まずは与えるところから始めよう。
富みあるものは富を、才あるものは才を、時間のある者は時間を。
しかしなんといっても、人が人に与える最高のものは、心である。
他者のための「思い」と「行動」に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分け合ったかによって、真の人間としての証がなされる。
(『いのちの言葉』日野原重明さん著から)
難しいテーマです。
本当は与えようと思っていても、実は与え方が不器用だし、私の生活文化として根付いていないような気もします。
与えることができたならば、生きる意味がみえてくるということでしょうか。
逆にこんなことを考えてみたりします。
与えるべき対象に、与える機会を与えてみる。
そうしたならば、生きる意味を与えたことになりませんか。
しかし、私たちは、与えることより、「ほどこしの受け方」が分からないかもしれません。
「受ける」ための人格を持ちたいですね。
「心を与える」ために。
富みあるものは富を、才あるものは才を、時間のある者は時間を。
しかしなんといっても、人が人に与える最高のものは、心である。
他者のための「思い」と「行動」に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分け合ったかによって、真の人間としての証がなされる。
(『いのちの言葉』日野原重明さん著から)
難しいテーマです。
本当は与えようと思っていても、実は与え方が不器用だし、私の生活文化として根付いていないような気もします。
与えることができたならば、生きる意味がみえてくるということでしょうか。
逆にこんなことを考えてみたりします。
与えるべき対象に、与える機会を与えてみる。
そうしたならば、生きる意味を与えたことになりませんか。
しかし、私たちは、与えることより、「ほどこしの受け方」が分からないかもしれません。
「受ける」ための人格を持ちたいですね。
「心を与える」ために。
ブログ拝見しました。
素敵な雰囲気で、とても好きになりました。
これからもお邪魔させていただきます。
記事にもありました日野原重明さんの書籍や講話には学ぶ事が多いと感じています。
「受ける」ための人格。
実に深慮すべき言葉だと思います。
思われるのに、その援助を拒んでる
という場面に遭遇したことがあります
その状態をと思ったのは、こちら側ですが
「与える」ということは、相手がいることからなので、その相手との関係の中で
援助を求めることができるように、汲み取っていくことも同時に必要なのかもしれませんね。
私は何かを与えるために必要なことは、自分をまず愛し受け入れることだと思っています。それなくして他者との交わりはないし、人間関係を築くことはできませんから。
人のために、人に与える・・・ということには、自己犠牲もありますが、自分をないがしろにしてしまうことではありません。自分を大切にするからこそ、確かな人間関係を築くことが求められると思います。
生徒に何を与えるか、私はよく分かりませんが、人格を尊重してあげることなのではないかと思います。上下関係がはっきりしやすい人間関係ですね。TVのドラマやドキュメントでも教師が一方的に生徒を操っている場面を目にすると不愉快になります。生徒たちにも立派な人格があるんだぞ、って。口には出しませんけどね。
是非、現場で試してみて、その変化をおしえてもられませんか。
私も学校教育にはとても興味を持っています。
いじめや登校拒否、そして教員免許をとったけいけんから得た物は大きい。
先生が偉ぶる必要は無いですよね。
信頼関係を築くのに上下関係は必要なのかと不思議に感じてます。
駄目な物は駄目、叱るときにしかればいいのでは。
先生は、道先案内人みたいだなとよく思います。
私のブログは愚痴ばっかりの日記ですが、
ある意味、現在の高齢化社会の現実かも知れません。
あきれるかもしれませんが、懲りずによろしくお願いしますね。