中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

政権交代

2009-08-31 09:23:39 | 身辺雑記
 総選挙で民主党が308議席を獲得して圧勝し、自民党は119議席で惨敗し、長く続いた自民党政権は退き、民主党が政権を担うことになった。総選挙で野党が単独で過半数を得て政権交代するのは初めてのことと言う。

 前回の「郵政選挙」で300議席を獲得した自民党と同様、今回は雪崩を打って票は民主党に流れた。民意は移ろうもの、振り子の針は大きく戻るものとは言え、あまりにも変化が大きい。前回の選挙での自民党の「劇場型」手法に対する熱狂的な反応と結果に、何か背筋が薄ら寒くなるような思いをしたものだが、今回も一種の熱狂を感じる。あまりにも大きい変化はある不安を感じさせる。

 自民党の敗因は、やはり積年の組織としての疲労だろう。長く政権の座にあって、誰のための政治かということを見失った結果ではないか。とりわけ選挙の洗礼も受けずに首相の座に就いた首相が2人もその座を投げ出したのは象徴的で、その無責任ぶりは国民に視線が向いていないことを露呈した。それでは民主党は大丈夫なのか。党前代表の秘書が建設会社からの献金の問題で逮捕されたり、現代表も「故人献金」が取沙汰されたりしている。ある新聞の調査によると、民主党の政策への評価は非常に低いようだ。「何かが変わるかも知れない」という閉塞感から抜け出そうと期待する民意を捉え損なうと、大きなしっぺい返しを受けるだろう。

 前回の選挙では「小泉チルドレン」と称する新人議員が多く誕生し、中にはその言動のあまりにも幼稚さで批判や揶揄を受ける者もあった。今回はそのような者はいないだろうが、いずれにしてもこれだけの新しい議員が誕生すると、政治家としては経験の浅い者も少なくないだろう。これから政治家としての研鑽を積んで、議場ではただ野次を飛ばしたり、多数決の挙手をするだけの存在にはなってほしくない。

 私は民主党は「圧勝」しないほうが良かったのではないかと思う。どうにか過半数を得たくらいのほうが、政治に緊張感が出るのではないか。多数に驕り何でもできるというようではこの4年間のように弛緩した雰囲気の政治が生まれるだけだろう。民主政治とは多数決政治ではない。正反たがいに厳しい議論をたたかわすことによって、真に国民のための道が拓かれなくてはならない。

 マスコミはかねてから「二大政党」による政権交代を期待するような言論を展開してきた。それが今回実現したとも言えるが、民主党と自民党では同根の部分もあって、決して過去に言われた革新政党と保守政党の対峙ではない。いわば米国の民主党と共和党による体制と同じようなものだろう。私はこのような「二大政党」体制にはあまり興味はない。

 忘れてはならないのは、現在の小選挙区制の下では、「二大政党」以外の政党への民意は埋没してしまうことだ。いまさらのことだが、民主主義とは単なる多数決原理ではなく、少数者もいつかは自分の意見、主張が多数になりうることに希望を抱ける制度なのだ。少数政党の主張にどこまで謙虚に耳を傾けるか、ただ冷笑して無視するか、「大政党」の度量が問われるところだろう。


年の離れた友達

2009-08-30 11:16:18 | 身辺雑記
 新聞の読者の声欄で35歳の男性の投書を見た。

 通い始めた囲碁教室で72歳の「おじいちゃん」と仲良くなり、家に遊びにおいでと誘われた。家を訪問すると娘と思われる女性が出てきたので「おじい様はご在宅ですか」と尋ねると、ちょっと警戒するような様子を見せた。すると庭先からおじいちゃんが顔を出し「おやおや、いらっしゃい」と言うと、女性は「お友達ってこんなに若い方だったの。おじいちゃんも人が悪いわ」と言った。おじいちゃん曰く「ちょっとした悪戯心だよ。わしにもこんな若い友達がいるんだと家族をビックリさせたかったんだよ」。
 
 おおよそこのような内容だが、投書は「40歳近くも年上の方に言ってもらえる、友達という響きがなんだか嬉しかった」と結ばれている。なかなか洒脱なところがある老人だし、老人に友達と言われて喜ぶ男性の素直さもよい。

 友達付き合いは何も同年代や同性の間だけに存在するものではない。前(本年1月2日)にこのブログに載せた「忘年交」という一文の冒頭に次のように書いた。

 大阪の会社に勤めている西安人の邵利明(明明ミンミン)が、「爺爺イエイエと私は忘年交ワンニエンチャオですね」と言った。聞きなれない言葉だったから聞き返すと「年の離れた友達ということです」と言った。
 日本にはこのような言葉はあるのかと調べてみると、「忘年の友」があった(広辞苑)。不学にして、この年になるまで知らなかったが、出典は中国の陳書の江総伝という書のようで「年齢の差にかかわりなく親しく交わる友」とあり、「忘年の交わり」とも言うようだ。私と明明の年齢差は45歳くらいで世代も違うが、やはり友達としか言いようがない関係だから、まさに「忘年交」なのだ。

 明明に限らず中国の若い友人達は皆私を「爺爺イエイエ」とか「おじいちゃん」と呼んでいるし、私も孫娘のように言っているが、実際は「友人」(中国語では朋友ポンヨウ)で、「忘年交」の関係にほかならないのだ。それはとても快いもので、彼らの存在は私にとっては貴重なものだ。友人や知人の中には「この人は中国に彼女がたくさんいてね」などと冷やかし気味に言う者がいるが、「彼女」という言葉にあるある種の意味とは無関係の付き合いだからこそ、年齢を超え、性別を超えて楽しい交わりができるのだ。

 このような交わりは日本でもほしいのだが、残念ながらあまり多くはないし、とりわけ20~40代にはいない。それでも年はだいぶとってはいるが何人かの親しい卒業生がいて、彼らは当然私を「先生」と呼ぶが、それでも私にとって彼らは「忘年の友」だと思っているから何でも気楽に話すことができる。

 年が離れていようと女性であろうと、友達として過ごすひと時は開放感がある良いものだ。一定のけじめを保ちながら気兼ねなく付き合える関係はなかなか得がたいものだと思う。よく「お若いですね」と言われることがあるが、外見はともかくとして年齢の割には心の若さを保つことができているのも、そのような卒業生や中国人の「忘年の友」たちのおかげなのだろう。


足立美術館

2009-08-29 14:36:46 | 身辺雑記
 Hg君が車を運転して、Hg君の奥さん、Hr君の4人で、島根県安来市の足立美術館に行った。中国道、米子道を経て途中の休憩も挟んで4時間の行程だった。

 11時半に到着したので、まず駐車場前にある店で蕎麦で腹ごしらえをした。このあたりの蕎麦は出雲蕎麦と呼ばれ、腰があってうまい。

 
 足立美術館の入り口。この美術館は地元出身の実業家であった足立全康氏が創設したもので、昭和45年に開館した。


 入り口から館内に入りしばらく行くと寿立庵という茶室がある。




 そこを通り過ぎると小さな滝のある庭がある。


 やがて大きなガラス窓越しに広々とした庭園が眼前に広がる。5万坪の敷地に造られ背後の山を借景した庭園は枯山水、白砂青松、苔庭などが連なる見事なもので、「庭園もまた一幅の絵画である」という氏の言葉を具現化したものと言う。
枯山水





 白砂青松

 館内の大きなガラス窓越しに見る庭の様子は額縁の絵のように見える。


 亀鶴の滝。会館8周年を記念して造られた高さ15メートルの人工滝。


 館内からいったん外に出ると池庭の前に出る。






 池庭の傍らに「生の掛け軸」と称する建物があり、この建物は床の間の壁などがくりぬいてあって一幅の掛け軸のように見えるようになっている。




 この建物から外に出る。




 再び館内に入り2階に上がる。2階は絵画の展示室であって横山大観常設展示室や年4回の特別展示をする大展示室がある。


 大展示室では「花図鑑 日本画に咲く花ばな」という展示をしていたが、榊原紫峰、小林古径、川合玉堂、橋本関雪、横山大観などの日本画の大家の作品35点で、いずれも花が描かれていて、久しぶりの日本画に堪能した。とりわけ橋本関雪の「涼宵」という、あたりを窺う狸にヨルガオを配したモノクロームの作品に非常に惹かれたが、撮影禁止なので残念ながら紹介できない。


 館内1階中央部あたりに「翠」という喫茶室がある。庭園を正面に見る最高のロケーションで、コーヒー、紅茶などすべて千円とかなり高いが、入って休んだ。広々としたガラス窓越しに広がる庭園を観賞しながらのちょっと贅沢なひと時を味わった。








 この美術館はフランスの旅行ガイド誌「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で最高の三ツ星評価を得ており、米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(JOJG)の「2008年日本庭園ランキング」で6年連続で「庭園日本一」に選ばれている。



余命

2009-08-27 10:00:08 | 身辺雑記
 知人のMさんが胃癌で入院したのは3ヶ月前のことだ。検診で見つかったようだが最初のころはたいしたことはないので切らなくてもよいとか、いや全摘だとか情報が錯綜した。最近人づてに様子を尋ねてみると、余命1年と言われたとかで、そんなに重かったのかとびっくりした。何の自覚症状もなかったらしいのに、そんなに速く進行するものかと思う。手術はせずに抗癌剤の投与をしているらしく、癌は少し小さくなったと言っているようだが、どんなものなのか。本人は元気そうに余命1年なら好きなことをするかなどと言っているらしいがどんな心境なのだろう。快方に向かってほしいと願う。

 先日、いつもこのブログに出しているHr君やHg君が卒業した学年の同窓会があった。私より一回り下の年齢で、もう64歳になる。出席した教師はもちろん皆70歳以上の老人だ。だからどうしても健康に関する話がよく出る。誰それが癌で死んだというような話も出た。挨拶に来て「前立腺癌になりましてね」などと言う者もいた。この学年を担当していた教師も他界した人が多かった。そんなこともあってか司会者が、次回は3年先にするか、5年先にするか意見が聞きたいと提案した。それを受けてある男の卒業生が立って、自分は前立腺癌で化学療法をしたが効果がなくなり医師から余命5年と言われた、だから3年先がいいと話したが、いたって明るく話すので、聞いて驚いた者は多くても、その場の雰囲気は湿っぽくはならなかった。

 余命1年にせよ5年にせよ、告知されたらどういう気持ちになるものだろうか。Mさんも卒業生もじたばたせずに受け容れているようだが、私だったらどうだろうかと思う。前にも書いたが、妻が先に逝ってしまってからは、死というものに対する恐れのようなものはなくなったが、実際に命の期限を切られるとあまりのんびりとしてもおられないだろう。それでも私はできれば余命の告知を受けるような病気で死にたいと思う。何しろ独りの生活だから、後始末をしなければならないことや息子達に言い遺したいことはあるし、親しい友人達に挨拶もしたい。あれこれあって結構忙しくなるだろうから、欲を言えば3年の余裕はほしいと思う。

 余命を告知されても神妙に受け容れる覚悟はできているとは思っているが、いざその時になればやはりうろたえるぞと言われるかも知れない。

                


飼い犬の想い出(2)

2009-08-26 09:26:30 | 身辺雑記
 新しく来たのはやはりメスのペキニーズで、前のメイメイとは違ってかなり活発な性格らしく、我が家に来るなり用意してあった寝る場所(ハウス)と周囲の間を行き来して、そのあたりにあった布切れなどの小さいものをハウスに取り込む様子が可愛くもありおかしくもあって、たちまち家の中は明るくなった。早速名前をということになり、息子達があれこれ考えた結果決めたのはノンノンだった。メイメイとは違って特に意味はなく、言葉の感じで決めたようだ。

 ノンノンはメイメイとは違ってかなりお転婆で、よく走り回ったり暴れたりしたが、元来穏やかな性格の犬種だから、成長するにしたがって落ち着いた。相変わらず息子達の愛情を集めたが、成長の途中で息子達は成人になり可愛がり方もメイメイの時とは違った。そのうちに息子達は家を出て結婚したので、我が家は私と妻とノンノンだけになった。メイメイにもそうだったが妻はノンノンもとても可愛がり、ノンノンも妻が大好きだった。いつも妻の後についてまわり、用事で外出するときには「お留守番よ」と言われるとクスンとしてハウスで丸くなっていた。


 それほど好きだった妻が12月に最後の入院をすると、ノンノンはすっかり元気をなくしてしまい、夜になっても寒い玄関にじっとうずくまってハウスに戻ろうとしなかった。そして妻が逝ってしまうとますます元気がなくなり体調も崩したようで、散歩に連れ出しても途中で立ち止まってぼんやりと考え込むような様子が、何か妻のことを思っているようで、「おかあさんはもう帰ってこないのだよ」と声をかけたこともあった。

 息子達と妻の弟の別荘に遊びに行ったときにS獣医の病院に預けたが、帰ってみるともう臨終の状態だった。入れられているケージの前に行くと身動きもしないので死んだかと思ったので「ノンノン」と声をかけるとかすかに目を開いてにじり寄るような様子を見せた。その姿に思わず涙が溢れ「おかあさんのところに行きなさい」と言うと小さく唸るように声を出し、前足を少し動かすとそのまま動かなくなった。大好きだった「おかあさん」という言葉を耳にして反応したのだろう。S獣医に後の始末を頼んで病院を出たが、ああこれで独りになってしまったのだなと思った。

 妻が逝ってから僅か2ヶ月後に後を追ったが、家族皆に見送られ、近所の動物霊園で供養してもらい、納骨もしたメイメイに比べてかわいそうな最後だった。14歳だった。妻が元気だったらもっと長生きしたかも知れない。そんなノンノンを思うと、今も哀れさに胸が詰まる思いがする。

 それ以来犬を飼っていないが、独居生活の寂しさがこたえてS獣医に相談すると猫を飼うことを勧められ、タウン紙を見て貰い受けたのが、今いるミーシャだ。猫は何もかもと言ってよいほど犬とは違うが、それでも心が慰められる存在になっている。




飼い犬の想い出

2009-08-25 13:20:06 | 身辺雑記
 街で中年の女性に連れられたシーズー犬を見た。目が丸くて鼻は少し押されたように低い。元来は毛が長いが、暑いからだろう短く刈っていた。そのチョコチョコ歩く可愛い様子を見ていると、ふと我が家にいたペキニーズ犬のことを思い出した。シーズーはペキニーズとチベット産のラサアプソとの交配で生まれた犬種だから、顔つきや体つきが似ている。

シーズー

 息子達がまだ小学生だった頃、初めて犬を飼った。ある日私が勤務していた高校に卒業生のS獣医が尋ねてきて犬を飼いませんかと勧めた。犬は早く死ぬからなあと渋ると、彼はそれがいいんです、息子さんたちに命の大切さを教えることができますと彼は言った。その言葉がとても気に入って飼うことにした。程なくして彼の世話で我が家に来たのはメスのペキニーズ犬で、その可愛さでたちまち私達を虜にしてしまった。私の末の妹が中国系マレーシア人と結婚していたので、頼んで媚媚(メイメイ)と名づけてもらった。可愛い女の子という意味だと聞いた。


 この子は生来病身で、心臓もよくなかったが家族皆の愛情を受けて11年生きた。まだ幼かった子ども達とともに成長し、すっかり家族の一員になった。私たちの言葉がよく分かり、「おとうさん」「おかあさん」「おにいちゃん」「ケンちゃん」を聞き分け、朝妻が「おにいちゃんを起こしてらっしゃい」と言うと2階に駆け上がっていき長男のベッドに飛び乗って起こしたりした。長男はことのほか可愛がっていた。たびたびS獣医の世話になったが、最後は心臓発作を起こし妻に抱かれながら息を引き取った。妻は言うまでもなく、妹のように可愛がっていた、もう院生と大学生になっていた息子達の悲嘆にくれる様子は見るのが辛いほどだった。それを見て、やっとS獣医が言ったことの意味がよく分かった。たとえ犬であっても命を持つものはかくも愛しいものかと、私もどうしてこんなにと思うほど涙を流した。

 メイメイがいなくなり、家の中は火が消えたように寂しくなったが、すぐに飼わないほうが良いと言われたこともあって、しばらくは飼わないでいたが、妻は犬の展示会などでペキニーズ犬を見かけると「ああ、メイメイ」と呼びかけて泣いたりするし、喪失感で家の中が何となく殺風景な感じがしてきたので、家族で相談してS獣医に頼んで、またペキニーズ犬を飼うことにした。 (続)


信州の旅(4)

2009-08-24 09:27:13 | 身辺雑記
上高地の植物



















信州みやげ
 バスツアーの恒例で、今回のツアーでもいくつかの土産物店に連れて行かれた。私は無駄遣いをしないように金をあまり持っていかなかったが、店内にはいろいろなものをたくさん買う客が多く、せっかくの格安ツアーも高くつくなと可笑しかった。普段は財布の紐を固くしている主婦も、非日常の場では気が大きくなるのかも知れない。

 信州と言えば・・・というようなものを並べてみる。
 蕎麦


 野沢菜漬け。実にさまざまな加工品がある。


 りんご


 わさびとわさび漬け。安曇野のわさびは有名なのだそうだ。




 おやき。豚饅の餡の豚肉が野菜などに変わったようなもので、これも信州名物らしいが、あまり食欲は感じない。中国の包子(パオツ)と似ている。


 馬肉の燻製



 


信州の旅(3)上高地②

2009-08-23 08:00:00 | 身辺雑記
 森を抜けると湿原があり、前方に穂高連峰が見える。




 梓川。槍ヶ岳に発し、上高地の谷を南下し松本盆地に至る清冽な流れである。




 梓川沿いの林間をしばらく行くと田代橋に出る。カラマツとヒノキで造られている。


 田代橋から上流を見る。穂高連峰の眺めが素晴らしい。


 田代橋に隣接する穂高橋から梓川の下流の方角を眺める。


 梓川の流れ。水の色が美しい。


 道路脇のトイレ。環境に配慮した造り。


 ウエストン碑。自然の岩に肖像のレリーフが嵌め込まれている。


 解説板


 河童橋。ハイキングコースの終着点。所要時間は、ゆっくり歩いたので途中の昼食や小休憩を含めて約3時間だった。この橋はライブカメラに常時撮られていてインタネットで、混雑の程度を見られるようになっているという。




 河童橋から


 梓川と河童橋


 上高地の碑。上高地は昭和27年に特別名勝と特別天然記念物に指定された。2つ同時に指定されたのは日本で初めてと言う。

 

 マイカーの乗り入れは規制されている。マイカーで来た観光客は、離れた場所にある駐車場に車を置き、そこから定期バスやタクシーを使って来ることになる。

 最近は脚の具合が良くないので、このように長時間歩いたのは久しぶりで、さすがに疲れたが満足できた。
 



信州の旅(2) 上高地

2009-08-22 09:29:35 | 身辺雑記
 第2日目は7時半にホテルを出発。その前にホテルの近くで後立山連峰を見た。
 向かって右端が主峰の白馬岳、その左(南)が鑓ヶ岳のようだ。


 道路を南下して安曇野を経て松本で西進し、上高地に到着。大正池湖畔でバスを降り、そこから北へ向かってハイキングした。

 焼岳と大正池。焼岳は標高2455メートル、北アルプス唯一の活火山で、大正4年に爆発して、北から南下する梓川をせき止めて大正池を造った。最近では昭和37年に爆発し、泥流を大正池まで押し流したという。


 大正池






 湖畔には鴨が多くいる。人馴れしていて寄ってくる様子が可愛い。




 大正池の北端。北に穂高連峰を望む。


 北端の河原のような場所。ここが爆発で埋まった場所か。


 森の中に入る。空気は爽やか。上高地は標高1500メートルで、亜高山帯と低山帯の境目にあたり、さまざまな植物がある。




ダケカンバ(岳樺)とシラカバ(白樺)
 

信州の旅

2009-08-21 11:00:57 | 身辺雑記
 Hg君夫妻に誘われて信州へ出かけた。彼らが見つけたある旅行会社の「上高地2日間」というバスツアーだが、何しろ1人1万円、私のように1人の場合は1万2千円という格安料金に惹かれたし、上高地にはこれまで行ったことがないので申し込んだ。

 第1日目は大阪の梅田を8時に発ち、名神高速から中央自動車道を経由して、長野自動車道に入り、八ヶ岳中信国定公園の中の白樺湖などを見た。

白樺湖
 蓼科高原池の平にある周囲約6キロメートル、面積約35ヘクタールの人造湖。もともと農業用水を確保するために造られた人工の溜池で蓼科大池と呼ばれていたという。1950年代から貸しボートやスケート場などの娯楽設備が整えられ、白樺湖に改名された。溜池としては現在も使われているという。周辺にはホテルやスキー場があり、長野県下有数のリゾート地となっている。やはり人工湖のせいか、もうひとつ風情が感じられず、大きな池という印象である。








車山高原
 白樺湖から15分ほどの広々とした高原で観光客は多かった。スキー場もあるレジャースポットと言う。


 広い湿原があり、さまざまな植物が茂っていた。花の盛りの頃は見ごたえがあると思う。




  










 車山高原からビーナスラインを通って降りたが、途中八ヶ岳連峰が見えた。南端の赤岳の長い裾野を見ていると、50年ほど前に高校教師になって間もなく、生物クラブの生徒達と八ヶ岳に植物観察に行ったとき、この長い裾野を小淵沢まで歩いたことを懐かしく思い出した。

 さらに長野自動車道に出て、北端の安曇野まで行ってから高速道路を降りて北上し、宿泊地の長野県北安曇郡の白馬山麓の小谷村のホテルに着いたのが午後6時半頃だった。第1日目の行程は上高地とはまったく関係がなく、上高地とははるか離れた白馬山麓での宿泊だから、「上高地2日間」はいささか「羊頭狗肉」の感もあったが、それでも久しぶりの信州を楽しめた。ホテルは冬季のスキー客を主な対象にしているらしく、夏の暑い盛りには客は少ないだろうから、私たちのようなまとまった客は有難いのだろう。格安料金の秘密もこんなところにあるのかも知れない。