ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

青年海外協力隊 シリアからも撤退

2011年04月25日 01時47分22秒 | 青年海外協力隊たちの活動

シリア全土で抗議デモ=イエメン首都には100万人集結
時事通信 4月15日(金)22時1分配信

 【カイロ時事】シリア各地で15日のイスラム教の金曜礼拝後、アサド政権退陣や民主化推進を要求する民衆による抗議デモが行われた。 
シリアからの情報によると、首都ダマスカス、北部アレッポ、南部ダラア、西部バニヤス、中西部ホムス、北東部カミシリなどで数百~数万人規模のデモが展開された。このほか都市部以外でも抗議行動が起きており、従来に増して全土に拡大しているもようだ。政権側は催涙弾などを使って鎮圧、一部でインターネットが使用不能となった。
 ダラアやバニヤスは最近、治安部隊との衝突による流血の事態が深刻化している。人権団体はシリアでデモが始まった1カ月前からこれまでに200人以上が死亡したとしている。

 




シリアにも協力隊仲間がいる。
派遣前訓練を受けた二本松訓練所では、同じ生活班だった友達。
保健師としてシリアに派遣され、活動していた友達から
シリアが今危ない状況にあること、協力隊員は週末の自宅待機を命じられていることを聞いていた。
スカイプでメッセージを送りあっているとき、「今、外でデモの音がきこえる。」
と不安げな友達の声。

そして、とうとうシリアから国外待避、JICAも青年海外協力隊も撤退となった。
待避が決まったときに知らせてくれたメール。



   火がつけられたら一気にデモが広がって、外務省からの渡航情報危険レベルも上がりました。
   毎日ニュースで流れる映像はシリアだとは思えないくらいひどいです。
  周りのシリア人も不安と緊張が走っています。
  いろんな自由が制限されて、人がどんどん殺されていくのはいや。
  活動はやり残したこともたくさんあります。
   また戻ってこれると信じて、
   とにかく、安全を第一に無事に着くよう、成田を目指します。



一口に国外退避といっても、たくさんの荷物をまとめ、活動を途中にし、
それまで関係を築いてきた人との日々を断ち切り、
命をおびやかす危険を隣り合わせにしながら日本を目指す、
道中どんな思いだっただろう。
希望をもって夢をもって10ヶ月前にやって来た道を戻り、日本へ。



無事に日本に到着した友達からシリアでのことをきく。
シリアを離れた今話せることがたくさんあるということに驚く。


   日本では、インターネットで自分が調べたいものは なんでも検索出来る。
   何を検索してもいい。
   外も自由に歩ける。
   シリアでは情報が操作されていて、正しい情報を得るのが難しかった。
   たくさんの人が死んでいるのに、何もなく静かでしたと国営放送が伝えていた。
   外も自由に歩けない。
   秘密警察がどこで見ているか分からないし、だれが秘密警察なのかもわからない。
  スーパーの店員だったり、同僚の旦那さんだったり。
   政府の批判をすれば5分以内に捕まるという世界。
   盗聴が日常におこり、誰が聞き耳を立てているか分からない。
   ごみまでも清掃員にあさられて、すべてを探られているあの世界から
   日本に帰ってくると、友達と自由に話せることが嘘みたい。
   やっと、隊員仲間ともシリアのことを今になって話せる。
   自由があるって、すごいこと。
   シリアの人たちにも自由をあげたい。
   私を心配して毎週末家によんで一緒に過ごしてくれた同僚たち、
   私が国外待避できてよかったと心から心配してくれる同僚、
   日本に帰ったら地震の被災地に行くのだと言うと、
   これをもっていってと、被災地の人たちにメッセージを書いてもたせてくれた同僚、
   そんな優しいシリアの人たちに 自由になってほしい。
         




この一ヶ月、こんな思いをして生活し、そして今シリアの人たちのことを憂う友達。
訓練所では毎日教室に残り、遅くまでアラビア語を勉強していた努力家で
いつもへとへとになって部屋に帰ってきていた。
休日の談話室ではシリアの女性が美しく独特のメイクをする様をインターネットで見て
ここにいくんだね こんなふうになるのかなと 話を湧かせ一緒にこれからのことを語り合った。


日本とは全く違う、日本では考えられない生活が、ある国には現実として今も続いている。
自由が当たり前の日本。
思っていることを何でも言える、友達となんでも話せる自由。
どこにでも行ける自由。
命を脅かされることのない、生きることの自由。
それを誰もがあたりまえに享受している日本。

だけど、知ってほしいと思う。
日本でもずっと昔、やはり情報は規制されて、思ったことを口に出せない時代があった。
そして今も、こういう世界があって、そこで奮闘している人たちがいる。
遠く海を隔てた国ではあっても、それは決して無関係ではない。
日本に帰るときシリアの同僚がもたせてくれたという、震災被災者へのメッセージには
自分たちの生活が死を隣り合わせにしながらも、日本のことを想ってくれる
シリア人の思いやりがつまっている。
海を隔てた遠い国日本とシリア。 
その遠い国、日本を一人の日本人ボランティアの存在から、
きっとぐんと近くに感じてくれていたのだろうと思う。


国と国では戦っていたり、組織としては国外待避したりするときでも
人と人との思いはつながっていて、
今この時も友達はシリアの同僚たち、シリアの人々のことを憂う。
      

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