中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ゴキブリ

2008-07-31 09:10:20 | 身辺雑記
 ゴキブリが好きな者はまずいないのではないか。暗くなるとキチンなどに現われ、退治しようとすると素早く狭い隙間にもぐりこんでしまうのが忌々しい。アブラムシとも言うように体が油で濡れたように光っているのも不潔な感じで気味が悪い。

 私もご他聞に漏れずゴキブリが大嫌いだし、目にするとまるで親の敵に出会ったように殺そうと思うが、たいていはすばやく逃げてしまう。ある動物学者が、ゴキブリはとくに有害なものではない、不当に扱われていると弁護していたが、このような人は少ないだろう。いくら有害ではないと言っても汚い所から出てきて、食器の上であろうと何であろうと這い回り、あちこちに黒い糞をこびりつかせる。とにかく陰険で不潔な感じを与える虫である。私はかつて夜眠っている時に頬に何か異様な感触がしたので目を覚ますと、どうやらゴキブリが止まっていたらしい。悲鳴こそ上げなかったが払いのけた。しかし止まっていた頬のその部分がどうにも気持ちが悪く、しきりに指でこすった。翌日の授業のときにも何かしらゴキブリが止まっていた部分が嫌な感じで、話をしながらたびたびそこを指で掻いた。今でもあの脚の裏の細かい棘の感触を思い出すと不快になる。

 ゴキブリの名は「御器被り」あるいは「御器囓(かぶ)り」が転じたもので、御器すなわち食物を盛る椀にたかる様子を言い表したものだろう。漢字では蜚蠊と書き、これは中国語由来だが、中国語でも油虫(ヨウチョン)とも言うようだ。英語はcockroachで、比較的知られている。世界中にいろいろな種類がいるようで中には90ミリもある巨大なものもいるらしい。我が家に見られるものは日本では普通に見られるクロゴキブリだ。他にも見たことはないが本来は熱帯種のワモンゴキブリが暖房設備の整った都市部に広がりつつあると言う。以前住んでいた安住宅で寒い時期に冷蔵庫を動かしたら、温かい裏側にたくさんのチャバネゴキブリがいて驚いたことがあった、チャバネゴキブリは1.5センチほどの小さなゴキブリで、普通のゴキブリのように毒々しい光沢はない。寒さに弱いため、暖房設備の整ったオフィスやホテル、飲食店、病院などに多い。いつだったか、ニューヨークかどこかの米国の大都市で、マンホールの蓋を開けて殺虫剤を吹き込んだら、ものすごい数のチャバネゴキブリがぞろぞろ出てきて作業員が逃げ出したと言う話を読んだことがある。とにかく世界的な嫌われ者である。インタネットでこんな記事を見た。

 「ゴキブリが嫌われている理由としては、下水や生ゴミの上などを這い回った足であちこちを歩き回るので不潔、素早く不気味な歩き方が嫌い、などがあげられます。日本だとゴキブリの害と言ったらこんなものですが、外国ではもっと酷い害があります。ゴキブリが人間の耳の中に入り込む、人間が寝ている時にゴキブリが睫や指先、爪などを噛る、などです。それに、ゴキブリアレルギーで悩まされる人も多くいます。また、ゴキブリは実にいろいろな物を食べるため、その害も無視出来ません。人間の食べ物は全て食べますし、それ以外にも、美術品の絵の具、書物などの紙やそれを張合せている糊、煙草や家の建築材料、飛行機の器材の中にすら食べる物があるそうですし、共食いも行ないます。それと同時に、ゴキブリは絶食に対する、強さも知られています。ゴキブリは食べる物がなくても水だけで、1月以上生きていますし、餌だけではなく、水さえなくても2~3週間は生きられるそうです。」

 つくづく嫌な奴だと思うが、世界に4000種ほどいる中で、人間にとって害虫とされるのは50種ほどだそうだ。3億年~3億5千万年前の古生代に姿を現わしたが、その後も現在に至るまでほとんど姿を変えずに来たので「生きた化石」と言われる。今では人を罵るのに「ゴキブリ野郎」などと言うくらい嫌な奴の代名詞のようになっているが、動物学的には、昆虫の中でも最古の「家系」を誇っていつから貴重な存在とも言える。もっとも貴重と言っても希少ではなく、種類も個体数も多く、環境への適応力は強いから、一番最後に地球に残るのはゴキブリだろうなどと言われたりもする。

 ゴキブリの腹面(インタネットより)。いかにも古代的な外見で、映画に出てくる地球外生命体のようである。映画のモデルはゴキブリかも知れない。



 この夏はいつもよりゴキブリの姿が目に付くようになったので、薬局で燻蒸式の駆除薬を買ってきた。キチンの床に容器を置いて足で小さなペダルを踏むと白煙が上がる。締め切っておいて放置した。翌朝入ってみると、床には仰向けになって転がってるのがたくさんいて、死屍累々と言うのは少し大袈裟だが、なるほどゴキブリというものは1匹目にしたら、実際にはそれよりもずっと多くのものが陰に潜んでいると言うのは本当だったなと納得した。

義歯

2008-07-30 08:00:01 | 身辺雑記
 いつも通っている歯科医で部分入れ歯を作った。私は朝夕外したり手入れしたりすることが面倒なので義歯が嫌いなことは医師も知っていたが、やはりしたほうがいいと言うことで作った。

 私は歯は良いほうだ。これまで抜歯の経験をほとんどない。医師に尋ねたら下が14本、上が12本残っていることが分かった。永久歯は普通上下14本ずつ計28本あるから、私の場合は下顎の歯は無傷、上顎の歯は2本抜いたことになる。もっとも抜かないまでも治療して補填したり冠を被せている歯は何本かあるが、75歳という年齢にしては上々の方だろう。

 両親は2人とも歯は良くなかった。父は50歳になる前に歯槽膿漏が悪化して歯が抜け落ち総入れ歯になっていた。歯槽膿漏というのは痛いものだそうで、父は痛さのあまり泣いていたと母は言っていた。その母も7人の子どもを皆母乳で育てたのでカルシュームを吸い取られたためか、やはり40代後半で歯がもろくなっていた。

 その両親の子である私は幸いにも少年時代から歯は丈夫で、歯科医に行ったことはほとんどない。しかし、40代に入ってからは努めて歯科医院に行くようになった。早期治療第一と心得て異常を感じると躊躇せずに出かけた。知人にはあの口の中をがりがりされるのがたまらないと敬遠するのが少なからずあったが、私は無頓着だ。今通っている歯科医はなかなか腕はよく、わずかな虫歯の痕跡も見つけて治療してくれるから安心している。

 実際、歯が良いことは有難い。少しくらい固いものでも噛める楽しみがある。食べ物の旨さには味や温度はもちろん関係するが、噛んだ時の食感も重要な要素だと思う。例えば沢庵や煎餅を食べる時などがそうだ。それに歯が良いと胃の具合も良いように思う。総入れ歯にすると上顎の表面を覆うから味覚が感じられないと聞いたことがある。総入れ歯だけはしたくない。私の昔のクラスの生徒と同窓会で会ったことがあるが、50代になっていた彼はやはり歯の病気で総入れ歯だったので、話をしても何かフガフガ言う感じで、ずいぶん年を取ったように思われた。

 8020ということが言われている。80歳になっても20本の歯は残そうと言うことだ。80歳まで後5年、今のところ目的は達せられそうだが油断は禁物、これからもこまめに歯科通いを続けよう。

                    


コーヒーの輸入ストップ

2008-07-29 08:30:08 | 身辺雑記
 私はコーヒーは好きだがコーヒー党と言うほどではないから、コーヒーの銘柄についての知識はなく、時折ある銘柄に興味を持つと買ってみる程度だ。それにいわゆる高級な銘柄のものはほとんど買うことはない。

 最近「モカ:消えるかも 輸入ストップ、在庫わずか」と言う記事を見た。エチオピア産のコーヒーであるモカから基準値以上の残留農薬が検出されたということで、厚生労働省が事実上、輸入にストップをかけているからだそうだ。4月下旬に生豆から基準値を超える殺虫剤成分の検出が続いたようで、健康に影響を及ぼす値ではなかったが、原因が豆か、豆を入れる麻袋に付着していたのか特定できないようだ。再開のめどはたっておらず、喫茶店やスーパーの店頭などからモカが姿を消す可能性もあると言う。

 コーヒーの生豆の全輸入量(07年)は約38万9000トンで、このうちエチオピアからは約2万9000トン、国別では5位の輸入額のようだから、ブレンドコーヒーの定番とされるモカの輸入禁止措置は大きな影響があるとされるのだろう。小売店やコーヒー店では在庫が尽き始めたところもあり、ブレンドの味が変わると困っているようだ。エチオピア側は「日本は細かすぎる。他の国は何も言ってこない」などと主張しているようだが、厚労省は「エチオピア政府が原因究明や検査の充実に努めない限り、日本側も対応のしようがない」として、輸入を停止させたままだと言うから事態は膠着状態なのだろう。

 食品の残留農薬や抗生物質のことについてはこれまでにもいろいろと報道されてきていて、軽視するつもりは決してないが、このモカのことについては、エチオピア側が日本は細かすぎると言っていることは何となく分かるような気がする。検出された農薬は基準値以上ではあるが、健康に影響を及ぼす値ではなかったのだから、それで輸入禁止としてエチオピア側が何らかの措置をしなければ対応できないと言うことは、エチオピア側にとっては納得できないことではないかと思う。もっとも厚生労働省としては基準値以上の値が出た以上、それが健康に影響を及ぼすことはなくても輸入禁止以外にはないというのだろう。

 農薬など毒性のあるものについて基準値を設けることは当然だが、それはその値に達したら健康に影響があると言うものではなさそうだ。実際これまでにもいろいろとニュースにはなったが、基準値を超えているが健康には影響はないというのが少なからずあった。基準値を超えても、この値までならば輸入してもよいという幅があってもよいのではないだろうか。一体どの程度の残留農薬があったのかも知らないが、コーヒーなどはごく少量の豆を挽いて、それに湯を通して淹れるものだ。1杯のコーヒーにいったいどれだけの値の農薬が含まれると言うのだろうか。コーヒーのような嗜好品は人によっては毎日何杯も口にすることがあるから、体内に蓄積する場合を考えると規制せざるを得ないのか。他の食品にしても輸入時の検査値と実際に口にするときの値とはかなりの違いがあるだろう。少し神経質すぎるようにも思うが、このような考えは食の安全と言うことに対してルーズと言うことなのだろうか。

寿命

2008-07-28 09:49:55 | 身辺雑記
 にわかに蝉がやかましく鳴き出した。真夏が来たなと思わせる。近くの生垣のある小路を通ると、生垣の木の枝や葉に蝉の抜け殻があるかと思うと、早くも死んでしまっているものもある。はかないことだと思った。

 はかない命の譬えに「かげろう(蜉蝣)のいのち」と言うのがある。朝(あした)に生まれ夕べに死すと言われている蜉蝣は、羽化するとすぐにヤマメなどの川魚に捕食され、それをまぬがれても水辺で交尾・産卵を終えると数時間で死ぬというから、まことにはかない。もっとも卵から孵化した幼虫は水中で2~3年を過ごすから、この弱々しい姿の昆虫にしてはまあまあの一生だとも言える。

 
フタスジモンカゲロウ(インタネットより)

 蝉でも例えばアブラゼミは成虫になって1月くらいで命が尽きるが、その前の6年間を幼虫の時期として土中で過ごすから、昆虫としてはかなり長い一生である。アメリカには17年間も幼虫期を過ごす蝉がいる。

 人間は成人してから生きる時間が長いから、それを基準にすると昆虫などの幼虫期は人の目に触れにくいこともあって、どうしても成虫になってからを見るから、昆虫の命は短いように思える。しかし生物は動物も植物も、言わば子孫を残すことを最大最終の目的にしているようなものだから、成熟して生殖が終わると命も終えるのも当然の自然の摂理だとも言える。竹などは60年も生きても、花が咲き実を結ぶと枯れてしまう。昆虫でなくても鮭なども、生まれた川を下って海に行き、何年も回遊してやがて生まれ故郷の川に戻り、生殖が終わると雄も雌も死んでしまう。これも考えようによってははかないことなのだろうが、そもそもそのように思う人間や高等な哺乳類は、生殖時期が終わっても長く生き永らえ、生殖、繁殖ということから見れば生物としては変わった存在なのだ。とりわけ成熟後は決まった繁殖時期がなくいつでも生殖可能な時期が長い人間はそうだ。しかも人間は文明の進歩によってどんどん寿命が延びてきている。これも他の生物とは違っている点だろう。かつては寿命は天命だった。それがとっくに生殖能力を失うか、ほとんどなくした老人がどんどん増え、しかも元気で、もはや「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる」と詠嘆することも少なくなり、命のはかなさを蜉蝣に譬えることもなくなってしまったようだ。

身勝手な動機

2008-07-27 08:47:05 | 身辺雑記
 またもや通り魔殺人事件である。東京都八王子市の京王線京王八王子駅の駅ビル内の書店で、アルバイトの女子学生が男に包丁で刺されて死亡し、他にも女性が1人負傷した。

 間もなく逮捕された犯人は33歳の会社員の男で、調べに対して「仕事がうまくいかず、親が相談に乗ってくれなかった。無差別で人を殺そうと思って、文化包丁を買って書店に行った」と供述したようだ。また仕事関係で2、3日前からむしゃくしゃしていたと言い、「大きな事件を起こせば自分の名前がマスコミに出ると思った」とも言っているようだ。33歳にもなって親に相談したが乗ってくれなかった(親は相談はなかったと言っているようだが)ということから、大きな事件を起こせばマスコミに取り上げられるだろうという、その身勝手さ、理不尽さ、短絡的な考え方、幼稚さには呆れてしまう。明らかに人格的に欠陥がある。

 秋葉原など最近の通り魔事件にも触発されたようで「包丁なら簡単に殺せると思ったとも供述しているようで、当日は視界に入り、目にとまった人を刺したらしい。被害者の女子学生は、自分の身に何が起こったのかも分からぬままに死んだと思われ、まったく不運と言う他はなく、哀れさに胸が詰まる思いがする。

 なぜこのように見も知らぬ他人を、仕事がうまくいっていなかった、むしゃくしゃしていたという理由だけで、あらかじめ凶器を買ったりして計画的に殺せるのだろうか。しかもこのような者達の凶行の対象になるのは、多くは女性や無防備な人達だ。決して強そうに見えるものを正面から襲うことはあるまい。少年などの家庭内暴力がしばしば母親に向けられるように、所詮は弱い人間が自分よりも弱いと思われる相手に暴力を行使するのだ。

 このような事件が多発するのは、やはり今の社会には何か病んだ部分があるからなのだろうか。このような理性の働かない幼稚な人間を生み出す何かがあるのだろうか。そう思うと、街中でもどこでも、いつ自分がこのような凶行の犠牲者にならないとも限らないと疑心暗鬼が生じてしまう。ホームに立っていた人が少年に突き飛ばされて線路上に落ち、轢死した事件があったが、その後は電車を待ってホームの端に立っている時でも、周囲を見回したり一歩下がったりすることが多くなったりする。我ながら面白くないことだが、こんな世の中だから仕方がないとも思う。

 このような理不尽な事件があった後で、またしても34歳の男がインタネットの掲示板に大阪府池田市にある阪急池田駅の駅前で無差別に大量雑人をするという書き込みをして逮捕された。男は私と同じ市に住んでいる自称会社員だ。「この駅は嫌な思い出ばかり。全員死んだほうがいい」と書いたらしい。逮捕されて「イライラしたからやった」と容疑を認めていると言う。

 甲府市では37歳の調理士の男が女性をナイフ刺して逮捕された。幸い女性は軽症だったが、男は「むしゃくしゃしていた」「誰でもいいから切りつけ、憂さを晴らしたかった」と、これも身勝手なことを言っているそうだ。イライラしている、むしゃくしゃしたのなら殺人も許されると思っているのか、まったく世にバカモノの種は尽きずということだ。

 この3件の犯行に関わったのはどれも30代の男性である。このことだけでは単なる憶測に過ぎないが、この世代の男性には何か個人的に問題を抱え、社会的に未成熟な者が多いのか、それとも仕事にも精神的にも行き詰まり不安定になることが多い年代なのだろうか。

                   
 

活きる気迫

2008-07-26 09:58:40 | 身辺雑記
 少し前の新聞に、福井県鯖江市に住むKさんと言う37歳の女性が、大阪天満にある「天満天神繁昌亭」という寄席に通って落語を学んでいるという記事があった。Kさんは広告会社に勤めていた昨年の春、腹部に激痛を覚え、今年の6月には名古屋市の大学病院で十二指腸癌と診断され、余命は1年未満と告知された。

 告知された直後は、当然のことだろうが何も手につかなくなり、食事もとれず体重は20キロ減った。通院以外は自宅に引きこもっていた時に新聞で、繁昌亭が落語家入門講座を開いていることを知り、「何かあるかもしれない」と思って、4月に繁昌亭の説明会に参加した。客席に座ったときに、人間国宝の桂米朝師匠が書いた額入りの「楽」の文字が目に入り、なぜか涙がこぼれたと言う。そして「楽しいことは楽、楽なことは楽しい」と気づくと心が軽くなった。説明会の後、初めて生の落語を聞いて笑い転げて元気をもらった気がしたそうだ。それからは自宅から電車を乗り継いで3時間の道のりを繁昌亭まで通って落語を学んでいる。 

 診断、告知から1年を過ぎ、体調が悪くて講座を休まなければならない日はあっても、Kさんの前向きな姿勢と意欲は変わらないようで、「落語を知って、自分の中で何かが変わってきた。何とか1席やり遂げられたら」と語ったと言う。

 新聞の記事にはKさんが稽古をしている写真もあったが、明らかにかなり病が進行していることが分かるような痩せた顔をしていて痛々しい。その写真を見ていると涙を催した。おそらくは回復することはないであろうし、果たして1席演じるという願いが叶えられるのかどうかも分からない。それは何よりもKさん自身がよく知っていることだろう。だが、彼女は生きることに執着しているのではなく、残された日々を目標を持って心楽しく活きようとしているのだと思う。その強靭な精神力には強い感動を覚え、活きるということの意味を学んだような思いがした。
 
                      

日本人の要求

2008-07-25 09:09:57 | 中国のこと
 西安の李真(リ・チェン)は国営企業の西安中国国際旅行社で働いている。仕事は日本の旅行社からの請求に応じてツアーの経費の見積もりをしたり、ツアーを受けるとガイドやホテル、レストラン、車や列車などの手配をする。ツアーを迎えたらトラブルなどの対応もする。なかなか苦労の多い仕事らしい。これまでにいろいろ話を聞いてきたが、日本の旅行社の頭ごなしの態度や、添乗員の鼻持ちならない横柄さ、ままあるツアー客のわがままや無礼で下品な態度のことなどを聞くと、日本人として恥ずかしく思うことも少なくなかった。

 先日彼女はチャットしている時に「日本人はとても細かいですね」と言った。ある日本の旅行社の支社が組んだツアーの手配について、メールのやり取りをしていて感じたことのようだった。その内容を羅列してみると、
 
・レストランで日本の歌のカラオケを歌いたい。中国で売っている日本の曲のDVDにある曲名を知りたい(調べて送った)。
・各ホテルの変圧器を使って充電したい。コンセントが使えるかどうか知りたい。変圧器のコンセントのタイプも知りたい(写真を撮って送った)。
・団長は鳥を食べないから、全聚徳(北京ダックで有名な店)のメニュー以外に団長のためのメニューも事前に知らせてほしい。
・上海空港に到着した時に出迎えのガイドと順調に出会えるかどうか心配だから、空港内の地図を送ってほしい。

 他にもまだあるのだろうが、私もあまりの細かさに呆れてしまった。おそらく中国は初めての客なのだろうが、どんな客なのかと李真に尋ねたら「お金持ちだそうです」と言ったのでおかしかった。上記の要求についていちいちコメントはしないが、お金持ちかどうかはいざ知らず、自分で調べたら分かるか、旅行社が調べたら解決することだ。団長用の別メニューの事前準備など、何様かと言いたくもなる。私も個人で何回も中国に行き、現地の旅行社の友人に世話をしてもらったことがあるが、こんな細かいことなど要求したことはない。李真の相手の日本の旅行社は情報が乏しいのか、客に気を使い過ぎているのか、李真が日本人はとても細かいと思うのも無理はない。どうもこういうことについては、欧米人のツアー客の方がおおらかさがあるようだ。

 出発前からこんなことでは、ツアーが始まったらきっとトラブルを起こすぞと言ったら、李真は「怖いね」と言った。実際トラブルがあると、それは自然現象が原因であれ、人為的な問題が原因であれ、ツアー客個人の問題が原因であれ、処理するのは李真たち中国の旅行社の担当者で、そのためには真夜中近くまで会社に残って連絡を取り合うこともある。ツアーが終わるまで気が抜けない。

 いろいろな旅行社が企画し募集している中国へのツアーはとても安いが、そのようなツアーの裏では、時には過剰とも思えるような日本の旅行社の要求に耐えて仕事をしている李真のような中国人の担当者達がいることを少しくらいは知っておいた方がいいと思う。それが仕事ではないかと言ってしまえばそれまでだが。

                      



命を救われたイルカ

2008-07-24 07:37:34 | 身辺雑記
 今年の2月に宮崎県延岡市沖に設置されていた定置網に入っていたイルカの子どもが保護されて大分市の水族館に運ばれた。

 このイルカはハセイルカという私は初めて知ったイルカだが、生後1年くらいの雌で、水族館の水槽に移されたときには瀕死の状態で、浮くこともできないで、そのまま沈んでしまうくらいに衰弱していたと言う。

 イルカは鯨の仲間の哺乳類で肺呼吸をするから、水中に沈んでしまっては溺れ死んでしまう。そこで水族館の15人のスタッフ達が2日間交代で水槽の中で寝ずの番でイルカを支え続けた。スタッフの1人は「手を離せばこの子は死んじゃう、自分が命を預かっているんだ、と思いながら一生懸命でした」と話したと言う。 

 殺伐とした話が多い近頃だが、この話を読んで心温まる思いがした。簡単に寝ずの番とは言うが、水の中でのスタッフ達の作業は大変なことだっただろうと想像する。手当てを始めて3日目からは板状の発泡スチロールと浮きを組み合わせた特製のライフジャケットを作って着せて水に浮く練習をさせ、約10日たってから自力で泳ぎ、餌も摂るようになった。今では一般公開されて元気に泳ぐ姿を見せていると言う。

 ハセイルカは外洋性のイルカでマイルカとはよく似ていて、かつてはマイルカの変種とされていたが今では独立した種とされ、イルカ類の中ではもっとも個体数が多く、外洋では頻繁に見られるそうだ。よくテレビ番組で群を成して飛ぶように泳いでいるイルカはこのハセイルカなのかも知れない。しかし外洋性だけに水族館で見られることは珍しく、大分の水族館での飼育は世界で3例目だと言う。それだけにこの貴重な子どもイルカはこれからこの水族館の人気者になることだろう。このひとつの幼い命を救ったスタッフ達の献身的な努力も来館者にぜひ伝えてほしいと思う。

            

虐待

2008-07-23 08:29:43 | 身辺雑記
 道路わきに女性が1人しゃがんでいて、そばに3歳くらいの可愛い男の子が立っていた。母親であろう。どうやら子どもを叱っているようだった。子どもはべそをかいていたが、すぐに表情を戻して少し母親に身を寄せた。すると母親は小さいがきつい口調で何か言うと、その子を突き飛ばした。子どもはよろめいてまたべそをかいた。それを横目に見ながら通り過ぎたが、母親は相変わらずくどくどと叱りつけていた。何を言っているのかは分からなかったが、いらついていて自分が制御できない感じで、耳にしているだけでこちらの気分が波立つようだった。

 街や電車の中で母と幼児が連れだった姿をよく見かける。多くの母親は優しそうな感じで、子どもの顔も穏やかで可愛いが、中には温かさがまったく感じられない母親もいて、子どもにはほとんど無関心な様子である。そのせいか子どもにも生きいきした明るさがない。そういう母と子の様子を見ると、日常どのように子どもに接しているのだろうかと考えてしまう。中には体罰を加えるものもいるかも知れないとも思うと暗い気分になる。

 母親は父親と違って産みの苦しみを経験するから、わが子に対する愛情は本能のように持っているのだろうと思うのだが必ずしもそうではないらしい。とりわけ最近ではわが子を虐待したり、はなはだしい場合には死なせる例も少なからず聞くようになった。獣にも劣る母親が出てきているわけだ。中でも不愉快なのは、幼児を連れた母親が年下の若い男と一緒になって、男が「しつけ」と称してわが子を虐待するのを止めることをせず、時には一緒になって虐待に走ることだ。男の言う「しつけ」にも怒りを覚えるが、そんな低劣な男のなすがままになっている母親も惨めきわまるもので、誰かが言っていたが、母親を捨てて女になると始末に悪いということも頷ける。

 07年度に全国の児童相談所が対応した児童(18歳以下)虐待件数は4万を超したという。虐待の内訳は、身体的虐待、育児放棄(ネグレクト)、心理的虐待、性的虐待の4種類で、年々増加しているという。厚生労働省は虐待そのものが増えているほかに、虐待に対する社会的関心が高まっているためと見ているそうだが、最近の各家庭相互のコミュニケーションが乏しくなっている住宅事情もあって、まだまだ密室的に虐待が行われているのではないだろうかとも思う。

 最初に挙げた道路わきにいた母親の場合には、虐待をしているという証拠は何もないが、おそらく自分の感情を制御できない性格に育ったのではないだろうかと想像した。わめいたり叩いたりするほかに感情を抑えるすべを知らないのではないか。それでもわが子に対してごく普通の母親としての感情があればいいが、それさえもなければ日常的に虐待に走ってしまうのだろう。もちろん児童虐待は母親だけに限らず、父親もする。だが男に母親の母性本能のようなを求めるのは無理ではないか。もちろん虐待は決して許されることではないが、その点では男は女には劣る存在だ。男には分からないが、母親にとってわが子というものはわが身の分身として、この上なく愛しい存在ではないのだろうか。それだけに、わが子を虐待する母親の心の奥を想像すると暗然とした気持ちになる。


                      


ダイエット

2008-07-22 10:08:41 | 身辺雑記
 いつも油を売りに行っている店の経営者のI君はこのところダイエットに熱中している。いつ店を訪れても、店の隅の机に向かってノートに書き込んでいる。毎日毎食自分が食べた食品のカロリー計算をしているのだそうだ。

 I君はダイエットしているのではない、カロリーを計算しているのですと言うのだが、よく聞いてみると、ダイエットの意味もあることは認めた。その日に摂取した総カロリー数を見て1日の必要摂取カロリー数にどれだけ近づいているかを知るのだそうだ。彼の場合は1700か2400カロリーが目安だとか。特に夕食までに摂ったカロリー数に重きを置いているらしい。彼は夕食のときにビールをたくさん飲むようだ。ビールはカロリー数が高いぞと言うと、実はそのビールのカロリー数分を空けておくためにどれくらい食べたかを見ておくのですと言うからおかしかった。いっそのことビールの量を減らせばいいのにと思うが、それは彼には無理なことなのだろう。それでも朝昼のカロリー数に夕食の分も加えて、ビールの分がなくなることもあるだろう。だからと言って酒好きの彼が飲むのを慎むとは思われない。そういうときには、以前から買ってある健康器具で運動するのだそうだ。ちょっとは痩せたでしょうと腹をさすりながら聞くから、大して痩せたとは思えなかったが、そうだな、ちょっとスマートになったかなと言ったら満足そうな顔をした。

 それにしても大した執念である。携帯できる小さい台秤まで買って、食べる前に重さを量る。コーヒーでも飲む前の重さを量り、飲み終わったら容器の重さを量ってそれを差し引き、インタネットで検索した食品のカロリー表にあるコーヒーのカロリーから、摂取したカロリー数を割り出ノートに記入する。それを摂取したものすべてについてするのだから恐れ入る。朝食を外で食べたときにもその秤で食べたものの重さを記録しておき、後でカロリー数を調べたそうだ。中にはもうインタネットで調べなくても暗記しているものもあるようで、夜寝る前に空腹になり、インスタントラーメンでも食べようか、いやいや330カロリーもあるから止めておこうなどということもあるそうだから、その限りでは悪くはないことだ。醤油でも何でも使ったものは調べ摘録するからその手間は大変らしい。チューイングガムでも7カロリーもあるのですよと言う。まるで栄養士だ。

 好きなビール分を確保するのが主な目的にせよ、その結果としてダイエットもできるのなら結構なことかも知れないが、ものぐさで長続きしない私にはとても真似ができないことだ。それに負け惜しみのようだが、どうも何だか味気ないような気もする。不摂生と言われるだろうが、やはり食べたいものを食べたいときに適当に食べる方がストレスが溜まらないように思う。久しぶりに友人などとレストランで食事をするときにも、レタスを1枚齧ったりスープを1匙啜ったりするたびに、これは何カロリーカなどと思うのでは料理の味を楽しむこともできない。

 I君の店に行くと彼はたいてい机に向かって記録をとっている。商売そっちのけのようなその姿は何かしら可愛らしいオジサンのようで、ついおかしくなってしまう。時々店に行くなり、昨日は夕食までに400しか摂りませんでしたよなどと嬉しそうに報告されることもある。さぞ安心して大いにビールを飲んだのだろう。本人は面倒な計算も苦にないようで大真面目なのだが、いつまで続くのだろう。