ちょこぷりん??

はじのブログです。
ぷららBroach(ブログサービス)より引っ越しました。
宜しくお願いいたします。

シムテック・フォード S941 ローランド・ラッツェンバーガー

2007-03-10 20:40:05 | 1/43ミニカー
1994年F1シリーズに新規参入を果たしたチーム、シムテックのマシンS941は、美しいカラーリングと訪れた悲劇によって記憶される車となった。
 
シムテックはもともとレーシングカーの開発コンサルタント会社で、前年アンドレア・モーダのマシン設計も手がけた。
チーム代表兼デザイナーは、若干28才のニック・ワースが勤めるが、経験不足と体制のの弱さは否めなかった。ドライバーにはファーストドライバーにディビッド・ブラバムをむかえるも、セカンドドライバーは実に5人のドライバーが入れ替わる結果となった。
 
メタリックパープルとブラックを基調とした美しいカラーリングが施されたS941はフォードHB・V8エンジンを搭載。旧仕様のシリーズⅦでパワー不足は隠せなかった。

開幕戦ブラジルGPはブラバムが最後尾ながら予選通過、完走を果たすと、第2戦パシフィックGPでは2台ともに予選通過し、ラッツェンバーガーは自らの初出走を完走で飾った。
 
 
だが悲劇に包まれた第3戦サンマリノGP、予選2日目その事故は起こった。
マシンのフロントを壊したローランド・ラッツェンバーガーのシムテックS941は、最高速が記録されるビルヌーブコーナーでコースアウトし、コンクリートウォールに激突。大破したマシンはそのままコースを下り次のトサコーナーまで滑走する。このとき頭部を強打していたラッツェンバーガーはすでに意識はなく、直ちに病院へ搬送されたが息を引き取った。
F1での死亡事故は1986年ポールリカール・テストでのエリオ・デ・アンジェリス、レース中としては1982年カナダGPのリカルド・パレッティ以来の悲劇であった。

事故の翌日、ラッツェンバーガーに敬意を表する形でチームは参戦継続を発表。
しかし、ようやく2台目が用意できた第5戦スペインGPフリー走行では代役の新人アンドレア・モンテルミニが悪夢の再現のような大クラッシュを演じ、サーキットを凍りつかせた。幸い命に別状は無かったものの、モンテルミニは踵と指を骨折、F1デビューは先送りとなった。
また、再びチームはセカンドカーの製作に追われることとなり、度重なるレギュレーション変更も相まって開発の遅れにつながった。

 
その後もテールエンダーとして苦しい戦いが続き、予選のベストは第11戦ベルギーGPでのブラバムの21位、決勝では第7戦フランスGPのジャン・マルク・グーノンの9位にとどまった。
グーノンはこのラウンドがデビュー戦で、第13戦まで乗っている。第14戦・16戦はドメニコ・スキャッタレッラ、第15戦は井上隆智穂がシートを獲ている。


MODEL:
minichamps 1/43
Simtek Ford S941
R.Ratzenberger 1994


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (PS05)
2007-11-16 19:49:32
1994年、その頃の私はまだ・・・1歳!もちろん、ラッツェンが死んだことを知ったのは、もっと大きくなってから。兄さんがビデオを借りてきてたので、それで見た。

コメントを投稿