嶋津隆文オフィシャルブログ

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殉死の世代、散華の世代となるか、団塊世代 (2)

2008年07月15日 | Weblog


殉死の世代、散華の世代となるか、団塊世代 (2)

(月刊「地方財務」(ぎょうせい)7月号・【シリーズ】もう一つの団塊世代論①より転載)

(前号ブログ続き)
殉死の世代、散華の世代になるのか

私は久しく「団塊の世代は殉死の世代、散華の世代になるのではないか」と口にしてきた。すなわち大量の老人の社会になった時、自発的に命を絶つことが期待されるようになる。それが家族や社会の負担を軽減するための、あるべき姿だと言われ始めるのではないか。お婆さんが死ねば、お爺さんも後追いして逝ってもらう。そのことによって一挙に社会的コストを2倍減にできるばかりか、長いこと連れ添ったお婆さんへの美しい夫婦愛の証しだと言われ出すのではないか。そんな価値観が醸成される危険性を、自嘲的に指摘したものである。そして今、その懸念を笑い飛ばすにはいささかリアリティが出始めているように感ぜられるのだ。

思い出してもみよう。私たち日本人は、ちょっとした社会ムードやマスコミの煽り立てで一挙に見境なく走り出す国民性をもつ。そのことを過去に幾度も思い知らされてきた。戦後の平等主義を極端に礼賛する余り運動会での徒競走の順位づけさえ否定する学校を生んだ。沖縄戦での悲劇の特攻作戦を過剰に賞賛したのもホンの半世紀前のことである。高齢化社会でのコストの逼迫の下で、「自死」や「夫婦殉死」を美風とする風潮が、いつ台頭しても不思議ではないのである。

現役を退き老化も始まり、かつての数を恃んでの強者から明らかに弱者に移行した団塊。社会環境はすっかり様変わりした。本シリーズでは、こうした団塊世代の動態を当事者の一人として見据えつつ、これまで思い入れやデフォルメされた団塊論とは異なる、もう一つの視線を提示してみようと思う。


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殉死の世代、散華の世代となるか、団塊世代 (1)

2008年07月15日 | Weblog


殉死の世代、散華の世代となるか、団塊世代 (1)

(月刊「地方財務」(ぎょうせい)7月号・【シリーズ】もう一つの団塊世代論①より転載)

「課長島耕作」はこの春社長になったが

終戦後の昭和22年(1947年)から24年の3年間に生まれた大量の団塊世代。その数およそ680万人。全共闘時代を演出し、ニューファミリーを形成し、そしてバブル経済を謳歌したといわれる。だが近年、2007年問題として騒がれつつその大半は退職した。

にも拘らずその名付け親の堺屋太一は、団塊世代によって今後も消費がリードされ、新しい文化を生む「黄金の10年」が始まると喧伝する。おりしも昭和22年生まれとされる「課長島耕作」(弘兼憲史・週刊モーニング)はいよいよこの2008年5月に社長に就任した。まだまだ華やかな舞台が設けられ、この世代の夢がひきつづき大切にされようとしている。

しかしそうした耳障りのよい論調に、昨今の団塊世代は違和感を持ち始めている。今春ある企業が実施した団塊対象のアンケートで、自由に使えるお金が、平均5.7万円だったものが、定年後は3.6万円と一気にダウンしたという。現実化する老後の不安から縮小された月3万円ちょっとの小遣いでは、シャビーにこそなれ、黄金の生活など及ぶべくもないからである。

沸々として団塊世代「お荷物論」が

人生80年時代になったと言われて久しい。しかし例えば現在65歳の人の平均余命は男83.5歳、女88.5歳である。それより若い団塊世代などは、あと30年近くを生きていく。なかなか死なないのだ。今や人生90年時代になっている。しかもこの長い90年人生の後半に疾病と老衰で多くの人は介護が必要となる。社会保障費は激増する。

厚労省の最近の「負担の見通し」では、2025年には全体で141兆円となり、今より50兆円余、55%も増加するという。その老年人口のかなりの部分は80歳近くになる大量の団塊世代が占めることとなる。沸々として年寄り「お荷物論」、とりわけ団塊世代「お荷物論」が口にされる理由が分かろうというものである。

かてて加えて気づかねばならないのは、この世代にはもう一つ冷たい風が吹いていることだ。反発の理由がコスト負担だけでなく、団塊世代はそのキャラクターや生き方で後続世代から強い憎悪を受けているのである。

「『団塊の世代』が一番ひどいと思う。最後まで年金を食い逃げして若い世代を苦しめて死んでいく。オレは『食い逃げ世代』と呼んでます」(金子勝「先行き不安だらけの日本」)。
「過剰意味づけ、自己主張、せっかち、リーダーシップなし、責任回避、被害者意識過剰、身勝手で傲慢、自分優先の人生」(由紀草一「団塊の世代とは何だったのか」)。
「『失われた10年』の間に業種・企業を問わず職場の合理化が進みました。要は中高年による若年層への「つけ回し」が行われたわけです」(玄田有史「仕事の中の曖昧な不安」)。

最近でこそ沈静化してきた団塊世代バッシングではあるが、こうした反発感が後続層に常にあることは否めない。

次号ブログへ続く


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