つれづれ日記

心と目の記録

昭和記念公園が飛行場だった頃

2016-05-20 15:38:01 | Weblog

国営昭和記念公園の180万本のシャーレーポピー 花の丘

私が学んだパソコン教室のHPの中には10余人のブログが載っています。

その中の「しもうさ悠歩道」さんのブログで、国営昭和記念公園の目の覚めるようなチューリッ

プの花壇や素晴らしい数々の写真を見せていただきました。

うっとりしながらもその光景が、私の心の中で公園になる前の立川飛行場に変わってしまいました。

昭和19年(1944年)戦局が苛烈になり、女学生も勤労動員に召集されました。

3年生は昭和飛行機工業です。,日本の勝利を信じ、お国のためにと飛行機DC-3零戦輸送機を作る仕事をして働いたのです。

私は吉祥寺から立川まで中央線に乗り、立川から青梅線に乗り換えました。

当時は右に立川飛行場を見て4つ目が昭和前駅で飛行機工場の正門です。

翌年日本は敗戦となり、立川飛行場は米軍の立川基地になりました。

1977年に日本に返還され、広大な土地の西側の一部が1983年に国営の昭和記念公園として開園されたのです。

東京ドームの40倍の広さの中に、花の丘を始め様ざまのゾーンがあることを知りました。

戦中派の人間は、美しい花を見ても、昔の少女時代の記憶が頭の中に浮かんでしまいます。

 


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