中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

料理上手な若奥さん

2010-08-31 08:54:12 | 身辺雑記
 曹渓(ツアオ・シィ)という女性が突然連絡してきてMSNのチャットの友達になった。彼女は西安の李真と西安外国語学院時代の学友で、李真から美人で料理が上手で日本人と結婚していると聞いていた。彼女も李真から私の名前を聞いて連絡してきたようだった。

 彼女がなかなか料理上手であるらしいことは、MSN Messenngerに投稿していた料理の写真で想像していた。チャットしてみると日本語はかなり上手だ。今のところ専業主婦のようだ。

 料理が上手であることを褒めると、結婚する前に両親と一緒だった頃はまったく作ったことはなかったと言う。両親は写真を見てびっくりしていたそうだ。それがどうしてそんなに上手になったのかは分からないが、熱心さと積極性があるのだろう。几帳面なところもあるらしく、作った料理の写真を撮って記録してそれを投稿していた。写真は47枚もあって、どの料理もなかなかきれいにできているし、和洋中華いろいろ作っていて、どれも食欲をそそられた。写真を何枚か転載する。

 鶏のオイスターソース焼き


 ぶり大根


 花蟹粥


 パエリア


 冷前菜


 紅茶ロールケーキ


 家庭料理(家常菜)



 料理学校にでも行っているのかと思ったら、ほとんどがインタネットで調べながら作ってみたものばかりだそうで、パソコンがないと料理を作れないと言った。これまでは作ったことがないのに、パソコンを見て料理を始めたとは、いかにも現代的な主婦だが、それにしても上手なものだと改めて感心した。気持ちさえ込めれば誰でもうまく作れますと言ったが、働いている夫君に美味しいものをと心を込めているのだろう。本当に良い奥さんだ。中国人の女性だから、1回に何品か作るのだろう。食べることが好きな夫君だそうだが、幸せなことだ。

 本人の写真も見たが、李真の言うように可愛い美人だ。国際結婚には互いの国の風習や考え方の違いなどで難しいこともあると言っていたが、これからもおいしい料理を作り、夫婦仲良く幸せに暮らしてほしい。

長寿者の幽霊人口

2010-08-30 09:32:24 | 身辺雑記
 東京都足立区で戸籍上は111歳で、都内最高齢者とされていた男性が白骨化した遺体で見つかった事件があった。この男性は実際には30年以上前に死亡していたが、81歳の長女と53歳の孫娘が死亡を隠して男性の年金を詐取していた。この事件をきっかけに全国の各自治体で長寿者の戸籍を洗い直してみると、次々に「超高齢者」が発見された。

 大阪市で、江戸時代の安政4年生まれで、生きていれば153歳になる男性が存在していることが分かった。もちろん戸籍上のことだ。ほかにも、安政6年生まれで151歳の女性など、江戸時代生まれの人が数十人いて大阪市では戸籍上120歳以上になる人が5125人になっているということだ。120歳と言えば明治23年生まれでかなりの高齢だから、もっと引き下げて調べたら、戸籍上だけの高齢者はさらに増えるだろう。年金などは、住民基本台帳を基に行われるため、亡くなっている人が戸籍上だけ生存していても、不正が行われることはないという。

 その後次から次へと各地から同じような事例が見つかったことが報道されているが、今のところ「最高齢者」は長崎県壱岐市の、文化7年(1810)生まれの200歳の男性だ。よく有名人などは「生誕100年」と謳って行事が行われたりするが、その倍と言うことになる。その他にも、山口県防府市で186歳、滋賀県甲賀市で182歳、兵庫県姫路市では170歳のそれぞれ男性が「発見」されている。

 なぜこのようなことが起こるのだろう。分かっていても緊急のことではないので除籍作業を先送りしていた自治体もあるようだが、戸籍が抹消されるのは自治体に死亡届が出されてからと戸籍法で定められているから、何らかの理由で死亡届が出されないとそのまま生き続けるわけだ。家族そろって移民に出たり、戦争や災害で一族全員が亡くなったりするケースで、実際、山口県内では明治期に海外移民が多く出た地域を中心に、戸籍上で100歳以上の人が9414人に上るそうだ。

 ある専門家の話では、人が生まれてから死ぬまでを家族関係によって一元的に管理するシステムは日本特有のものらしい。「家族や社会のあり方が変わる中、現在の戸籍管理や届け出に頼る方式が続けられるのか、検討が必要ではないか」とこの専門家は言っている。今回の騒ぎは日本特有のシステムが生み出した、日本特有の現象のようだ。

ある老人の死

2010-08-28 10:28:31 | 中国のこと
 東京の施路敏(敏敏ミンミン)が泣きながら電話してきて、南京のおじいちゃんが死んだと言った。1週間くらい前から急に容態が悪くなって入院したが、経過が思わしくなく、敏敏が南京に行こうとしていた矢先だった。胃の出血があり、腎臓の機能も失われていたと言うから、どうやら多臓器不全らしい。享年85歳だった。

 敏敏は女と男の双子として生まれ、両親が上海で男の子を育て、敏敏は祖父母に育てられて小学校に上がるまで南京で過ごした。祖父母はいわば養父母のようなもので、敏敏は祖父母が大好きだった。それだけに、いつかは来ることとは思っていてもやはり悲しみは深いようだ。

 2007年の8月末から9月初めにかけて、私は敏敏に誘われて南京に行き、敏敏の祖父母に会った。日本人が訪れたのは初めてということだったが歓迎してくれた。祖父の王明福(オウ・ミンフ)さんは2年前に事故に遭ったので車椅子の生活だった。私は日中戦争の時に南京を占領した日本軍の行状を知りたかったので尋ねた。私が日本の一部の新聞などは、南京事件はなかったとも言っていると話したら、王さんは穏やかに微笑んで「あったのですよ」と言い、父親から聞いた話をしてくれた。その当時(1927年)に王さんは香港に避難していたが、民間人だった父親は危うく日本軍人に射殺されるところを九死に一生を得たという話だった。祖母の鄭巧芳(チョン・チャオファン)さんは当時まだ幼かったが南京にいて、虐殺された死体を見ているし、日本軍がとても怖かったそうだ。だから当然のことながら2人とも日本人には良い感情を持っていないと敏敏から聞いていたが、初めて接した日本人の私には打ち解けて、心を開いてくれたようで「中国人はお客を大切にします」と言ってくれた。

 次の年に敏敏が、南京に帰った時のお土産と一緒に王さんの手紙を送ってくれた。敏敏が訳したもので次のようなものだった。

 こんにちは
 中国と日本の両国は隣人同士です。お互いに関心を持つべきで、過去の戦争についてはもう何も言いません。あなたは中国人民との友好と世界の人民との友好のために励んでおられます。未来の生活はもっと良くなるでしょう。両国は互いに助け合って、共に向上していきましょう
 ご健康をお祈りします。
              中国平和老人
                    王明福

 短いが誠実な内容で、私は心を打たれた。敏敏と一緒に南京を訪れた時、家族の人たちは非常に歓迎してくれ心温まる3日間を過ごした。その折りに家族の1人が、私に会って日本人に対する考えが少し変わったと言ってくれ、私なりに友好に役立ったのかと嬉しく思ったのだが、この王さんの手紙を読み、またその思いを強くしたのだった。

 敏敏の話では、王さんは最後まで意識はあったが、死ぬことは覚悟していたようだ。死んだら墓は要らない、骨は木の下に埋めるか、海に撒いてくれればいいと言っていたそうで、敏敏はおじいちゃんは賢い人だと言った。

 短い縁だったが、優しい家族達に看取られて旅だった、1人の温厚で誠実な中国の老人の死を悼み、冥福を祈る。

          

  
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規格外れ

2010-08-27 10:56:21 | 身辺雑記
 週に1回、生活協同組合(CO-OP)の共同購入日があり、生協の配達車がこの地域に来て前の週に申し込んだ品物を届ける。私は独りの生活だからあまり購入するものがないが、最近「不ぞろいトマト(規格外)1Kg」というのを注文した。配送されたものはこのようなものだった。



 6個入りで498円。近頃はスーパーでも1個が120円くらいしているから安い。「不ぞろい、規格外」だからだろう。

 しかし、不ぞろいと言ってもあまりよく分からない。大きさほぼ同じだ。丸みは少し不ぞろいではあるようだがそれほど目立つものではない。規格外と言うからには大きさや形に、一定の規格があるのだろうが、それがどんなものかは分からない。おそらくは何段階かの級があり、それから少しでも外れたものが規格外になるのだろう。

 いったいここまで厳密に規格を決める必要があるのだろうか。生鮮野菜を大手のコンビニなどに納入している仕事をしているHr君によると、トマトやキュウリなどは機械でカットするから、これに合うように同じ大きさ、形が必要なのだそうだ。確かにキュウリなどは曲がっていたら機械にかけられないだろうとは思う。しかしトマトやキュウリはすべてコンビニなどに納入されるわけではないだろう。一般消費者向けなら少しぐらい不ぞろいでも問題ないのではないかと思うが、輸送には規格ごとに箱詰めできるほうが便利だし、売るときに一定の大きさごとに値段がつけやすいと言うのかも知れない。

 規格外のトマトはジュースにでも加工できるだろうが、キュウリなどは廃棄するしかないのか。よく「理由(わけ)あり」と言って、ちょっとした瑕疵のあるものを安く売っていることがある。安いのは結構だが、この程度のことで外れもの扱いをするのはどうかと思うことがある。私などはいい加減なところがあって、少しぐらい外れていても意に介さないほうだが、口うるさい消費者がいるのかも知れない。

 単なる野菜のトマトが、まるで工場で生産された製品のように、形も大きさもきちんと整って並んでいるのを見ると気味悪くさえ思われ、ここまで神経を使わなくてはならないものかと考えて、生産農家の苦労を思ってしまう。


弟の作品

2010-08-26 09:14:21 | 身辺雑記
 定年退職、自然観察を趣味にしている弟の最近の写真を見た。「サルスベリとミツバチ」という題だが、きれいなので紹介する。

       


 ミツバチを撮ろうとすると、普通は次の写真のように顔を花の方に向けているので、このように正面向きのものは撮りにくいようだ。こうして見るとミツバチもなかなか可愛い。

 写真に付けられた弟のコメント。
 「マーキング調査中のミヤマアカネの羽化水域の傍に放置された植木畑があり、今年はそこの樹は伐採され、うっそうとしていた草は刈られすっきりしているのですが周辺に植わっていたサルスベリの樹は残されていました。その花が今や盛りと咲いていてまさに夏だと実感します。その花にミツバチが吸蜜と花粉集めに訪れています。特にこの花は花粉が付きやすいのか長居しています。身体についた花粉を肢でせっせと後の肢に集めています。全長=10~13mm。」

       

医療費

2010-08-25 09:04:54 | 身辺雑記
 かかりつけの医院で2週間ごとに薬をもらっているが、最近は薬代を支払うと「領収書と一緒に「診療明細書」というものをくれる。この4月からの保健料改定に伴って、患者に対する医療費の「明細書」の無償発行が原則として義務化されたようだ。医療の透明化、医療機関と患者の間の信頼醸成を目的としているとのことだ。


 最近もらったものはこうなっている。各項目の( )の数字は点数。

 再診料(69)
 外来管理加算(53)
 地域医療貢献加算(3)
 明細書発行体制等加算(1)
 特定疾患療養管理料(診療所)(225)
 以下投薬された6種類の薬の明細(35×14日分)
 特定疾患処方管理加算(処方料)(18)
 内服・屯服調剤料(外来)(9)
 外来処方料(6種類以下)(42)

 支払っているのは、診察料と薬代だけかと単純に思っていたが、こうしてみるとずいぶんいろいろな項目がある。地域医療貢献加算とか明細書発行体制等加算、特定疾患処方管理加算とか何やらよく分からない項目だが、医師会や厚生労働省の役人が頭を絞って考え出し、それぞれ根拠があるのだろう。忙しい医師にわざわざ説明を求めることでもないので自分で調べてみた。

 外来管理加算とは、「一定の処置や検査等を実施せずに計画的な医学管理を行った場合に算定できるもの」のようだが、私の場合はいつもまず血圧検査をしてから、体調などについて簡単な遣り取りを医師とするくらいだから、これが外来管理加算の対象になるのかよく分からない。地域医療貢献加算というのは「休日や夜間の患者からの問い合わせに応じている診療所を対象としたもの」。私は休日や夜間に世話になったことはないが、急なときにはいつでも来てくださいよと言われたことがある。明細書発行体制等加算とは「健康保険組合に請求する診療報酬明細書(レセプト)を電子請求している診療所を対象にしたもの」。特定疾患処方管理加算とは「厚生労働省の定めるものを主病として通院している場合に加算されるもの」。私の場合は軽い高血圧だ。地域医療貢献加算や明細書発行体制等加算は、どうして患者が負担することになるのか分からない。当該診療所に減税など何らかの措置をしたらいいのではないかというのは素人考えか。
 

 領収書の項目は、

  初・再診料 125点  これは明細書の上から4つの項目の合計。
  医学管理等 225点
  投薬    559点  明細書の薬の合計。 

   合計    909点

 これに対する保険料は9,090円で、負担額は1割だから支払った金額は910円だった。2週間に1回がこの額だから1ヶ月に支払う医療費は2,000円ほど。やはり元気でいるのに越したことはない。もっとも「後期高齢者医療保険料」として毎月3万円以上支払っていて、年金生活者にとってこれはバカにならない。


昼寝

2010-08-24 11:06:31 | 身辺雑記
 近頃よく眠る。夜も寝つきがよくぐっすり眠れるが、その上昼寝もする。昼寝と言っても、文字通り昼過ぎに寝ることもあるが、街に出て3時か4時ごろに帰っても寝ることもあり。時には7時ごろ目を覚ます。これでは夜寝付けなくなるかなと思っていても10時過ぎた頃から眠たくなり、12時ごろからベッドで本を読んでいると寝付く。

 ちょっと寝すぎではないか、暑いから体力が消耗しているのか、それとも脳が弱ってきているのかと思ったりしてかかりつけの医師に尋ねたのだが、寝られなくて困っている人もいるのだから寝られるのは結構ですよ、寝るのにも体力がいるのですから元気な証拠ですと言われた。そうかなとも思うのだが、何となく真昼間に寝る自分が怠け者のようにも思えてくる。私の父もよく転寝をしていたし、施路敏の80歳を過ぎた南京の祖父もそうだと路敏は言ったから、体質的なものか年のせいかも知れない。

 昔から日本人は勤勉だと言われてきた。早寝早起きが勤勉の証とされ、昼間は営々と働き、昼寝などはもってのほかのことだった。これはたぶん電灯のなかった時代には灯油を惜しんで夜は早く寝て、その代わり朝は早く起きた農民や商家の生活から来たものではないだろうか。実際、電力が豊富な現代の、とりわけ都会の若者は宵っ張りで、街には24時間営業の店もあるから昼夜逆転している者も少なからずあるらしい。もちろんサラリーマンなど大方の人たちは昔ながらに勤勉で、職場と家庭が離れている場合には遅寝早起きにならざるを得ないようだ。だから主婦も睡眠不足になり、夫や子どもを送り出した後で二度寝することもあると聞いた。

 ところで、昼寝をする私は怠け者なのかと言うと、そうでもないようだ。インタネットで調べてみると、「高齢者になると昼間に必要で、若いときには足りないとドラッグにも走りかねないものとは?――答えは睡眠」という記事があった。米国科学振興協会の年次総会で睡眠に関するさまざまな新発見が発表されたと言う。その中に「昼寝と夜間の睡眠効果を視覚学習効果などを比較して調べたところ、1時間半の昼寝は、1晩分の睡眠に等しい効果を示した」いう研究がある。濃いコーヒーであるダブルエスプレッソを飲んでも20分の昼寝の効果にはかなわないのだそうだ。

 15~30分の仮眠が脳を活性化するが、それ以上の仮眠は逆に脳の活性を下げ、また夜の不眠の原因にもなるとも言われる。私の場合には夜の不眠の原因にはなっていないが、長い昼寝は仮眠の域を超えているから、確かに目覚めた後しばらくはあまり脳の活性は良くないようだ。そのようなときには外の光に当たるといいらしい。直射日光でなくても曇天の光量でも頭をすっきりさせる効果はあるようだ。

 ともあれ、暑いさなかに家に戻り、クーラーで涼しくした部屋で伸びをして昼寝に入る時は、大げさなようだが幸せだ。怠け者と言われようと、体の要求には無理をしないで従っていこうと思う。

千吉おどり

2010-08-23 11:14:56 | 身辺雑記
 毎年8月19日の夜に、近くの児童公園で千吉おどりが行われる。雨が降ると中止で順延はない。千吉おどりは私の家の近くにある千吉稲荷に奉納されるもので、稲荷社の由来や年代は知らないが古くからあるものらしい。







 19日には地区の世話人達が稲荷社の神体3体を公園につくられた祭壇に移して、この前で踊りが奉納される。





 踊りは当市の郷土芸能に指定されていて、この地区の大人や子ども達が参加する。今は保存会ができていて、紺の市松模様に千吉踊りの文字を染めた揃いの衣装で踊る。



 公園の中央には櫓が立てられ、太鼓が櫓の天井から吊り下げられる。囃子方はこの櫓に上がって音頭をとる。



 ひとしきり炭坑節で踊られた後、しばらく休憩。この間に小さい子ども達はあちこち跳びまわったり、櫓の周りに置かれた樽太鼓を叩いたりして興じている。













 保存会には小学生の子ども達のグループがある。



 千吉おどりで音頭をとる子ども達が集められて指示を受ける。



 音頭をとる子ども達の代表の挨拶。



 櫓に上がった子ども達は太鼓を叩いたり、順番に歌う。歌詞には決まったものがなく、歌い手の即興とのことだが、子どもには即興はできないだろうから、決められた歌詞で歌うのだろう。どのような歌詞なのかは聞き分けられなかった。





 櫓の周囲で樽太鼓を叩いて拍子をとる。







 子ども達の踊り。やや覚束ない仕草の子どももいる。









 見よう見真似でついていく幼児が可愛い。




 この踊りはこの地区に伝承されているもので、古くからの住民は多く参加していたが、私の家を含む一角の住宅は新住民ばかりで参加者は少なかった。それで妻にはできるだけ地域の行事に協力するようにと勧めた。それで妻は地域の人たちと親しくなり、毎年保存会から浴衣が届けられ、それを着て踊った。
 妻が参加していた10数年前は婦人の踊り手は今より多かった。踊りの輪を見ていると踊っている妻の姿がだんだん近づいてきて、私に気づくとちょっとはにかむように微笑んだのが懐かしい。逝く前の年は病が進んでいたので踊りには参加せず、2人で踊りを見たが、無心な様子で踊りの輪を見つめている妻の横顔を見ながら、来年にはもういないのだなと思うとたまらないほど悲しく、愛おしく思われた。
 妻の思い出のためにも毎年踊りを観に行き、ささやかな寄進をすることにしている。



お布施

2010-08-21 10:53:15 | 身辺雑記
 ある流通大手の企業が、手がけている葬儀紹介サービスの中で、お布施の価格目安を出したら、仏教界が「布施に定価はない」と反発しているという記事を見た。いったい布施はどれくらい出せばいいのか、という悩みに応えたものらしいが、寺側は「企業による宗教行為への介入だ」と受け止めているとのことだ。

 この企業のサービスは、伝統仏教各宗派の僧侶を、客の要望に沿った内容で紹介するというもので、その中で戒名の種類別や読経の有無ごとに、布施の金額を目安として示した。例えば「通夜」「葬儀」「火葬場での読経」「初七日」の読経に加えて、「信士」といった戒名をつけた場合は25万円を目安としているようだ。サービス料も含んでいるのだろうが、高いのか安いのか。

 私の家は神道なので、お布施というものはなく、これまで両親や妻の葬儀の場合の神官への謝礼(玉串料)は数万円のごく安いものだった。しかし、仏教の場合はそうはいかないらしく、いったいいくら出せばいいのか、「お気持ちだけで結構です」と言われてかえって悩んだという話はよく聞く。そんな言い方は阿吽の呼吸を測っているようでよくないと思うのだが、寺の方でもその家の経済状態がわからないから、曖昧にするのだろう。それなら宗派によって定価か標準価格を決めればと思いもするが、寺によってはなかなかそうはいかない事情があるのか。中にはそんな程度では我が家の沽券に関わるという信徒もいるのかも知れない。そういう場合には気持ちが済むだけ上積みすればいい。

 この企業のサービスに対する、企業による宗教行為への介入だという寺側の反発も少々仰々しい言い方だし、現実を知ってか知らないでか、いささか気楽な言い分だと思う。実際お布施の額は、場合によっては私などは目を剥くようなもののように思う。ウン十万などはざららしいし、お布施の中に入るのだろうが戒名料などもあって、これがなかなかバカにならないものらしい。先だってHr君は母親の法要を静岡の父親の家の菩提寺で営んだが、寺の住職とは幼馴染ということもあって、諸費は安くしてもらい、戒名料もそこそこの額だったようだ。ところがその戒名をこちらの寺で位牌に書いてもらうだけで3万円取られたようで驚いていた。「お筆料」と言うそうで、まったく「坊主丸儲け」とはよく言ったものだ。

 とにかく仏教で葬式を出すのは大変なことだ。通夜、葬儀だけでは終わらない、その後も初七日とか四十九日とか何回忌とか延々と続く。そのたびにお布施を出さなければならない。神道でも50日祭とか1年祭とかはあるが、ごく簡素なもので、神社からこまめに通知してくることもない。私の家も元来は仏教だった。それが五男だった祖父が長兄の墓所から独立して墓を造り、宗派も神道に変えた。東京都営の霊園にある墓の管理料は年間4,200円だ。仰々しいことは苦手で裕福でもない私は、今更のように祖父に感謝している。

  
  (日曜日はブログを休みます)

贈り物2点

2010-08-20 09:55:19 | 身辺雑記
 鹿児島は枕崎のとねさんから新米とサツマイモを送ってきた。枕崎ではもう新米がとれている。
 とねさんは私が幼い頃にいたお手伝いさん(当時は女中さんと言った)で、時折故郷の枕崎から農産物などが送られてきたようだ。その中に中が橙黄色のサツマイモがあり珍しく思った。とねさんはニンジンイモと言った。我が家にいた時にはとねさんはまだ10代の娘だったが、その後故郷に帰って嫁いだ。その後も我が家とは両親が死ぬまで付き合いがあった。両親の接し方が良かったのだろうが、とねさんも忠実、誠実で善良な人柄だったようだ。両親がいなくなった後は私が付き合いを続け、毎年この時期には新米を、年末にはポンカンやタンカンを送ってくれ、私もささやかな贈り物をしている。とねさんはもう80も半ば過ぎているが、とても元気で明るいお婆さんだ。
 久しぶりのニンジンイモは甘くて独特の味がする。ニンジンと同じようにカロチンを多く含んでいるのだろう。子どもの頃を思い出しながら食べた。とねさんがこれからも元気であるようにと願っている。

        


 大学の生物学科動物学専攻時代の同期の友人のK君から瓢箪を送ってきた。自分で育て、実を採って加工したものだ。今年はつくらなかったようだが、3年ほど続けていろいろな大きさのものを収穫したようだ。なかなか良い形のものはできない、とくに大きさはコントロールできなくてバカでかいものや、小さいものができると書いてきた。いろいろできたものの中から、形や大きさがまずまずのものを選んで送ってくれたようだ。口の栓はトウネズミモチの枝を削って作ったものだという。
 K君は岡山県津山の出身、ヘイさんと呼ばれ、穏やかで素朴、まじめなな人柄。私の妻も結婚前から知っていてその人柄を好いていた。私が学生時代に妻と付き合っていたときにちょっとごたごたしたことがあったのを、同じ家に間借りしていたヘイさんは知っているから、どうも彼には頭が上がらない。
 彼は酒でも入れてと言う。酒を入れて花見にでも行けば風流なのだろうが、残念ながら私は下戸だ。飾り物として大切にしていこう。