時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百二十八)

2007-05-01 06:15:29 | 蒲殿春秋
一方親平家方の者には一転没落の運命が待ち構えていた。
石橋山の平家方の大将大庭景親は相模国河村に逃れていたが
遂に頼朝方に投降した。
景親は許されることなく首を刎ねられた。

伊東祐親は、甲斐源氏と頼朝の勢力に挟まれたのを知り
鯉名浜から船で脱出をしようとしていた所、
甲斐から急いでやってきた天野遠景に捕らえられてしまった。
遠景は祐親の身柄を武田信義、源頼朝のどちらに身柄を引き渡すかしばし思案した。
思案した結果、配下に伊東祐親の娘婿を何人か抱えている頼朝に引き渡すこととした。
甲斐源氏に引き渡せば即刻祐親の首は飛ぶであろう。
しかし、そのようにすれば義父を殺された諸豪族の甲斐源氏に対する反感を招くであろうし
ひいては、甲斐源氏に舅を引き渡した自分に恨みが向けられる。
頼朝に引き渡せば、祐親の婿たちは頼朝に舅の助命運動を引き起こすであろう。
三浦義澄、土肥遠平などの婿たちの意見を聞いたうえで頼朝が処分を下すならば
少なくとも自分に対する彼らの遺恨は残らない。
天野遠景はそのように考え、伊東祐親を頼朝に引き渡した。

頼朝と伊東祐親の間には深い因縁があった。
かつて頼朝は祐親の娘と恋仲になり子まで儲けていた。
しかし、それを知った祐親は二人の仲を引き裂き、その間に生まれた子供を殺してしまった。
子を殺された頼朝は深く祐親を恨んでいる。
頼朝個人の心情としては祐親を八つ裂きにしたい思いもあったであろう。
だが、頼朝を盟主としている相模の豪族たちの中には祐親の婿もいる。
彼らはこぞって舅の助命活動をした。
彼らの意向は無視できない。
ここで自分の我を通して祐親を殺せば、その婿たちの反感を招く。
反感は離反に通じかねない。
ここで相模の諸豪族の離反を招くわけには行かない。
決断の前に頼朝は目を閉じて今は亡き愛児の顔を思い浮かべた。
それでも、頼朝は子の仇祐親を殺すことなくその身柄をその婿たちに預けた。

相模におけるその他の親平家勢力だったものは
縁を頼って頼朝の元に投降した。
頼朝はすぐには処分を下さず、投降したものの元にしばし預け置くことにした。
縁者に預けられた者の多くは後に鎌倉御家人として頼朝の配下につくことになる。
頼朝に従わなかったものに対する処分のほとんどは寛大といってもよいものであった。

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