イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

魚ヘンにハードで鰹

2008-01-31 21:34:44 | テレビ番組

長嶋監督の「魚ヘンにブルーで鯖」じゃありませんが、背の青いのも、白身も赤身も貝類でも、海のもの系でアレルギーを起こしたことはいっさい無かったのに、23年前から、鮪の刺身、鰹の叩きなどナマ系だけでなく、海老天ぷら、牡蠣フライ、ヘタすりゃハタハタや鰈の煮物、鰤の照り焼きですら、くるぶしや膝など、特に下肢の関節の周りがかゆくなるように。

たとえば鮪なら鮪をひと切れでも食べるたび、毎度毎度なるわけではないし、我慢できない、日常作業に支障をきたすほどの痒みでもないので、都度、忘れてしまうんですな。家庭での食事って、自分がコレを食べたいからという動機で作って食卓に並べるわけでは必ずしもなく、8割がたは“家族に食べさせるための付き合い”ですから、はいはいほらほらと食べてしまってから12時間で「あ、コレは来たかな?」。

活きの下がったものとか、生煮え、生揚げとか、食材の状態や調理の仕方とも関係ない様子。何より、家族全員が月河より大量に食べて平気なのに、月河ひとり、どうもムズムズモヨモヨしている。

何年か前、風邪引っ張りの咽頭炎・鼻炎が、春先から初夏まであまりに長引いたので花粉症のたぐいのアレルギーではないかと思い、血液検査をしてもらったことがあります。

 結果はシロでしたが、そのとき呼吸器科の医師から聞いた話では、アレルギー症状にはふたつの側面がある。

ひとつは“ビルドアップ”効果と言って、生まれてから少しずつ体内に蓄積して来た抗体が、ある年齢、ある時点で“水面”を突破し鼻炎などの症状が出るに至る。一度突破したら、あとは一生ものだそうです。

 「数年前まで花粉症なんて他人事と思っていたのに、ある年突然発症した」という話はよく聞きます。

 いつかトーク番組で石原伸晃議員が「オヤジ(=石原慎太郎東京都知事)はボクの花粉症を“精神がたるんでいるからだ”とよく言ってたのに、自分も花粉症になったもんだから、途端に“スギ林はぜんぶ伐採してしまえ”と言い出した」って話してるのも聞きました。

もうひとつは、もともと体内に一定の、“安全圏内”量の抗体を抱えて無症状で生活していても、風邪をひいたりストレス・疲労などで免疫力が低下すると、ちょうど干潮時のように水面そのものが下がってくるので、安全圏内だったはずの抗体でも突破して症状が出てしまう。これは、風邪など原因が治れば免疫力が回復して症状は消える。

自分の場合、37ぐらいの比率で、前者より後者が重いのではないかと思いますが、それより何より、鮪とか海老とか鰹とか、栄養たっぷりな魚介類をたらふく食べる機会があまりに少ないので、たまに胃袋に入ると体が“異物”と判断してしまうのかもしれません。うん、むしろそれだね。

『安宅家の人々』は第19話。どう見ても“ホテルごっこ”な宗一(内田滋さん)の総支配人業一日めは、ダイエット中のお客様に、ホテルからの粗品バレンタインチョコ無理やりあげようとして突き飛ばされた程度で大過はなし。キレたお客様も宇田川父さん(深水三章さん)の「のちほどお部屋にハーブティーを」のひと言殺し文句(?)でご機嫌直してくれてるし。おじさま好きか。

結局、宗一が心から欲している女性は永遠に「お母さま」(≒母性)であって、「クニちゃん、笑顔、いちばんデス!」なノリで幼い頃から友達として接して来た久仁子(遠藤久美子さん)にはその代わりが(いまのところ)できない、というところに、ドラマ的緊張感があるのだと思う。男性がセクシャルな感情を湧き立たせるおおもとは母性回帰なので、恋愛・性愛感情の対象には必ず“母”の面影が陰に陽に存在していますが、“友達”は自分と同じ列に、同じ方向を向いて並ぶ同類項ですから、“対象”になり得ない。

「友達付き合いが長すぎて異性として見られなくなった」という話はよくあるし、「男と女の間で友情は成立するか?」なんてアンケート、ディベートもいろんな雑誌やサイトで年中やってますな。

ただ、このドラマ、なかなかそのディレンマに話がフォーカスして来ないんだな。どうする。早く雅子(小田茜さん)をからませてごちゃごちゃさせて行かないと。譲二(小林高鹿さん)にしても佳恵(奈美悦子さん)にしても、イタリアに留学した仁美(宮下ともみさん)にしても1話だけ威勢よく悪役啖呵切っても毒づいても、翌話ぐらいでもうニコニコ円満になっちゃう繰り返しだし。もう1月も終わり、クールの3分の1過ぎちゃうんですけど。

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らっしゃいマセ~

2008-01-30 23:05:33 | スポーツ

終わって3日も経っちゃいましたが大相撲初場所。協会は何より、開催15日中満員御礼7日というのが久々嬉しかったんじゃないかと思いますが、結構、ねえ?空気読んでるじゃないか、朝青龍。

千秋楽に相い星対決(しかもつつましく、全勝じゃなく1敗)で、東の正横綱に負けて準優勝、とは謹慎明け復帰初の本場所としては非の打ちどころのない、ツッコまれ余地を最小限に食い止めた成績じゃないでしょうか。全勝優勝とか、23敗したけどとにかく優勝とか、逆に負けが込んですごすごと途中休場とかの場合を想定して比較したら、この成績がいかに完璧かわかります。

朝青龍本人を含めて、誰かが筋書き書いたのではなく、自然の帰結でこうなったのだとしたら(それ以外何があると思ってんだ自分)、土俵にはやっぱり神様っちゅうものがいるんだと思うしかないですな。

朝青龍の贔屓ではない月河もちょっとだけ気の毒だと思うのは、相撲関係者・相撲ファンって、“ヒール”というものの存在意義や鑑賞・消費のし方を心得ている人が非常に少ない世界だということ。

無断で母国モンゴルに渡航することが“帰国、”相撲取りとして本来なら活動起居の本拠であるはずの日本に戻ることが“来日”と書かれてしまう立場、プロレスなら“外人悪者レスラー”として過不足ない振る舞いなのに。

昨年暮れ近く再“来日”の際の、ボクシング亀田選手とも比較された毛皮のコートなんか、絵に描いた様なヒールレスラーっぷりだったのに。残念ながら、いまの相撲界はアレを「よっ!」と面白がって受け容れてくれる風土にないのです。

せめて“大関”ならまだよかったのかな。“横綱”ってなっちゃうと、どうしたって後進の若い衆や、ヘタすりゃ素人の(将来新弟子候補にならないでもない)子供たちのお手本・模範が求められますからね。

あと、母国モンゴルの政治体制が過渡期で、“日本で稼いだ金で国営払い下げ企業を次々買収し一族がモンゴル№1の財閥化”ってなカネがらみ、カネまみれ報道が突出したのも朝関に不利だったな。いまの日本人、“(おもに団塊世代が)汗水流して稼いだジャパンマネーが、(1円でも多くキープしときたい年金や福祉原資にならずに)外国に流出”って情報に、ことのほかナーバスですから。

復帰2場所めの春場所は3月。今度は土俵の神様はどんな采配をしてくれるでしょうか。そろそろ「コレは思いもよらなかった」ってな、順当妥当の真逆を行くサプライズ展開も見たいな。なんだかんだで大相撲って、15日間続くから、ドラマ性・筋書き性があるんです。

さて、ドラマと言えば『安宅家の人々』18話。どうもこのドラマの台詞やキャラ、特に遠藤久美子さん演じるヒロイン久仁子の人物像が、4週目半ばになるのに印象深く彫琢されてこない理由のひとつがわかりました。

台詞の大半が「~ます」「~です」「~じゃありませんか?」語尾の敬語。しかもささやきに近い“言って聞かせ調”だからいつまでたっても“タテマエでしかものを言ってない”ように聞こえる。

昨日17話で安宅高原ホテルが新装オープンして、記念パーティーでの関係者へのスピーチ、今日は従業員一同への訓示と、ひとり喋りの場面が続きましたが、譲二(小林高鹿)や雅子(小田茜さん)に対して、プライベートな感情を入れて喋ってるときも口調がほとんど一緒。

こんなにどこまでもタテマエ、オフィシャル信念、金科玉条でばっかり暮らしてたら疲れるだろうにさ。昼ドラヒロイン、長丁場3ヶ月12週からの出ずっぱりマラソンなんだから、もっと視聴者に対してもくだけて行こうよ。

ヒロインと言えば昨夜『ぷっすま』出会いがしら視聴で、『只野仁』SP番宣かたがたゲスト出演の櫻井淳子さんを、産休明け後初めて見ました。『美しい罠』の類子さん。実生活でママになれてよかったね。相変わらず細い。メイクがちょっと変わってキツマダム風になったけど、蜜柑運び競争で草彅剛さんの掟破りロングスタンバイを体育座りで待つときの表情が天然。この人のヒロイン作は93年『誘惑の夏』もとてもよかった。結構、良くも悪しくも、揺れ動いたキャラだったのですがね。

男性キャラのイケメン・美形っぷりや、悪役キャラのぶっ飛びブラックっぷりを鑑賞するのも“副菜”としては悪かないけど、やっぱり昼ドラはヒロインが輝いてこそ。

主たる観客が女性、それも既婚女性だけに、男性向けのVシネやゲームソフトでのようにひたすら美人に可愛くセクシーに作って撮って見せればいいというわけではなく、難しい分野かもしれませんが、キャスティング・脚本、ともにもっと高みを目指してほしいところです。

譲二・雅子の結婚式が佳恵(奈美悦子さん)の台詞だけで、小田茜さんのウェディングドレス姿が佳恵の店での試着見せだけというのももったいない。準ダブルヒロインなのに。美人女優の花嫁衣裳シーンと言えば、昔はそれ単体でドラマの呼び物になったんだがな。

今日、笑ったのは辰巳シェフ(田原正治さん)。久仁子父(深水三章さん)を「ヒデさん」て呼んでたし、どう見ても口調が板前さん。トリュフなんかより、お作りとか握りのほうが得意そう。「ウデも上げましたヨ~」って演歌歌手ばりにコブシ握ってたし。

て言うかなんてったって従業員数少なすぎ!!(内陣ほとんど同一セットとは言え)『金色の翼』の海と空のホテルみたいに会員限定じゃないようだし、大丈夫か安宅高原ホテル。

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走れバイクよ 紅号よ

2008-01-29 23:25:58 | アニメ・コミック・ゲーム

↑↑↑もちろんキャラ違いです。

仮面ライダーキバ』。『安宅家の人々』と、時制の“バブル期”のほかにもうひとつ共通項がありましたね。

OPに降りそそぐ紅薔薇の花びら

昼ドラで赤い花びらはそんなに新奇なモチーフではありません。記憶に新しいのは01年『レッド』。

生まれつき髪が赤いことでいじめられ悩んできたヒロイン(遊井亮子さん)にとって、“赤”は特別な色であり、舞い落ちてくる花びらが赤に変わることを受け容れ、次第に表情が和らいで、色あざやかなショーウィンドウの街を活き活き笑顔で走り出すOPは、そのまま最終話までの彼女の心の旅路を象徴していました。

『安宅家』OPでシンプルな白ロングドレス姿の遠藤久美子さんに降り注ぐ花びらは、OP冒頭の、無人の安宅家ダイニングに飾られた花瓶の薔薇から横すべり的にパンするところからして“安宅家メンバー・家族の温かい愛情と、愛に満ちた思い出”を象徴するのではないかと思われます。

花びらの散り敷く道を行く遠藤さん、急に星の光のフラッシュに目をそばめますが、見回すと輝きに満ちた無限の宇宙。ラストは再び花びらの深紅の絨毯の上、満ち足りた表情で横たわり“広い世界を仰ぎ垣間見、ときに驚き怖れる経験をへても、帰る場所は家族の愛”ってところでしょうか。

『レッド』OPを初めて見たときは、ブライアン・デ‐パルマ監督の映画『キャリー』を思い出して、最終話近くまで不気味さ・不吉さが拭えなかったものですが、慣れでしょうか、今作は紅の花吹雪にはむしろ“華のある安らぎ”さえ感じられ、異様さや落ち着きの悪さはありません。

…ただ、OPバックに流れる主題歌『ヴァージン・ロード』(新妻聖子さん)の、神々しい中にも物悲しい歌詞のせいもあり、食卓を彩り馥郁と香っていた“愛”が、“甘やかにも儚く散ってしまった思い出”に変わる展開はあるかも…とは一抹思わせます

一方、『キバ』は、ヒーローの姓からして“(くれない)”と直球ど真ん中。

OPでヴァイオリンに降りそそぎ、横たわる音也&渡の父子ヒーローを覆い隠し、渡が素手パンチで粉砕するステンドグラス窓から嵐と吹きつける深紅の花びらは(そもそも薔薇と特定できるカットはなく、この世のものではない可能性も)、脈打つ“血”“生命力”の迸りを伝えてくるとともに、“滅び”の気配“散華”の予兆もはらんでいます。

イメージとしては『龍騎』OPの鏡(ミラーワールド)の破片に近いかもしれない。紅の花びらが舞うとき、何かが始まり、何かが崩壊する。劇中でキバットがモディリアニの『ジャンヌの肖像』を礼賛していましたが、『レッド』じゃないけど、この画家にとっての最愛のミューズも赤毛で有名です。“赤”のイメージはこれからもかなり強調され、いろいろな形で核心とかかわってきそう。

ところで『安宅家』と言えば今日17話では、譲二(小林高鹿さん)のプレゼンにしたり顔でヨイショする役員に06年『美しい罠』の小谷教授・窪園純一さん、新装オープンした安宅高原ホテルのウェイター役に05年『契約結婚』の万砂子弟で『週刊こどもニュース』OBの荒川優くん、ウェイトレス?役に04年『愛のソレア』の洋一妹・松下萌子さんの顔が。

特に松下さんは眉が『真夏の薔薇』の碧みたいなアーチ型になり、『愛ソレ』の強腰でジェラスな少女時代凛子とイメージが180°変わっていたので、今日の出番は久仁子(遠藤さん)の開業スピーチをかしこまって聞いているワンカットだったこともあり、初見では識別できませんでした。

そろそろ安宅家”関係者以外のアウトサイダーが、誰か積極的に本筋に絡んでこないと息苦しくなりそうな時期に来てもいます。なんだかんだで以前からお馴染みの俳優さんの参入で楽しみは増えました。

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ウェイクアップ!

2008-01-28 20:53:03 | アニメ・コミック・ゲーム

昨日(27日)はHDD・ビデオ(いまだHDD慣れてないので保険)両建て録画を回しつつ、『仮面ライダーキバ』第1話を遅めの日曜朝食準備傍ら、ながら視聴。

1年前『電王』1話ではいきなり主題曲の ♪いーじゃん!いーじゃんすげーじゃん! で、あぁ骨の髄まで小さなお友達向け仕様だわコレ…としみじみした記憶がありますが、今作は鳴海シュウヘイさんの曲『Break the chain』、ヒップホップ調でなかなか渋いではないか、OP映像も555の赤網に捕らえられた真理ちゃん(芳賀優里亜さん)を思い出させてなかなか見せるぞ!と思いきや、本編に入ると見分けのつかない美形女性キャラ満開の絵柄華やかさにちょっと圧倒され気味。

『剣(ブレイド)』の後半ぐらいからかな?仮面ライダーの原点に戻って“青年前期の男子向け”女子キャラが惜しげなく投入されるようになってきましたね。『555』の蝦姐さんこと影山冴子さん(モデル出身であんだけ演技的に化けるとは驚異だった和香さん)や、『剣(ブレイド)』の蘭ちゃん吉永みゆき(その後昼ドラでも大活躍の肘井美佳さん)・虎姐城光(浜崎茜さん)ぐらい綺麗でキャラ立ってて魅力があれば、中年後期の女子も大歓迎だけどな。

あと、喋るCGキャラ・キバットね。喋って悪いことはないけど、『555』のオートバジンや『龍騎』の契約モンスターたちを思い出すと、声萌えガワ萌えのためになんでもアリになっちゃったな、とつい遠い目になったりもするわけです。

『響鬼』ですら(“すら”ってこたあないか)、ディスクアニマルたちは啼き、吠えるだけで、連絡事項喋りはしなかったし。

70年代の元祖仮面ライダーを小学生時代に見て憧れて、2000年代に入ってからのいわゆる“平成ライダー”を3040代になってから子供につられて見た世代のお父さんたちが「銃刀や剣で戦うライダーなんか仮面ライダーじゃない、仮面ライダーは素手でパンチとキックだ!」とひそかに不満に思う気持ちが、少しわかったような気がします。

ようするに“こんなことができたらいいな”を現実化し、“感情移入しやすいキャラを惜しげなく投入する”ことに関して、節度がどんどんなくなってきているんだな。

まあ、いち視聴者としては、話としておもしろくしてくれることになんら異存はないのですが。

たとえば前述のオートバジンや『龍騎』のサイ型メタルゲラス・白虎型デストワイルダー、『剣(ブレイド)』のマッハで走るジャガーアンデッドなんかは、“人間言葉でしゃべったらおもしろそうだけど、設定としてしゃべれない”から限りない味があった。

ご親切に先回りしておもしろくしてくれてるために、かえって“観る側が想像力でおもしろさを紡ぎ出す”道が封印されてるような気がしてならないのです。

父・息子2代のヒーロー。ちょいナンパでナルな86年時制父役・武田航平さんは“見ばえのいい、嫌味を洗い流した赤坂泰彦風”、不器用でナイーブな現代時制の二世役・瀬戸康史さんは“同・米良美一風”。夜空の月をバックにした変身シーンはダークファンタジックな魅力があります。

お話もキャラも、成功したライダー作品は序盤のある時点から急速に“握力”を増していくのが常。それまで見守りましょう。

それにしても、『安宅家の人々』といい、そろそろドラマという虚構上でも“80年代後半バブル期”を現代の諸問題の父祖、淵源に想定するのがトレンド?になってきているのかな。それも面白いですね。

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社長ごっこ

2008-01-26 19:56:44 | アニメ・コミック・ゲーム

『安宅家の人々』も数えて第3週、25日が第15話。宗右衛門(目黒祐樹さん)夫妻たっての(無茶な)望みで後継指名された宗一(内田滋さん)、社長席に座らせてもらって「回り過ぎデース!」ってはしゃいでますが、それにしてもドラマで“幼稚園~小学校低学年レベルの知的障害”っつうと、どうしてフードつきダッフルコートとリュックサックになるのだろうか。

96年『ピュア』での和久井映見さんの“お色違い”みたい。

視聴者に嫌悪感を催させず陰々滅々気分にさせず、かつしらじらしく嘘っぽいキレイごとに堕さずに“知的障害”を表現するのは難しいとつくづく思います。

知的障害つながりで思い出したわけではないのですが、確か一昨年『偽りの花園』放送中、東海テレビの公式掲示板にアクセスしたところ、「ドラマ化してほしい小説・漫画・映画などはありますか?」というアンケート画面が出てきたので、昭和40年代前半『週刊マーガレット』に連載され、終了後単行本化もされていた武田京子さんの『愛のひみつ』という作品を挙げてみたことがあります。

昭和40年代前半というと、月河が小学館や学研の学年誌に飽きてしまい、いちばん少女・少年漫画を読んだ時期だったと思います(40年代も中盤になるとそれも飽きて、創元推理や角川・ハヤカワなどフル活字文庫を荒らしていくことになります)。

おおむねは当時、市内で日用雑貨とともに雑誌も売っていた親戚宅や、月に12度は親について行った理容・美容室や病院の待合室で細切れに読んでいたのですが、たまたま本屋さんで「単行本1冊ぐらいなら買ってあげる」と言われ、あまり考えなしに「前に週マでちょっと読んだことあるコレを」と選んだのがこの作品でした。当時の月河はたとえば週マ連載陣で言えば西谷祥子さんや水野英子さん、本村三四子さん辺りのバタ臭い絵柄のほうが好きで、どっちかと言えば日本的で地味めだった武田京子さんの作品が特に贔屓だったわけではないのですが、複数巻にわたる(当然高額で「そんなに高いのはダメ!」と怒られそうな)大長編でなく、1巻にまとまっているからこのへんで手を打とうと、子供心に親に気い遣ったんでしょうな。

国籍不明の“睫毛のなびく瞳にお星さま”少女があふれる週マの中では、昭和同時代舞台の日本ものだけをひたすら書いておられた印象の強い武田京子さん。めでたく買ってもらって手にした当該単行本の表紙は、珍しく華やかな向日葵黄色基調だったと記憶しています。

かれこれ40年近く前の刊行、手元に取ってありゃ話が早いんですが、そうしてないから忘却の淵を渡り脳内捏造の峠を越えて、遠い記憶をたどる話になります。例によって、原典ドンズバ保存されてるかた、正確な資料ありのかたがいらっしゃいましたら訂正ご指摘などいただければ幸いです。

主人公は両親を早く失い遠縁のケチなおばさんに引き取られて、そのおばさんの営む大衆食堂でタダ働きこき使われる毎日を送る少女・和子。どうですかお客さん。昭和40年代前半でなければ少女漫画のヒロインに絶対なれない役名ですよ。“昭和”の和の“和子”。

「中学さえ卒業したら、あんな家は出て、住み込みの仕事を見つけて夜間高校へ行く」のが夢です。ああ昭和。

ある日屋根裏の部屋へ、「お願いかくまって」と身なりのいい、強腰の娘が飛び込んできます。彼女は豪邸に住む金持ち令嬢・美樹。お抱え運転手と監視役の召使をやり過ごしたあとふたりつくづく顔を見合わせ、美樹が和子の低めツインテール“お手伝いさん結び”をほどいて「こうすれば…」ふわっとさせると、背格好も顔立ちも瓜二つ。

まぁいまも当時も、少女漫画のキャラって同一作者なら髪型服装以外顔立ちはみな似かよってはいました。

翌朝和子が目を覚ますと、美樹は「一週間入れ替わってみない?あなたの洋服を借りて行きます」の書置きを残して姿を消しており、捜索に訪れて瓜二つの和子を美樹と思い込み連れ帰ると言い張る豪邸スタッフを目の前に「この子が確かにお嬢さんだというんですね?だったら一晩大切にお預かりしたお礼ぐらいいただきたいもんだね」と欲の皮突っ張ったおばさんに嵌められて、和子は一週間豪邸で美樹として生活するはめに。

物語はこうして、心ならずも貧しい孤児から期間限定で豪邸の令嬢となった和子の“セブン・デイズ・ワンダー”として展開します。

『偽りの花園』も、捨て子と名家のご落胤との一種の『とりかへばや物語』だったので、公式にアクセスしたとき「そう言やアレも昼ドラに向くかも」と約40年ぶりに思い出したのかもしれません。

『安宅家』のダッフル宗一とどこでつながるのかは、また明日以降ここで書きたいと思います。

コメント (2)
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