越谷フェンダーブログ

地球環境の為に車部品のリサイクルについて考えます。車の話や会社の裏話を公開します。

歴史①

2007年01月29日 19時31分05秒 | Weblog
ときどき社員から『越谷フェンダー』の歴史を尋ねられる・・・・

昭和40年・・・・・高度経済成長真っ只中・・

東京下町の台東区にある:鈑金修理の『浅草モーター』に3人の若者が出会った。稲垣 種沢 早川のまだ17~18歳の若者達であった。この3人にフェンダーの再生修理を依頼したのが立川の二ノ橋部品の社長であった・・・・営業 稲垣:仕入れ 種沢:鈑金 早川で交代で休みをとては、本業そっちのけでせっせとアルバイトに励んでいた・・・。  

『自動車再生部品卸』・・・いち早く将来を見据えた行動をとったのが 早川であった。早川は19歳で結婚そして越谷市で独立を果たした・・・。
昭和51・6 現在の『越谷フェンダー株式会社』が設立され 岩槻に工場が移った

稲垣は竜泉寺にあった鈑金塗装工場で 原田と知り合い、独立への準備に取りかかっていた。一方種沢は杉並で鈑金塗装の会社に勤めたが、アルバイトで始めた再生部品の修理に未練が残っていた。

その後の仲間3人は・・・稲垣氏は、葛飾の奥戸で『国産ボデーセンター』 原田氏は、千葉の松戸で『原田ボデーセンター』 種沢氏は、東村山で『クラウンボデー工業』にそれぞれ本拠地を構え本格的に再生の仕事に取り組み始めた・・・

昭和46年 『春』・・まさに『団塊の世代』の私が、建設会社に就職した年でもあった・・