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2週間前のこと。
「平和安全法制」、もう法案ではなくいわゆる戦争法と呼ばなければいけなくなってしまいましたが、の論議に隠れていましたが、重大なニュースが流れていました。
2016年の参議院選挙から18歳以上に選挙権が認められるのですが、これに伴い、文部科学省が
「高校生の政治活動を校外では原則容認した」
と報道されたのです。
実は私も知らなかったのですが、70年安保の当時、1969年(昭和44年)に文部省(当時)が出した通知は、高校生が学生運動に参加するのを恐れて、学校の内外を問わず政治活動を一切禁止していたのだそうです。
これを文科省は18歳選挙権を踏まえ、旧通知を廃止し、全国の教育委員会に新通知を出して
「一定の緩和は必要と判断して一部解禁に踏み出す」
というのですが。
これ、実質的には高校生の人権に対する新たな制限ですよ。
だって、高校生の政治活動を校外でも全面禁止するだなんて憲法違反の通知は、全く適用されず、死文化してしまっていたわけですから、選挙権を与えるのを機に、あらためて高校生の政治活動の自由を制限すると宣言する気なのです。
まさに、今回の戦争法案反対運動に高校生たちも重要な役割を果たしたのを、文科省は恐れているわけです。
高校生グループT-ns SOWL(ティーンズソウル)主催の戦争法案反対デモ、渋谷で行われる!
松本人志の「高校生が安保法制反対だって言うのって、意見じゃない。平和ボケ。対案出せ」が平和ボケ。
「安保法案」反対集会とデモが日本にもたらした美しい果実。そして、自衛隊は事実上派兵できなくなった。
今回の戦争法案反対運動の中では、渋谷や京都などで高校生デモが行われた。
そもそも、基本的人権は生まれながらにして誰にでも備わっているものであり、年齢を問わず誰にでも保障されるものです。基本的人権の制約が許されるのは「公共の福祉」に反する場合、つまり、他者の人権を侵害する場合だけです。
そして、政治活動の自由は憲法21条が保障される表現の自由の重要な内容として人権として保障されることが、最高裁の判決でも確定しています。それは年齢や選挙権があるなしには全く関わりありません。
ただし、子どもたちの場合は特別な配慮で人権が制約される場合があります。彼らはまだ成長過程にあり「未熟」だということで、行動の自由を全面的に認めてしまうと、自分が傷つき、しかもそれが取り返しがつかないことになる場合があるからです。
たとえば、喫煙や飲酒の自由が制限されているのがその例です。
これをパターナリズム(国家が親的な存在になり子どもを保護する考え方)による人権の制約と言うのですが、この制約も真に本人のためになる、必要最小限度の場合に限られなければなりません。
高校生が政治活動を自由にすることが、高校生自身を取り返しがつかないほど傷つけることになる場合がありますか?それってあるとしても非常に限定された場合でしょう。
さらに、高校生の行動の自由を校内で制限する合理的理由としては、学校で落ち着いて教育をできる環境を守るということがあげられます。たとえば、16歳で原付の免許が取れても校内まで乗ってくると危ないしうるさいので、学校への通学に使用するのは禁止という校則はあり得ます。
しかし、高校生の政治活動を校内では全面禁止するという文科省の新通知は明らかに行きすぎです。授業中に拡声器で政治演説をするのは授業の妨げになるのでダメでも、休憩時間や放課後にチラシを配るのはアリでしょう。
再度言いますが、高校生も基本的人権として政治活動が自由が保障されているのですから、その制約は必要最小限度でないといけないのです。
ところが、文科省の新通知案は校内での政治活動は原則として禁止とし、さらに、休日でも校内の施設を使う場合は禁止とするという内容になりそうなんですが、これは明らかに人権侵害で憲法違反です。
この古臭い旧通知が出てからちょうど20年後の1989年に国連で採択され、その後日本も批准した「子どもの権利条約」は、子どもの意見表明権の保障を柱の一つに据えています。
子どもの政治活動の自由を含む意見表明権を強調した子どもの権利条約でさえ、もう四半世紀以上前の国際条約です。
今回の新通知が子どもの政治活動の自由を制限するとしたら、この権利条約違反にもなります。日本は国際的な人権保障の潮流から20年以上遅れている人権後進国なのです。
だいたい、日本では子どもたちをまさに子ども扱いしすぎなんですよ。幼稚園児にだって小学生にだって中学生にだって人権があることをわかってないから、過保護になったり、虐待したりするんじゃないですか?
教育は子どもたちの主体性をまず育まなきゃ。
これは渋谷の高校生デモに参加した我らがアイドル、制服向上委員会のメンバーですね。
制服向上委員会が日本外国特派員協会で記者会見「悪いことを悪いと言うのに、アイドルも子どもも関係ない」
子どもたちの表現の自由、政治活動の自由は大人と同様に「自己表現」の価値があり、民主主義の実現に役立ちます。
さらに、子どもたちの場合は、政治活動を自由にすることは大人以上に自分の人格を高める「自己実現」の価値を持っているでしょう。
ですから、真に教育的配慮で制約しなければならない場面があるとしても、それは細心の注意で必要最小限度に制限しなければならないことを忘れてはなりません。
10月には全国の教育委員会にこの通知を出すと言いますから、我々は文科省に対して不当な通知を出さないように要求していくとともに、各地の教育委員会で高校生の人権が侵害されないかどうか、監視を強めていく必要があります。
文科省が「考えない高校生」のままでいさせようとする姿勢は露骨ですねえ。
さらに、学校現場の先生たちの教育の自由が制限される問題があり、これはまた別に扱いますね。
とにかく、私たちの人権意識を高めることがこの社会を良くする近道だと思います。
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文科省 高校生の政治活動 校外では原則容認へ
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その結果、放課後や休日などに学校の外で行われる政治活動については「生徒が自主的、主体的に判断し行う」ことを前提に、学業に支障がないことなどの一定の条件の下で認める方向で検討を進めることになりました。
一方、授業や部活動などの学校の中での政治活動は、これまでどおり禁止とし、放課後や休日などであっても学校の構内での政治活動は制限されたり、禁止される場合もあるということです。
これについて、下村文部科学大臣は15日の閣議後の記者会見で、「これまでのように一切認めないということではなく、ふさわしい政治活動は緩和するのがあるべき方向だ」と述べ、今後、詳しい内容を検討したい考えを示しました。
文部科学省は、最終的な調整を行って、近く各都道府県の教育委員会に通知することにしています。
18歳選挙権 高校生の政治活動容認 文科省案 教師に「中立」要請
来年の参院選からの「18歳選挙権」実現をにらみ、高校生の政治活動や選挙運動の在り方をまとめた文部科学省の学校現場に対する新通知案が14日、判明した。校内の政治活動は原則禁止するが、校外では一定の条件の下、容認する。主権者教育に関し、教師が個人的な主義や主張を述べるのを避けるよう求め、公正中立な立場での生徒指導を要請する。通知見直しは46年ぶりとなる。
高校への学生運動波及を受けて昭和44年に文部省(当時)が出した通知は、学校の内外を問わず政治活動を禁止していた。18歳選挙権を踏まえ、一定の緩和は必要と判断し一部解禁に踏み出す。
文科省は政府内で調整の上、近く都道府県教育委員会に示す方針だ。44年の通知は廃止する。
新通知案は、放課後や休日に校外で行う政治活動などについて「生徒が自主的、主体的に判断して行うもの」として容認。生徒の学業に支障が発生するか、生徒間で政治的な対立が生じて学校教育の妨げとなる場合は、禁止も含めて適切に指導すると記述。違法の恐れが高い場合には制限または禁止が必要とした。生徒による公選法違反を防ぐため、高校が同法の重要事項を周知する必要性も指摘した。
一方、学校に政治的中立性を求める教育基本法の規定に触れ「(高校生の政治活動などは)無制限に認められるものではなく、必要で合理的な範囲で制約を受ける」と明記。
校内では通常、授業などが行われていることを踏まえ、原則的に活動を禁じた。
授業では具体的な政治的事象に関する議論を促すものの、公選法により教師は地位を利用した選挙運動が禁じられているとして、特定の政治的立場に立って生徒と接してはならないと強調した。
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また、いわゆる教育二法は更に古く、逆コース当時にまで遡ります。
だから現にある社会問題を示し「どう思うか自分なりに考えて主張してみてくれ」という教室でのミニ議会が、高校の政治経済の授業にやれないんですよ。“中立”ってのはそのまま自民党寄りであることだったんです。
宮武さんのこの記事、今、BLOGOSランキング1位の
「太鼓を叩いていた子達に「民主主義」と「民主主義の敵」を教えよう」とあわせて読ませていただくとますます興味深いです。この記事が教育評論家さんに書かれたことも私にとっては驚きでした。さらに驚くのはその支持の多さ。うなだれます。
本当の敵は誰でしょうか。
やっぱ、新安保法制を強引に成立させた自公政権以外に考えられませんけどね。
以下、森口氏の投稿を元に考えます。
>民主主義とは、意見の違う相手の立場を尊重することです
>ですから「平和安全法案」を勝手に「戦争法案」と呼ぶような人達は民主主義の敵です
「平和安全」なる用語は政府の主張に過ぎません。
自衛隊が否応なく戦闘に巻き込まれて犠牲者が出るだろうことは長渕剛始め大半の国民が心配していることです。
そのことは何より森口氏自身がブロゴスでの別な投稿で『中東有事での後方支援は危険』と題して認めていることではないでしょうか。
政府の言い分に対して野党側が「戦争法案」と言ったのは根拠のあることであり、また一般的に政府の言い分に対して野党が別の言い分に基づいてネーミングを考えて対抗しようとするのは当然のことであって、それをケシカランというのは政府の言い分だけを受け入れよということです。
これは、民主主義ではありません。
また、「意見の違う相手の立場を尊重」しない例証として「売国奴」「低脳」といった発言を取り上げていますが、そうだとするならば特定メディアやネット上でこれらの用語を多用して相手を攻撃している勢力こそが「民主主義の敵」と呼ぶのに相応しいとなるのではないでしょうか。
森口氏は、敢えて国会内という限定を付けているようですが。
>「民主主義」とは、いきなり自分の考えを押し付けるのではなく、相手との妥協点を探ることです
そうですね。まさに政府のしたことがそのものですよ。
相手を野党に限らずに慎重な審議を求める世論と考えるならば、妥協して今国会での採決は見送りやり直すべきでしたね。
そもそも集団的自衛権を前提にするということ自体が「自分の考えを押しつける」ことにほかなりません。
憲法違反が指摘される集団的自衛権を前提とする限り反対運動の側が「廃案」を叫ぶのは当然のことであって、それを非難するというのは憲法違反を認めよということで、反対運動の側としては受け入れがたいことは子供でも分かる話と思います。
そもそも、政府提出の法案に対して反対することはダメだ妥協せよという森口氏の主張がおかしい。
森口氏過去に国会に提出された法案が廃案になったことを知らないわけではないでしょうに、何故こんなことを言うのか理解に苦しみます。
>ちなみに、平和安全法制は、そういう皆さんが願う平和を未来に向かって守るために造られたものです
不思議ですね。森口氏別なブロゴス投稿で『安全保障関連法改正の必要性と問題点』『中東有事での後方支援は危険』と題して問題点ありで場合によっては中東諸国を中国の側に追いやる危険性も指摘していたのに、成立した途端にどうあうことでしょうか?
>民主主義とは、多数決で決まった意見に皆が従うことです
法案が成立して法律となれば、それが強制力を持つことは当たり前なことで、だからこそ国会で多数を持っていたとしても国民に説明をして審議を尽くして国民の大方の納得を得た上で決定を行うことが求められます。
それが民主主義の精神なのであって、多数派が何をしてもよいという話ではないと思いますけどね。
森口氏の最後の『結論』の部分読むと笑えましたよ。
ネタで冗談を言っているのかとも思いました。
そりゃあ、別な投稿で問題点や危険性を指摘していた人と同一人物とは思えません。
同一人物なら矛盾しているとしかいいようはありません。
森口氏の民主主義論を読んでいて、中学校の社会科の先生の言葉を想い出しました。
中学校の社会科の授業の記憶は殆どないのですが、その先生が「形だけの形式だけの民主主義というものもある」と仰ったことだけが強く印象に残っております。
もちろんその時には意味はよく分からなかったのですが、何かそれまでの漠然とした「民主主義」のイメージが揺るがされたような気がしたから印象に残ったのだと思います。
それから、折に触れ時々その言葉を想い出し「どういう意味だったのだろう」と考えさせられました。
余分な説明はせずに考えさせるキッカケを作ってくれたあの先生のことは忘れませんね。
反対デモが何十万人なのに対し、賛成ネトウヨの行進はたしか数百人だったような(笑)
来年の参議院選挙が、引き下げ後、初の全国的な国政選挙になるわけですが、引き下げ論が報道されていた当時には無かった戦争法が、現在は成立しました。これが、高校生を含む未成年者の投票心理にどのように、どこまで影響するのか、正直わかりません。
普通に、そして少しでも良く考えれば、選挙権の年齢引き下げは悪法賛成派の政党には不利に働く要素のはずですが、どこまで深く考えているんでしょうか・・・。賛成派の強調する中国侵攻&アメリカが絶対助ける理論にあっさり丸め込まれてしまう気も・・・。
ただその代わり高校生は少年法から外すべきです。政治活動をするということは、国のあり方に対してしっかりと考えて行動するということですから、子供には出来ません。政治的にも、刑法てきにもきっちり大人として扱うべきだと思います。