つい先日9歳の誕生日を迎えた娘ですが、
去年あたりから「死んだらどうなるの」とか「死にたくない」とか時々言うようになりました。
だいたい布団に入ってからが多いのですが、
最近もなにかの拍子に突然言いだし、ポロポロ涙を流すこともあります。
例えば、
学校で自転車安全教室があり、DVDをクラスでみたんだそう。
その中で交通事故のシーンがでてきて、子供が亡くなったのをみて、
後で給食の時間に「死んだら天国に行くのかな、地獄に行くのかな、わたし地獄に行きたくないな」って娘が言ったら、
ある男の子が「いままで悪いことなんてしたことないやつはいないからこのクラス皆地獄行き」って言ったらしいのです。
それを帰ってきて話し、もう地獄しか行けないと泣きだす訳ですよ。
繊細さに欠けるわたしは、そんな時々情緒不安定になる娘に戸惑うばかり。
それなりになんやかや言い聞かせては、
納得はできているか不明ではありますが、落ち着きを取り戻し眠ったりしていました。
こんなこと言うのってうちの子だけなんだろうかと心配になり、
ネットで検索していたら
「9歳の危機」
という言葉をみつけました。
シュタイナー教育で有名なルドルフ・シュタイナーの言葉です。
以下は検索していてみつけた分かりやすくお書きになっているかたのブログから抜粋させていただきました。
お母さんのお腹から生まれて子どもの身体がお母さんと離れるが、
模倣を通して結びついていた外界の事物から、模倣力の力を失った9歳の子どもは、
自分と周りの世界との一体感から抜け出し、自分を世界の中に存在する「個」として感じるようになる。
それは、それまで疑いもせずに安心しきっていたまわりの世界(父・母・友達・先生)から切り離された孤独感や不安定感を抱き、不安定な状態に陥る。
この孤独で不安な時期は「9歳の危機」と呼ばれている。
自分という存在が世界から切り離されていると感じるということは、
自分と世界との間に距離を持つようになるということでもある。
距離を持つことによって、子どもたちははじめて世界を客観的に見る目を持ち始める。
それまでの世界との一体感の中で夢見るような状態にあった子どもたちが、
大地に足を降ろすための大きな転換を始めたということ。
また、この時期には、不安な夢を見ることがある。
肉体的にも負担が大きく、頭痛や腹痛を訴えることもある。
「死」を怖がったり、わけもなくメソメソ泣いたりする。
シュタイナーは、9歳の節目について
「この時期の問題は、かえって思春期の問題よりも繊細に扱わなければならない」
と言っている。
子どもがこうした難しい節目にあるとき、大人たちがそれをどのように見守ってやるかが大変重要ということ。
仲正雄さんのわかりやすい言葉でいうと・・・
この9歳の頃に、子どもは自分が今まで信じていたものがふっと信じられなくなってしまう。
今まであんなに大好きだったお父さんやお母さんたちが、どこかちょっと他人ぽくなっちゃう。
自分の味方でしかなかったお母さんが、あの人は他人だとわかっちゃった。
他人だとわかって苦しいところに
「あんた、宿題したの?」「食事よ!」とか言っちゃうと、
「他人が私に対して言うことじゃない」と、子どもは傷つき、腹を立てたり、それを整理できなかたりする。
同時に「死」という問題が顔を出す。
「死んじゃうの?」というのは、今まで自分が守られているというところで安心していたものが、
ふっと感じられなくなるときに出てくる「不安」を表現する言葉だと思ってください。
ところが、9歳という時期に「自分は将来何になる」ということが具体的になったりする。
9歳の頃、幼児期にあった守ってくれる力を自分で取り払いながら、今度は前を見て、自分の人生で何をしたらいいのかということを直感的に感じ取る。
自分の幼児期とお別れする自分が寂しいし、また、自分の中に新しく生まれてくる、自分のこれからの人生に対して向かう勇気のようなもの、それをもらってくる時期である。
参考文献:『9歳児を考える』 ヘルマン・コェプケ 森章吾訳 水声社
『小学生と思春期のためのシュタイナー教育』NPO法人京田辺シュタイナー学校 学研
『翁雄正話 Ⅰ 私家版 仲正雄講演録 親子とは』 悠久庵
なるほど~。
わたしは短大で児童心理とか教育心理とか学んだはずですが、
まったく記憶にありません。
10代の頃なんて勉強なんて全然好きじゃなかったし、そんな気持ちだから授業もおもしろくなかったからな~。
話が横道にそれましたが、
わたしは、小学生だったら3~4年より、5~6年のほうが難しい時期なのかなと思っていたし、
その先の思春期の方がもっと大変だろうと想像していたのですが、
「9歳の危機」って言葉があるくらい、9歳前後は非常に大事な時期だったのですね~。
ある意味、娘はまっとうな成長を遂げているってことなんだなと安心しました。
反面不安な気持ちを「死にたくない」って言葉で表しているってことは、
それだけ娘の心のうちには不安な気持ちが渦巻いてるってことでもあるんですが(汗)
興味深いので「9歳の危機」について書かれた本を読んでみようと思います。
だからと言ってその言葉だけに振り回される必要もない気がするし、いつの時期も大事なんですけどね。
他の方のブログには、この時期に偉人達の伝記を読ませるとよいって話もありました。
こちらの方のブログもとても参考になります。
去年あたりから「死んだらどうなるの」とか「死にたくない」とか時々言うようになりました。
だいたい布団に入ってからが多いのですが、
最近もなにかの拍子に突然言いだし、ポロポロ涙を流すこともあります。
例えば、
学校で自転車安全教室があり、DVDをクラスでみたんだそう。
その中で交通事故のシーンがでてきて、子供が亡くなったのをみて、
後で給食の時間に「死んだら天国に行くのかな、地獄に行くのかな、わたし地獄に行きたくないな」って娘が言ったら、
ある男の子が「いままで悪いことなんてしたことないやつはいないからこのクラス皆地獄行き」って言ったらしいのです。
それを帰ってきて話し、もう地獄しか行けないと泣きだす訳ですよ。
繊細さに欠けるわたしは、そんな時々情緒不安定になる娘に戸惑うばかり。
それなりになんやかや言い聞かせては、
納得はできているか不明ではありますが、落ち着きを取り戻し眠ったりしていました。
こんなこと言うのってうちの子だけなんだろうかと心配になり、
ネットで検索していたら
「9歳の危機」
という言葉をみつけました。
シュタイナー教育で有名なルドルフ・シュタイナーの言葉です。
以下は検索していてみつけた分かりやすくお書きになっているかたのブログから抜粋させていただきました。
お母さんのお腹から生まれて子どもの身体がお母さんと離れるが、
模倣を通して結びついていた外界の事物から、模倣力の力を失った9歳の子どもは、
自分と周りの世界との一体感から抜け出し、自分を世界の中に存在する「個」として感じるようになる。
それは、それまで疑いもせずに安心しきっていたまわりの世界(父・母・友達・先生)から切り離された孤独感や不安定感を抱き、不安定な状態に陥る。
この孤独で不安な時期は「9歳の危機」と呼ばれている。
自分という存在が世界から切り離されていると感じるということは、
自分と世界との間に距離を持つようになるということでもある。
距離を持つことによって、子どもたちははじめて世界を客観的に見る目を持ち始める。
それまでの世界との一体感の中で夢見るような状態にあった子どもたちが、
大地に足を降ろすための大きな転換を始めたということ。
また、この時期には、不安な夢を見ることがある。
肉体的にも負担が大きく、頭痛や腹痛を訴えることもある。
「死」を怖がったり、わけもなくメソメソ泣いたりする。
シュタイナーは、9歳の節目について
「この時期の問題は、かえって思春期の問題よりも繊細に扱わなければならない」
と言っている。
子どもがこうした難しい節目にあるとき、大人たちがそれをどのように見守ってやるかが大変重要ということ。
仲正雄さんのわかりやすい言葉でいうと・・・
この9歳の頃に、子どもは自分が今まで信じていたものがふっと信じられなくなってしまう。
今まであんなに大好きだったお父さんやお母さんたちが、どこかちょっと他人ぽくなっちゃう。
自分の味方でしかなかったお母さんが、あの人は他人だとわかっちゃった。
他人だとわかって苦しいところに
「あんた、宿題したの?」「食事よ!」とか言っちゃうと、
「他人が私に対して言うことじゃない」と、子どもは傷つき、腹を立てたり、それを整理できなかたりする。
同時に「死」という問題が顔を出す。
「死んじゃうの?」というのは、今まで自分が守られているというところで安心していたものが、
ふっと感じられなくなるときに出てくる「不安」を表現する言葉だと思ってください。
ところが、9歳という時期に「自分は将来何になる」ということが具体的になったりする。
9歳の頃、幼児期にあった守ってくれる力を自分で取り払いながら、今度は前を見て、自分の人生で何をしたらいいのかということを直感的に感じ取る。
自分の幼児期とお別れする自分が寂しいし、また、自分の中に新しく生まれてくる、自分のこれからの人生に対して向かう勇気のようなもの、それをもらってくる時期である。
参考文献:『9歳児を考える』 ヘルマン・コェプケ 森章吾訳 水声社
『小学生と思春期のためのシュタイナー教育』NPO法人京田辺シュタイナー学校 学研
『翁雄正話 Ⅰ 私家版 仲正雄講演録 親子とは』 悠久庵
なるほど~。
わたしは短大で児童心理とか教育心理とか学んだはずですが、
まったく記憶にありません。
10代の頃なんて勉強なんて全然好きじゃなかったし、そんな気持ちだから授業もおもしろくなかったからな~。
話が横道にそれましたが、
わたしは、小学生だったら3~4年より、5~6年のほうが難しい時期なのかなと思っていたし、
その先の思春期の方がもっと大変だろうと想像していたのですが、
「9歳の危機」って言葉があるくらい、9歳前後は非常に大事な時期だったのですね~。
ある意味、娘はまっとうな成長を遂げているってことなんだなと安心しました。
反面不安な気持ちを「死にたくない」って言葉で表しているってことは、
それだけ娘の心のうちには不安な気持ちが渦巻いてるってことでもあるんですが(汗)
興味深いので「9歳の危機」について書かれた本を読んでみようと思います。
だからと言ってその言葉だけに振り回される必要もない気がするし、いつの時期も大事なんですけどね。
他の方のブログには、この時期に偉人達の伝記を読ませるとよいって話もありました。
こちらの方のブログもとても参考になります。
娘はそんなこともなく育った気がしますが、息子は確かにその年頃は不安定だったかも。
ハルカちゃんは繊細なんですね~。(息子も繊細、少なくとも私よりは。。。)
私自身はどうも鈍感みたいで、な~~んも考えないでいいトシになっちゃいました。最近じゃ「あんなに元気だったのにねえ」と言われながらぽっくり死にたい、なんて考えてますが(笑)
特定の教育方法なんで習わなかったのかもしれませんね。
わたしの場合は、心理学はユングとかフロイトとかそっち中心で、
シュタイナーはモンテッソリとかと一緒で教育方法を習っただけなのかもしれません。
繊細というか親が叱ってばかりいるからなのかもしれません(汗)
わたしなんてそんなことに悩んだかどうかさえ思い出せません。
わたしも、起きてこないなって家族が見に行ったらすでに冷たくなっていた・・・っていうのが理想です。
でも理想通りにいかないのが人生なんだよな~(笑)
とうとう今日梅雨入りしました
う~ん「9歳の危機」知らなかったですねシュタイナーなんですか…。
もう3人とも過ぎちゃったわ~(笑)
「みんな地獄に~」おばちゃんもだよ(笑)
緑は…全然なかったかも
はるかちゃんは繊細だね。
でも一度はそういう風に考えたりしませんでしたか?
9歳ではなかったような(笑)気がするけど~どこか不安な気持ちになって、でも誰にも言えなくて…って気持ちに…。
交通事故のシーン、相当なショック?だったのでしょうね。
次女が…いつだったか「お母さん、私が高校生になった時にはもう死んでるよね」って言ったんですよも~凄いショックでね(笑)本人にその時の話をチクチク言ったりするんだけど本人覚えてないの(笑)
9歳だったかもしれない
最近の緑は「人間関係」の話が多い(笑)
先生の態度、言われる言葉。
かなりキツイ?毎日のようです。
こういった時、どんな言葉をかけてあげればいいのか
6年生も色々あって難しいですね…。
『9歳の危機』。。。
初めて聞いた言葉です。
繊細な心の持ち主なんですね~。
今思えば、9歳の時の息子は…
反抗期?と思うくらいに私に対してイライラしておりました。
一時はほとんど会話がない状態
「自分ができることを今から覚えていかないと…
あなたよりかなり年上なんだから、ママ、いつ死ぬかもしれないから、困らないようにきちんとしなさい!!」と説教すると…
号泣しちゃって…
『自立と甘え』がごちゃごちゃしている精神状態だったような。。。
『死』に対して敏感になる年頃なんでしょうかね~。
11歳になろうとしている息子はようやく精神状態が安定してきて、
(今だに甘えん坊は変わらないですが…。(笑))
不安感がある時は、抱きしめてあげてもいいのでは…?。
なんて、成長すると『女の子』と『男の子』とは感情が変わってきますから
子育てって難しいですね~。
雨の新潟です。
娘さんたちは心配なかったんですね。
わたしも、少しは死にたくないな~とか怖いな~とか思っていたんですが、泣くこともなかったし母に言うこともなかったんです。
ひたすらひとりで考えていた気がします。
次女ちゃんの言葉、
うちの場合、わたしが冗談でそんなことを言ったことがあり、娘が大泣きしたのでそれ以来親が早く死ぬとかそういうことはこちらからは言わないよう気をつけてます。
いう親がおかしいよね(汗)
人間関係、悩むよね~。
うちも先生のこととかたまに言います。
小学生もいろいろ大変ですよね。
ほんとほんと、かける言葉も考えちゃいます。
特にわたしは鈍いんで、まったく効果がない事やら逆に刺激してしまうようなことを言ってしまって失敗ばかりです。
まわりでも聞いたことないもん、わたしも。
うちもイライラもしていますね~。
機嫌悪く帰ってくることもあるし。
(前はいつも楽しそうだった)
会話がない状態でしたか。
成長とともにいろいろあるんですね~。
だいたい思っている事がわかったのってほんのわずかの時期だったな~。
今なに考えてるのかよくわからない時も多くて・・・。
娘は泣きながら自分から抱きついてきます。
普段もすぐに夫に膝にのったり、
夫が帰ってくると抱きつきにいったり。
わたしにはお風呂でよく抱きついてきます。
たまに人前とかでもわたしの膝の上に座って抱きついてくるのでこちらが恥ずかしくなるんですが、まだいいかとそのままにしてます。
やばいですかね(汗)
男の子も抱っこしてもらったりしたがりますか!?
友人は6年生でも抱っこしていたと言ってました。息子より自分がしたかったって(笑)
子育て、ほんとに難しいですよね。
何回も何回もおんなじこと言わないといけないし。
ほっておけばおいたでそれ幸いとやり放題だし。
加減が難しいです。
親に対しても「絶対に死なないでね?」って泣きついていました。
ちなみに性別は男です。
9歳の危機とありますが、私のそのときの精神状態はまさにその通りだったと思います。
何を言われようが安心できなくて、ずっとずっと不安でした。
ですが、親に「大丈夫だよ」と言われ続けていくうちに段々と不安感はなくなっていきました。
多分その段階に慣れたのではないかなと思います。
子育てのことはよくわかりませんが、あのときの自分のことを思い返してみると、
親はただ少し離れたところできちんと見守ってくれたら十分ではないのかな、と思います。
9歳になるころといえば、私の場合、死生観ががらっと変わった頃です。それまで考えもしなかった 死 が急に身近なものとなり、いつ死んでもおかしくないんだと、眠つけない夜が続きました。日航機の事故のせいと思っていましたが、そんな年頃なんだ・・と、目から鱗がぽろぽろ。
お邪魔致しました。