半農半漁、自給自足生活への挑戦
自給自足生活をめざす釣り、家庭菜園、養蜂の話です。
趣味のギターや三線のことも少しづつ。
 






大雨の八戸から盛岡へ、岩手県はでかいんで結構な距離のドライブになります。
城址公園横のプラザおでっでにてスタンプをいただいてから城へ。

お城は石垣がメインとなりますが東北の城の中ではかなり立派なものと思えました。
雨に濡れたコケやシダが石垣に映えて美しい。

こちらも南部氏の城。










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北海道から青森へ戻るのに夜中3時発のフェリーに乗りました。
12時までかなり大きなスーパー銭湯、とはいえ源泉かけ流しの本物の温泉で待機。
船に乗り込んでからは睡眠としました。
下船後、八戸へ向かう途中の山中にある酸ヶ湯温泉に寄りひと風呂。
8~9時は女性専用風呂になるため、15分間しか入れませんでしたが噂のヒバ千人風呂を堪能。
妻はゆっくり入っていました。


根城は青森県八戸にあり南部氏の居城で中世南北朝期の武士の館です。
11年にわたる発掘調査で様々な遺構が発見され復元保存されています。
お城というと壮大な天守閣を思い浮かべるでしょうが、天守閣ができたのは織田信長以降の話なので室町時代だとこんなものです。

北畠顕家に従って奥州から近畿まで足利尊氏を討ちに攻め上った南部氏ですが
顕家とともに討死、残された子孫が家系を保ちます。

保存整備状況やシルバー人材による解説ボランティアも充実してます。
大雨でゆっくり回れなかったのが残念ですが、併設の博物館も小さいながらよかったです。















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松前城は日本における最後期の日本式城郭で、北海道内で唯一の日本式城郭です。
元は松前氏の陣屋であったものを幕末期にロシア艦隊の往来などを懸念、北方警備を
目的として拡張築城した城なのです。
松前氏は北海道内での敵がアイヌ族以外にはいなかったため大きな城を建てる必要な
く江戸期を過ごしたが、幕末になって幕府の命で創建されたと考えるのが妥当でしょ
う。

箱舘戦争では土方歳三率いる旧幕軍の艦砲射撃に遭い、数時間で落城したとありま
す。

天守閣は戦後まで存在したが失火により焼失、再建された模擬天守はコンクリート造
りであまり見るべきものがありません。
場内から眺める海の眺めが良いです。

函館から松前まではおよそ100キロ、途中に江戸幕府の戦艦だった咸臨丸が沈没した
とされる場所や、大相撲の千代の山や千代の富士のふるさと福島町があります。
ちょうど九重部屋が合宿に来ており、のぼりがたくさん立っていました。







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五稜郭は日米和親条約の締結に伴い開港になった箱舘の防備として13代将軍徳川家定
の命で築城された西洋式城郭です。
戦争の主力な武力が火縄銃から大砲に変化したことにより西洋式の城郭が採用された
と言われています。
大砲の標的になるような高い天守閣や櫓を持たず、実戦的な作りとなっています。
石垣にも工夫が見られますね。

箱舘戦争では旧幕軍と明治新政府軍の激戦地となり、新選組の土方歳三が戦死してい
ます。

五稜郭は形の面白さから五稜郭タワーに登って見学することをお勧めします。
五稜郭タワーは有料ですが、五稜郭自体は入場無料です。

五稜郭に入ると函館奉行所の復元建物が見えてきますが、城郭自体が低かったためにこの奉行所の頂部さえも城外から見えてしまい、艦砲射撃の格好の目印になったとされます。
そういう理由で取り外しが行われたそうですが、事すでに遅しだったようです。














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函館朝市から五稜郭へ行く前にトラピスチヌ修道院へ行ってきました。
函館にはトラピスト修道院というバターで有名な修道院が別にあるのですが、
トラピスチヌ修道院は女子修道院です。

戒律の厳しい修道院らしく、敷地への入場制限等、修道女とは隔離されているようで1人も見ることは無し。
修道女たちは野菜作りやパン作り、裁縫、編み物などの作業、祈りをささげる毎日です。
3時起床、7時半就寝というジジイさながらの暮らしにびっくりしました。
修道女たちの暮らしは土産屋に併設された資料館で見ることができました。











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