体軸、正中線、中心軸、コマ軸、抗軸とも言う。
骨を積み上げる事で重力と抗力が釣り合い、無重力部分を「台風の目」の無風状態のように知覚、視覚として捉えたものだと考える。
視覚的にはヒト其々(それぞれ)だが、個人的には外側からは青白く(正しくは銀色だが、エッジの部分が青味掛かって見える)、内側からは黒い筒を覗くように見える。 太さも様々だが、自分は遊びの部分(骨と骨が点で繋がるか、面で繋がるかで見え方が違うと思う)が多いようで太く見える。
まっすぐ正面を見てても、センターを通して「真下」が見えたりする。
イメージとして見るのと、自然に観るのは違うので注意されたし!
一般的には「身体の中心」を貫く1本の線と捉えているようだが、高校時代に寝ながら腕を立てたまま10分ぐらいしてると、同様な線(当時、「半透明な線」、その後「抗軸」と呼んでいた)を知覚していたので、機会があったら「運動科学総合研究所」所長の高岡英夫先生に聞いてみようと考えている。
「ギフト(超感覚)」、「ディレクト・システム」の1つ。
歩いてたり、ちょっとした段差に乗ったりした瞬間、意識が雲の上まで延びたり、身体が消えてしまう感覚は、ちょっと怖い時もある。 以前は、コンビニで本を立ち読みしてて、足元から意識が消えて本だけになったりで、怖くて身体を動かしたりしたが、感覚にも段階があるように思う。
ちなみに正しく骨で立った状態で、思いきり蹴られた事があるが、蹴った相手が勢い良く倒れ、こっちは「何かに当たったかな?」程度で、お互い驚きながらも、立ちあがる直前に攻撃を加えた事がある。
同様に「意拳」の創始者故王郷斎老師の話を思い出し、立つ事により養われる功夫の正体を知った。
骨を積み上げる事で重力と抗力が釣り合い、無重力部分を「台風の目」の無風状態のように知覚、視覚として捉えたものだと考える。
視覚的にはヒト其々(それぞれ)だが、個人的には外側からは青白く(正しくは銀色だが、エッジの部分が青味掛かって見える)、内側からは黒い筒を覗くように見える。 太さも様々だが、自分は遊びの部分(骨と骨が点で繋がるか、面で繋がるかで見え方が違うと思う)が多いようで太く見える。
まっすぐ正面を見てても、センターを通して「真下」が見えたりする。
イメージとして見るのと、自然に観るのは違うので注意されたし!
一般的には「身体の中心」を貫く1本の線と捉えているようだが、高校時代に寝ながら腕を立てたまま10分ぐらいしてると、同様な線(当時、「半透明な線」、その後「抗軸」と呼んでいた)を知覚していたので、機会があったら「運動科学総合研究所」所長の高岡英夫先生に聞いてみようと考えている。
「ギフト(超感覚)」、「ディレクト・システム」の1つ。
歩いてたり、ちょっとした段差に乗ったりした瞬間、意識が雲の上まで延びたり、身体が消えてしまう感覚は、ちょっと怖い時もある。 以前は、コンビニで本を立ち読みしてて、足元から意識が消えて本だけになったりで、怖くて身体を動かしたりしたが、感覚にも段階があるように思う。
ちなみに正しく骨で立った状態で、思いきり蹴られた事があるが、蹴った相手が勢い良く倒れ、こっちは「何かに当たったかな?」程度で、お互い驚きながらも、立ちあがる直前に攻撃を加えた事がある。
同様に「意拳」の創始者故王郷斎老師の話を思い出し、立つ事により養われる功夫の正体を知った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます