イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

歌姫たちの波濤 追補 ~何もかもすべてが夢心地~

2020-08-23 22:10:53 | 芸能ネタ

 「ごいすー(=“凄い”)だったな」・・

 ・・高齢組が、弘田三枝子さんと森山加代子さんと、ついでのトバッチリの様に坂本九さんの話で盛り上がって、スッキリした顔で寝静まってから、しばらくして非高齢家族が苦笑いしながら言い出しました。

 月河家で、高齢組の昔話攻勢が何の話題であれ本格的に炸裂して、クチ挟むタイミングが見つからないくらいになると、非高齢家族の反応はだいたいこれしかなくなります。

 (ちなみに非高齢家族は月河と同年代ですが、小学生坊主だった頃の興味関心が月河とは大幅に違うところにあった様で、芸能有名人の名前などデフォルトな事を知らなかったり、逆に三面記事的な事件や容疑者の名前を妙に克明に覚えていたりします)

 「“歌うまかったのになぜか消えた歌手”って言えば、そりゃ朱里エイコ、って言いたかったんだけど」・・話がヘンな方向に行きそうなので放置で炸裂するに任せた、とのこと。

 朱里エイコさん。このへんなら月河もリアルタイムで覚えています。1970年代初頭から表舞台に急に出るようになった、小柄に見えるけど脚の線がとても綺麗な人で、いつも深いスリットで脚を強調した、キラキラのスパンコールの衣装を着ていたような。出てきた時からすでに「アメリカのショービズ界(“芸能”界じゃなく)で武者修行してきた」「ラスベガスでショーに連続出演した」「アメリカの高名アーティスト誰某と共演した」「オリジナル曲の提供を受けた」とかなんとか、とにかく“アメリカでうんたらかんたら”の修飾を常にこってり背負っていて、良く言えば叩き上げの実力派感に満ち満ちていたものの、悪く言えばフレッシュさが全然なかった記憶もあります。

 調べたら1948年(昭和23年)生まれで、弘田さん、伊東ゆかりさんらより1コ下なだけ。たぶん弘田さん伊東さんたちが十代で、日本で日本語カヴァーの洋楽でヒットを飛ばしていた昭和40年前後、朱里さんはすでにアメリカに渡り“武者修行”に励んでいたのではないかと思います。最初から日本で売れたいと思わなかったのかな?・・「売れ出したころ、ハーフじゃないまでもアメリカの、特に黒人の血統が入ってる説もあったんだよな。リズム感とか、間奏で歌ってないときでも全身でパーッとアピールする感じとか日本人離れしててさ」

 “日本人離れ”・・やっぱりそこ行きますか。想像ですが、朱里さんの場合、血統や出自が何らか影響していたのかはわかりませんが、“この日本って国、生きづらい”という気持ちが思春期の頃からどこかにあったのではないでしょうかね。アメリカの楽曲に日本語詞をあてて、日本のテレビやラジオで日本人向けに歌ってウケることを目標にしたくなかったのかもしれない。歌手を夢みる日本人少女の中に、そういう方向の野心やコンプレックスを持ち、それをバネにする子は一定数いたはずです。敗戦後約20年という時代背景を考えると少しわかる気もする。

 朱里さんの“アメリカ武者修行帰り”は看板倒れでないことは、子供の月河がテレビだけ見ていてもわかりました。実家母は「バタ臭い」と評していたように思います。非高齢家族が記憶していた“アフロアメリカンの血が入ってた説”は、実家母は知らなかったと思いますが、“日本人離れ”はしているし脚はきれいだけど「見てごらん、頭が大きくて、バスト下からウエストにかけてズーンとしてる(=ずん胴)でしょ、あれは日本人体型だよ」と、洋裁をよくする人らしい着眼でした。

 そして不思議なことに、“アメリカ帰り”をあれだけ鼻高々で強調し喧伝していたのに、日本での初ヒットとなったオリジナル曲は、タイトルからして『北国行きで』と思いっきり昭和歌謡で、曲もサビに入るところの♪ あァ――なンにもあなッたは知らないの と、軽いR&Bばりにイキむところに彼女らしさの片鱗はうかがえるものの、全体的には別に朱里さんでなくても歌えそうな曲なんですよね。

 この1972年(昭和47年)という年は吉田拓郎さんの『旅の宿』や小柳ルミ子さんの『お祭りの夜』『瀬戸の花嫁』等がヒットして、日本全国なんとなく“旅ごころ”“離郷志向”にさそわれつつ、レコードセールス№1は宮史郎とぴんからトリオ『女のみち』とド演歌。たぶん朱里さんを日本で売り出すについてその地合いから浮かないように、“アメリカかぶれ”臭がきつくならないように・・と考えての選曲だったのでしょうし、事実うまいこと紅白歌合戦の選に入るヒットにはなったのですが、朱里さん自身は納得していなかったのではないかとも、ちょっと思います。

 前の記事でも書いた森山加代子さんは1970年の『白い蝶のサンバ』でのカムバックからこの年には再びフェードアウトしており、やがて結婚が報じられました。69年に『人形の家』で変身登場した弘田三枝子さんも、この年からは紅白出場が途絶え、その後一度も出場していません。

 思うに、GSブーム、エレキサウンドブームを通過して、この時期の日本は、日本人アーティストの“洋楽傾倒”“アメリカ踏襲”に倦んでいたのではないでしょうか。一方でカーペンターズなどカヴァーでない本物の洋楽もベスト50以内に入ってきていますから、外国人が外国人の顔で歌う外国語の曲は、それはそれで受け容れられるようになってきていた。弘田さんの『VACATION』が戦後17年、森山さんの♪ ティンタレラ ディルンナ~『月影のナポリ』は20年。長い様で短い、でも短いようで、敗戦のズタボロからやはり四半世紀余を越えたということは大きかったのです。

 朱里エイコさんがもし十代での歌手としてのスタートを、弘田さんや森山さん、伊東ゆかりさんの様に日本で切り、アメリカ流にこだわらずに日本人に聴かせるポップスを歌っていたら・・と思わずにいられませんが、『北国行きで』の頃日本で喧伝されていた通りの評価と成功をすでにアメリカで獲得していたのであれば、そのままアメリカに居ついてアメリカ国籍取得し、アメリカを拠点に世界規模で活動する道もあったろうに、帰国して日本の芸能界の流行りに合わせて歌謡曲でヒットを狙うということは、どこかで“私は日本人なんだから日本で認められたい、錦を飾りたい”気持ちがあったのかなとも思います。

 いくら実力があって努力もしても、アメリカの1960年代のショービズ界で、敗戦国のアジア人女性歌手が、差別や偏見を浴びせられなかったはずもない。

 日本に居ればアメリカに憧れ渇望し、アメリカに渡れば日本への凱旋を願う。朱里エイコさんは晩年は健康を害して露出が減っていましたが(2004年56歳で死去)、そういう事とは別に、ふたつの相反するベクトルに、溢れる才能と意欲を摩り減らした人生だったような気がしてならないのです。

・・おや、でもウチの非高齢家族は、ちょっと違う事を言いますよ。

 曰く「朱里エイコも、森山加代子とおなじで男マネージャーと結婚したけど、離婚して、離婚したのに事務所は共同で運営してて、結局、例の宗教団体○○△会のトップと衝突して、それでガツンと仕事が減ったんだよ」・・・・ありゃりゃ、それは初耳だわ。訃報もそういえば新聞の扱いが小さかったような。圧かけられてたのかしら。

 ・・・「何で宗教に入ってたのか知らないけど、うまいことやってればあの団体は傘下の興行会社が日本全国にネットワークあるから、ショーとか舞台の仕事回してくれるし切符も売ってくれたのに、よっぽど腹に据えかねることがあったんだろうな」「宗教やめて急に声が出なくなるわけじゃない、歌がヘタになるわけじゃないのに世間は冷たいよな」「歌うまかったのに消えた人、沈んだ人・・で朱里エイコの名前出したら話がヘンな方向に行きそうだなと思ってコレ(=クチにチャック)してたわけよ。宗教ってなると、もう音楽や歌の話じゃなくなるから。問答無用だから」。

 ・・そうか。非高齢家族の話ですから根拠はないですが、彼女が宗教団体に入る様なマインドの人だったなら、アメリカと日本に引き裂かれる上昇志向にも意味があったのかな。あの団体は海外、特に欧米で布教集金の広告塔になり得る芸能人は優遇しますからね。

 実は月河が“朱里エイコ”という字並びと声に初めて接したのは『北国行きで』でも紅白歌合戦でもなく、『アニマル1(ワン)』というスポ根アニメのOP主題歌のクレジットだったりします。調べると1968年(昭和43年)春から秋の放送。アマチュアレスリングでオリンピックを目指す少年が主人公とあって、『いだてん』風の(←既に懐かしい?)ファンファーレ調なイントロ、♪やるッぞいッまにみてッろ バババババンッ!と 日の丸あっげるっのだーー!  と、当時推定20歳の朱里さんの、パワフルかつ澄んだ声が勇ましく気持ちいい。

 たぶん最初の渡米武者修行から帰国して、日本での歌手活動を手探りしていた時期のアニメソングオファーだったのでしょうが、なんとなく、72年の『北国行きで』よりこちらのほうが、朱里さんの“歌いたい!”情熱にフィットしていたようにも響くのです。

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歌姫たちの波濤 ~儚い命 運命(さだめ)なの~

2020-08-22 21:29:47 | 芸能ネタ

 このブログでいっとき「有名知名人の、媒体で伝えられる訃報については“アノ人のときは細々触れたのに(同じ分野もしくは同年代で同程度活躍した)コッチの人のときには無視”とはなりたくないから、原則ぜんぶスルー」(大意)と、勘違いな姿勢を臆面もなく打ち出していた時期があります。

 それをみずから引っ込め「今日は訃報について書く絶対書く書くっつったら書く」と宣言して封印を解いた(←これも勘違い)のが2011年6月の、ピーター・フォークさん逝くのときではなかったかと記憶していますが、それから9年。

 これだけグウタラで目標意識も信念もないブログが2020年、令和のコンニチまで続いていることも不思議かつ万感ものですが、9年も経つと、記事に書こうが書かずにスルーしようが、重ねた齢(よわい)的に、「人間が死ぬ」「この世に存在し活動することをやめる」という報への興味関心、刺激され度合いはより高まってきます。

 ウチの高齢家族、非高齢家族ともにそれぞれの度合いで同じ傾向なようで、先日の弘田三枝子さん急逝の報で、「あの頃よく流れていた曲あれこれ、歌がうまいと思った歌手あの人、この人」の話題にしばらく花が咲きました。

 「弘田三枝子もすごかったけど、うまいと言えば森山加代子」と、思いがけない名前を出してきたのが、月河家でいちばん洋楽との接触が長い高齢家族その2。「女性にしてはふっとい声で声量があってね、少しハスキーで、テレビの時代になって浅かったけどマイク乗りがすごくいい」「♪ティンタレラ ディ ルンナ~(『月影のナポリ』) って、カタカナ歌詞でもはっきり発音するのが良かった」。

 「♪かわいいベイビー ハイハーイ(『可愛いベイビー』) なんて、あとから歌った中尾ミエの持ち曲みたいになっちゃったけど、森山加代子のほうがずっとうまかったよ」・・高齢組ふたりとも、この“はっきりキレイに発音”“聞き取りやすい”は、加齢で聴力が怪しくなるずっと前から、彼らにとっての日本語歌手の最大の基準です。かつての『スター誕生!』の審査員松田トシさん的なところがあり、彼らにかかるとまずサザンオールスターズはほとんど全曲ダメですが、井上陽水さんはOKです。歌詞の意味が不明でも容易に聞き取れて「♪へやのどあーはきんぞくのめたるで」(『リバーサイドホテル』)等と字に起こせるから。

 ・・ところで森山加代子さんと言えば、月河の年代だと『白い蝶のサンバ』の印象が強く、早口言葉の様なリリックで確かに活舌が良く発音も良く、声も伸びがありテレビ画面から前に向かって放出してくる感じだった記憶はありますが、♪ていんたれらでぃるんな~ などの洋楽カヴァーは、『白い蝶~』が売れてからの森山さんが“昔歌っていた曲”として知った程度。1940年生まれですから、バリバリ売り出しの時期が弘田さんよりちょっと前だったので、就学前児童月河の守備範囲に入って来なかったと思われ。

 調べたら、森山さんは惜しくも昨年=2019年3月にすでに鬼籍に入っておられました。78歳。知ってた?と高齢組に訊いたら、なんと知っていました。ただ「去年だっけ?もっとずっと前だった気がするけど」

 「あの子は函館出身でね、札幌の、当時有名なジャズ喫茶で歌っていたところをスカウトされて、NHKの『夢で逢いましょう』で、坂本九ちゃんとコンビで売り出したの。デュエットで紅白歌合戦にも出て、映画も共演して、プライベートでもいい仲で、キューちゃんカヨちゃん“結婚するらしい”“今年じゅうにする”“決まりだ”ってずっと、あの頃はテレビのワイドショーみたいのは無かったから、週刊誌なんかでさかんに言われてたのに、いつの間にか言われなくなったなと思ったら、九ちゃんは出続けてるのに、森山加代子だけ出なくなった」

 「何年も、そうねえ、十年近くテレビに出ないし曲も出なくて、不思議と、あの子が歌って売れた昔の曲までピタッと、懐メロ番組でも流れなくなって。で、久しぶりに出て来て、あーやっぱり歌うまいわと思ったら、なんかヘンな早口言葉みたいな曲を歌ってた」

 ・・『白い蝶のサンバ』は1970年(昭和45年)、大阪万博EXPO’70の年の大ヒットです。ちなみに作詞阿久悠さん。

 弘田三枝子さんが『人形の家』で変身カムバックを果たした翌年ですから、この時期、“洋楽カヴァー全盛時代を支えた歌手たちの転身・模索時代”だったのかもしれません。

 「で、戻って来たなと思ったら、また一年かそこらで出て来なくなって。歌うまいのに一発屋みたいになっちゃってね」

 ・・高齢家族なりの総括は「あの子は坂本九ちゃんの、プロダクションか何かに潰されたんだと思うよ。結婚も、本人たちは本気だったかもしれないけど、周りの偉い人たちがなんだかんだ反対したんだろうね。イメージとか売り上げに影響するから」「ひょっとしたら、カヨちゃんが“結婚しても歌い続けたい”って言ったのに九ちゃん側が“ダメだ引退して家庭に入れ”って言って、譲らなかったから干されたのかもしれない。売れてる芸能人同士が結婚したら、旦那がいっそう稼ぐのはいいけど嫁さんも稼ぐって時代じゃなかったから」「で、あの子がまた出なくなった頃に、九ちゃんは美人の女優さん(=柏木由紀子さん)と結婚した。“やっぱりね”だよ」「短髪でおせんべいみたいな顔して、九ちゃんて隅に置けないヤツだったのよ」

 ・・・・森山さんと地元が近かったせいか、結構、妄想も入って言いたい放題でしたが、この件も調べると、坂本九さんが柏木さんと結婚したのが1971年12月。その翌年1972年に、森山さんも別の男性と結婚しています。そしてその2年後から、森山さんにオリジナル曲のリリースはありません。

 昨年3月の訃報の記事を検索してみたら、旦那さんはかねてからの森山さんの音楽事務所のマネージャーさんで、ライブコンサートやショー出演など晩年まで二人三脚、最期も看取ったそうですから、78歳、まだ歌いたいしやりたいこともあったかもしれませんが、じゅうぶん万々歳なのでは?・・高齢家族「添い遂げたんだからね。でもマネージャーってのは、仕事取ってきて仕事場に送り迎えして歌わせるんでしょ。死ぬまで働かされたわけだよね、旦那にね」・・九ちゃんと結婚させてあげればよかったのにっていまだに思う?「してたら即、引退だったろうね。それも勿体ないし。本当に歌がうまかったから」

 ・・・と、そこで、それまで黙って聞こえない振りか、本当に(聴力的に)聴こえて無いのかと思っていた高齢家族その1が「そうじゃないだろ、森山加代子は」と急に加わってきました。

 彼曰く「(坂本)九と、何でもカップル、セットで出されるのに嫌気がさして、事務所をおん出て独立したから、いっとき干されてたんじゃないのか。九と結婚するって噂も宣伝部が流してただけで、本人は引いてたらしいぞ」「九のスキヤキ(『上を向いて歩こう』)が大ヒットしたから、自分も九とセットじゃなくソロで売れたかったのに、事務所が本腰入れなかったから。結婚した旦那はそのとき独立させた縁で、あの頃、マネージャーが商売もの(=担当する歌手)とデキるのは大反則だから干されたんだろう」

 ・・・てことは、九ちゃんが柏木由紀子さんと結婚したので、森山さんも安心して翌年、そのジャーマネさんと結婚できたのかな?・・「そのへんはわからん」。シロウトがわかるわけないですわね。芸能記者とかレポーターがいたとして、当時の事情を知る年代の人はそれこそもう故人かもしれないし、存命でも記憶が確かかどうか。

 「歌はうまかった。洋ものの曲も良かったけど、早口言葉みたいなアレも悪くなかった」・・高齢家族その1は、その2ほど洋楽好きではなく、昭和ものでは当時社用族で賑わう夜の街で流れていた系の、歌謡曲寄りです。「歌がうまくても、時代の流行りに乗るかどうかってところがあるし、女の歌手は特に、男(おとこ)運にも左右されるわな」

 高齢家族その2もそこは異議無し。“歌唱力はあるのに男運どうこう”で、月河の年代だと、最初に思い出すのは中森明菜さんですが、“男”運と言うより、歌の人芸能の人を輝かせるのも萎ませるのも、家族、親族や裏方さんを含めた“人間関係運”“出会いと別れ運”次第という気がしないでもない。

 それにしても、弘田三枝子さんといい森山加代子さんといい、もう半世紀以上も前の歌手の活躍と浮沈、楽曲の流行りについて、ウチの高齢組がこんなに記憶が(正確かどうかは別にして)濃厚で、言いたいこと豊富だったとは意外でしかありません。有名芸能人と言えども、物故した人についてだと、新事実や新ゴシップが出ないので、思い込み・妄想で修飾し放題という気楽さもありましょう。

 高齢組の発言をこれだけそっくりポンとこのブログに転載したのも初めてかもしれない。

 ・・そう言えば坂本九さんの命を奪った日航機御巣鷹山墜落事故からももう満三十五年になったそうです(そっちで締めるか)。

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沢尻容疑者逮捕 ~肉を食わせてヤクを断つ~

2019-11-18 19:19:20 | 芸能ネタ

 わがまま気ままに振る舞って周囲を翻弄したりフリーズさせたりはしているけれど、なぜか“自由奔放”“やりたいようにやってる”という感じは受けなかった。

 むしろ、内なる何かに触れられたくない守り通したい一心で必死に、硬質で豪奢な鎧を着て、常時戦闘態勢でアドレナリン出してバチバチ火焔を放射しているようにも見えました。

 沢尻エリカさんが“~容疑者”になったため、デビュー当時から今日に至る「波乱の軌跡を振り返る」的なVがさんざんリプレイされたのですが、ご本人がまだ十代の頃から、からむインタヴュアーやレポーターや司会者が、当然彼女より年上で業界歴長いはずなのに、何で?ってくらい誰もかれも、初っ端からオドオド、ビクビク、顔色うかがいモードなのに改めて驚きます。

 当時はまだ年端も行かない若手で、確かに小顔で目ヂカラある美人さんではあるけれど、身体的には細身で華奢で、圧迫感などどこにもない、女の子らしい女の子なのに、相手を圧倒し気後れさせ低姿勢にさせずにおかない何かが、もともとあったらしい。

 別になんのプレゼンでも会見でもなく普通に街を歩いているところを突撃されたときの私服姿ですら、ことさらシルエットを強調し大仰なアクセをはべらせ、肌出すとこ出した“肉食”ファッションなのも、所謂自由、自然体とは対極なイメージを印象付けました。人に見られる所ではすべて“演じている”、天性が女優と言えば言えるのかもしれない。

 わがままで強気で言動がシャープで、スタッフやマスコミを戸惑わせ振り回す女優さんと言えば、1970年代から人気だった秋吉久美子さん、桃井かおりさん、80年代になるとちょっと焦点がズレるけど“プッツン”気分屋キャラの藤谷美和子さん、石原真理子さんなどを思い出しますが、彼女たちのほうがずっと“思いのままに生きて自分を押し通している”という、「いい気なもんだよ」の中にも一抹の爽快感、痛快味があったと思います。芸能界独特の、流行先端を行ってるようで実は古色蒼然たる徒弟制度的上下関係がまかり通り、女優さんを含めて働く女性の地位が低いことにかけては、令和のコンニチの比ではなかった昭和の芸能界でも、“自由”な女優さんはいたし、自由そうに見えることを興がられ称賛されてもいた。

 沢尻さんの、一見やんちゃで奔放にやってそうなのに漂う空気がえらく窮屈で、見る人を快適にさせず、衆目の一致する美貌で高そうな服を着ているのに羨ましく憧れたくならないのは何故なのか。

・・・今般の逮捕で“複数種類の違法薬物の長期常習、長期隠蔽”“依存症体質”という、原因なのか結果なのかわからないけれど一つのでかい“回答”が出てしまったことは確かです。

 同性から見ると、この人ほどメイクが見るたびむちゃくちゃな女優さんも珍しい。今日びの女子なら誰でも羨むはずの頭身の小さい輪郭にパーツの配列が整い、とかく軽視されがちな歯列の矯正もホワイトニングも行き届いているのだから、塗りモノ載せモノは最小限でいいのに、なぜか十代の頃からいつもいつもオーバーメイクなんですな。何度も放送された例の「・・別に」の舞台挨拶時のものすごいキラキララメのギャル風だったり、おミズ風だったりモード系だったり、その時々のプロモする作品や役柄に合わせてサービスしてくれたり、逆に「役とワタシは違うのよ」アピールだったりもするのかもしれませんが、ある時など眉頭が完全に鼻筋の内側に入っちゃってることもありました。人間の顔面における“眉”のバランサー力、発火力は圧倒的で、眉をこれにするとどんな美人さんでも国籍・時代不詳の不気味顔になるものなのに、恐ろしい事にこの人はそれすら一応サマになっていた。

 よく、体型容姿が貧相で日頃地味慣れしている人が一世一代のおめかしで高価な服で決めると、見るからに着慣れていない風采を「服に着られている」なんて言われがちですが、沢尻さんは“メイク”において“着られない”強さをお持ちでした。こういうの何て言うのかな「メイクにメイクされない」?・・何かしっくりこないけどまぁ言いたいのはそういうこと。

 過剰メイクでも“地顔”が負けないということはそれだけ美人度が高いということでもありますが、若くして「塗り慣れてる」「化け慣れてる」「オーバーメイクに臆面がない」感じ、やはり“鎧を着て刃を剥いて、相手を劣勢にしていないといたたまれない”心性の人だったのかな?といまにして思います。直感ですが、こういう心情で生きてる人はすごく薬物に距離が近いと思う。最初に思い出したのがプロ野球の清原和博元選手と江夏豊さんです。

 事がクスリとなると、どうすれば世間的に“償った”“禊が済んだ”と納得してもらえるかわかりません。思いつきで昨日今日魔が差して・・じゃなく長年にわたる常習だとすると縁を切るのも一生ものになりそう。彼女の“地顔”があれば、芸能界・広告業界が受け入れられなくても、演技など“芸能”のスキルを披露するステージが与えられなくても、なんだかんだで生きていけそうな感じがするのも逆に厄介

 とりあえず、来年正月から放送開始予定だったNHK大河ドラマの制作チームはてんやわんやでしょうねえ。個人的には贔屓の、絶賛(・・・・・・)放送中『いだてん ~東京オリムピック噺~』のメイキング、ウラ話など、一か月くらいみっちり放送して時間稼いでもらっても構わないのですけど。

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損して徳井取れ ~違う!そう!・・違う!~

2019-10-29 23:52:14 | 芸能ネタ

 「このコ、あの漫才のコだよね、名前通りになっちゃったね」と高齢家族がTVを見て言うので、なんで?と訊いたら、「言い訳が嘘くさいじゃない、ズボラだったとか無知だったとかさ、“中途半端(ちゅうとはんぱ)”リアルって、そのまんまじゃない」。

 ・・いやその、あれは“Tutorial”というコンピュータソフト用語もしくはゲーム用語からとったコンビ名であって・・と、紙にスペリング書いて説明しようとして、自分でもTutorialのなんたるかをよくわかっていないことに気づき、

 「Tutorが“個人教授”“お抱え家庭教師”ぐらいの意味だから、まぁ、個人ユーザー向けの“遊び方説明書”みたいなもんですわ。昔の人生ゲームとかダイヤモンドゲームとかだったら、ハコのフタの裏に印刷してあったようなヤツ」わかる?

 「・・なんでそんな名前つけたんだろうね」「さあ、ゲームが好きだからじゃない、お笑いコンビのコンビ名なんてあんまり意味ないから。下町生まれじゃないのにダウンタウンとか、男なのにアンガールズとか」

 「はー、ますだおかだも、マスダでもオカダでもないの?」「いや、あれは本当に増田と岡田」

 「タカトシは?」「あれも、なんとかタカヒロとなんとかトシカズ(・・違ったかな・・)」

 「テツアンドトモは?」「あれも・・・」

 ・・・・月河が元『オンバト』ウォッチャーだったせいで、うちの高齢組もムダにお笑いユニット名、芸人名をやたら記憶しているのでした。名前と顔とネタがあらかた一致してないけど。おかげで、ひとしきりえらい汗かいた。

 ・・でもまぁ、バラエティも、オートバックスや東京アカデミーのCMも知らない高齢家族が、チュートリアル未だ“漫才のコたち”と認識してくれているのにはちょっと救われました。

 めっきりガチネタ漫才やらなくなったと思ったら、徳井がピンで『人生最高レストラン』なんて大物ゲスト続々来訪番組のMCやってたりして、今度はいよいよ大河ドラマに俳優として進出かと思ったら、税金無申告ですって。それも直近まるまる三年分、1億1千何百万とか。

 て言うか、吉本興業からのギャラ受け取るための会社設立した2009年から、期限内に申告して納税した年いっぺんもないんだって。三年溜めては督促されてやおら申告、申告はしたけど納税はしてなくて、銀行預金もなんもかんも差し押さえられた時期もあったらしい。

 あまつさえ、その会社、設立時から社会保険も加入してなかったんだって。

 何なんだ。何やりたかったんだ。もう、よくネットの掲示板にある ┐( -"-)┌ヤレヤレ...

 こんな顔文字入れたくなってしまう。

 稼ぎがデカくなる一方で、少しでも払う税少なく抑えたいから会社作って、会社から給与もらう体裁にしたんだろうに、「会社にしたら税金はかからなくなる」とでも思ってたのかなぁ。それにしても、三年目にあせって申告してヒーヒー言わされたから翌年からはちゃんと期限通りやろうとした形跡がなく、また三年無申告、そのまた次の三年も・・というのが、ちょっと薬物依存的な常習性が感じられて、微妙に「アホやってら」と笑えない。

 諫めてレールに嵌めてくれる人が周りに一人もいなかったのか。・・いや、でも個人事業主たる芸人、芸能人が、「オマエ、ギャラどうやって回してる?」「税務申告書どう書いてる?」「これとこれとこれ、控除に入る?」なんて情報交換を楽屋でするとも思えないし。

 期せずして萩生田文部科学大臣の、民間英語検定試験導入についての「身の丈で頑張ってもらえれば」発言に野党のお決まり批判攻撃が集まっていますが、“身の丈に合わない事をする”というのはこういうことだよという見本ではないでしょうか。

 芸人なら芸が売り物、芸にたくさんの買い手がたくさん木戸銭払ってくれれば儲かるし、儲かれば課税される。されるけど稼いだ以上には取られない。なおかつ、買い手=客が来なければ儲からないから税金もチョボチョボもしくは取られない。・・・

 ・・・こういうシンプルな図式でずっと行けばどうってことなかったのに。逮捕立件までされていないとはいえ、これは考えようで刑事事件よりタチが悪い。オレオレ詐欺・特殊詐欺はターゲットに決めた高齢者から100万200万巻き上げる話ですが、徳井案件は全国のまじめ真っ正直な一般納税者から、広く薄―く少しずつかすめ取って、その分自分は払わずに済ませてクチをぬぐってた、「言ってこないうちは払わないでいいんだろ」とすっとぼけてた、という話ですから。

 他の番組ははなから何も見てないし、自粛してくれてもくれなくても個人的にはどうってこともないのですが、どうする『いだてん ~東京オリムピック噺~』、マラソンの札幌移転でマイルドにズコーとなった矢先にまた一難。

 タイミングもあろうに来週(11月3日)放送回から、役もあろうに大松博文・女子バレーボール日本代表監督役で登場予定でした。うわー、実在人物、しかもスポーツ史上の大偉人だから、架空の行きずりの一般市民役と違って、ゴマカシのしようがない。大松さんご本人は1978年に鬼籍に入っておられますが、ご遺族がバリバリ健在のはず。没後四十余年、令和のドラマに実名で登場とあってきっと楽しみにしておられたでしょうに、キャストが目下の、全国区で最も“旬”な不祥事タレントになってしまうとは。

 NHK側は「ドラマの流れを損なわない範囲で対応(=出演部分をカットして放送)したい」という方針の様ですが、コレ、シロウトが考えてもむずかしい作業だろうなあ。税務申告と違って三年待ってはくれない。放送日まで待ったなしのカウントダウン。

 徳井に高校時代バレーボール経験があるというのがこの役起用の理由らしいですが、1923年生まれでインパール作戦からの生還組、スパルタで鳴らした“鬼の大松”ですから、お笑いから起用するにしてももっとこう、いかつい系の人がなんぼでもいたろうに、なんで二枚目でぷよぷよで軟派臭い徳井だったのか、この件が起きる前からキャスティング報聞いて不思議だったのですが、起用されるからには、のちに参議院議員・文教委員長まで務めた大松さんの、“剛”で“強”なだけではない面も描かれたストーリーになっているに違いないと期待もしていました。

 この件のせいで、撮影済み完パケ放送待ちになっていた徳井出演ヴァージョンがまるごと永遠にお蔵入りしてしまうとしたらあまりにも残念です。いや、そんなに、演技する徳井を熱烈に見たいわけじゃないんだけど、キャスティングした意図が知りたいじゃないですか。「なるほど、こういう切り口で、こういうセリフがあってこういう演出、見せ方だから、この役にこの人が起用されたのか」と納得のひとつもしたい。いや、したかったところ。返す返すも惜しい事をしたものです。

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走れ孝太郎 ~天下のサラブレッド41歳~

2019-08-09 16:11:56 | 芸能ネタ

 一昨日(7日)の小泉進次郎議員と滝川クリステルさんのダブルめでたい発表の後の、各方面フォロー報道(「本当はホレこんなに計算された発表日程だった」等)の中で、ひそかにいちばん株が上がったのは進次郎さんのおニイ小泉孝太郎さんではないでしょうか。

 進次郎議員=「めでたい、お相手ともども華ありお似合い、でもデキ婚微妙」→プラマイゼロ“前日と変わらず”、クリちゃん=「前からしたたかだと思ってたらやっぱりしたたかだった」→同じく“前日と変わらず”、に対し孝太郎さんは、“いい兄貴”感があふれ出ていて、前日比△100円ぐらいになったと思います。

 話題のトマト柄シャツ、月河は初見の画像がちっこい画面だったのでイチゴに見えました。『警視庁ゼロ係』で屋上栽培してたアレだな?とすぐピンと来ましたが、7月からの今Seasonはトマトになってたのね。イチゴはバラ科ですが、トマトはナス科なので、「ナスビの花にはムダがない、みんな実と成る」という意味を秘めた、すでにお腹にデキてるカップルへの、婉曲で上品(?)な考えオチ的ハナムケかもしれない(んなことないか)。

 何が微笑ましいって、三代も四代も大臣や代議士を輩出してる政治家一家のアラフォーの長男坊と次男坊が、おウチ飲みしながら「オレ今度結婚するんだ」「(彼女の)写真見る?」なんて言ってる世界があるの、なんかホッとしますよね。二人ともいいトシなだけじゃなく、幼いときに実のお母さんが赤ん坊の末弟連れて家を出ちゃって、男手で育って来た、非常に特殊なご家庭の息子さんたちです。

 おニイが早くから芸能界志願で政治家業にタッチせず、二人まったく別の道を歩んできたのも良好関係の元かもしれない。同じ政治家界の鳩山兄弟とか、角界の若貴兄弟とか、兄弟同じ世界でお互いの手の内ハラのうちを横目で見ながら並走でやってると、やっぱりクソッとかケッとかチッとか思うことが多くて徐々にプライベートでもヒビが入っていくのかも。

 芸能界では、高嶋政伸・政宏兄弟とか、渡哲也・渡瀬恒彦兄弟など、良い感じの兄さん弟さん結構いますけど。男子限定血縁世襲でもってる歌舞伎界なんかなら、もっといるんじゃないかな。不勉強でよく知らないけど。『いだてん』の中村勘九郎さんにも、二つ下の七之助さんという弟さんがいるし。

 芸能界は、角界や一国の政界と違って、たとえば俳優でも“フィールドやキャラの棲み分け”が可能ですからね。うち揃って総理総裁、横綱という“頂上のひとつっきりの椅子”を目指してるわけじゃない。

 たぶんここで書くのは初めてじゃないかと思いますが、月河はここしばらく、「好きな俳優さんとかいる?」と訊かれたら(“とか”には、アーティスト・芸人・キャスター・男子アナ等“媒体に顔晒す業全般”が包摂されると見られ)、「いる。小泉孝太郎くん」と答えているんです。

 もっと前からぞろぞろいる、おもに特撮ヒーローorアンチヒーローOBの諸君をさしおいて、なんで孝太郎さんかといいますと、何がいいってこの人「ラク」なんですね。

 「好きな男性芸能人は?」という質問への答えとして、実にラク。俳優としての活動期間がそこそこ長く(約18年)、休養や充電や干され期間が挟まらずほぼ出ずっぱり、知名度、顔認知度が過不足なくて、しかも「この人と言えばアノ作品のアノ役!」と、ほか全部思い出せなくなるほどのものすごい大ヒット作、当たり役があるかっつったら無い。色染まって取れなくなる級のゴシップもない。

 いちばん好都合なのは、「好きな俳優さんいる?」に「小泉孝太郎くん」と答えると、ヘンに食いつかれたり掘り下げられたりしない。「あー・・」って、わりと“きれいめ”に会話のテンションが落ち着く。「おぉー(ニヤニヤ」「・・へぇー(怪訝→ドン引き」「えーウソー(嘲笑」「・・誰?何に出てる?(無知」とかのリアクションを、絶対呼ばない。「結構、出てるよね」「売れてるよね」、せいぜい「(演技)うまくなったよね」ぐらいで“この話題終了”してくれる。

 たとえば、「高橋一生さん」「佐藤健くん」「綾野剛さん」なんて答えると、『いだてん』の金栗四三さんじゃないけどばばばばっ!と作品名や役柄名が幾つか、たちどころに出てきて「アレ見てたんだー」「ああいうの好きなんだー」・・ってことは・・と、映画やドラマにとどまらない趣味嗜好を類推されまくる。「横浜流星くん」なんていま答えたら、えらいこったよ。寿命縮まるよ。逆座標で「古田新太さん」「リリー・フランキーさん」なんてのもいたずらに燃料投下する。

 ・・まぁこういうのは、質問されたり勝手に答えたりする“客側”のラクさですが、孝太郎さんの側の持ち前の“ラクさ”の源は、失礼を承知で言えば“副業感”だと思う。

 脇レギュラー多数、主演シリーズ作も少なからず役者稼業二十年選手になろうかというアラフォー男性俳優さんつかまえて失礼も甚だしいので、もっと穏当に“初々しさを失っていない”と言ってもいいんですが、この人の、正視に耐えないほどの大根君だった頃~ヤなヤツ、クセ者役までこなせるようになったコンニチまで、常に持つ“うっすら、でも途切れない余裕ぶっこき方”“ガツガツしなさ”、“微量浮いてることへの無自覚”を表現するには、“副業感”以上に適切なワードが思いつかないのです。

 「この人、別に役者やらなくても人生困らないだろうなあ」という安心感、チカラの抜けどころが常に用意されている。名士の二世で何不自由ないお坊ちゃまだから当然・・というだけでは、必ずしもありません。有名大御所俳優の二世タレントなど、バラエティで自虐トークとか罰ゲームやらされていてもどこか「親父が偉いから出させてもらっていい気なもんだよ」と嫌悪感をかき立てるだけですが、孝太郎さんの場合、“別に困ってない”感じがほぼ百パー好感のほうにつながっている。これは孝太郎さんの持つ、演技力とか容姿などの芸能スペックとは別建ての“才能”と言っても良いでしょう。

 もうだいぶ前になりますが、ここで“長嶋一茂さんのハードルの低さ”についてポジティヴに書いたことがあります。“常に比較される対象(=父・長嶋茂雄さん)が凄すぎるから、劣っても誰も「しょうがないよね」「あのレベルを求めちゃ酷」と非難しない”“人生の最初に(父親と比較されるに決まっているのに果敢に)野球を選択したから、やめたあとイマイチでも「野球ばっかりやって来たんだし」と斟酌してもらえる”という、一生もののギフトを一茂さんも持っていますが、非難はされず斟酌はしてもらえても、“好感”にまで至っているかというと、やはり疑問符が付く。“天然”(=ポジティヴ)と“イケシャアシャア”(=ネガティヴ)の間でかなり(野球選手だけに)(?)スウィングしている。

 “別に困ってない”をポジティヴな持ち味に変換できるのはやはり才能です。孝太郎さんは胸を張っていい。困ってないんだから、張らなくてもいいか。どっちなんだ。

 役者が“副業”っぽいなら、本業は何かというと、やっぱり“変人政治家一家の長男坊=おニイ”。つまりは、急に前日比値上がりしたわけじゃなく、元から高値安定株だったのでした。なんだかむしょうにトマトが食べたくなったぞ。 

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