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ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

伝説のタンノイ

2007年02月14日 | タンノイのお話
「タンノイ・ウエストミンスター」を導入しようか迷い、付添人は良いも悪いもかたくなに申さず、詳しい背景はわからない。
ある晴れた日、我々はそのようにタンノイを選んだ日が有った。
だが、
タンノイを聴こうとしても、そこにタンノイは無い。
あるのはタンノイという名前の造形であり、聴いたというのは音源ソースだ。
「タンノイが鳴ったのを、聴きました」
写真にも撮り、音は録音機に収めました。
おいしい料理や会いたい人があるように、あれは良かったね。と思い出して足が向く。
そのような人騒がせなスピーカーを考えた人は誰なのか。
期待は拡散から収縮に、隠れて伝説になるといわれる。
お客は、2枚のレコードを控え、二人で運べる重量か相談をされて、持つべきものは友である。





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縫い針

2006年10月18日 | タンノイのお話
太い3本の縫い針を、眺めて悦に入る。
それは半年前のことだが『マランツ#7』のウッドケースの底にブチッと埋め込んで5㍉くらい残し、3点支持でケースを浮かした。
その実験は昨日で終了した。ここからは2枚の板ガラスを敷いて直接ウッドケースを据えてまたまた音楽を聴くと、やはりガラリと音は変わる。
縫い針の音は、高域がおもしろかったが、低域がそうとうゆさぶられて合う音楽と合わない音楽があった。
いろいろなレコードの合う合わないを確かめた、針の上の6ヶ月。

☆10万円のクラシックギターを所有する男性が礼装で登場、ウッドベースが原寸の音で気持ちが良いと申された。

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タンノイの音【6】

2006年10月06日 | タンノイのお話
分類学(taxonomy)でヒトを分けるとき、その端緒は『♂と♀』で、「スピーカー」の項目なら、『スイングとシンク』である。

古池や 蛙飛び込む 水の音
閑さや 岩に浸み入る 蝉の声
秋深し となりは何を する人ぞ

芭蕉の句を、JBLの音でイメージしますか、タンノイの音にしますか。そして人は音楽を意識の深層で、スタンリー・キューブリック的かジャンリュック・ゴダール風か、好きに重ねて聴くこともできる。
『スイングがなけりゃ、意味ないね』という有名なジャズ・ナンバーのごとく、ジャズに『スイング』が絶対と思われてきたことは正しい。のか?それはたんに迂闊なノリのゆえかもしれない。
タンノイサウンドによれば、そこは『シンクがなけりゃ、意味ないね』と聴こえるのである。
『SOMETHIN’ELSE』のA面に入っている有名なジャズの名曲。この曲がひとたび静々と鳴り出せば、つい誰しも居ずまいを正すキャノンボール・アダレイ『枯葉』を聴くとしよう。マイルスもタンノイで武者震い。ハンク・ジョーンズもアート・ブレイキーも、ここではタンノイの陰影に考え、また考え、間合いを計って完全燃焼している。
タンノイならではのサウンド、ジャズナンバーを、珈琲を喫しつつ数える秋の暮れ。

☆新潟からと申される2組のカップルは、晩秋のみちのくの旅の途中にROYCEに立ち寄られて、なんとタンノイ・ロイヤルをオーディオ・ルームに備えていると、うれしいお言葉。
どのようにロイスの音を聴かれたか、さだかではないが、地酒の銘酒を購入されて、車に持参のケースがあると手回しの良さは『うわばみ』と拝察しました。

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タンノイ社JBL仕様?

2006年08月30日 | タンノイのお話
月見に一杯、猪鹿蝶。親がしんでも食休み。
そこにチリチリと電話がなって「加銅さんとお会いすることができました」と申されているのは宮城のT氏であった。
T氏は一級設計ライセンスを持つ親方で、趣味の管球アンプ造りがこうじ、オーディオルームの建築受注の参考に各地を精力的に行脚され見聞を広められている。
ROYCEにお見えになって、タンノイの音のことよりも、建物の構造に質問が集中したのはそのゆえである。
大工さんを大勢かかえたこの方なら、タンノイとJBLをエンクロージャーに合体させた夢のスピーカーを制作できるのではなかろうか。
いっそのこと、そこにエレクトロボイスの76センチウーハーもはめて、カウント・ベイシーも、ベルリンフイルも悠々とこなす、いまだかってどのメーカーも解決できなかった相矛盾した音。柔らかで硬い音。ホールトーンを響かせながら個々の音像をシャープに定位、うぶ毛を羽根で撫でるような音もカミナリの落下音も自由自在に再現する。
4畳半でも30畳でもこのスピーカーさえあれば...。
「とりあえず、それをアンプで実現しようと、管球アンプ造りに励んでいるのです」
ぜひ、1セット、オネガイシマス。

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土蔵のタンノイ

2006年08月05日 | タンノイのお話
「あの人どこにいったの?」「化粧室から出てこないわね」
メンバーがステージに並んで、まもなくライブ演奏も始まるという時間になって、周囲の女性たちが騒いでいた。
そのときすでに御手洗いで酔いつぶれていた男性の記憶と、今日のお客は似ている。
演奏の終わりころ、ふらふらと酔った姿をみせたが........どのような事情が?。
「いや、そういうことはありません」
ROYCEには以前にも来ておられるそうで、別人であった。
そのとき背の高いメガネのお客が
「ではアンプなどをちょっと見せていただいて宜しいでしょうか」とにこにこしながら立ち上がって、数年前からオーディオ熱が復活、「アルテックA-7」と「タンノイ・アーデン」を天上の高い土蔵で鳴らし分けて、アンプも自作されるそうである。
気が付くとさきほどの御仁もササッと我々に近寄ってアンプを眺めている。
板敷きのデッドな空間で鳴らしているその方は、ライブネスな音響に一度はトライしてみたいと申される。カーペット1枚剥がしても、その効果は良くも悪くも絶大
「女房が、社交ダンスにたまに使いますので、剥がすわけには...」
土蔵は、有効に活用されていまもその威容を誇っている。

☆写真は杉並S氏から拝領のCD。
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宇宙のタンノイ

2006年08月03日 | タンノイのお話
「アポロは本当に月に降りたのでしょうか」
4チャンネル・マルチ装置を謳歌している『立花隆』氏に、ジャズのことよりそこを問いたい。
ガラスはアモルファス。月に持っていくハッセルブラッドにアモルファスはまずい。
そこでツァイスは水晶を磨いて月面用結晶レンズを造った。これなら宇宙線にも紫外線にも熱膨張にも大丈夫。では宇宙に行くオーディオマニアのために使われるスピーカーはタンノイ?。
月より遠い千葉と埼玉からジャズ好きの御仁が二人、車でお見えになって「あああ、遠かった」。
昨年おいでの時と、音がまったく変わっていたので、はてな?。タンノイは不思議。
「スリー・ブラインド・マイスですね」とお解りで、貴殿もオーディオ・マニアでしょう。

☆「息子が帰ってくるので」と缶ビールを購入のおばあちゃん。「よっこらしょ。膝に水がたまったの、おかねがたまらないで」ぐふ...
☆写真はポルシェ・デザイン研究所のコンタックスRTS。ハッセルブラッドと同じツァイスのレンズ。シャドーの描写が良いのは、タンノイと同じ。
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マランツ#7【2】

2006年07月08日 | タンノイのお話

ジャズにとって、どうして柔らかな音ではいけないのか、クラシックにとって、なぜ硬い音ではマズいのか。
シンバルの硬さと、羊の腸と馬の尻尾の構成は、タンノイにヘゲモニーを預けた人の迎えるジレンマと快感がある。
あるとき九州のKU氏から電話があった。
「先方と話はついていますので、そちらで『マランツ#7』を受け取る詰めをお願いします」
KU氏によれば、もう一台マランツ#7を聴いた方が良いという。その意味するところが理解できず、面倒にさえ思ったが、ともかく相手に電話を入れたのである。電話の相手はボソボソと静かに話す人だった。
「このことは誰にも言っていないのですが...このマランツ#7は日本で五本の指に入る評論家の使っていたものです」御自分は、オーディオはくわしくない、生前の縁で所有し、いま手放す仕儀を心苦しく思っている様子に、その名を聞くこともためらわれた。
届けられたマランツ#7の包みを開けると、ケースのウオールナットの渋い色に特徴があった。さまざまのオーディオ雑誌をひっくり返して、五本の指と目される方のマランツ#7の写真をかたはしからしらべていった。その人の名はすぐわかった。
その音は、これまでのマランツ#7とまったく対称的な、しっとりと深みのある落ち着いた音色に特徴があって、クラシックには吸い込まれるような音楽が聴こえるが、ジャズの標榜するスイング感がいかにも英国的で、複雑だ。
深夜に調整の終わったこのとき、あまりの深淵な音に驚いて、寝ている秘書を無理矢理起こしたほど、度を失っていたのがオーディオのはた迷惑なところだが、KU氏にメールを入れると、すぐにでも飛行機で北上空港に飛んできそうな反応であったので「5時間経ったら、それほどの音ではありません」と、わけのわからないことを申し上げ、思いとどまっていただいた。
いまにして思い返しても、いったいあの音は何であったのか、マニアを笑う一瞬の降臨であったのかもしれない。
五味康佑氏が、この評論家宅に訪れてJBLサウンドを聴いたときの印象を書かれているのを読むと、まずJBLに対し辛口の方がどのような展開になるのか緊張をおぼえるが、意外や好ましく思われた表現に安堵する。
このマランツ#7でJBLを鳴らせば、そのように鳴ることが頷ける。目の前にある二台は、どちらもマランツ#7であるけれど個体差は歴然で、そこにKU氏の深さがあった。


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マランツ#7【1】

2006年07月07日 | タンノイのお話
音にも、通り道がある。
二つのスピーカーの中央に座って、両耳で拝聴するのは、礼儀というものであるけれど。
最近、当方のスピーカーのことでいえば、中央で聴くのが、ドーンと飛んでくる音に、クラクラっときて、ちょっとおおげさとは思うが、中央の場所を外したい。
ここで聴いているからどんどんやりなさい、的スタンスがいまは良い。
タンノイは、その音を損なわずに重い音も強い音も出る。
ジョンブルのスピーカーはネットの後ろで惰眠をむさぼって、本当の姿を見せずタンノイで御座いますと、すましている。それを最初に教えてくれたのは、KU氏が送って寄越された個性の違う二台のマランツ#7であった。

☆東山町にY氏という管球アンプ制作者がおられると、今日の客が申された。
☆クマさんは、ビールを空けていたはずだが、ソフアに残っていた一本の長い髪を眼の前にかざして、いつまでも首をひねっていた。錯覚。
☆今日で定年退職と申されて、純米吟醸を小脇に新世界へ颯爽と。
☆冠木門の当主から朝採りのキュウリを頂いた。

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タンノイの音『5』

2006年04月11日 | タンノイのお話
初めてコカコーラを飲んだとき、とても不味くて笑った。初めてビールを飲んだとき、ウッ、金返せ...と思った。はじめて赤ワインを飲んだとき、これはひどい、と思った。ところがタンノイだけは、最初から「これだ!」と思った。
まだこれだと思い続けているのが情けなくも嬉しい。
ところで、あるときラジオを聴いていたら、「英米人は雨の音を、数字を数える部位の脳みそで聴いておられ、日本人は言語をつかさどる脳みそで聴いているとわかりました」とんでもないことを学者が言っている。
「蛙が古池に飛び込んだ音を、だから情緒で認識することは彼等にはどうなんでございましょうか」
「ワビ、サビに該当する英語はありません」
ROYCEに登場するお客に此の話をすると、たいていの人は「うーん、そこから攻めてきましたか」と山賊の待ち伏せに驚いて笑うが、笑いごとではない。
KG氏から『リービ英雄氏』のお話をうかがったことがあったが、そのハイクの英訳を読んで、バイリンガルの日本人はどちらの脳をはたらかせるのか、またひとつ疑問が。
タンノイの音の好きな人と遭っていると、そこに一つの不思議がみえる。
タンノイの音を好まれる嗜好回路が煩悩のなかに開発されていて、前ふりのネゴシェーションがいらないことである。
縁ある人も無き人も、『ただ聴く澄明、水の滴るを』と、KG氏は壁に揮毫してくださった。

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タンノイの音『4』

2006年04月10日 | タンノイのお話
タンノイ社がいまだに2ウエイ同軸ユニットを改良し続け、他社が造らなくなったいまでも、次々と新製品をリリースしているのはおもしろい。
低音と高音の二つのユニットを一つに複合させた同軸構造のメリットは、音源が一点から発してステレオ音像の定位が自然だといわれるが、人がタンノイの音を好むのは、まさか定位が良いからだけではない。基本設計を担ったガイ・R・ファウンテン氏がいなくなったいま、いつ、同軸ユニットが中止されてもおかしくはないが、次なる責任者が同軸構造を止めたときに、こちらの気分がタンノイから離れていく危惧があるのは、デュアル・コンセントリック(同軸構造)がなんらかの音色の約束の証になっているのかもしれない。
これまでも同軸ではないタンノイの大型装置がいくつもリリースされたが、なぜか名前すら思い出せないのが申し訳ないくらい、忘却の彼方に去っていったような気がする。
伝説の『タンノイの音』は、同軸ユニットに依然としてこだわるフアンを悩ませ、あるいは嬉しがらせて人をとりこにしているが、そもそも『タンノイの音』とはメーカーが保障したものでもなく、誰もそれをなんとなく知ってはいるが口にすることができない奇妙な空気の振動なので、いわば色即是空、空即是色、さもなければヒマラヤの雪男や宇宙人のように不確かなもの。
幸いにして聴いた人だけが知っている。聴いたことの無い人は笑っている。騙されたと思った人は怒っている。失った人は泪している。ある意味、幸福と不幸が手を繋いでいる怪しいスピーカーかもしれない。


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タンノイの音『3』

2006年04月09日 | タンノイのお話
タンノイの音は、音それ自体にタンノイが有るわけではない。まずせせらぎの音やバイオリンの音が先に有って、それを録音したものを、タンノイのスピーカーで再生すると、ほんのりタンノイの音が加味されて「タンノイの音は良いね」となる。
タンノイのスピーカーなら、みな『タンノイの音』なのだが、タンノイにもいろいろなユニットがある。
中古市場で高額に取引されるのはほぼモニター・レッドと、モニター・ゴールドで、この、製造終了になって手に入りにくい中古を、新品より高い値段で求めるのはいかがなものか、「ストラディバリウス」や「アマティ」の世界なのか。
当方の『レクタンギュラー・ヨーク』に入っていた『モニターゴールド15ユニット』を撮影した。
芸術的気品を感じるこのユニットは、直径38センチ、8Ω、アルニコ磁石。センターキャップの中に1キロヘルツより高音部を再生するホーンが仕組まれていて、一台のスピーカーに見えても2ウエイの同軸ダブルユニットであるのが有名だ。
エッジ部分は最近のウレタンスポンジと違いハード・エッジといわれるもので寿命は永い。
同軸であることの功罪はあるが、すべてを呑み込んで『タンノイの音』は鳴る。ただひれ伏すのみ。

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タンノイの音『2』

2006年04月07日 | タンノイのお話
作曲家と作詞家で、どちらが偉いのだろうか。これを断言した人にまだあったことがない。
『タンノイ』のことを考えたときに、ユニットとエンクロージャー(箱)で、どちらが偉いのか?というより、重要なのかを考えたが、箱よりユニットのほうが先に誕生したのかもしれない。
タンノイの同軸ユニットに対し、幾つかのエンクロージャーの設計デザインがあるが、性能を追求した複雑な構造は高価になってあまり数が売れない。
一説によれば、タンノイ社は第二次大戦の末期に、始めにアルテック社の開発した同軸ユニットを密かに買い求めて『モニター15』のプロトタイプを造り、それが『モニター・ブラック』であるという。見ると、黒く塗られた38センチ・ユニットは、アルテック・ユニットそっくりだ。
それを改良されたのが『モニター・シルバー』で、このときにほぼ姿形は完成された。五味康佑さんが堪能したタンノイはさらにこの改良型の『モニター・レッド』である。
真空管アンプ時代のこれらの製品は、インピーダンスやダンピングファクターなど管球の性能を最大限考慮して設計されたが『モニター15』の名前のとうり、主だった販売のお得意さんは、一般のほか、「EMI」などレコーデイングスタジオや各国の放送局であった。
タンノイは一時的に、アメリカのスタジオの6割を制覇したと物の本に書いてあるのが、タンノイフアンにとっては、すばらしい。
スタジオの要請で、許容入力やインピーダンスの要望を取り入れた『モニター・ゴールド』が造られて、ここまでがタンノイ・フアンにとって第一期黄金時代である。
このあとタンノイ社は工場の火事で自前の紙漉工場を失い、コーン紙を西独逸クルトミューラー製にしたり、マグネットをフェライトにしたり、アメリカ資本が入ってスタンスが変わったり、CDやトランジスタ・アンプを意識した設計になった事情で、大いに変貌していかねば時代に乗れなかったのか。
五味康佑さんのとりこになった『モニター・レッド』をオートグラフかGRFの箱に入れて、管球アンプでしみじみと聴けば、そこにタンノイの音の故郷が聴こえるのだろうか。



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タンノイの音『1』

2006年04月01日 | タンノイのお話
『タンノイ』の音はこうだ。といっても、それがどうもおかしい。何一つ実態が無い。寒くても暑くても、晴れても雨でも音が変わる。何層にも積み重なった音の記憶から四つの隅を決めて、きょうの音はこのへんかと、あきれてタンノイを見る。
富士の山にも、裏富士、赤富士、逆さ富士とあるように、タンノイにも四つ姿を認めるのはたやすい。
弦を濡れたように甘美に鳴らす、高域はそよそよと、中域はしっとり、低域はホール感たっぷりで、これを高松塚古墳の座標でいうと『玄武』。
中域から高域にかけてすぱっと切れ味のよい正宗の名刀のような音、低域も小股の切れ上がった粋の良さ、「マークレビンソン」で鳴らしたような音は『青龍』。
中高域はくっきりと力強く、低域はドシンバシン、タンノイなのに音が前に出てくるこいつは何者『白虎』。
夢に聴いた、生を越えたなまなましさ、低音はこもらず、グランカッサは壁をゆらし、ベースの音はくっきりと温かく、サラの声は生きているよう、シンバルは青く光り全ての音が前後左右に実在して鳴るのは『朱雀』。
きょうは4月1日エイプリルフール。


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銘球WE300BPP

2006年02月17日 | タンノイのお話
5年目にしてはじめてWE300BPPアンプから煙が出た。大変なことになった。100Vのアンプを無理矢理105V駆動に改造してもらって、やっぱりやってみるものだと悦に入っていたが。
そのときタイミング良く、今、大阪から戻っておられると、隣町のSA氏からメールをいただいた。ROYCEの中枢アンプのクオリティはこの方が担っている。頑丈な真空管アンプもいつか壊れる運命で、技術のある人のサポートが不可欠だ。
このSA氏は凄い。こんな音にしたいと注文をつけると、ダメとか嫌とか、言ったことがない。口をへの字に結んで考えておられる。無理難題のときは、コメカミをぴくぴくさせておられる。頭脳がフル回転しているのだ。フィラエンザールのウイーンフィルの75人のスケールや、サンデイアットビレッジバンガードのスコットラファロのベースの出来栄えは、この人にかかっている。マイルスのトランペットはじつはアンプが吹いているのだ。
ROYCEのモノアンプはWEを各2本使用し、電源トランスの重いだいぶ回路に凝ったアンプで「またこれと同じ物を造るのは、かなり気力がいります」と溜息まじりに申されるS氏に「こんどぜひ、誰も造ったことのないような凄い最終アンプを造りましょう」と、更なる傑物を持ちかけている自分に気が付いた。このWE300Bという管球は一旦製造が終了し、刻印モノ1本10万といわれるマニア垂涎の幻の銘球だが、そんなサイフの不条理をナゼ4本も使うのか?それは使った人でないと解らない愉悦があるからだ。しばらく遣隋使をなさったS氏が、中国製の300Bを大量に輸入したので20本ほどROYCEに置いておきましょうと言われた。そこでさっそく差し替えてこの1万円の球を鳴らしてみた。なかなかよろしい。これでも良いのでは...。
一週間ほどしてモトに戻して聴いたWEの瞬間的印象というものがある。解る人には値段は正しい。



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オートグラフ・レッド『1』

2006年02月12日 | タンノイのお話
世田谷のT氏は、タンノイオートグラフ・モニターレッドを所有されクラシックレコード・コレクションの底知れない遍歴が他を寄せつけない。
そしてジャズである。あまりの多彩なコレクションに、評論をなりわいとされているのかと、最初はちょっと引いてしまった。ご職業も年齢もつまびらかでないT氏の最近ひとつわかったことは、お酒が、オーディオと同じくらい好きとのことで慶祝。桜も七分のうちから上野の御山に遠駆け、多少の寒さはやせ我慢し、花見の宴を決行したお話には、季節の節目を楽しまれるいなせな江戸っ子を彷彿とさせるものがあった。そこに人柄をちらっとのぞかせたのである。
あるとき、写真で拝見したT氏の自作管球アンプは、希少な球のコレクションをあしらった大変見事な作品であった。なにぶんモニターレッドの所有者である。届いた写真から、いつか我が迫町の大先生の解説を得てその音色を想像してみたい名人の手すさび、不思議な管球の逸品であった。
オートグラフなど大型タンノイについて、真の音を究めた人は少ないと言われるが、ウーハーコーン紙が大きいコアキシャルタンノイは、温度湿度で音が定まらず、メフェストフェレスの見返り微笑という難物である。憑きモノと人には言われて、手をかえ品を替え攻略のためアンプを繰り出し、いつか聴こえる音を待つ。ちょっとやそっとの微熱では振り落とされて身が持たない。ところが妙なる音を聴いて掴まったら一巻の終わりという、ジョンブルのスピーカーだ。
T氏から届けられたLPの1枚に目を留めたのは秋田から登場されるTK氏。ガレスピーとパーカーの並び立つステージの端で、緊張してサクスを握る当時まだ少年のコルトレーンが写っているジャケットである。
「CHARLIE PARKERE IN LIVE PERFORMANCE の現物を見たのは初めてです」と申されたのでさっそく鳴らしてみた。「当時にして、すでにここまで演奏されていたのですね」と、感想にキメをつけた秋田TK氏にも教わることが多かった。
(続く)

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