いよいよ代行バスに乗る
竜田駅前からいよいよ代行バスに乗ります。不通区間全区間を乗れるのは1日2往復だけ。
バスを運行しているいのは地元の浜通り交通が担当します。
大きなバッグをトランクに預けてバスに乗り込みます。
しばらくするとJRバス?みたいな車両が、これも浜通り交通のバスです。
ここで1人の乗客が問題行動を起こします。
1番前の列の左側席は添乗員用の席なのですが、そこにカメラを持った60台位のオッサンが座って動きません。
添乗員が「ここは業務用ですから」と言って注意すると、60爺「じゃぁ補助席を出す」 添「席が空いているので補助席は出せません」とひと悶着。
その間にも9:54に到着した電車から次々とリュックを背負った客が必死に目を見張るように座席を探しながら乗り込んできます。
こういう輩を相手に毎日大変だなぁ添乗員さんも。平日でこの有様ですから。
先ほどの60爺は、結局見かねた80歳位の心臓が悪いという婆さんが最前列の席を譲ってそこへ座わり解決? この60爺、「東京から来たので・・・」だと。やっぱり東京土人はこんな輩ばっかですな。
バスはほぼ定刻に発車。なぜか駅の東側から砂利道を抜けるようにして町道を走ります。
前面ガラスには何か張り紙が。そんなにマナーが悪いのか?
添乗員説明によると「車内で乗客を撮らないで」ということで、そんな写真撮って何になるのかと思うが、張り紙をしなければならない程、劣悪なマナーなんでしょうね。関東の土人たちが乗るので悲しいけど仕方ありません。
細い町道を進んで舗装道路に入り、国道6号へ進むようです。
その辺りで、前方から液晶モニタが降りてきました。
バス車内における空間線量をリアルタイムできるモニタを表示するものです。
見たところの線量は 0.07 と、外の線量の半分ぐらいの線量です。
しばらく走ると富岡の町に近付きます、福島第二原発の横を通って、6年半前に来た撮影地の脇を通ります。
後ろに見えているのは三菱の工場で、震災の半年前にここに立って撮影した時にはなかったように思えます。
富岡駅前に到着し、乗客1人を乗せて出発。
出発直後に富岡止まりとなる、先ほどのJRバスもどきの車両とすれ違います。
富岡の町を走っている時に所々常磐線の線路が見えましたが、コンクリートで補強の工事が進んでおり、これは復活の兆しを物語っています。
竜田の町を抜けて、車窓には除染された貯蔵物の堆積された光景が広がります。
空間線量もかなり上がってきました。
ここから帰還困難区域に入ります。
いつの間にか添乗員さんもマスクを付けていました。バスの車内も半数ぐらいがマスクを付けています。ありゃりゃ、これはヤバいの?線量もぐんぐん上がってきました。どれぐらい上がるんだ?
帰還困難地域では、国道6号を通過するのが原則で、脇へは入れないように全ての入り口に柵が施されて、交差点から入る道路には検問の係員が立っていて許可証が無いと入れないようになっています。
いよいよ福島第一原発のある大熊町に入ってきました。
車窓右手にある、あの辺が原発かなぁ?というレベルで見えてきます。
線量計の値が更に上がり、心臓がドキドキしてきます。この値は未体験ゾーン。
原発への入口は1つを除いて封鎖されているようです。
もう少し走ったところで、発電所建屋の辺りでしょうか?作業をするクレーンが見えます。
原発から北へ3kmほどにある双葉町に入りました。
ここも脇道は封鎖されており、店舗などが廃墟となっています。
双葉町を過ぎた辺りで、車窓左側に新たな発見が。
保線作業車ですね。確実に復旧へ向けて力強く動いているようです。
しばらく進むと帰還困難区域も終わり、道路脇の店にも車が止まって賑わいが見えてきました。
でもよく見ると、お客さんで賑わってるのではなくて、復旧工事の建設関係者の車で駐車場がいっぱいになっているだけのようでした。
程なくして国道6号から左折し、浪江駅へ向かいます。
浪江の町をしばらく走り、浪江駅に到着。添「電車が好ぎな方はここで乗り換えで、先を急ぐ方は終点の原ノ町で乗り換えて下さい。」
結局降りたのは私を含めて3人だけで、残りの30人程は原ノ町まで乗っていきました。
バスは浪江駅を定刻に出発して原ノ町へ向かっていきました。
駅前にある線量計の値は 0.277。 竜田駅の倍の線量があります。やはり線量の問題で竜田よりも浪江の方が復旧が遅れていたということでしょうか?
ちょうど駅前では町長や管理局長?を呼んでの復旧セレモニーが行なわれていました。
少し町の中へ歩いてみることにします。
避難所となる公園ですが、誰も公園を使うことなく草が生えた状態。
その近くの幼稚園ですが、門も倒れ、草が生い茂っていました。
周囲にある建物も無事なようですが、良く見ると「解体待ち」の白札が立てられている物が多く、復興が全く進んでいないようでした。
ここまでの1時間ほどの間に、いくつものドキドキがありました。
あなたもこのバス代行でドキドキ体験してみませんか? 平日でこれですから、土日は避けた方がよいでしょう。
浪江から先は次の記事に続きます。
竜田駅前からいよいよ代行バスに乗ります。不通区間全区間を乗れるのは1日2往復だけ。
バスを運行しているいのは地元の浜通り交通が担当します。
大きなバッグをトランクに預けてバスに乗り込みます。
しばらくするとJRバス?みたいな車両が、これも浜通り交通のバスです。
ここで1人の乗客が問題行動を起こします。
1番前の列の左側席は添乗員用の席なのですが、そこにカメラを持った60台位のオッサンが座って動きません。
添乗員が「ここは業務用ですから」と言って注意すると、60爺「じゃぁ補助席を出す」 添「席が空いているので補助席は出せません」とひと悶着。
その間にも9:54に到着した電車から次々とリュックを背負った客が必死に目を見張るように座席を探しながら乗り込んできます。
こういう輩を相手に毎日大変だなぁ添乗員さんも。平日でこの有様ですから。
先ほどの60爺は、結局見かねた80歳位の心臓が悪いという婆さんが最前列の席を譲ってそこへ座わり解決? この60爺、「東京から来たので・・・」だと。やっぱり東京土人はこんな輩ばっかですな。
バスはほぼ定刻に発車。なぜか駅の東側から砂利道を抜けるようにして町道を走ります。
前面ガラスには何か張り紙が。そんなにマナーが悪いのか?
添乗員説明によると「車内で乗客を撮らないで」ということで、そんな写真撮って何になるのかと思うが、張り紙をしなければならない程、劣悪なマナーなんでしょうね。関東の土人たちが乗るので悲しいけど仕方ありません。
細い町道を進んで舗装道路に入り、国道6号へ進むようです。
その辺りで、前方から液晶モニタが降りてきました。
バス車内における空間線量をリアルタイムできるモニタを表示するものです。
見たところの線量は 0.07 と、外の線量の半分ぐらいの線量です。
しばらく走ると富岡の町に近付きます、福島第二原発の横を通って、6年半前に来た撮影地の脇を通ります。
後ろに見えているのは三菱の工場で、震災の半年前にここに立って撮影した時にはなかったように思えます。
富岡駅前に到着し、乗客1人を乗せて出発。
出発直後に富岡止まりとなる、先ほどのJRバスもどきの車両とすれ違います。
富岡の町を走っている時に所々常磐線の線路が見えましたが、コンクリートで補強の工事が進んでおり、これは復活の兆しを物語っています。
竜田の町を抜けて、車窓には除染された貯蔵物の堆積された光景が広がります。
空間線量もかなり上がってきました。
ここから帰還困難区域に入ります。
いつの間にか添乗員さんもマスクを付けていました。バスの車内も半数ぐらいがマスクを付けています。ありゃりゃ、これはヤバいの?線量もぐんぐん上がってきました。どれぐらい上がるんだ?
帰還困難地域では、国道6号を通過するのが原則で、脇へは入れないように全ての入り口に柵が施されて、交差点から入る道路には検問の係員が立っていて許可証が無いと入れないようになっています。
いよいよ福島第一原発のある大熊町に入ってきました。
車窓右手にある、あの辺が原発かなぁ?というレベルで見えてきます。
線量計の値が更に上がり、心臓がドキドキしてきます。この値は未体験ゾーン。
原発への入口は1つを除いて封鎖されているようです。
もう少し走ったところで、発電所建屋の辺りでしょうか?作業をするクレーンが見えます。
原発から北へ3kmほどにある双葉町に入りました。
ここも脇道は封鎖されており、店舗などが廃墟となっています。
双葉町を過ぎた辺りで、車窓左側に新たな発見が。
保線作業車ですね。確実に復旧へ向けて力強く動いているようです。
しばらく進むと帰還困難区域も終わり、道路脇の店にも車が止まって賑わいが見えてきました。
でもよく見ると、お客さんで賑わってるのではなくて、復旧工事の建設関係者の車で駐車場がいっぱいになっているだけのようでした。
程なくして国道6号から左折し、浪江駅へ向かいます。
浪江の町をしばらく走り、浪江駅に到着。添「電車が好ぎな方はここで乗り換えで、先を急ぐ方は終点の原ノ町で乗り換えて下さい。」
結局降りたのは私を含めて3人だけで、残りの30人程は原ノ町まで乗っていきました。
バスは浪江駅を定刻に出発して原ノ町へ向かっていきました。
駅前にある線量計の値は 0.277。 竜田駅の倍の線量があります。やはり線量の問題で竜田よりも浪江の方が復旧が遅れていたということでしょうか?
ちょうど駅前では町長や管理局長?を呼んでの復旧セレモニーが行なわれていました。
少し町の中へ歩いてみることにします。
避難所となる公園ですが、誰も公園を使うことなく草が生えた状態。
その近くの幼稚園ですが、門も倒れ、草が生い茂っていました。
周囲にある建物も無事なようですが、良く見ると「解体待ち」の白札が立てられている物が多く、復興が全く進んでいないようでした。
ここまでの1時間ほどの間に、いくつものドキドキがありました。
あなたもこのバス代行でドキドキ体験してみませんか? 平日でこれですから、土日は避けた方がよいでしょう。
浪江から先は次の記事に続きます。