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「仏教史年表故事」1、仏教伝来・仏像礼拝

2018-01-26 15:48:37 | 例会・催事のお知らせ
「仏教史年表故事」1、仏教伝来・仏像礼拝。
○552年(欽明13年)百済の聖明王、釈迦仏・幡蓋・経論を贈る。仏像礼拝の可否について論争起こる。※「上宮聖徳法王帝説」では538年。
※『上宮聖徳法王帝説』(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)は、厩戸皇子(聖徳太子)の伝記の1つ。現存する聖徳太子伝記としては最古のものである。作者、成立年代ともに不詳。全一巻で、家永三郎の分類によれば五部構成となっている。仏教的事績を主な記録とするが、後述するように一部に日本書紀とは異なる記録が見える。
○553年(欽明14年)和泉国茅渟海に浮遊の霊木を拾い仏像を作らせる。
※茅渟海・【大阪湾】より…大阪平野と淡路島によって囲まれた海湾。古名を茅渟海(ちぬのうみ)といい,難波潟,摂津灘とも称した。明石海峡によって瀬戸内海の播磨灘と,友ヶ島水道(紀淡海峡)によって紀伊水道と連絡する。…
○577年(敏達5年)百済王、経論と津師・禅師・比丘尼・造仏師・造寺工を贈る、これを難波の大別王の寺に安置。※比丘尼(びくに)出家して戒を受けた女性,仏教教団の正規の女性出家者。尼僧のこと,単に尼(あま)ともいう。サンスクリットbhikṣuṇī,パーリ語bhikkhunīの音写。日本における比丘尼のはじめは,蘇我馬子が桜井道場で弥勒像をまつらしめた善信,禅蔵,恵善の3人であり,彼女らは神に奉仕する巫女と同じであった。以後,仏教受容は急速に進み,624年(推古32)には尼569人に達した。比丘尼に限らず,古代の僧尼は巫覡(ふげき)的な性格が著しく,仏教的呪力に対する期待から,集団的得度さえ行われた。




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