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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

小沢一郎被告人の国会での証人喚問は三権分立に反しない 国民の知る権利のために必ず実現するべきだ

2011年11月07日 | 日本の政治

 

もう一ヶ月も前のことですが、10月6日、「陸山会事件」の初公判を終えた後に開かれた小沢一郎元民主党代表の記者会見でのこと。

共同通信の記者に「(野党の証人喚問要求に応じて)国会でも説明責任を果たす必要があると考えるか」と聞かれた小沢一郎氏は、

「君はどう考えているの。あなたの見解は」と語気を強めて聞き返しました。

小沢氏に逆質問された共同通信記者は、咄嗟のことに反応できず、「あの・・・国会での説明も・・・・・・一方では重要なことかと思います」(笑)

というと、小沢氏は再び血管を浮かび上がらせながら、

「じゃあ、君は三権分立をどう考えているの」と語気を荒げて逆質問。

「司法は司法で独立してるわけでしょう」とたたみかけ、「もうちょっとよく勉強してから、筋道立てた質問してください」と、下の写真のように記者をたしなめました・・・・


 


自民党の石原伸晃幹事長はこの日の記者会見で、東京地裁で初公判に臨んだ民主党の小沢一郎元代表について「無罪を主張するのなら国会で国民に話す必要が強まった」と述べ、同日の与野党幹事長会談で小沢氏の証人喚問を求める考えを示しました。

野田佳彦首相は下の写真のように、裁判を理由に国会招致には慎重で、「裁判を通じて説明責任を果たして頂きたい」と国会で答弁しました。

・・・が、その後、一ヶ月経ち、裁判はどんどん進行していますが、肝心の国会での小沢氏証人喚問はどうなったんでしょうか??

まさか、自民党以下、野党の皆さんは納得してしまったのでしょうか。


 


小沢一郎という人は、時々独特の法解釈をして、記者を上から目線で怒鳴るところが、もう古い恫喝型政治家ならではなのですが、たいていこの人の法律論は間違っていたりします。

もっとよく勉強して欲しいのはこの人の方です。

小沢一郎民主党元代表 湾岸戦争・小選挙区制・TPP・陸山会事件 政界にいる価値も資格もない

 


彼が、この記者会見で言いたかったのは、現に刑事裁判で被告人になっている人間を、国会で証人喚問することは、憲法76条1項以下に規定する司法権の独立を脅かすもので、三権分立に反するということなのだろうと思います。

確かに、衆議院・参議院両院がそれぞれ有する憲法上の国政調査権は、それが裁判にむかうときには、司法権の独立と緊張関係をはらみます。

しかし、それは、判決の内容や裁判のありかたについて、立法府が批判をすることを目的に調査をするような場合の話です。

裁判が進行中であっても、国会が裁判の内容に干渉するようなものでなく、裁判とは違う独自の視点で行うものであれば、証人喚問は憲法上十分可能です。

 


前述の記者会見で「国民の判断を誤らせる虚偽記入は実質的犯罪ではないか」と質問した記者に対し小沢氏は「あなたの意見が違う」と述べ、「虚偽記入は修正で済まされてきた」と持論を繰り返しました。

政治資金収支報告書に、下の表で争点になっている虚偽の記入をしても、それは形式犯だから微罪だという主張です。確かに、私も今回の事件は起訴する必要のなかった事件だと思います。

小沢一郎氏・陸山会事件は不起訴にすべき事件だった。検察審査会の強制起訴は人民裁判であってはならない

 

 

しかし、法的責任と政治責任とは別の話です。

そもそも、政治資金規正法は政治腐敗を根絶するため、資金の流れを国民に公開して監視することを目的で制定されたものです。しかも、1995年の政党助成法の施行で、政治資金に税金が投入されるようになり、資金の透明化の要請は一層高まっているのです。

それなのに、政治家が虚偽記入をしょっちゅうしていては、国民に政治家の政治資金の流れを明らかにするという目的が達成できません。

秘書がこういう「間違い」をしないように監督するのは政治家本人の政治的責任です。



とりわけ、石川元秘書らが有罪となった下の図の裁判の判決を前提にすると、虚偽記入した額を足していくと総額は21億円にも及んでおり、刑事的に起訴すべきだったかどうかはともかく、政治的には大変な問題です。

また、陸山会事件で問題になっている土地購入原資の4億円を、小沢氏がどう準備したのかについても、政治的には非常に重要なことですが、小沢氏は説明をそのつど変えて誤魔化してしまっています。

この記者会見では、「それは検察の方が良く知っているから詳しく聞きたければ検察に聞いてくれ」とふざけた答えをするだけです。

この人は、民主主義では有権者である国民に判断材料として情報を提供することが最も重要だと言うこと、そして政治家にはそのために説明責任が課されるのだという、民主主義や知る権利という憲法の最重要事項がやはり分かっていないのです。

それは、今のようにお気に入りのフリージャーナリストを集めてしゃべっていれば責任が果たせるというものではないのです。


 

 

これほど重要な問題を裁判所任せにする野田首相の態度もさることながら、なんとなくなあなあに済ませている野党の責任も重大です。

裁判は裁判。国会は国会。

裁判で被告人として質問に答える意味と、国会で説明責任を果たす意味とは全く違います。裁判の終盤に行われる被告人質問で話せば良いというものではありません。

だいたい、小沢氏は裁判が始まる前から政倫審での説明でさえ拒んできたのですから、裁判が始まったことを理由にまた説明を拒むのは理屈に合いません。

このまま政治責任を追及できないのでは、国会の鼎の軽重が問われるというものです。

野党は小沢氏の証人喚問を断固実現するべきです。


 

 

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小沢氏、記者にらみ「ちゃんとよく勉強してよ」

 小沢元代表は初公判終了後の6日夕、東京・永田町の衆院議員会館で記者会見した。強い口調で記者に“逆質問”し、一部の質問には答えないなど、終始、自身のペースで進めた。

 午後5時半過ぎ、会場に姿を現した小沢元代表は、詰めかけた100人以上の報道陣を見渡し「おう。いっぱいいるなあ」と口元を緩めた。同席した民主党議員が座るように促すと、報道陣に、「立った方がいい?」と確認。「今日くらいはサービスした方がいいだろう」と笑みを浮かべたが、その後は一転して硬い表情になり、立ったまま法廷での意見陳述を読み上げた。

 記者の質問に移ると、目をこすり、ぐっと顔に力を込めた。国会での説明責任を問われると、身を乗り出して「三権分立を君はどう考えているの?」と逆質問し、「ちゃんとよく勉強してよ」とにらみつけた。

(2011年10月6日21時02分  読売新聞)

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-11-09 01:55:16
 小沢一郎議員よ、国会の証人喚問に「出て来い!」
 国民の知る権利を、是非とも実現するには、どうしたらよいのですか?
 何億円も、どうして手に入れたのか?不正なのでしょうね。
 国会議員は、清廉でなければならない!汚職は、ダメ!
返信する
裁判と証人喚問961 (Excite)
2011-11-26 20:22:43
三権分立とは、国権のうち国会は立法権、内閣は行政権《法の執行》、裁判所は司法権《法の適用》を
行なうこと。

小沢さんが、バカ記者に言おうとしたのは、日本には三権分立というもんが有って、裁判は裁判所が行なうものだから、国会が裁判のねをしなくてよい、すべきでないということでしょう。

いつもリークもらってる検察に聞いて勉強してこいという意味をこめて。

裁判は裁判所に任せておけばいいんです。(重要)

どうせ党利党略と権力闘争でしかないのだから。

返信する
裁判と証人喚問 (Excite)
2011-11-29 18:05:24
国会における「証人喚問」など『“特定個人の「有罪性」の探究”を唯一の目的とする調査』は、司法権の独立を侵害すると考えられている。

したがって、小沢さんについて上に言われているような「証人喚問」は、「国政調査」であっても、司法権の独立を侵害する行為と考えられます。

したがって、「三権分立」の精神からしても許されないことですね。

返信する
「知る権利」と「表現の自由」 (Excite)
2011-11-30 10:29:57
よく、『国民の知る権利』と言って、「知る権利」という言葉が使われまが、知る権利」というものがあるわけではありません。

憲法にも、法律にもありません。。

「表現の自由」の一つと考える人もありますが逆です。異論もある。

「表現の自由」とは、むしろ情報を発信する・しないの自由の方であって知る権利ではない。

「知る権利」というものを認めると、「説明責任」を広範に認めるるということです。

これは「表現の自由」を侵すことです。

「情報公開法」に、知る権利を入れる事が検討された事が有るが、こうした事から入れられておらず、

「知る権利」というものは、どこにも明文もないものです。「情報公開法」にさえないものです。

[知る権利]のためとして、「説明責任」を求めるのが多いが、これは間違いです。

憲法は、「良心の自由」「表現の自由」など保証していて、そういうことは自由だとしているのです。

良心の自由が主に内心の自由であるのに対し、表現の自由は、行為・行動を含む、政治活動を含む自由です。

「知る権利」ということと、「表現の自由」は真逆の関係にあります。

勝手に自由に勉強する「学問の自由」はありますが、誰も義務のないことを義務のない者に何でも説明する義務はありません。《表現の自由》

知るということは、コミュニケーションであって、知らなければ教えていただくものであって、当然礼を尽くし、自らも説明しなければ成立しない。

相手は自分の鏡です。

誰も自分に敵対する者に、何も聞かない人に教えてあげる義務は無いし、するばかもいない。これが「説明」(コミュニケ-ション)を考える上で基本といえます。

国民の「知る権利」に奉仕するために「証人喚問」とか「説明責任」というロジックは成り立たないい。

憲法が保証するのは「知る権利」(ない)ではなく、「表現の自由」《21条》ですから。
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