元日のテレビの番組だったと想う。「坊ちゃん」のなかに「謝罪」の場面が描かれていて、印象的に遺っている。教師としての坊ちゃんに悪戯をした生徒は、坊ちゃんのはたらきかけにも名のり出ない。あるとき、坊ちゃんは注意書きされていたことに反した行いを生徒に指摘され、即座に認め謝った。教師が生徒に謝った姿に、生徒たちは驚いた。そこに生徒は学べたところにである。謝罪になってゆけたのだ。教師の真の謝罪に生徒たちは、魂に響き教えられたようだ。このこととは対照的に映っているのが、最近のいじめで教育関係者が、揃って頭を下げている場面だ。計らいが謝罪に見え見えだ。現代人はそのような行いが当たり前になってしまっているから、繰り返しになっている。もはや、ともどもに救われてゆけそうもないようだ。このまま鈍感に気づこうとしないならば。相手に伝わるかは、真に己に認められているかにかかっているんだと。ともどもに救われてゆく道は。「謝罪をする」と「謝罪になる」は、根本が異なるのだ。
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