時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

熱田大宮司家について その1

2007-06-04 11:12:16 | 蒲殿春秋解説
所々で出てくる頼朝の母の実家熱田大宮司家について書かせていただきたいと存じます。

まず、熱田大宮司家というのは何かといいますと
尾張国にある熱田神宮を司る神職者の中のトップということになります。

熱田神宮(当時は熱田社と呼ばれていたらしい)は「三種神器」のうちの一つ「剣」をお祀りしている宮で
現在も名古屋市熱田区にあります。
(以前よくドラゴンズが勝利祈願に行っているいる映像をみましたが現在はどうでしょうか?)

当時の熱田社は各国に置かれた一宮二宮などという神社の序列から離れた
別格の扱いをうけていたようです。
つまりそれなりの権威の在る神社だったということになるでしょう。

その神社の大宮司ということで
熱田大宮司家は「神主さん」とイメージがでてきそうですが
決してそうではありません。

確かに「大宮司」という地位にある以上は「神事」を行なうのは必須です。
その職務を忠実に執り行ったということは想像に難くありません。
ですが「大宮司」という地位には色々な側面があります。

まず、当時の寺社勢力は所領を多数有していました。
「熱田社(領家)」の支配下にある領地は「上西門院領(本所)」として多数存在していたことが確認されています。
大宮司はその所領を管理する権利を有していたと思われます。
つまり、土地管理者としての側面があったのです。

また、熱田社近辺の住民には「神威」をもとに「熱田社」への色々な奉仕をさせていた可能性もあります。
また、住民も熱田社に対する信仰の為熱田社に多数出入りしていた可能性があります。また、戦乱時には地域住民が熱田社に避難していたという記録もあるようです。
つまり、近隣住民のコミュニティーセンターのような役割を果たし
そのような関係から
熱田社は近隣住民にある程度の影響力を及ぼしていた可能性もあります。

つづく

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