林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

ネイティヴの文法力の疑わしさ

2010年07月10日 | 英語学習
一部の障碍者をのぞけば、誰だって母語については、ある程度以上の言語力が身に付いていると考えていたと思う。外国語や書き言葉の習得については、旨いとか下手とかの違いはあったとも、母語を話したり聞いたりする基本的能力については、ほとんど格差がないはずだと思いこんでいたはずだ。


ところが最近のScinece DailyのScience News(10 July 2010)によれば、そういう前提が誤っている。題して、「多くの英語の話し手は、基本文法を理解できていない」である。



Northumbria University の研究者Dr Dabrowskaが述べることを要約する。

語彙の大小だとか、複雑な構文を理解するかとか、そういうレベルでの言語力の違いはあるかもしれない。しかし、核となる文法についていえば、同じ言語コミュニティーの者ならば誰もが共有しているはずだと想定されていた。ところが、Dr Dabrowskaの研究によれば、基礎的な文法が共有化されているという想定は誤りで、英語のネイティブ・スピーカーであっても、ごく基礎的な英文法が共有されているとは限らない。たとえば、受け身の意味を解さない人たちが多数存在することが分かったというのである。

"The soldier was hit by the sailor."(その兵士は、水夫に殴られた)といった類の文章を、大学院生から16歳で学校教育をやめてしまった人まで、その意味を解読するテストを受けさせたのだそうだ。すると、受け身を理解していない成人ネイティヴスピーカーがかなりいることがわかったのである。

受け身の文章を理解していない人々は、学校教育をあまり受けていない人に多いのであるが、決してテスト慣れしていなかったからとか、知性が劣っているのだとか、そう言う理由によるものではないとのことだ。

Dr Dabrowskaが言うには、この調査の持つ含意は広範囲にわたり、チョムスキーの普遍文法論などの言語理論や、従来の教育方法論についても見直しを図らなければならない。





なるほどと思う。アジアの言語とは異なって、英語は主語を重視する言語だ。だから、主語が捻れている受け身文が普遍的に受け入れられないのかもしれないなと勝手な想像を巡らす。だが、もう少し研究成果をじっくりと読んでみたい。英語のネイティブにおいて、受け身の文法が共有されていないというのは、どういうことなのか、より具体的に知りたいではないか。

同時に、日本語ネイティブにおいて、文法が共有されないという事態はあるのだろうか、という疑問も浮かぶ。欧文脈だとか、翻訳語的表現が、もしかしたら、日本語話者に共有していないのではないかとも想像する。また、次か、次の次の機会に詳しく述べるが、少なくとも中学生などにおいては、主語の概念を理解していない者が何人もいるのである。いずれにせよ、心理言語学者たちに調査をしてもらいたいことばかりである。

もちろん、日本の教育一般や英語教育の問題点についても思いを広げざるをえない。教師が普遍的であると思いこんでいた日本語文法が、実は全然普遍的ではなかったかもしれないではないか。多数の生徒が理解できない文章を、教師たちが書いたり、話したり、書いてしまってはいなかっただろうか、と危惧するのである>。

Northumbria University. "Many English Speakers Cannot Understand Basic Grammar." ScienceDaily 6. 10 July 2010 <http://www.sciencedaily.com&amp;amp;amp;amp;amp;#173; /releases/2010/07/100706082156.htm>.

(次回は、「英語と日本語の間で」の続きをやりたいと思います。なお、広島大学の柳瀬さんのご親切なアドバイスにしたがって多少文章を書き改めました。結果、Dr Dabrowskaの研究の意義を、彼女自身が想定しているような「普遍文法」概念への挑戦と見なすのではなく、むしろ言語力の社会的格差の問題ーーブルデューやバーンスティン流の研究ーーとして解釈しなおし、ブログを書き改めたのです)。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。