SPレコードレーベルの続き
ライト兄弟風のヒコーキの絵が描かれてます。
ヒコーキレコードは帝国蓄音器商会のレコードレーベルで大正元年(1912年)ヒコーキ印として登録されました。
ライト兄弟の初飛行は明治36年(1903年)ですので
ライト兄弟初飛行から9年、日本の初飛行は、明治43年(1910年)から2年
まさに、時代の先端をマークに採用したことになる。
ヒコーキレコードは当初コピー版を作成しておりましたが、後に自社録音盤を作成するようになりました。
大正14年には東京蓄音器(富士山印)・三光堂(ライオン印)と合併し合同蓄音器商会株式会社と称し、日本蓄音器商会(ニッポノホン)傘下となる。
東京レコード(富士山印)
三光堂(ライオン印メノホンレコード)
ニッポノン傘下となってもヒコーキ印は継続されましたが
昭和7年、イーグル・オリエント(東洋蓄音器)・ヨシノレコードとともに合同蓄音器商は解散、リーガルレコードに統一されヒコーキ印は消滅します。
後に、リーガルもニッポノホンも全てコロンビアレコードになり消滅してしまいます。
ヨシノレコード
オリエントレコード
ニッポノホン(顔写真入り)
このヒコーキ印は、昭和3年日蓄(ニッポノホン)がコロンビアのライセンスを取得した以降のラベル
ヒコーキが新型になっています、
ヒコーキ印がもし現在まで続いていたら
どんなヒコーキが印になっていたのでしょうね!
ライト兄弟風のヒコーキの絵が描かれてます。
ヒコーキレコードは帝国蓄音器商会のレコードレーベルで大正元年(1912年)ヒコーキ印として登録されました。
ライト兄弟の初飛行は明治36年(1903年)ですので
ライト兄弟初飛行から9年、日本の初飛行は、明治43年(1910年)から2年
まさに、時代の先端をマークに採用したことになる。
ヒコーキレコードは当初コピー版を作成しておりましたが、後に自社録音盤を作成するようになりました。
大正14年には東京蓄音器(富士山印)・三光堂(ライオン印)と合併し合同蓄音器商会株式会社と称し、日本蓄音器商会(ニッポノホン)傘下となる。
東京レコード(富士山印)
三光堂(ライオン印メノホンレコード)
ニッポノン傘下となってもヒコーキ印は継続されましたが
昭和7年、イーグル・オリエント(東洋蓄音器)・ヨシノレコードとともに合同蓄音器商は解散、リーガルレコードに統一されヒコーキ印は消滅します。
後に、リーガルもニッポノホンも全てコロンビアレコードになり消滅してしまいます。
ヨシノレコード
オリエントレコード
ニッポノホン(顔写真入り)
このヒコーキ印は、昭和3年日蓄(ニッポノホン)がコロンビアのライセンスを取得した以降のラベル
ヒコーキが新型になっています、
ヒコーキ印がもし現在まで続いていたら
どんなヒコーキが印になっていたのでしょうね!