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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

exformal knowledge. - 汎知性の在り様。

2009-11-15 16:28:38 | 日記・エッセイ・コラム
『思いつきを公式化するのは難しい』

アインシュタインのような天才でなくても、似たようなことは誰もが経験するところである。しかし、人類のパラダイムを転回するほどのアイデアが、一個人の「真に新しい」思いつきであったかどうかというと、これも思いつきでしかないのだが、私はそうでないと感じる。


先日亡くなった偉大な文化人類学者、レヴィ=ストロースの「構造主義」という発想に関しても、それが準拠するところの群論や位相論といった考えは、ブルバキの数学において蓄積を重ねて来たものである。構造主義が欧州的な価値観全土に演繹したものは、社会形成を行う人間の「behavior(振る舞いそのもの)」が、非常に高度な計算結果により共時的に様態化するものである、と表現するに同義である。

また、そのアイデアや価値観自体が、当時全く異質(土壌は出来つつあったが、事実異質ではあった。)のものだとしたら、近代からの文明倫理にここまで広く受け入れられ、敷衍・浸透することもなかっただろう。つまり、「誰もが感じ得る」ことを定式化して体系づけたことが、こうした賢人たちの偉業の核の部分なのである。



インフォーマルな知識や発想を一般化し、誰もが利用・再生できるようにする。これは「科学的手法」を定義する最も根本的な要素ではあるが、逆に、彼らの齎した資源を有用かどうかを判断し定義づけるのは、アイデアを呈示される側、つまり天才ではないマジョリティだ。


天才が天才とされる由縁は、そのようなマジョリティが設定した体系に基づく書法(リテラシー)に基づいて、更に特定分野に長けながら、「天才」とされる条件を自ずから達成していることにある。天才の条件を提示しているのはマジョリティの方であって、アノマリーではない。「天才は必然のもとに生まれる」とは、そういうことなのである。


スポーツの世界でも同様だが、天才はその性質から必定として生産性を求められる。しかし誤ってはいけないのは、それは彼らにおいて決して社会的な義務でも、ましてや「生存の条件」でもないということだ。同じことは思考活動を行う人間全般に言えることである。特定の事柄が生産性を発揮する文脈は、特定の事柄が実効性を持つ限られた位相においてのみ意味を為す。故に我々は特定の社会に一次的に従属させられる「生産する為の生命」ではない。


地球上に遍在する数十億に及ぶ人類種の主観の中にあって、共有されるパースペクティブは通時的に変化して行く。しかしアインシュタインのような天才が発生する確率は限りなく低く、またその功績すら偶然の産物と呼ぶに相応しいものかもしれない。だが確率の低いことは「起こり得る」。『偶然』とは、『必然』をこそ語る言葉に他ならないのだから。


第三回行政刷新会議~科学事業評決の過ちとリスク ※11/26 加筆

2009-11-15 08:05:21 | Science
※ 11/22、民主党は行政刷新会議の事業仕分けで大幅削減とされた科学技術関連の概算要求維持を表明。特に事実上の凍結とされたスパコン分野の評決を全面撤回。当初の要求を通す考えを示した。当然ながら、あまりにも批判が多かったのだろうが、説明を遮るくせに、事業主側に一方的に説明責任を被せる態度は未だにナンセンス極まりない。仕分け側の「有識度」「事前調査」が皆無だと暴露しているに等しいだろう。それならなぜ事業主の説明を聞こうともしなかったのかと、「事業仕分け」そのものの手法に根本的な問題が浮き彫りとなった形と言える。



□ 行政刷新会議 「事業仕分け」 評決結果

>> http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov13kekka/3.pdf


□『科学』傷だらけ iPS細胞生んだ事業や科学未来館

>> http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009111402000066.html


「国が掲げる科学技術立国が揺らぎかねない」。十三日の行政刷新会議の事業仕分けで、科学技術関連の事業が続々とカットの判定を受けた。「不要不急の事業」を削ることが仕分けの目的とはいえ、将来、日本の科学技術研究を担う若手にも余波が及ぶ。「頭脳流出に拍車がかかる」。関係者に危機感が広がった。(中略)先端研究に助成する競争的資金事業は同機構や文部科学省などが行っているが、仕分け人は「重複しており、総予算が膨らんでいる」と判断。一元化も含めて縮小することを求めた。(中略)

◆『優秀な若手流出する』 奨励金『削減』若手研究者育成のための「特別研究員事業」。十三日の行政刷新会議の事業仕分けで「削減」の評決を受け、傍聴に訪れた東京都内の国立大大学院二年の男性は悔しそうに話した。男性は「ポストドクターが多すぎる問題ばかりが議論されていたが、その問題と研究者支援は別次元の話。制度が削減されたら、学者になれるのは金持ちだけ。国を恨んで海外に行く優秀な人材が続出するだろう」と事業仕分けの議論を批判した。



技術立国が技術投資を渋ったら、おしまいである。

連日行われている「事業仕分け」の意義と成果(?)について、天下り財団の縮小や不採算事業の見直しに限っては、個人的には少なからず評価できる部分はあったのだけれど、こればかりは看過できない。


あまりにも無知・拙速な評決に現場も戦々恐々としている。これについては至る所で反対コミュニティが結成されつつあるが、とりあえず私の身近でも科学者有志によって議論の為のサイトが設立されたので紹介したい。

http://mercury.dbcls.jp/w/


言いたいことは山ほどあるが、事業仕分けに倣って要点をシンプルに押さえよう。蓮舫氏の「スパコン、世界一になる必要あるのか。世界一になれなかった時のリスクヘッジは?」「納税者がトップレベル研究者にお金を払った分、納税者個人にもリターンをもらえないと納得できません」という発言に、仕分けチームの愚かしさが集約されている。



まず、スパコンについての言い分を喩えるなら、家計が逼迫しているからといって、東大に受かるかもしれない我が子に「数学は食って行くのに必要ない」などと言ってノートと鉛筆を取り上げる『だけ』のことをする(目的を失った教育支出だけが続く)、というぐらいナンセンスなことであり、これは単純化というよりも正にそういうことなのである。


その一端を担うのが競争的資金(若手研究者育成)の予算縮減である。もともと先進国の中でも少なすぎと言われていた研究者育成費を最大限に活かそうと、奨励金やインターン制の導入など、躍起になって人材育成の為の仕組みを開発して来た現場にとっても悪影響は免れない。ポスドク余りが叫ばれる現状は、決して育成費の無駄と計上されるべきではなく、寧ろ技術投資が「及ばなかった」ために受け皿が用意出来ないと捉えるのが相応しい。ベクトルが全く逆なのだ。


仕分け側は目先の台所勘定で国民の生活費、教育費における支援を謳ってはいるが、同時に技術振興の為の投資・雇用を潰すことで、肝心のはずの子供と国の将来性の芽を摘み取ろうとしているとしか言えない。

中でも、国際的に権威ある賞を受けるなど、早くも方々で成果が目に見える形になり、世界中の関心を集め始めている世界トップレベル研究拠点 (WPI)プログラムの予算縮減が特に痛い。ここまで批判的な材料を内包していて、今回の事業評決が通るとは信じたくは無い。おそらく内部の評価者すら仕分け人を説得できなかったであろう様子は、あの独善的な質疑応答を見れば容易に想像できることだ。

(※11/17追記…本日、「民間の有識者」の意見に財務省マニュアルによる「意図の介入」があることが明らかにされた。仕分け側が専門分野に「有識」であるという前提すら保障はなくなったのだ。)


(※ 11/17 先行きに対して対費用が著しいGXロケット開発の廃止など、仕分けの妥当性が認められる内容も確かにある。しかし、LNGエンジン開発については相当の技術力蓄積が認められ、一緒に潰すのはあまりにも尚早との声も。代替として挙げられるM-V系統のエンジンはコスト面で大きく問題がある。何よりロケット産業をMHI一社寡占状態にしてしまうことのデメリットも。仕分けでは他分野事業でも『勝ち馬』以外への投資は「ムダ」と切り捨てる傾向にあるが、これは発展競争互助の観点からもナンセンスで、非常に危うい結果を招きかねない。)


(※ 11/26 GXロケット廃止については、財務省が倍以上の税金投入額を記載した事実誤認の資料を提出していたことが明らかになった。更に、宇宙開発における本格実用に向けたアメリカ側の打診があった事実も伏せて『需要がない』と断じていたことが判明。仕分け人は意図的な虚偽情報を鵜呑みにして評決を行ったことになる。なにが「有識者」なものか。)
    ↓
今年11月上旬に、GX打ち上げを担当する米ユナイテッド・ローンチ・アライアンス(ULA)社から、少なくとも2、3機のGX使用の意向が政府の宇宙開発戦略本部などへ伝えられていた。




そもそも日本のスパコンが国内外の生産に利用され、年間維持費の30倍のリターンがあるとされている事実さえ知らないのではないか?という疑問も挙っているが、そういう指摘すら遮って「事実誤認に基づく通達を言い渡すだけ」の仕分け内容なのだから救いようが無い。あちらは「合理的な必要性」を訴えるが、あのような検察が裁判官を兼ねるようなやり方では「合理的な議論の場にはなりえない」ことが問題なのだ。


更に科学事業評決には技術論が重要である。これを仕分け人は拒絶したが、これは収支や稼働率の数値だけを追う他の社会事業とは別次元の問題だ。特定の技術にどのような位置づけと可能性があるのか、それを抜きにしろと言われたら先端科学開発は行えないし、それをしない国家はあっというまに技術先進国から退行し莫大な将来損益を被るのは火を見るより明らかだ。

だいたい、専門知識のない政治家の為に、技術論において審理をする為の有識者がいるのだろうが、その政治家が事業主側の技術論からの異論を受け付けないというのは、全く持って理の通らない話だろう。仕分け側に専門知識を有する有識者がいるという「ポーズ」をとっても、それを行使する代表が全く理解してないのだから、上のような無恥な発言が零れるのである。


ランク一位が目的なのではなく、競争の齎す効果こそが重要だということも、投資部門の赤字は健全な企業である条件なのも、説明するにはあまりにも当たり前すぎて稚拙とも言える内容でもある。



事実、資源に乏しい日本が技術によって食べてきたことは今更説明するまでもないことだが、納税者の一人として私が言いたいことは、「国民の為を思うなら、そこは削らないでやってくれ」ということに尽きる。納税者はいわば「国際貢献する技術立国の国民」という、数値的なリターン以上のアイデンティティすら技術開発の恩恵によって享受しているのだ。

家電から軍事、医療やバイオといった先端科学まで、日本が開発に至った基幹技術は世界中で利用され、必要不可欠な生産性の軸を担っている。こうした貢献度を視覚化しようと、日本発の基幹技術の関わった文化の系統樹をアウトリーチとして提供するという発案も為されている。ここはやはり国民の理解が必要なのだ。そのための拠点として、まさに『科学未来館』の名も挙がっている。



対して、世界不況の発信源であるアメリカはどうかというと、科学政策の指針見直しによって伸びこそ抑えられたものの、予算は削られているどころか過去最高をマークしている。

□ アメリカの機能別非防衛研究開発の動向

>> http://www.aaas.org/spp/rd/histda09.pdf


これに倣って、日本でも今、"AAAS (American Association for the Advancement of Science)"に代表されるアメリカの理系支援団体のような機構の必要性が叫ばれているし、私も過去の記事でその有義性を訴えたことがある。スパコンに関しては、アメリカでは更にASCI(Accelerated Strategic Computing Initiative)などの政策的評価プロジェクトを財源として一気に日本を突き放しにかかっている。(これは核シミュレーションに急務性が認められるためという意見も)

ここで生じるリスクとは何かというと、ユーザとベンダーの結びつきが特に強固なスパコン事業においては、一度攫われた需要を呼び戻すことは数年がかりに渡って容易なことではないし、それによる特許の取り逃しや人材の流出といった、直接生産に関わる機会損失が長くに及んで計り知れないことだ。


そもそも将来にわたって安定的・精密な利用が保障できない分散コンピューティングを、スパコン領域の基礎研究の代替にするなど愚の骨頂である。仕分け人の有識者による「民間の視線」のつもりが、単なる「わかってるつもりの視線」で物言う弊害に及んだ最たる例と言えよう。

彼らは事情「通」でしかなく現場とは無関係の人々であるゆえに、自身の審理に客観的になれないのかもしれない。科学評決全般に及んでは、彼らの主張こそ曖昧な恣意と憶測に満ちていて、残念ながら事業主側以上の妥当性は見当たらないというのが私なりの客観的な評価だ。


近年日本の産学官連携プロジェクトが発展しづらい要因の一つに、やはり資金運用の多重構造化と投資不足がある。名目上のプロジェクトを計上して箱だけは用意するもの、そもそも雇う人員や設備が空っぽだったという問題が以前から取り沙汰されていたようで、民主党はそこを不正な資金流用と見て突いたつもりなのだろう。これは旧政府や当事業者側も大いに反省すべき点で、不透明な収支構造と非効率な予算配分は徹底的に見直し、一元的な資金運用を目指すべきだ。しかしあくまでも、正当な事業を行うには「予算が足りない」という現実の壁があればこそ、そこを更に絞るとなると話は別だ。


SPring-8の開発や設置に関しても、数千億クラスの事業である。そこには様々なしがらみや軋轢が生じても不自然では無いだろうが、それが齎すリターンは生産的な価値においてだけでなく、人間の行く末にすら関わる大変な意義がある。


スパコン投資についても、問題は予算配分と開発区分を国内ベンダーに「パイを切り分けた」という姿勢に効果が疑問視されていることであって、(※ 仕分け側の決定的な事実誤認はここに多い。日本は『ベクトル型』から世界のスタンダードに変わりつつある『スカラ型』の強力版に着手して、『ベクトル型』の分野も勝ち取ろうとしていたのである。主要ベンダー撤退の結果などではない。)発展的な競争を互助する為に、更に潤沢な投資を行うべきだった。あまつさえ、その対効果を一時的なマーケットのトレンドで量るなどは論外である。だからこその国の責務なのだ。

そして今回、民主党がしているのは、まさに基礎研究の齎すリターンを無視して「パイを切り分けるだけ」という行為そのものなのである。