うちの庭に咲いている山茶花
今年はたくさん蕾を付けたなぁーと思っていたら、キレイに咲きはじめました♪
なんだか眩しい☆
ここ数カ月の間に、どんどん敏感になっているのか、猫が寝ている姿をみても、お花が咲いているのをみても、空の雲が流れるのをみていても・・・とにかくあらゆるものの中にいのちを見出した瞬間、何とも言えない気持ちになるんです。
うまく言えないけれど、
今ワタシが、猫が、お花が、雲が・・・ここにあることへの感謝みたいなもの。
ここにみんながいてくれて嬉しい、自分がここにいられて嬉しい、そういう気持ち。
心の奥のほうがふるえるような感じ。
ココロガウゴク。
先日、ある人が自分自身について話す場面に居合わせた時のこと。
その方はその途中でご自分の中にある‘恐れ’について気づかれ、またそれに触れることが
コワいのだ、とおっしゃいました。
ワタシはその時、その方のそのご自分に対して正直さ、コワいと感じていると正直に表現される姿を見せていただけたことに心が動きました。
いいカッコせず、コワいって言えるのってカッコイイなーって思ったのです。
そして、次の一歩をその恐れを抱えたまま踏み出してみようかなーと考えられている姿に
人間ってホントに純粋で、愛おしい存在だなーって、感じたのです。
誰もが多かれ少なかれ、恐れを抱えているのだと思うのです。
失敗したらどうしよう?
ヒトにどう思われるだろう?
またあんな思いしたらいやだなー。
・・・・。
でも、そんな臆病な部分も自分の一部。
全部抱きしめて、
恐れとともに、
その先へ踏み出してみる。
自分の中の恐れのありかに気付いた時、
それはまぎれもなく、飛躍するためのチャンス。
踏み出して、振り返ったとき
そこには恐れていたものの姿はなく、
まったく新しい世界が拡がっていることに気づく。
人間は生まれた時のように、ありのままの状態でいるとき
もっとも楽で、もっともキレイに輝けるのではないかしら。
それはもちろん、自分自身に対しても、周りの人々に対しても。
みんなそれぞれが、自分自身に正直で誠実であることが、
みんなが幸せを感じるためにできることなんじゃないかな。
とりあえず、ワタシ自身はいつもそうでありたいなって思う。
今年はたくさん蕾を付けたなぁーと思っていたら、キレイに咲きはじめました♪
なんだか眩しい☆
ここ数カ月の間に、どんどん敏感になっているのか、猫が寝ている姿をみても、お花が咲いているのをみても、空の雲が流れるのをみていても・・・とにかくあらゆるものの中にいのちを見出した瞬間、何とも言えない気持ちになるんです。
うまく言えないけれど、
今ワタシが、猫が、お花が、雲が・・・ここにあることへの感謝みたいなもの。
ここにみんながいてくれて嬉しい、自分がここにいられて嬉しい、そういう気持ち。
心の奥のほうがふるえるような感じ。
ココロガウゴク。
先日、ある人が自分自身について話す場面に居合わせた時のこと。
その方はその途中でご自分の中にある‘恐れ’について気づかれ、またそれに触れることが
コワいのだ、とおっしゃいました。
ワタシはその時、その方のそのご自分に対して正直さ、コワいと感じていると正直に表現される姿を見せていただけたことに心が動きました。
いいカッコせず、コワいって言えるのってカッコイイなーって思ったのです。
そして、次の一歩をその恐れを抱えたまま踏み出してみようかなーと考えられている姿に
人間ってホントに純粋で、愛おしい存在だなーって、感じたのです。
誰もが多かれ少なかれ、恐れを抱えているのだと思うのです。
失敗したらどうしよう?
ヒトにどう思われるだろう?
またあんな思いしたらいやだなー。
・・・・。
でも、そんな臆病な部分も自分の一部。
全部抱きしめて、
恐れとともに、
その先へ踏み出してみる。
自分の中の恐れのありかに気付いた時、
それはまぎれもなく、飛躍するためのチャンス。
踏み出して、振り返ったとき
そこには恐れていたものの姿はなく、
まったく新しい世界が拡がっていることに気づく。
人間は生まれた時のように、ありのままの状態でいるとき
もっとも楽で、もっともキレイに輝けるのではないかしら。
それはもちろん、自分自身に対しても、周りの人々に対しても。
みんなそれぞれが、自分自身に正直で誠実であることが、
みんなが幸せを感じるためにできることなんじゃないかな。
とりあえず、ワタシ自身はいつもそうでありたいなって思う。