田中良平 切り絵・切り紙制作所

Ryohei Tanaka`s Killer Cuts&Killing Shapes

無用問答(ムヨウモンドウ)

2021-05-31 21:31:29 | つぶやき
さて、今日は何の話を書きましょうかね。
毎日、書くことなんか、無くはないんですよね。
あるんですよ。何かは。
でも、書きたくないんですよね。
めんどくさくて。
書かなきゃいいんですけどね。
でも、ほら、コレ、アレでしょ。
だから、その、そうなんですよ。
わからないと思いますが、まぁ、そういう事ですよ。
テーマがあったりしますよね。
「春」とか、「休日の過ごし方」とか、「うちのペット」とか。
あがらないですよね。執筆意欲。
思ってることしか、書けないし。
こんなとこで嘘ついてもせうがないし。
よしんば、嘘ついてもすぐバレるし。下手だし。
だったら、抽象的で意味不明な単語の羅列の方が愉しいし。
考えていることはあるんですよ。
それをまとめるのが大変。
ぐちゃぐちゃだから。
方向性はあっても。
そういうものを、とりあえず形にしておこうと考えてのこのブログでもあるんですけどね。
それにしたって、文章を書くのって難しい。
このブログ、TwitterやFacebookにもリンクさせてるので読んでくれている人もいるようで、うれしいものですな、「いいね」ってされるのは。ありがとうございます、ほんと。
励みになりますよ。気にもなるけどね。
反応を気にせず書き始めたものではあるが、どうなんでしょう。
あからさまに変な文章。
文章ですらない、先ほど述べた抽象的で意味不明な単語の羅列など。
一人称の統一がないしね。
私はたのしいんですけどね。
頭おかしげじゃないですか。
だから、どうなのかな~って。(上目使い)
読んでいる人は知り合いだったり、トモダチだったりが多いとは思うんですよ。
んで、その人たちは私のことを多少なりとも知っているから、「あぁ、あのバカが、またバカなこと書いているな。バカだなー(笑)」となってくれているのは想像がつくんですよ。
違うかもだけど。
ここで、心の声。(ずっとだろう、それは)
何を気にしているんだ、貴様。わかっているだろう、ほとんどみんな「どうでもいい」と思っている。実際、どうでもいいことばかり書いているからな。それを望んでいるのも貴様自身だろう!
いや、そうなんだけどね。笑ったりしてくれてるのかなーって。笑ったり、感心したりしてくれてるのかなーって。
感心!貴様、恥ずかしい奴だな。感心させようとしているのか。どうかしているな。しているのか。
いや、だって、ホラ、私「アーティスト」ですし。他人が自分をどういう風に見てるか、見えているのかって気になっちゃうんですよ。
「アーティスト」関係なしに、気にするヤツは気にするだろう。頭よく思われたいとか、オモシロイ人だと思われたいとか考えるのも普通だ。
だけども、他人が自分をどういう風に見てるかなんてそれはホント分かりようがないな。
分かったところで、事実か確かめようがない。しかも、気分で変わる。他人も自分も。
そして、分かったところで貴様は何も変わらないだろう?変えるつもりもないだろう。
そんなものだろう。でも、やるんだろ。
あ、ま、そうなんですけどね。
いつもどおりですな。
こんなものですな。
ああ、なるほど。なるほど。
そんでは、また明日。
グナイ。


マンガちょっと汚いい話

2021-05-30 21:32:21 | つぶやき
「あまめはぎ」という妖怪がいる。
水木しげるのマンガや、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」で知ったそいつはコマ妖怪。
身体にキノコを生やしていてそれがコマになる。おもちゃのね。
で、確かそのコマで鬼太郎と戦ったりする。
そこはそれで奇妙なのだが、まぁ別に。
でも、こいつの特性として「足の裏の皮を食べる」という説明がある。
それが妙に印象に残った。
小学生の頃にその情報を頭に入れた私は以来、風呂に入った後などに柔らかくなった足の皮の角質をナイフで削ったり、爪ではがしたりする度に「あまめはぎがいたらこれあげるのになー。」と思いながら新聞紙の上にたまった皮を捨てていた。

近所を歩きまわる猫にカメラをつけてその視点を楽しむといった道具を出すドラえもんの話があった。塀の上を歩く猫はのび太の友達の家の窓を覗き、それぞれのちょっとした秘密を見てまわる。見られた友達の中に、ジャイアンでもスネ夫でもしずかでもないのがいて、そいつが「ひそかにためたハナクソが、こんなボールになった。」と、机にハンドボールくらいのハナクソの塊を置いていた。これが、印象に残った。正直にいうが、真似して、やった。そして無理だった。全然たまらない。カラカラのカピカピになる。1センチにもならないうちに捨てた。
藤子不二雄はわりと汚いネタも持ってくる。
「クセなおしガス」だったか、のび太もハナクソをほじっていてボーリングの玉ほどの大きさのハナクソを出してしまう話があって「あんなハナクソを出すというのはどんな気分だろう」と
少し羨ましかった。そしてあのハナクソに貼られていたスクリーントーンは印象的だ。

ドラえもんを語りだすと長いので、あまり踏み込まないが思い出としてかなり印象に残る話が多い。

いやー、マンガってほんとーにいいもんですね。

って、今日は印象に残った汚い話しかしていない。

娘6歳が昨日、今日とネフリで延々「斉木楠雄のさい難」(字の変換が出来ない)を観ている。
「ヒロアカ」にしろ、「鬼滅」にしろ、「呪術」にしろアンテナの感度が鈍っている私は、姪や甥などにマンガを貸してもらったり、情報を流してもらわなければ、ちゃんと読んだり、視聴したりすることはなかったと思う。そして、本当にありがとう。チョー楽しい。面白いマンガって最高だよな!で、娘の観ているものもそうで、彼女がいなかったら「プリキュア」の素晴らしさに開眼することはなかっただろうし、一定のYouTubeの存在を確認することもなかっただろう。
実のところ「プリキュア」の魅力は娘が生まれる前から薄々感じていた。凄いヒキがありそうなので、近寄らないようにしていたのだ。YouTubeで変身シーンの総集編観てズブりといった。「斉木楠雄」も存在は知っていたが、チャンスが無ければまず通らない道の一つだったが、娘が見始めたので、一緒に観たら結構笑えた。奇面組を思い出した。主に名前に。



怪獣大百科の思い出

2021-05-29 22:09:46 | つぶやき
幼稚園の頃は怪獣博士になりたいと思っていた。
ケイブンシャの怪獣大百科が好きでよく見ていた。
文庫本くらいの大きさで百科だから分厚い。
怪獣大百科と呼んでいたが、正しくは怪獣・怪人大百科だ。
ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊ものなど、主に子供向け特撮番組に出てくる怪獣、怪人、キャラクターの名前と写真と説明が沢山載っている。
怪獣・怪人の本なので番組名はあれどヒーローの解説などはほぼない。
私は自動車や電車などにまるで興味のない子供だったが、この本が好きだった。
男の子は図鑑が好きみたいに言われるがそういう事なのかもしれない。
異形のモノたちがズラリ、みっしり並んでるのがいい。
しかし、今振り返って考えるといったい私はあの本の何を見ていたのだろう。
かなり、いろいろな情報を取り込んでいた感じはある。
私はどちらかというと怪人が好きだった。
怪獣もいいが、デンジマン、サンバルカンあたりの怪人がお気に入りだ。
ネーミングにもシステムがあるということを学んでいた気がする。
サンバルカンの毎週変わる怪人の名前は「~モンガー」で統一されていた。
第一話に登場するのは「ジムシモンガー」だ。
今、普通にその情報が頭から出てきた。
ネットで確かめた。そうだった。
記憶というのはそういうものなんだと思った。
「ジムシ」ってなんだ。調べたら、コガネムシの幼虫だって。
そんなポピュラーなものなのか。ジムシという呼び名は。
新番組、初回の悪役に命名されるほどの。
不思議なチョイスだと思う。
だが、しっかりそのビジュアルと名前は刷り込まれていたから、結果オーライなのだろう。
そうやって知識は増える。
多分、私が怪獣・怪人大百科から吸収したのはそういうところなんだろうな。
そのビジュアルと名前に付随した意味。
そこに面白さを感じていたような気がする。
とんちの答えのような造形。
モンガーたちは「機械生命体」といわれるバケモノなのだが、基本的になんでもありだ。
例えば「トビバコモンガー」というのがいる。なんじゃそら。
跳び箱から手足が出ている姿なのだが、なんか機械チックなもの。パイプやらなにやらがついていて理由はどうあれ、なんかカッコイイのだ。
そして、思うのだ。幼稚園の私は。
機械っぽく、かっこよく見せるにはパイプとかつければいいのか。
学ぶとかってきっと、そういうことなんだと思うんだよね。
そういうところが面白いんだよね。
そういうところを面白がっている私をある程度放っておいてくれた親にも感謝だよね。
まぁ、こんなんなっちゃったけど、楽しいからいいっしょ、お父さん、お母さん。
怪獣・怪人の身長、体重の情報もあった。その数字にはあまり興味なかったが、そういう数字を入れるとそれっぽくなるということは理解した。
そんなこども。
そして、いまでもそんな。
そんなおとな。
見るものが違っても取り入れ方が同じ。
なんなんだろうね。
ブログを少し続けてみて、書いて、振り返るとそんな発見多いな。
わかっていたことを改めて確認。
さすが人生、後半戦。
ずっと似たようなことをし続けている自分。
出来ている自分。
ラッキーだよな。
これはクリエイターあるあるか。



Crazy Lazy

2021-05-28 22:52:47 | つぶやき
飛び込めドボンと。
短いズボンのジェームス・ボンド。
深く考えないで、浅く生きて、しまった。
しまった、間違えてしまった。来てしまった。
着てしまった。恥ずかしいお洋服。
脱いでしまった。さらに恥ずかしい素っ裸。
そうそう、なだ。
こんなのヤダ。
やだ、そうそう。
晴れわたる日も、雨の日も。
また、その言い回し。
お相撲さんのいいまわし。
がっぷり四つが大好きです。
あんこ型。あんころ餅。あんころもちん。
あーん、その心持ち。
気持ち、ちょっといい加減。その匙加減。いい湯加減。
加減乗除の奇妙な冒険。算数ドリルで穴開けろ。
またまた、やらせていただきました。
たまたま、寄らせていただきました。
そんな、言葉があるんカイ・シデン。
ダジャレばかり。繋げているだけ、それだけ。
考えの無い、あそび。
もっと、白い壁。
茶色いテーブル。
想起されるイメージ。
思ったよりでかいダメージ。
愛のないコラージュ。
たんす、ダンス、ザンす。
ああ、キレがない。
ああ、布が無ければ服が作れない。
いらないでしょ。
だって王様は裸。
イやん、バカン、はだかン。
馬鹿な言葉借り、仮、狩り。


マーカー考

2021-05-27 21:55:44 | つぶやき
マーカーで絵を描くのが好きだ。
フェルトの先っちょのペンだ。
有名なのはゼブラのマッキーだ。
どこにでも書ける油性のマーカーペンはマジックだ。
実家では油性マーカー全般のことをマジックと言ったりするぞ。
丸芯だったり、角芯だったりして太さも違うぞ。
斜めになっていて彫刻刀でいうところの切出し刀の厚めのやつみたいなのもあるぞ。
あのズバッと描けるところが好きだ。
あのズバッと描かなければ滲んでしまうところも魅力だ。
だから、今のところコピックのような重ね塗りして色を混ぜていくような使い方はしていない。
それは苦手だ。
俺の中にあるマーカーの後戻り出来ない感、そこから抽出されるある種の潔さからは離れてしまう。
油性マーカーを使うとき躊躇するとインクがジワリと紙に沁みる。
それを効果として使うならよし。味としてプレゼンできればよし。
だが、着地点の見えないまま停止すると染みがどんどん広がり、迷った痕跡として残る。
狙っていないのなら、それは失敗だ。
油性マーカーで迷いなく描くのは「書」に近い。
筆を墨につけて書くのに近い。
一筆入魂の感がある。
だから、ブレンダーに隔たりを感じるのかもしれない。
二度書きだから。
色は線でつけたい。
塗るときもあるけど。
筆で描くのは、それはそれでまた全然違う競技みたいなものだから、並べるのもおかしな話だが、マーカーはその速乾性が利点だ。
あと先の硬さ。筆は柔らかい。かなり違う。
江戸時代の絵師たちがマーカーを手にしていたらどう描くだろうかと夢想。
北斎のマーカー画が見たい。
筆を使って書いていた古の絵師たちの、その下書きの無い絵に憧れる。
もちろん下書きをする場合もあるのだが、字を覚えるように描き順を覚え、膨大な練習の末、
とめ、はね、はらい、等のバリエーションをインストールし、使い、応用して、いわゆるなぞり書きの下書きを必要としない、線でなんでも描けるようにしてしまう、そのスタイルに憧れがある。そういうマーカー画が描きたい。
絵を描くタイプのアーティストとしてはサボりすぎているので、大したところには到達できないのは知っているが、自分で「まぁ、がんばって描いたな」と思えるくらいのものは少し見てみたい気もする。
もちろんインクが枯れてきて、かすれていく様も好きだ。

と、ここまで書いたところで精神電池が切れた。

100円ショップで売っている、有名ブランド以外のマーカーの良さや、
匂いのこと、そして紙用マッキーの驚きと、プロッキーのこと。
何故マーカーが好きかというのを紐解くと、結局めんどくさいからという、
自分という作家を分析するきっかけにもなる。(切り絵もそう)

ハッ!

自分という作家は「めんどくさい」という気持ちなしでは生まれてこなかったという発見を、
今さっきしたぞ。あ、すごい。めんどくさいの肯定が出来た。わかっていたことを大悟した。
めんどくさいでいいんだ。めんどくさかったから今こうで、それはそれでいいんだ。
グリーンヒルというマンガにある「人生最大にして、最強の敵「めんどくさい」に打ち勝って、
立派な大人になりたいなぁ~」というセリフ、まったくもってそうなのだが、こういう打ち勝ち方もあるんだ。立派な大人かどうかは知らん。だが、よし。グッドだ。
イッセー尾形と堀内誠一のマーカー画についても触れたいが、疲れた。
寝るぞ。
おやすみ。


所信表明

2021-05-26 22:06:18 | つぶやき
いつもどおりを夢見つつ、曖昧なまま、なあなあで進み、テキトーにやって、いい感じに仕上げ、なんとなく、なんとかし、どうでもいい、わけでもないが、なるようにしかならないことを理解しつつ、愛とその他を忘れずに、これからも、どうにかやり過ごす、通り抜ける、すり抜けていく、所存であります。

今日は書く気が起こらないので去年記した所信表明をもってお茶を濁す。

妖怪切り絵似顔裏話

2021-05-25 21:58:44 | つぶやき
ワシは「妖怪切り絵似顔」という、変な似顔絵屋をやっている。
お客さんに妖怪の名前がずらりと並んだ「妖怪メニュー」の中から好きな妖怪を選んでいただいて、顔が似顔で、身体が妖怪になるのを切り絵でつくる。
例えば「ろくろ首」を選べば顔は似顔で首がにょろにょろと長い似顔を切り絵で制作する。
名刺大で5分くらいで出来上がる。「河童(かっぱ)」を選べば、頭に皿をのっけた似顔で手には水かきがついているという具合だ。

メニューには30種類くらいの妖怪が記載されている。
個人的にはそこそこ有名なのをのっけているつもりなのだが、このチョイスも難しい。
アンケートをとったわけでもないのだが、
日本人であれば「鬼」「河童」「天狗」は知っているだろう。

この三つは誰でも知っていると言ってもいいと思う。
どんな姿かも想像できる人も多い気がする。
ただ、ワシの似顔は鼻を省略するのでメニューは「カラス天狗」にしてある。
(リクエストがあれば鼻が高い天狗も切ります)
ろくろ首とのっぺらぼう(これこそ似顔のメニューにはないが)も次にくるくらい有名だと思う。
化け猫(猫又)や、狐もかわいくなりやすいので人気だ。

さて、この次あたりから知名度があやしくなってくる。
マンガ「ゲゲゲの鬼太郎」のおかげで、いわゆる「鬼太郎ファミリー」としてぬりかべ、一反木綿、子泣き爺、砂かけ婆が有名になった。
砂かけ婆のビジュアルというのは似顔絵に使いにくい。
和服を着ている人ってだけになっちゃうのだ。そして切り絵で砂の表現はハードルが高い。
時間的に余裕がないと厳しい。なのでメニューから抜いてある。ほぼ、同様の理由で「雪女」もアウト。しかし、座敷童(ざしきわらし)は入っているという一貫性の無さw。
座敷童は神さまみたいなモノっていう説明がしやすいし、こどものオバケなので可愛くできる。
客商売なので「かわいい」というのは大事なのだ。
ぬりかべと一反木綿は水木しげるの用意した絵面がキャッチーなので、知っている人が多い。
ただ、以前普通に一反木綿を知らないという人に会ったことがあって、けっこう驚いた。

近年ぬりかべには犬のような造形のイメージがあるが、「自分は妖怪が好き」という気持ちを少しでも持っていないと知らないレベルだと思う。一般に浸透しているのはやはり水木の、そしてアニメ鬼太郎のイメージだと思う。木綿もぬりかべもその感じで切り絵似顔をやっていて、顔ハメパネルみたいなオモシロイ仕上がりになるので人気のメニューだ。
蓑を着ていて、杖を持ち、金太郎の前掛けをしている子泣き爺も同じ流れで意外とよくオーダーされる。「油すまし」というのがいて、アニメにも出てくるのだが説明が面倒くさい(知らないからお客さんにどんな妖怪か聞かれる)上に子泣きと恰好がかぶるのでメニューから外された。

メニューの中で個人的に切ってて楽しいのが「豆腐小僧」で豆腐をお盆に乗せている小僧というオバケで映画にもなったのだが、かなり知られていない。何にもしない妖怪という説明もウケるのでメニューからなくならない。

そろそろ、眠くなってきた。
続きはまた。
おやすみなさい。









オマケ意識

2021-05-24 22:50:43 | つぶやき
ハンカチとマスクをしまっている棚がある。
出かける際ハンカチを取ろうと思って、マスクの引き出しを開けちゃう。
そのままマスクをしてハンカチを忘れるという事を繰り返している。
そんな失敗の話を書こうと思い続けては忘れていたのだが、やっと書いた。
ビタミン剤を飲もうと立ち、冷蔵庫を開けてしまう。違う。
ビタミンが入っているのはその横の棚だ。
オートパイロットにしておくとすぐ冷蔵庫に着地してしまう。

もともとボケナスなのだが、短期記憶が弱くなってきている。
考えや、覚えておこうと思ったことを繋ぎとめておくグリップが緩い。
人の話を集中して聞くという事をするために意識を集中させなければならなくなってきた。
周りがどう思っているかは知らないが、以前はへらへらしていても一応話の中身は入っていた。
今はへらへらしているだけなのかもしれない。

最近、毎日ブログを書いている。
続けると文章に変化があらわれる。
単語の羅列から、言葉遊びになり、ここ何日かは文章っぽくなってきた。
このままいくと、そのうち小説なったりするのだろうか。

働いている小学校の壁に貼ってあった2年生作のなぞなぞ。
「木は木でもやさしくてべんきょうがとくいな人ってだれだ」
くらくらする。
答えはなぞなぞ係に聞かなければわからないのだが、なぞなぞ係が誰だかわからない。

学習目標「国語の漢字をがんばりたいです」
と書いている児童の生活目標「体み時間の間に次のじゅんびをする」
そうだな。漢字がんばれ。

ワシは公立の小・中学校で学習支援員や介助員として10年以上働いているのだが、
教員免許を持っているわけでもないので、基本自分のことはオマケだと思っている。
学校にいる大人のうちメインはやっぱり先生だからな。お客は、こども。
先生というお菓子がおいしくて完成されていればそれでいい。
まぁでも、オマケは無いよりはあった方がいいし、
オマケは楽しいものが多いのでオマケの方が好きって連中もいると思う。
それくらいの意識で漂っている。









妖怪が繋ぐ縁

2021-05-23 22:30:37 | つぶやき
ワシは結婚しているのだが、妻も妖怪が好きだ。
たまに「奥さんとはどういうきっかけで知り合ったんですか。」みたいな質問を受けることがある。
妻はミュージシャンで、以前は妖怪をテーマにした歌をうたったりするユニットとして活動していた。
高円寺にある妖怪専門店「大怪店」の店長、高☆梵が企画したイベントに出演したことがあって、妻のユニットが演奏し、隣でオイラが切り絵を披露するというステージをやった。
確かそんな時くらいから知り合ったんじゃないかと思っているので、最初の質問を受けたときには「妖怪のイベントがきっかけで」とか、「妖怪繋がりで」などと答える。
大抵、笑われる。「妖怪ってw」みたいな。で、適当におどろく。
別にいい。笑って欲しいとこでもあるし。
それが普通のようだ。
妖怪好きの人たちだったら、それこそ普通に「へぇ、そうなんだ。」で終わる。
オモシロイ。
しかし、よくよく考えると妻と初めて出会った時のことは覚えていない。
妻の方の記憶もあやふやだ。
お互いまるで、そういう「この人と結婚する」だとか「好みのタイプだ」みたいな意識がなかった。そんなだから、先ほど妖怪好きの人たちのリアクションについて書いたが、きっかけその物「妖怪関係」についてのサプライズは無かったものの、妻とワシを別々に知っている人たちにとってはビックリニュースだった模様。まさか、ソコとソコがくっつくとは。みたいな。
それを伝えたら普段、物静かに話す共通の知人の出す、初めての大きい声を聞いたと、妻は言ってたし。ぬらりひょんも大きな目をひんむいて相当、驚いていた。いい思い出だ。
きっかけといえば、それこそ結婚を機に妻のユニットは解散したのだが、その後かっぱと天狗のいる「妖怪プロジェクト」というバンドからお声がかかり、一緒に仙台の小学校へ演奏しに行ったり、その時はワシも同伴して妖怪切り絵のライブパフォーマンスを披露したり、娘を座敷童に見立てて舞台の上で踊ったりしている。
これも妖怪が繋ぐ縁だ。







妖怪をふりかえる

2021-05-22 23:18:11 | つぶやき
昨日の続き。

妖怪は好きだが、詳しくはないという話なのだが、
知らないわけではない。
知らないわけではないが、詳しくはない。
ただ、世間一般(と、いうものが果たして存在するのかという事に関して最近自分の中でも定かではないのだが)と照らし合わせてみると「詳しい」という括りになってしまうところがもどかしい。なぜなら、どうやら妖怪というジャンル(?)は映画やマンガより認知度が低いようなのだ。
そりゃ、そうだ。
妖怪ってもんが好きという知人が周りにいるのは、自分が好きだと言ったことにより共鳴した波紋が広がって仲間が増えたからだ。みんなが知っているわけではない。
これは、もう、どんなジャンルでも同じことだが。

オイラは幼稚園の頃、いとう君のウチで水木しげるの「世界の妖怪百物語」と「妖怪百物語」を読んで、小3の時に少年マガジン版「ゲゲゲの鬼太郎」を通って、アニメ第三期鬼太郎を毎週楽しみにしていたくらいの妖怪好きだ。大きくなって京極夏彦を読んで、妖怪について考えることにもなった。絵を描いて、切り絵をやったりする中、三期鬼太郎の頃コミックボンボンで連載されていた「最新版ゲゲゲの鬼太郎」の話が出来る人間に初めてあった。(式水下流くん。感動した。)そういうところから、徐々に妖怪好きな友達が増えていった。

なんだ。
妖怪の話しから、人生を語りだしたみたいになってきたぞ。

あるんだよ。妖怪にはそういうところ。いや、マジで。
こういう事が起こってしまう現象そのものに妖怪の名前つけてもいいくらいだよ。

妖怪は抜け出せませんぜ。正味な話。
入り口だらけで、出口なし。
そして別に出なくてもいい。

そして、続く。