訪れてきたことばは、語り合うこと・聞かせていただくこと、がなくなってきていたんだなあ・・・と。火加減や水加減が、その時のご飯のできぐあいになるのだから、自ずと真剣にならせてもらえていたようだ。ご飯を炊くときの真剣さが、今は懐かしい。炊飯器に印されている目盛りやスイッチに、火加減や水加減に聞かせていただく手間が、省けていたんだなあ・・・。手間がかからないことを、便利だと言っていたようだ。手間とは、相対しているものに聞かせていただく、語り合わせていただくことに思えてきた。そのことを省き、省かれて当たり前になったままの生活に、人間(ひと)は患っていくのだろう。いつしか精神が貧しくなって。思いやりも養われやしない。精神は糧を求めているはずだが、その求めになかなか気付きにくいようだ。また、気付きながら置き去りにして行けている。身体の求めには、すぐ行動できているのだが・・・・・・・。
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