かなさんの衣装があれじゃなかったらきっとごうごう泣いてたよ・・・。
あの昭和衣装&髪型と、そぜっちのまっすぐすぎな髪型に妙にはまってしまい、涙は決壊スレスレだったが堪えきってしまったよ・・・。
昨日千秋楽を迎えた、スタジオライフプロデュース公演「フルーツバスケット」を土曜日に見てきました。
私が見たのはチェリーチーム=岩さんが夾君、真山明大さんが由希君、舟見さんがあきと、花ちゃんが古川洋介さん。
うーん。期待値がものすごく低かったので(すまぬ)、「危惧してた程とんでもなくはなかった」「思ってたよりもまとまってた。よかった」と思いました。
が、ライフ見てこんな感想言いたくないよ~う(泣)。
何かこれじゃ殆ど宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」に対する気持ちと一緒じゃん・・・涙。
↑ヅカのベルばらとは池田理代子のまんがとは全く違う世界の別の何かで、ヅカ版に「ストーリー」はないのです・・・。有りえない展開、不思議な日本語、フランスなのに釈迦が説法、ヅカ歌謡曲!&突然ミュージカル調になる新曲の謎コラボ、唐突に登場する微妙すぎる白馬、とツッコミ所しか見つからないのにも拘らず!うっかり演者の気迫に号泣しドはまりしてみたりする、それがヅカベルばらマジック。
・・・何か今回のフルバはそれに近い思いだよ・・・複雑・・・。
以下、終わったのでネタバレで振り返ります~。
名古屋見るから情報シャットアウト!って方はスルーしてくださいませ。
お話は・・・正直に書く。
多分、本当に削りたかったのはあーやじゃなくて、はつはるだと思う。
だってこの話の中だと全然活躍どころがないもん。
何しに出てきたのか分からんよ・・・春君。大好きな子なのに・・・でも見る前も言ったけど、舞台化するにあたってリンちゃんいない時点で正直この子もいらないだろうな・・・と思ってたので、舞台見ても危惧した通りやっぱり存在意義あんまり見出せず仕舞いで残念だった・・・。
フルバにおける春君は後半になればなる程この人がいてよかった!と存在感を増していく子だし。←私見。前半戦だと顔見せで終わっちゃう。
十二支それぞれがそれぞれに抱える闇のバリエーションとして3人位は欲しいな。程度の比重でしか今回出てこない。
しかもそのゆんちゃんラブエピは他のはとりかなとかもみっちに比べて正直弱いし。
そして今回の春君加藤さんは正直普段の牛さんらしいおっとりどっしり動じない独特な時を刻むホワイト春君な時が無くて、オールブラックなまま出演時間が終了していた・・・。そしてブラックな時もそんなにブラックでは無かった・・・。
ちなみに原作をお読みで無い方に一言。はつはる君の髪は、ロッカーな少年なんじゃなくて、あれ設定としては地毛なのよ~牛だから。加藤さんの意気込みは素晴らしい!!
結局、あーやが削られたのはエピソードの重要度じゃなくて、単に吉田さんは劇団員だし佳菜役でしどころがあるしあーやの衣装代かかりそうだし、加藤さんは客演さんだしこの役オンリーだから。以外の理由は無さそうに見える・・・涙。
これ例えばあきと役は裏で春君もやってます、等の「他にも役がありしかも劇団員」なキャスティングだったら、春君もカットされた気が・・・。
さらに言えば、夾君で締めるのであれば楽羅ちゃんも切っちゃう位の思い切ったばっさりさが必要だったのでは。
または完全ストプレにして結局何のために入ったのかとっても謎だった歌と踊りをオールカットして、楽羅ちゃんが夾君のことをどう思っているのか、その複雑な気持ちをちゃんと描く。春君切れば、中途半端に入った楽羅ちゃんが何で夾君を追いかけてるのか、彼に対して持ってる負い目とかももうちょっと見えたのでは。
米原さんがすっごい良かっただけにもっと気持ちよく演じきれる楽羅ちゃんが見たかったな~。
ただ楽羅ちゃんの衣装もちょっと微妙だった気が(泣)。
今回のラストは、楽羅ちゃんの立場がものすごく宙ぶらりんのまま終わってしまってとってももったいなかったので。
今回の物語を見ながら、唐突なのだが「Sons」と「月の子(特に再演)」を思い出した・・・。
物語の構造について似てると思ったんだと思う。私は夾君を岩さんで見たので余計に。
Sonsは、DD(岩さん)が主役っぽく話が始まるのだが途中からジュニア(芳樹さんの役)ストーリーが大々的に展開されDDは単なる狂言回しに。だがラスト10分までたどり着くとDDが主役だった事を思い出すメインの大エピソードがどかんとくる。←私はここで観劇人生でもっとも号泣し隣の友人をびびらせたのであった・・・。
月の子は・・・えーと岩さんごめんなさい。見ながら「観客の気持ちが全然追いついてないまま最終結論を突然大熱演する岩大・・・この既視感は何かしら・・・」と思って思い出したのであった・・・すみません・・・。
アート(岩さん)とジミー(及川アニキ)は過程全部すっ飛ばして最終結論しか観客に見せてくれないので「だから何をどうしてそういう境地に達したんだ???」と観客はついて行けず呆然・・・しかし舞台上では生きる死ぬの極限状況が引き続き二人の熱演によって描かれているのであった・・・。
今回のフルバはそこまで極端ではなかったけど。
物語における登場人物のバランスがあまりうまくいっていなくて、感情がついていきづらかった所があったように思う。
主人公の透ちゃんと、十二支たちの物語、として始まって。
それぞれが抱える十二支としての哀しみがはとりや紅葉のエピソードで語られ。
王子由希と暴れん坊不器用夾という少女マンガ超王道男子2名と段々距離が縮まって。
・・・夾君、ここまでの比重って正直「透ちゃん相手役その2」だったと思う。
ちょっと毛色の違う猫憑き故に仲間外れだから孤独、位の。
だからラストにいきなり彼がどセンターに来ていきなり猫憑きにはさらに本来の姿が!!!って壮絶な場面が始まると・・・(原作読んでいてもちろん知ってるんだけど、でも)ちょっとびっくりしてしまいついていき辛い・・・。
↑アンタそんな重要人物だったのか!という驚きも含む・・・。
うーんもう少しここに到るまでの流れがスムーズだと良かったな・・・。
倉田さんがここをメインに持ってくることはすごくよく分かるのだけど。
設定も抱えてる事も言っている内容も全然違うけれども、彼が欲している事は、彼が叫んでいる事は、三角君と一緒だもん。
でも、ラスト直前までの夾君て、今回の舞台では「観客には理由がよく分からないままに由希君を毛嫌いしてる姿」「暴れん坊」「不器用だけど本当は優しい子なの♪」「人見知り」「アクション要員」「師匠超大好き!!!」「ちょっとお茶目な所もあるよ」な姿しか見せてくれてなくない??
彼が猫憑きだということが何を意味しているのか、今回の舞台では最後まで特に分からなかったと思う。
台詞でちらっと出てくる程度。
この舞台だと、猫憑きの最大の問題点は完全怪物である本来の姿が別にある事、それを受け入れてもらえるのかどうか、に見える。
でも・・・そこから発生してきている事なのかもしれないけど・・・猫憑きである事はそれだけではなくて。
十二支と猫との間に流れる複雑な感情。
彼が「未来」をどう捉えているのか。彼が抱える恐怖と絶望。
十二支という異端な存在の中のさらに異端である彼の閉ざされた未来とそれに対する反発と諦念。
・・・舞台だけご覧になった方は、これ、分かりようがなかった気がする・・・。
でも、夾君とゆんちゃんが天敵!なのも、夾君が他人と距離を置くのも(って舞台だと殆ど一族としか話してないから距離置いてるのも分かり辛かったが)、楽羅ちゃんが夾君に複雑な思いを持ってるのも、おじいちゃんが猫憑きだったからといって師匠は何で特別夾君をめちゃくちゃ気にかけてるのかも・・・何故って猫憑きとは単なる13人目の猫ちゃん、じゃなくて「異端」だから。猫憑きがどういう運命を辿るかみんな知ってるから。
・・・という前提があるので、やっぱり、最後をあの場面で締めるのであれば、最初から夾君をもう少しちゃんと重要人物として描いてほしかったな~と思う。
原作を読んだ時はあまり思わなかったけど、今回の舞台を見て「あ、要するにこれはオペラ座の怪人なんだ」と思った。ここをフューチャーすると。
この場合のオペラ座は小説ではなくアーサー・コピット版ミュージカルが一番近いのですが。
うーん・・・。
思っていたよりは良かったけど、個々の場面では好きな所がたくさんあったけど、でもやっぱりもっとストレートに「よかった!!!」て言える作品だとよかったな~。
何ていうか、不満というよりも無念。
そこいらないからそれ入れたらもっと納得いったのに~みたいな事がたくさんある。
あと個人的な反省点としては、とある理由で冒頭10分で泣きそうになったのだが(笑)、その際「何故に私はこんなに簡単に感情が動いちゃうんだ~」っと自分がイヤになり(笑)、その後普段なら絶対泣いたはずのはとりかなエピやらもみっちエピやらで思わず堪えちゃったのがダメダメであった。感情のおもむくまま泣いてこそライフ観劇なのに私のばか~。
あの昭和衣装&髪型と、そぜっちのまっすぐすぎな髪型に妙にはまってしまい、涙は決壊スレスレだったが堪えきってしまったよ・・・。
昨日千秋楽を迎えた、スタジオライフプロデュース公演「フルーツバスケット」を土曜日に見てきました。
私が見たのはチェリーチーム=岩さんが夾君、真山明大さんが由希君、舟見さんがあきと、花ちゃんが古川洋介さん。
うーん。期待値がものすごく低かったので(すまぬ)、「危惧してた程とんでもなくはなかった」「思ってたよりもまとまってた。よかった」と思いました。
が、ライフ見てこんな感想言いたくないよ~う(泣)。
何かこれじゃ殆ど宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」に対する気持ちと一緒じゃん・・・涙。
↑ヅカのベルばらとは池田理代子のまんがとは全く違う世界の別の何かで、ヅカ版に「ストーリー」はないのです・・・。有りえない展開、不思議な日本語、フランスなのに釈迦が説法、ヅカ歌謡曲!&突然ミュージカル調になる新曲の謎コラボ、唐突に登場する微妙すぎる白馬、とツッコミ所しか見つからないのにも拘らず!うっかり演者の気迫に号泣しドはまりしてみたりする、それがヅカベルばらマジック。
・・・何か今回のフルバはそれに近い思いだよ・・・複雑・・・。
以下、終わったのでネタバレで振り返ります~。
名古屋見るから情報シャットアウト!って方はスルーしてくださいませ。
お話は・・・正直に書く。
多分、本当に削りたかったのはあーやじゃなくて、はつはるだと思う。
だってこの話の中だと全然活躍どころがないもん。
何しに出てきたのか分からんよ・・・春君。大好きな子なのに・・・でも見る前も言ったけど、舞台化するにあたってリンちゃんいない時点で正直この子もいらないだろうな・・・と思ってたので、舞台見ても危惧した通りやっぱり存在意義あんまり見出せず仕舞いで残念だった・・・。
フルバにおける春君は後半になればなる程この人がいてよかった!と存在感を増していく子だし。←私見。前半戦だと顔見せで終わっちゃう。
十二支それぞれがそれぞれに抱える闇のバリエーションとして3人位は欲しいな。程度の比重でしか今回出てこない。
しかもそのゆんちゃんラブエピは他のはとりかなとかもみっちに比べて正直弱いし。
そして今回の春君加藤さんは正直普段の牛さんらしいおっとりどっしり動じない独特な時を刻むホワイト春君な時が無くて、オールブラックなまま出演時間が終了していた・・・。そしてブラックな時もそんなにブラックでは無かった・・・。
ちなみに原作をお読みで無い方に一言。はつはる君の髪は、ロッカーな少年なんじゃなくて、あれ設定としては地毛なのよ~牛だから。加藤さんの意気込みは素晴らしい!!
結局、あーやが削られたのはエピソードの重要度じゃなくて、単に吉田さんは劇団員だし佳菜役でしどころがあるしあーやの衣装代かかりそうだし、加藤さんは客演さんだしこの役オンリーだから。以外の理由は無さそうに見える・・・涙。
これ例えばあきと役は裏で春君もやってます、等の「他にも役がありしかも劇団員」なキャスティングだったら、春君もカットされた気が・・・。
さらに言えば、夾君で締めるのであれば楽羅ちゃんも切っちゃう位の思い切ったばっさりさが必要だったのでは。
または完全ストプレにして結局何のために入ったのかとっても謎だった歌と踊りをオールカットして、楽羅ちゃんが夾君のことをどう思っているのか、その複雑な気持ちをちゃんと描く。春君切れば、中途半端に入った楽羅ちゃんが何で夾君を追いかけてるのか、彼に対して持ってる負い目とかももうちょっと見えたのでは。
米原さんがすっごい良かっただけにもっと気持ちよく演じきれる楽羅ちゃんが見たかったな~。
ただ楽羅ちゃんの衣装もちょっと微妙だった気が(泣)。
今回のラストは、楽羅ちゃんの立場がものすごく宙ぶらりんのまま終わってしまってとってももったいなかったので。
今回の物語を見ながら、唐突なのだが「Sons」と「月の子(特に再演)」を思い出した・・・。
物語の構造について似てると思ったんだと思う。私は夾君を岩さんで見たので余計に。
Sonsは、DD(岩さん)が主役っぽく話が始まるのだが途中からジュニア(芳樹さんの役)ストーリーが大々的に展開されDDは単なる狂言回しに。だがラスト10分までたどり着くとDDが主役だった事を思い出すメインの大エピソードがどかんとくる。←私はここで観劇人生でもっとも号泣し隣の友人をびびらせたのであった・・・。
月の子は・・・えーと岩さんごめんなさい。見ながら「観客の気持ちが全然追いついてないまま最終結論を突然大熱演する岩大・・・この既視感は何かしら・・・」と思って思い出したのであった・・・すみません・・・。
アート(岩さん)とジミー(及川アニキ)は過程全部すっ飛ばして最終結論しか観客に見せてくれないので「だから何をどうしてそういう境地に達したんだ???」と観客はついて行けず呆然・・・しかし舞台上では生きる死ぬの極限状況が引き続き二人の熱演によって描かれているのであった・・・。
今回のフルバはそこまで極端ではなかったけど。
物語における登場人物のバランスがあまりうまくいっていなくて、感情がついていきづらかった所があったように思う。
主人公の透ちゃんと、十二支たちの物語、として始まって。
それぞれが抱える十二支としての哀しみがはとりや紅葉のエピソードで語られ。
王子由希と暴れん坊不器用夾という少女マンガ超王道男子2名と段々距離が縮まって。
・・・夾君、ここまでの比重って正直「透ちゃん相手役その2」だったと思う。
ちょっと毛色の違う猫憑き故に仲間外れだから孤独、位の。
だからラストにいきなり彼がどセンターに来ていきなり猫憑きにはさらに本来の姿が!!!って壮絶な場面が始まると・・・(原作読んでいてもちろん知ってるんだけど、でも)ちょっとびっくりしてしまいついていき辛い・・・。
↑アンタそんな重要人物だったのか!という驚きも含む・・・。
うーんもう少しここに到るまでの流れがスムーズだと良かったな・・・。
倉田さんがここをメインに持ってくることはすごくよく分かるのだけど。
設定も抱えてる事も言っている内容も全然違うけれども、彼が欲している事は、彼が叫んでいる事は、三角君と一緒だもん。
でも、ラスト直前までの夾君て、今回の舞台では「観客には理由がよく分からないままに由希君を毛嫌いしてる姿」「暴れん坊」「不器用だけど本当は優しい子なの♪」「人見知り」「アクション要員」「師匠超大好き!!!」「ちょっとお茶目な所もあるよ」な姿しか見せてくれてなくない??
彼が猫憑きだということが何を意味しているのか、今回の舞台では最後まで特に分からなかったと思う。
台詞でちらっと出てくる程度。
この舞台だと、猫憑きの最大の問題点は完全怪物である本来の姿が別にある事、それを受け入れてもらえるのかどうか、に見える。
でも・・・そこから発生してきている事なのかもしれないけど・・・猫憑きである事はそれだけではなくて。
十二支と猫との間に流れる複雑な感情。
彼が「未来」をどう捉えているのか。彼が抱える恐怖と絶望。
十二支という異端な存在の中のさらに異端である彼の閉ざされた未来とそれに対する反発と諦念。
・・・舞台だけご覧になった方は、これ、分かりようがなかった気がする・・・。
でも、夾君とゆんちゃんが天敵!なのも、夾君が他人と距離を置くのも(って舞台だと殆ど一族としか話してないから距離置いてるのも分かり辛かったが)、楽羅ちゃんが夾君に複雑な思いを持ってるのも、おじいちゃんが猫憑きだったからといって師匠は何で特別夾君をめちゃくちゃ気にかけてるのかも・・・何故って猫憑きとは単なる13人目の猫ちゃん、じゃなくて「異端」だから。猫憑きがどういう運命を辿るかみんな知ってるから。
・・・という前提があるので、やっぱり、最後をあの場面で締めるのであれば、最初から夾君をもう少しちゃんと重要人物として描いてほしかったな~と思う。
原作を読んだ時はあまり思わなかったけど、今回の舞台を見て「あ、要するにこれはオペラ座の怪人なんだ」と思った。ここをフューチャーすると。
この場合のオペラ座は小説ではなくアーサー・コピット版ミュージカルが一番近いのですが。
うーん・・・。
思っていたよりは良かったけど、個々の場面では好きな所がたくさんあったけど、でもやっぱりもっとストレートに「よかった!!!」て言える作品だとよかったな~。
何ていうか、不満というよりも無念。
そこいらないからそれ入れたらもっと納得いったのに~みたいな事がたくさんある。
あと個人的な反省点としては、とある理由で冒頭10分で泣きそうになったのだが(笑)、その際「何故に私はこんなに簡単に感情が動いちゃうんだ~」っと自分がイヤになり(笑)、その後普段なら絶対泣いたはずのはとりかなエピやらもみっちエピやらで思わず堪えちゃったのがダメダメであった。感情のおもむくまま泣いてこそライフ観劇なのに私のばか~。