時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(九十九)

2007-01-25 23:22:12 | 蒲殿春秋
甲斐へ行こう、
そう決心するまで時間はかからなかった。

範頼が行き先を決めかねていた間、
藤七は自分の主佐々木秀義の舅渋谷重国の元へ
赴いたらどうかと何度も誘った。
だが、相模の渋谷へ行くには
戦いのあった場所、残党狩りが盛んな所を通らなければならない。
そのようなところを通って無事に渋谷にたどり着くかわからない。
そこへ行くのはためらわれた。

かといって他にいく当てもなかった。
そこに、「甲斐」という場所が心の中に差し込んできた。
在地有力者の安田義定が残党狩りの兵を甲斐に入れるのを拒否したほどである。
うまく甲斐に入り込めば自分の身分が明かされても生きていけると思った。
そして、その地で兄の再起を待つ。

不思議と範頼は兄が死んだとは思えなかった。

兄は運が強い。
肉親と譜代の臣の多くを失った平治の合戦でも兄は死ななかった。
やがて捕らえられ、誰の目から見ても処刑されるのが当然の中流罪になだめられた。
その後の過酷な流人生活を二十年も生き抜いた。
流人の多くは都を追われてから短期のうちに都に召還されないかぎり
心身共に疲れ果て、わずか数年足らずで都を恋い慕いながら最果ての地で寂しく命を落とす。
だが兄は二十年も生きていた。

兄は死なない。だから自分も死なない。
自分は今まで生きていた中で最悪な状況に追い込まれている。
だが、もっと大変なはず兄の運の強さを信じることで
自分もきっとここを乗り切ることができると思った。

甲斐へ行く、そして生き延びる。
生きて再び兄に会う。
範頼は心に強く誓った。

主の決心を聞いて当麻太郎は甲斐への道筋を考えた。
今の状態では、甲斐と駿河の間そして伊豆には兵が満ちているだろう。
それならば、いったん遠江へ引き返し信濃を経て甲斐へ入るという道筋が無難だと
当麻太郎は範頼に進言した。

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