ロルフィング®︎のある生活。

走る!泳ぐ!蹴る!ロルファー リョウの身体的思考の記録。

食べ物のこと

2016-10-01 23:16:01 | 日々の生活
 ちょっと、思ったことがあったので、忘れないうちに書いておく。

今、デトックスを目的とした食事プログラム実行中なのですが、そんな中、頭に浮かんだことを忘れないうちに記録。

今、プログラムの真っ只中で、友人たちとベジの話やら、断食の話やらしてて、ある一人が、「断食中は、スーパーとかの精肉売り場が、屍体が並んだようにしか見えなかった。死臭が漂っているっていう感じ。」って話してた。確かに、今、肉魚を食べていないので、その辺りに行くと、生気がない感じには見える。

で、もう一つが、Facebookで「植物にも知性があることが研究者によって発表されてきている」の記事を紹介していて、そのコメント欄に、「ベジタリアンの人はなんて言い訳するのかなぁ」みたいなことが載っていて。

この二つの事柄から、考えた訳です。
私、多分、だいぶ前の記事に、ベジタリアンの人が肉を食べない理由として、「殺生(killing)」を挙げていることにすごく疑問を感じていました。野菜だって、人が食べることを通して、命を失う訳で。肉も、野菜も変わりないだろ。みたいなことを書いたような気がします。

私個人的には、ヒトはもともと、進化論的なものを辿れば、肉食の出だと思っていて、それが徐々に雑食に変化してきたと考えています。なので、肉を食べることは自然な成り行きだと思ってます。
そして、植物っていうのは、動物より進化した存在で、水と空気と太陽エネルギーで自給自足できるっていうね、一歩進んだ存在だと。
(知性が果たして、進化なのかどうかは、甚だ疑問な訳ですが。特に人類の地球に対する仕打ちを見る限り。ヒトのものは知性と言えないのかもなぁ...)

あ、で、考えたことですが、もしかすると、ベジタリアンの方が、killingなのではないかと。野菜は野菜売り場にあるときも別に命途絶えている訳でなく、生きている訳で、それを買って、自分の手で始末する(食べてしまう)と言うね。肉などは、生きたまま売ってる、白魚とか、エビとか、サワガニとか、そういうもの以外は食べるしかないものとして、売られている。自分でkillingしなくてもいいもの、ですもんね。
(一度、興味本位にまだもぞもぞとケースの中で動くエビを買ってしまったことがあるのですが、調理するときは、本当にやるせない気持ちになりました。美味しかったから、まぁ、良かったんだけど。)

もちろん、食べることはすべてどこかの時点で「殺生(killing)」なので、自分でするか誰かにやってもらうかの違いなのですが、killngだから、肉は食べないっていう理由は、どうしても納得できないっていうお話でした。

動物も植物も、公平に食べたいなぁと思う秋の夜長です。



余談ですが、私は小さい頃肉も魚もダメで、アレルギーとかそういうんじゃなく、自分に近いものを口に入れるのにすごく抵抗があったんじゃないかと今になっては思います。ソーセージとかは食べれたんですよね、何からできてるかわからなかったんだろうなぁ。


もう一個、くっだらない余談ですが、「殺生」を打ち間違えて、最後に「u」の代わりに「n」を打って、「セッション」になって、ワォ〜ってなりました。指の記憶が成せる技です。

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