活 Vie a NY
"Ashes and snow"という展覧会に行ってきた。

なにやらとても感動するらしく
すごく噂になって並んでいるショウらしい。
Pはもう友人と行った。
私は近頃全然アートから遠ざかっているので
別に行かなくていいよ、という感じだったのだが
たまには展覧会も行ってみるかと今日覗いてきた。

批評モノも一切読んでなかったし(読むの好きでない)
内容は人間と動物の写真と映像、とだけしか知らんかった。

まずは全体の感想。

うーん。ちょっと引いてしまった。

なんかちょっとドラマチックに作られすぎ?
あとちょっとスピリチュアルになりすぎ?

人間の動きがなあ、、、
なんか自然でないというか、
人工的に作られた感じがどうしてもする。
ダンスとしてみれば体の線や動きがすごいし
人間の体のかっこよさを感じさせてくれるんだけど
動物と並んで、動物の側でダンスすることに
意味があったりするわけでしょう。
片っ方は完全自然体な野性動物なのよね、、、
私にはどうもなんかしっくりこなかった。
あと音楽もドラマチックすぎたんじゃないかなあ。
映像だけでいいじゃない、音楽で盛り上げないで
映像だけで見せようよ、と思ってしまう。
声で流れるメッセージもきれいきれいなスピリチュアルメッセージ、みたいで
なんだか引いちゃった。


っていやなことばかり言ってるがそんなことは全然ないよ。

このアーティストが撮る象や鯨、豹(?)など動物の姿は素晴らしかった。
象の体の接写なんて、目や足の爪、皮膚なんかがもう生々しくて
彼らの生命がズンズン伝わってきて、
動物が”人間と同様に命ある存在である”と痛感させられ
生きと生けるものの美しさを言われてる気もした。
セピア色した映像の陰影では迫力のリアリズム(でた、私の今のブーム!)が
一層浮き上がってた。お見事。
ずっと目を凝らしてみていました。

作り手の意図としたのは動物と人間との相互作用だろうけど
私個人にはちょっとそれはしっくりこなくって
動物だけの映像や写真だったら超感動しただろうなあなどと思ったのでした。

、、、と、まぁど素人のくせして言いたい放題。

でも面白かったよ。行ってよかった。
動物と人間の交わりを美しいアートに持ってってる作品なんて
私は記憶にないし面白かった。
このアーティストは何十年も動物を撮り続けてるらしい。
この人の撮る動物をもっと見たい。すばらしいに違いないから。

2004年12月1日の卵巣のう腫手術とその経過

2005-05-24 13:31:57 | 卵巣のう腫 Ovarian Cyst
メモはとっておいたんだけどサボってちゃんと記しませんでした。6ヶ月も。
今日そのメモを発見して、よし、書こう、書かねば、自分の病気の記録だ、人生の記録だと重い腰を上げました。

私の卵巣のう腫闘病記(といってもたいしたものではない)について興味のある方はカテゴリーの”卵巣のう腫”をどうぞ。以下では簡単に病気が分かるまでと病名、手術、術後経過について記します。卵巣のう腫についてのより詳しいことは、みのりさんのサイト卵巣のう腫摘出記がお勧めです。情報量は多いけどきちんと整理されていてとても読みやすい。掲示板にも色んな方々の症状、手術前後の様子など体験談が満載です。私も心理的に大変助けてもらいました。

*****

病名:卵巣のう腫(Ovarian Cyst)とは卵巣内の周辺部の卵胞に分泌液がたまってはれてしまうものを言います。たまる液体の種類によって病名も違ってくるのだが手術しなければ正確な種類は分からない。私の場合は、Mucinous Cystadenoma。日本語だと偽ムチンのう腫(ぎムチンのうしゅ)とか粘液性のう胞腺腫と言うらしい。ゼラチン状の粘々したものが入っているタイプ。2004年9月10日の時点で、私ののう腫は55mm×65mm。11月6日では三面で図って、55×60×70mmくらい。サイズは聞き損ねてしまったが1ヵ月後の12月1日での手術ではもうちょっと大きくなってたと思う。先生が思ったより実際は大きかったと言ってたし、この偽ムチンのう腫は巨大化するのも特徴らしい。

*****

9月10日ごろ病名が分かるまで:のう腫が原因であった右股関節の痛みに気づいたのが2004年6月ごろ。わたしはそのとき31歳。20代はじめの頃からたまに股関節の痛みがあったが長くは続かないし、持病のような整形外科系の痛みだろうと思っていたので、そのときも放っておいた。今思えばそれはのう腫の痛みと関係していたかもしれない。あとで先生に、のう腫がいつできたかはわからないんだ、10年間卵巣内に潜伏してた可能性だってあるんだよ、と言われたから。

8月後半遊びに行っていたカリフォルニアの姉のところで股関節の痛みがひどくなり夜寝つくのも辛くなった。9月頭にカイロプラクティックに行くが婦人科系かもという気もして、カイロの先生にもそう指摘され、本屋でそれ系の病気を読み漁る。NYに帰るまで待とうと思ってたが痛み的にも心理的にも待てずに向こうで婦人科の予約を入れる。ラッキーにも診察当日に超音波検査(Ultrasound Check)をしてもらい、”卵巣のう腫”と判明。医者さんに、「数ヶ月ピル(経口避妊薬)でホルモンを調節したら治るタイプののう腫(Functional Cyst 機能性卵巣のう腫)もあるから、まずはそれで治療してみて効かなかったらそのとき考えればいいんじゃないか」と言われる。そのときは簡単な診察で、のう腫のこと、のう腫にどんなタイプがあるかほとんど聞かなかった。とにかく超音波検査をすぐ受けられて痛みの原因が分かったことで安心、満足してた。

9月半ばにNYに戻ってから:生理が始まると同時にピル服用をはじめたが数週間経っても痛みがまったく全然治まらないので婦人科探し開始。腕のいい婦人科医を探したいと1ヶ月ほどリサーチしながらあちこちの病院に連絡してみる。口コミもほとんど耳にしない外国での医者探しは思ったとおり大変であった。今思えば、8月ごろの股関節痛や手術までしばしば起こる卵巣辺りのズキズキ痛は、卵管捻転が多少起きていたせいじゃないかと思う。卵管が思いっきり捻転した場合は激痛が来て救急車を呼び速攻手術だがラッキーなことにそれはなかった。なかったが、卵管捻転の存在を知ってから手術まで2ヶ月は捻転がおきないよう大なり小なり神経を使い、毎日あるズキズキ痛とも付き合いながら日々行動する。卵管捻転についてはみのりさんのサイトに詳しい。

嫌な対応をされた病院にいったあとは、医者が見つからない焦りにお腹の痛みと病気への不安も重なって辛さも最高潮に達したが、その後すぐ、たまたまネットで出会った、自分も子宮内膜症になったり婦人科系で色々苦労して医者探しも大変だったとおっしゃる日本人女性に、大学病院のいいお医者さんを紹介してもらった。自分で探しまくっても絶対出会わなかったと思える、NY婦人科リストの蓑に隠れ知る人しか知らないような婦人科だった。まさに捨てる神あれば拾う神あり。彼女には電話も何回か頂き、本当によくしてもらった。

新しい先生の初検診は11月3日。その予約が取れたのは10月20日過ぎ。予約を取るのも大変だった。3週間くらい何度も何度も電話をしてそのたびにまだ先生の11月のスケジュールが来てないと言われもう11月に診てもらえないかもと思ったりもした。11月3日診察は思ったよりずっと早く、「やった!」だった。先生の検診は手術前その一回のみ。超音波検査をしてカリフォルニアとの診察結果と比較した結果、手術したらいいでしょうとなった。次先生に会ったのは1ヵ月後の手術の日。その前に病院で術前血液検査をする。先生の検診を受けてからあとはもう流れに乗るだけだった。

病気のことばかり考えて気が滅入ったりしないよう、日々面白いことをやるようにして10月後半からジムにも通いはじめる。ヨガをやったらお腹の痛みが増してヤバイと思ったので水泳だけにする。この水泳が期待以上にいい気分転換、平日はほぼ毎日通う。お腹は相変わらずズキズキするし卵管捻転にならないようかなり気をつけてはいたが、、信頼できる婦人科医も見つけかつこの”面白いことをやる作戦”も功を奏して手術までの間落ち込んだり感情的になることは無くなった。

*****

手術名:腹腔鏡下卵巣のう腫摘出(Laparascopic Ovarian Cystectomy)
両側の卵巣の上付近の皮膚に横に0,5センチくらいずつと、へそのところに縦に1センチくらいか、その3箇所穴を開ける。へその穴のところから内視鏡カメラを入れて、内視鏡で体内を覗きながら子宮上付近の二つの穴からそれぞれ長い手術器具を入れて手術。時間は人によるが私の場合、のう腫が思ったより大きかったので2時間くらいかかった。日本だと私が手術した頃は卵巣のう腫手術のため数日から1週間入院してたみたいだけど私の場合は日帰りも日帰り、昼12時に病院入、夕方6時前出で、計6時間のみ病院で過ごす。前の晩の夜12時から食事、飲み物一切絶つよう言われた。病院はNYの有名な私立大学の病院、私の担当医師B先生は医学部の助教授、年齢は40代後半くらいか。

*****

手術当日 12月1日(水)
12時に病院に入って支払いを済ませ1時くらいから手術のはずであったが、実際始まったのは結局2時30分くらいだった。ちっちゃな個室で前開きの手術着に着替えてPとダラダラ待つ。私はどうも手術が楽しみと言うか、手術する先生を100%信頼してたし麻酔するしどうせ痛くないもんってこともあり、どんな手術室なのか、どんな人たちが手術に関わるのか、とかもう興味津々だった。手術前にサポート医師一人、麻酔医師や看護婦複数、インターン、いろんな人が出入りする。血圧を取ったり熱測ったり、具合を聞いてくる。アジア人のインターンさんは勉強中なので色々質問させてくださいとやってきた。いつのう腫になったかとか病状のこととか答える。そのときはちゃんと読んでたのにもう忘れちゃったが麻酔に関する事前承諾もあった。手術前最後に個室にやってきたのが手術担当医師B先生。Pとは初対面。隣に座った途端、「さぁ、持ってる疑問をなんでも私に聞きなさい。」と言った。やっぱこの先生信頼できるって!と私はまた嬉しくなる。こういう先生だから全幅の信頼。というのは日記にもたびたび書いた。先生から手術の説明があるが、私はもう聞いてたのでとくにPへ。ここの説明でPはだいぶ安心した模様。先生にも色々とサインさせられる。全部は覚えてないが、ひとつ、「腹腔鏡でうまくいかない場合は切開手術に切り替えてもいいか」という趣旨の誓約書にサインしたのは覚えている。そんときはもうしょうがないでしょーと署名。

先生が部屋を出たあと5分後くらいに看護婦さんに手術室へやっと、連れて行ってもらう。手術室には既に看護婦さん2名ほど、先ほどの麻酔医師の女性、サポートの医師がいた。横になろうとしてたらB先生もやってきた。私の周りで麻酔の準備をしながら日本いったことあるわよーと麻酔医師さん。知り合いがいて、広島を訪れ宮島とか原爆ドームとか行ったとか。私も自分の旅行話をしてたらB先生が自分が学生でソビエトに行った時は飛行機が予定時刻より早く出た、と言い出してみんなでなにそれーと笑った。だべってたら腕に麻酔するからねと言われた。ボーっとはするがあまり眠くならないのでおかしいなーと思い、この麻酔で私は眠くなるべきなんですよね、と聞いたら本当の麻酔はこのあとなのよ、と言われた。でもそのあと1分も経たないうちに看護婦さんの世間話を聞きながら5秒くらいガーっとうわっ強烈な眠気が襲ってきたなあ、、と思ってたらもうスパッとそのあと記憶なし。腕の麻酔ですっかり寝てしまったらしい。

***手術中、当然のことながら記憶なし***

術後:術後の人が10人くらいいる部屋で寝てたら、看護婦さんに「さる!さる!終わったわよ!終わったわよ!」と起こされた。麻酔が効いてるので、私の体をしきりに動かして何かやってるなーってくらいしか覚えてない。術後30分くらいか。麻酔でボーっとしてたが、喉が強烈にカラカラ乾いて痛い。手術切り口よりも痛みがキツイ。「喉が痛いー」と看護婦さんに言ったら「みんなそういうのよ」って返事。麻酔のパイプを口から入れられてたのでそのせいらしい。といっても腕から麻酔注射をされた1、2分後に私は寝てしまったので口にいつパイプが入ったかは全然知らないけど。「あとで飲み物持ってきてあげるから。何がいい?ソーダ?紅茶?」と言われ、「紅茶が欲しい」と言った。そのあとまた寝た。30分くらいか。

また起こされて紅茶とビスケットをもらった。ビスケットの袋を開けて渡してくれる。色々やってくれるのでいい気分~と病気のことは忘れニコニコになる。ビスケットは口に入れたが口の中がカラカラで引っ付いて食べられない。美味しくないしままいいやと残したら、「まあ、おいしいビスケットではないのよね」と看護婦さんに言われる。ポーーっとしてる間に彼女は私の太ももに注射した。痛み止めらしい。喉に加え当たり前だが卵巣辺りと切り口付近にずっとズキズキを感じる、といっても麻酔が効いてるし耐えられないほどひどい痛みでもない。片方の腕では15分おきくらいに血圧計が自動測定して、もう片方に栄養剤注入の点滴管。手術切り口3箇所にはテープとその上にバンドエイドを貼られた。看護婦しか周りに見えないので、「先生は?もうこないの?」と聞いたら「そうよ」と言われた。へー術後に先生と会えないんだとビックリ。メガネがないから周りがよく見えなかったのだが、Pが部屋にやってきたのが見えた。喉が痛くて大きな声が出ないので手をあげてピースする。私が寝ている間Pは手術担当医師と手術の様子について、撮影した私ののう腫の写真と共に詳細に説明を受けたらしい。それはそれでいいとして、でもやっぱ担当医師が私に直接会うほうがよくないか?と思う。著名な大学病院のプロたちがやることなんだから問題は全くないんだろうが、術後初めて会うのが2週間後なんてなんだかな、、、どうしてもやっぱりビジネスっぽいアメリカの淡白分業サービスと思っちゃう。Pは医者にもらった処方箋で痛み止めの薬を買っといてくれていた。医者はのう腫が想像していたのより大きく時間がかかったと言ったらしい。あと卵管も少しねじれていた(卵管捻転)とか。でも大成功だよとはっきりB医師は言ったって。よかったよかった。

帰る時間だと看護婦に急かされ、Pに手伝ってもらいながら腹を締め付けないジャンパースカートとユルユルTシャツ、腹回りの大きい妊婦パンツに着替える。病室を出てPに支えてもらいながら歩いてたら吐き気がしてきたので麻酔が切れてきたのかなと思う(実際は麻酔の副作用か)。タクシー内でさらに強い吐き気。タクシーん中では吐きたくないぞー!頼むから乗り切ってくれー!と願いながら、窓を開けて12月の冷たい風を顔にあびてなんとか吐かずに済む。

帰宅後:お腹に力を入れる動きはどれも痛い。うちに着いてベッドに横になるのにも腹の力を使っているからPに支えてもらいながらやっと横になる。サインフェルドというコメディを見始めて笑ったらお腹に響いて痛いので見るのを止める。食欲はあってPにおかゆを作ってもらって食べ始めたはいいが、消化がちゃんとできないらしく食欲に任せ食べてたら食べ物が上に上がってくるような感じになってきた。やべー食べ過ぎたーと思いながら横になってなんとか吐かないで乗り切りそのまま寝に入る。

夜中:トイレにやっとこさ歩いて行ってトイレに着いたらお腹に力を入れないよう壁をつたいながら便器に座る。これくらいは一人でやれた。排尿しながら尿道辺りがクリップされてるみたいに痛く、尿には血が混じってる。そういえばお医者さんが尿道をどけたりしてお腹に場所を作って手術したと言ってたなと思い出す。排尿してる間痛かった。金曜まで排尿の回数を重ねるごとに痛みはドンドン減っていくのだが、なんだか尿道がどんどん開いてきてるって感覚だった。寝ながらは、寝返りうつとお腹に響くのでやれないんだけど、ただでさえお腹と切り口が痛いのに同じ姿勢しかできないとなるとどうしても目が覚める。何回も起きた。起きるたびズキズキすんなあと思った。まあでも痛いのは手術したんだからしょうがないし、一時のことだから気にはしない。我慢すれば済む話。どれくらい痛くなるもんなのか、ちょっと体験したくもあって痛み止めの薬も飲まなかった。

2日(木) 朝起きて、胃はまだ気持ちいいとは言えず食欲もあまりないがちょっとトーストをかじる。夕べより更に手術のところが痛くなってきた。これはやばい痛みなのかどうなのか痛み止め飲んで治るなら大丈夫だろうと一粒飲んでみる。30分もしたら痛みが軽くなってびっくり。これで痛み止め全然飲まなかったよ~と威張れなくなったとちょっと残念になる。
9時くらいに2週間後のB先生に会っての術後検査のため電話で予約を入れる。先生には2か3週間後に予約をいれなさいと言われてた。3週間後になんて会えるか~!遅すぎだ、怖いわそんなん。手術室から(おそらく手術室担当看護婦)は「痛みはどうか」と午前中電話が来た。「今朝痛かったけど薬飲んだらよくなった」といったら、じゃあ大丈夫ね、と言われた。あっさりしたもんだ。動くと痛いのでほとんど一日中ベッドで横になってテレビを見るか寝ていた。Jerry Springerという観客が大騒ぎする番組を見て、変わった人はこの世にいっぱいいるなあ、現実は小説よりも奇なりだなあと面白かった。
その日のブログへリンク(以下リンクは同様にその日のブログに飛びます)
 
3日(金) ようやく排尿しながらの痛みが気にならないくらい軽くなった。便も術後初。生理がスタート、といっても本当の生理でなく手術で卵巣や子宮やらを触ったせいで生理のように血が出るらしい。喉の痛みもだいぶよくなった。日本茶を飲んだら更に喉が楽になった。玄関のベルがなったので開けたら花束配達人がいた。友達のカップルDとKから花束だった。”早く元気になりますように!!さるのことを想っているよ。”とのメッセージ。花束もらうなんて思ってもいなかったのですごい嬉しい。Pに花と一緒に写真を撮ってもらった。今日もJerryを見た。下手なドラマよりよっぽど面白いわ。

4日(土) 術後初シャワー。ご近所をジャンパースカートを着てゆっくり歩いてみた。30分くらいか。お尻にでかい地図みたいなあざのようなものが複数できてるのに気づいた。先生に聞こうか考えるが2、3日様子を見ようと思う。頭痛がするので自分のいつも持ってるイブプロフェンを1錠(200mg)飲む。

5日(日) 病院でつけてもらっていたバンドエイドを取って新しい自分ちのバンドエイドに換える。バンドエイドの下のテープはまだつけたまま。ご近所を散歩。また頭痛。イブプロフェンを2錠。あざは治ってる風ではない。

6日(月)アパートの地下の洗濯室でいつもの洗濯をする。微熱が37.01。切り口が痒くなってくる。あざはまだ変わらないようだ。

7日(火) 切り口がよくなってる証拠だとはいえ痒い。医者にあざのことを聞いてみようと電話するが今日は不在といわれる。術後の症状で聞きたいことがあるんだけど、というと、別の先生に聞く?と言うので、お願いと連絡先を伝えるが、やっぱりアメリカ、電話はかかってこない。

8日(水) 術後一週間。ついに食欲旺盛。B先生から電話あってビックリ。昨日電話くれたんだってと言われ、あざのことを尋ねる。術後にはそういったあざができるけど消えていくから心配いらないそう。思ったより手術に時間がかかったそうですね、と聞いたら、思ったよりのう腫が大きかったからね、でも手術は大成功だったんだよと言われる。それからのう腫は良性だったよ、悪性ではなかったよ、よかったねと喜んでくれた。一応ほとんどが9割とか良性らしいのだが1割くらい悪性の可能性もあって、でもそれは手術してのう腫の細胞をラボで検査しないと、正確なことはわからなかったのだ。やっぱり聞くまでは少し不安ではあったから、良性だと知りこれで100%心配いらないのだなと胸をなでおろした。

9日(木) 痛みは手術した卵巣辺りがときどきズキッとするくらい

10日(金) 街に術後初めて出る。数時間出歩く。バンドエイドの下のテープも取って初めて切り口を見る。ちょっと恐る恐るでも興味津々で見たらなんてことなかった。卵巣上両側2ヶ所に縦0.5センチほど、へそに縦1センチ、どれも幅0.1~2センチくらいの線の切り口。自然に取れるとかいう透明な糸で縫われていた。少々血の塊が切り口にくっついてる。へそのところの切り口が一番長かったがそこが一番きれいな切り口だった。

11・12(土日)なんか頻尿。血がまだ下からちょこっと出るのでナプキンはつけて過ごす。痒みが続く

13日(月)痒みはあっても切り口の痛みがなくなってきたので妊婦パンツを止めて普通パンツに

16日(木)術後初めての検診

ブリタ・フィルターは譲ってもらうことに。

2005-05-24 02:40:07 | 旅 voyage
2、3日前書いた携帯用浄水ボトル。
Seychelle社のをチェックしようと思ってたら
ブログ見たけど、と姉から電話があって
ブリタのフィルター2個持ってるからあげるよ、とのこと。
ついでにボトルも1個譲ってもらうことになった。
これでPと私がそれぞれボトル1個持てるのでスバラシイ!
姉、ありがとうよ~。

P、お誕生日おめでとう!

2005-05-23 13:33:54 | NY生活 Vie a NY
今日はPの誕生日でした。

たまたまロスから仕事で来ていたPの親友スコットがうちにきてくれて
一緒に日本食とリカーケーキ(テキーラ・高野豆腐入り、
卵・バターなしという変り種)を食べ、日本酒やらも飲みながら
おしゃべりして過ごしました。

二人ともアフリカンドラムをたたくのを趣味にしてる人で
せっかくだから今日は、前もブログに書いた
プロスペクトパークのドラミングに二人で参加しようと言ってたんだけど
午後からあいにくの雨。
久々に一緒にドラムをうたたけると思ってた彼らはちょっと残念そうでした。
でも1年以上ぶりくらいにゆっくり互いに会って話して
とても楽しかったって。よかったねー!
P、お誕生日おめでとう!

精神的にたくましい日本人男。

2005-05-22 16:26:39 | 暇つぶし Passe-temps
頭の中がペルーだらけになってきた~。

チバイの宿は、、、
プーノからクスコ行きのバスの時刻が欲しい、、
予算は、、、
コルカ渓谷辺りのストライキは大丈夫か、、

もうきりがないったら、ほんっとに!!

ネットで人の旅行記を読んで情報を入れようと思うけど
それもきりがないのよね~。面白いのも結構あるし延々読んじゃう。

それにしてもすごいバックパッカーいっぱいいること!

日本人でも、仕事やめてユースに泊まりながら
世界一周とか1年以上もやってる人、何人もネットで見かけた。
自転車やバイクで南米やらを一人で旅してる人もいて、
すごいわ。まじたくましいわ。

外国旅行って体力もそうだけど精神力も必要よね。
色んな違いにあってもへこまない精神力、へこんでも立ち上がれる精神力。
近頃、変な性犯罪とか多いし、
日本人男がナヨナヨしすぎてる!、なんて聞いたり、私も思ったりするけど、
精神的にたくましい日本人男だってちゃんといるのよね。
って失礼なこと言っちゃってるけど
自転車で外国を旅してる、なんていう日本人男性のサイトを見ると
そんなことを思ってしまうのでした。

旅行に使える携帯用浄水ボトル

2005-05-21 12:56:06 | 旅 voyage
旅行にブリタ(BRITA)の携帯用浄水ボトル、Fill & Goを持っていこうと思ってたら
ブリタ、この製品の生産をストップしたらしい。うっそー。
フィルターだけ欲しかったんだけど
それももう店に売られてないかもなあ。

そのかわりになるものはないかとネットサーチして
見つけたのが

Seychelleという会社の携帯用浄水ボトル。

店頭で見たことないから様子がわからないけど
ネットで見る限りはゴツゴツしてそう。
しかし世界中で使われてて信頼できる感じだし、
値段も30ドル前後と手が届く範囲なのでいいね。

(しかし日本だと楽天では
同じ製品が7480円とかしてるんだけど
この差は一体??)

週末薬とか旅行に持っていくものを買う予定なので
パラゴン(スポーツ店)でこのボトルを見てこよう。

ペルー旅行まであと一週間。

2005-05-20 23:22:01 | 旅 voyage
ずーーーーっと計画をしたためてきた
ペルー旅行出発がついに来週末になった。

9日間だけど最初と最後の日は完全に移動だけなので
実質7日間。

今回の旅行は、マチュピチュに行きたい!というのがきっかけだったけど
Lonely Planetを読んでたらペルー、他にも面白そうな魅力的な場所があるので
ロンリープラネットでもネットで調べた上
マチュピチュの加え以下の地を旅程に入れました。

アンデスのコンドルを見れる(運がよければ超間近で)コルカ渓谷
海抜3800mという航行可能な世界最高地の湖・チチカカ湖

あと昨日決めたのが
ペルーからボリビアへ渡ること。

チチカカ湖はペルーとボリビアの国境にあるので
どうせなら、ペルー側の湖畔の町Puno(プーノ)からバスで3,4時間の
ボリビア側の国境付近のこれまた湖畔の町、Copacabana(コパカバーナ)まで行き、
そこから湖にあるIsla del Sol(太陽の島)へ渡り一泊しよう!

となった。

ボリビアまでいけると思うとすごい嬉しい、楽しみ!

マチュピチュは特にだけど観光シーズンに入るし
移動がスムーズに行くためにも、予約はできるだけしたほうがいいだろうと
この何ヶ月もの間あちこちにメールや電話で連絡を取ってきて、
旅前に取れるだけの飛行機や列車、バス、ホステルの予約はほぼ完了しました。

数年ぶりのバックパッカーなのでちょっと私は緊張しているんだけど、
今回は二人旅だしね、しかも相方は男でかつスペイン語が母国語だから安心。
しかし相手におんぶに抱っこだと失敗するのでそれはならないようにして
自分のぼろいスペイン語もガンガン使っちゃおうと思ってる。

よくあるらしい交通機関のストにひっかからず、
あちこち3000M級の高地だけどひどい高山病にならず、
旅につきもののハプニングを乗り越えて、
全ての目的の地にいけるといいなー。
いい旅になりますように。

韓国料理屋へ。

2005-05-20 11:49:39 | 食 nourriture
平日はほとんど外食しないけど
昨日はライブ帰りに一緒にライブへ行った友人二人と
韓国料理を食べてきました。

36St.のWoo Chonレストラン。
Pが同僚の韓国人に、韓国人が行く韓国料理屋、とちょっと前に教えてもらった店で
私たちは昨日が2度目。

日本人客が多いみたいで
1度目のときも昨日も周りのテーブル2、3個は会社員風男女日本人が座ってたし
入り口には日本語のフリーペーパーも積んでありました。

他の韓国レストラン(私が行ったのは4、5軒くらい)と
比べてちょーっとお値段高めだけど
うちで作る味、みたいな優しい家庭的な味がするし、
店員さんも自然な笑顔でとても温かい。お陰でリラックスして食事できる。
大きすぎない店内も落ち着ける理由かな。
前菜のキムチはショウガがいいアクセント、4人で美味しい、美味しいとパクパク。
チゲのスープもこってりしすぎずでもしっかりと味が染み渡っていてとってもいい味。

ただキムチを買い忘れてしまった。
自分ちで料理に使えるー!とここのキムチ買って帰ろうと思ったのに
食べて話して、って延々としてるうちにすっかり忘れてしまった。
まだ2度目であまり品数は食べてないしもっと色々食べたいし、
キムチは次来たときに買って帰ろ

YLT and Painleve: The sounds of science

2005-05-19 15:51:41 | 音楽 Musique
楽しみにしまくってたYo La Tengoのライブへ!
と言っても主役はドキュメンタリー映画、
フランス人の前衛映像作家Jean Painlevé氏の
海中生物を撮った短編8本計1時間30分。
会場もいつものライブハウスよりちょっと(かなりか)高級、
リンカーンセンターがタイムワーナービル内に
ジャズ向けに作ったばかりのローズホール。
観客もいつものYLTファンのカジュアルな若者風な人と、
リンカーンセンターの会員かなと思われるお上品な方たちが混ざってた。

映画のクレジットが始まると同時にYo La Tengoの演奏もスタート。
久々のYLT生演奏にうー!最高!と鳥肌が立ち目が潤んだのもつかの間
主役の映画の方にのみライトがいき、
ステージで演奏してるYo La Tengoの姿は殆ど見えなくなってガーン。ショック。
私は映像より、YLTの演奏と音楽の方に思い入れが強かったので
耳ばっかりが集中しちゃって目から入ってくる映像に心が入っていかず
まあ映像だけ見てても面白いのだけど
最初の2編くらいストーリーに集中できなかった。
でもそれも3編目の”くらげ”辺りから慣れてきた。
ド接近、ド拡大して映る海洋生物の姿、生態が超グロテスクで面白いの何のって!
生物の体や生態の細部の細部まで映す映像は
YLTの音楽とぴったり自分の中で合いはじめ、
”タツノオトシゴ”、”たこ”、”エビ”と編が変わるにつれ、
目から入る映像と耳からの音楽はどんどん相和し、私の興奮は上昇する一方。
最後の”カエデ”では自分の好きな曲が演奏されて
ちょっと耳に集中が偏ったけどしばらくしたら考えることもせずのめり込めた。

ドキュメンタリーという映像分野はフワフワしがちな私に現実を見せてくれるので
大好きなんだけど、今回の映画もとても気に入った。
グロテスクで変わった生態といっても、
それは現実に確かに生命を持って生きる生物の姿だし、
食ったり食われたり生まれたり死んだり、
これらも人間を含む生物に共通する現実だし、
映される海洋生物の全てがひじょうにひじょうに面白く興味深かった。

この前衛映像作家Painlevé氏は、1920年代には
Man RayやLuis Bunuelらシュールレアリストたちとも交流があったらしい。
それ以降も前衛で変わった映像、しかもドキュメンタリーものを作り続けたそうだ。
もっとこの人の映像を見てみたいなあ。

それにしてもYLTのライブにものすごいものすごい行きたくなったー!
もう3年くらい行ってない。
力強く、繊細、悲しく、重く、優しく、温かい。
彼らの音楽でイメージする形容詞はこんな感じだろうか。
あらゆる感情の襞を触ってくるんだと思う、体中に電気が走ったりする。
ちょっと調べたら日本では5月後半にクアトロ、リキッドルームでライブをやるんだね。
クアトロのほうが即日完売でリキッドルームで追加公演だとか。
あと今日のこの映画ライブもラフォーレでやるそうだが
それもソルドアウトらしい。さすがヨラテンゴ。
今度はNYかニュージャージー州でいつライブしてくれるかな!楽しみに!待っていよう!

Thoity thoid and thoid

2005-05-18 23:47:45 | NY生活 Vie a NY
Pが残業して会社のみんなで頼んだピザの残りを
うちに持って帰ってきた。

ピザ屋の住所は33rd streetの3rd avenue。

ピザの箱の横には

Thoity thoid and thoid

とある。
これって

Thirty third and third

が、典型的なニューヨーク言葉(New Yorkese)になったものらしい。
発音すれば、ああ聞いたことあるよね、って感じだけど
実際のスペルは初めて見た。
Pから聞いた話と語源研究家Barry Popik氏のサイト・The Big Appleによると、
1920年ごろは33rd St and 3rd Ave辺りの地区独特のもので
そうやって言葉や発音を崩すことで
外の世界をあざ笑うような態度を象徴していたらしい。
歌やミュージカルにも用いられてるとか。
Thの部分をdのように発音するんだけど
なんかかわいいよね、とPと話すのでした。
Thoity thoid and thoid。

これから先のこと。

2005-05-17 00:22:34 | NY生活 Vie a NY
人生ふらふら、流れるようにぃ、

と思うけれど頑固者なのでなかなかそうは行かないのだな。

そろそろNYを離れるかという感じになってきた。

同じこと続くの嫌いの飽きっぽい私と、

変化好き好奇心旺盛のP(とりあえずPの名誉のため長所的に言ってあげよう)が、

私の学校、Pの仕事でこの地に住んで5年(私はうち1年パリにいたので実質4年)、

「ここでやりたい!」と住む前、住んでからも強く思ってきたことはやってきたのであろう、

二人ともここへのこだわり、想いを抱くことが少なくなくなってきた。

むしろ新しい国や地で、これやってみたい、あれやりたいなんてことが

どんどん増えてきた。

その多くは私の場合、その地の言語を身につけたい、この分野を学んでみたい、とかいう

お勉強がらみ。いつまで学生、勉強するんじゃーという意見もあるが、

金をかけなくてもやる気さえあれば勉強はできる、とは私の信条なので、

資金があろうがなかろうが勉強するもんね。

もちろんどこか別のところに住みたいといって簡単に住めるわけがない。

とりあえず思いつく限りの選択肢、可能性を探ってみて、当たってみて、

この方向にいい感じに流れてるじゃない?と思えるところに行くか、と二人して思ってる。

頑固者のみならずすぐ感情で先走る私はしかしすでに心は先へ先へ、

どこにいったろー!、どうやって勉強したろー!、などと考えて興奮しては

考えすぎだがねー、と自分を落ち着かせたり。

そんなこといいながら案外NYに残ったりして。

まあここでしかできない何かが出てくれば残るかもしれんよな。

一応オープンな選択肢だからなあ、何でもありだよ、流れに任せるとPは言う。

いつもは我慢するの苦手なくせして何でこれに関しては落ち着いていられるんだあ?

などPに問うてみたり。

どこに次腰を落ち着かせるにしろ、経由であちゃこちゃ寄るつもりでいる。

お金ないけど、いつも仕事仕事で旅行する時間をなかなかとれないPにこの際、

この移行期で空く時間を使って状況が許す限り旅をしてもらいたい。

バックパッカーなら安く上がるものね。

この春から夏は今後の方向を決める面白い時期だなあとちょっとワクワク、ドキドキしてきた。

毎日をがんばるぞー!