あなたに人間の基本を語る資格があるのか。
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産経新聞で堂々と「日本に外国人が移民してくるなら、人種隔離(アパルトヘイト)政策をとれ」と主張した作家の曽野綾子氏が、反省して謝罪するどころか、言い訳や悪あがきを続けています。
なんと、産経新聞と曽野氏に抗議文を送ったペコ南ア駐日大使と、2015年3月6日、あろうことかテレビ出演したのです!
1977年、南アフリカ・ケープタウン近郊のモデルダムでのデモ参加者たちに催涙ガスをかけている警察隊。
ネルソン・マンデラ。アパルトヘイト撤廃のために、南アフリカの黒人解放運動に身を投じた指導者。
「生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく」
「美しい南アフリカについての夢があるならば、その夢につながる道もまた存在します。そのような道のうち、2つの道の名前はきっと「善良(Goodness)」と「許し(Forgiveness)」でしょう」
パレスチナ・ガザ地区の民族隔離壁。こんなアパルトヘイトが続く現代社会で曽野綾子氏が人種隔離政策を主張した意味を考えてほしい。
それがなぜ驚きなのか、事件の経緯について、まずいつも歯切れの良いリテラに解説してもらいます(コラム全文は後掲)。
「曽野綾子が大炎上している。いや、炎上するのも当然だろう。以前から数多の差別発言で知られる曽野センセイだが、今度は産経新聞でなんと、アパルトヘイト導入を主張したのだ。
問題のコラムは2月11日朝刊の「労働力不足と移民」と題された回。曽野センセイはまず、日本では若い世代の人口比率が減っているとして、高齢者の介護のための労働移民の条件を緩和すべきだと主張する。そして、その理由をこう述べている。
〈高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。〉
〈優しければそれでいいのだ。〉
〈「おばあちゃん、これ食べるか?」という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。〉
ようは介護なんて誰でもできるから、貧乏な外国人労働者にやらせとけ、といっているのだ。これだけでも、介護という仕事を全く理解していない差別と偏見にあふれた発言だが、本題はここからだ。
これが問題になったコラム。一度発表されたものは絶対に消すことができない。できることは謝罪と撤回だけだったのだが。。。
さんざん移民は必要だと言いながら、曽野センセイは〈しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。〉と、強者の論理丸出しの主張を展開。
そのうえで唐突に、南アフリカ共和国で人種差別撤廃後、白人だけが住んでいたマンションに黒人が移り住んできたため白人がそのマンションから逃げ出したというエピソードを紹介し、こう結論づけるのだ。
〈居住区だけは、白人、アジア人、黒人と分けて住む方がいい、と思うようになった。〉
〈爾来、私は言っている。「人間は事業も建築も研究も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」〉
ようするに、日本でも労働移民は受け入れるが、市民権を与えずに、居住区を隔離しろ、と言っているのである。これはもう、どこからどう読んでも人種隔離政策=アパルトヘイト。もっといえば、奴隷制度導入を主張しているとしか思えないものだ。
当然、ネットは「曽野綾子がアパルトヘイト肯定してる」「国連から制裁受けるレベルだわ」「『第9地区』みたいな世界を作りたいのか」「バカな外国人を二級市民として日本に入れて低賃金で雇ってあげてスラムに押し込めようって」「曽野綾子氏、介護職をバカにしすぎ」といった批判であふれかえった。
問題は曽野の文章を掲載した産経新聞にも飛び火し、「これをそのまま掲載する産経新聞て」「アパルトヘイト良いよねというオピニオンが全国紙に載るのもスゴい」「産経新聞、恥を知れ」といった非難が殺到している。」
曽野綾子がアパルトヘイト発言で大炎上! でも安倍政権の移民政策も本質は同じ 2015年2月12日 21時30分 リテラ より
以上のように、曽野氏はこのコラムの中で
「移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである」
「居住区だけは、白人、アジア人、黒人と分けて住む方がいい」
「居住だけは別にした方がいい」
と言っているわけで、これは完全に人種隔離政策(アパルトヘイト)を主張するものです。他に解釈のしようがないでしょう?
よくもこんな文章を、曲がりなりにも全国紙でありながら掲載する新聞があったものです。産経新聞!
もちろん、かつてアパルトヘイト政策でアフリカ系の住民を苦しめまくった経験のある南アフリカ共和国は、直ちに曽野氏と産経新聞に抗議文書を送りました。
南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使は2015年2月14日までに
「アパルトヘイト(人種隔離)を許容し、美化した。行き過ぎた、恥ずべき提案」
と指摘し、アパルトヘイトの歴史を紹介したうえで
「アパルトヘイト政策は人道に対する犯罪。21世紀において正当化されるべきではなく、世界中のどの国でも、肌の色やほかの分類基準によって他者を差別してはならない」
と抗議したのです。
これに対して、 産経新聞の執行役員東京編集局長である小林毅氏は
「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」
と言い訳していますが、「アパルトヘイトはもとより人種差別などあらゆる差別は許されない」と考えているのなら、曽野氏のアパルトヘイト政策をとれという文章が来た際に断って掲載しなければいいのであって、そんな人種差別を主張するコラムをそのまま載せたら、当然産経新聞も日本でのアパルトヘイト政策を支持していると思われるのは当たり前です。
また、曽野綾子氏は南ア大使からの抗議について
「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです」
というのですが、自分の書いたことを忘れたのか、アパルトヘイト政策をそもそも知らないのか。
まず、彼女のいう「個人の経験」というのもでまかせらしいのです。「南ア首都にある白人用マンションが人種差別廃止以来、黒人が住み始めどんどん一族を呼び寄せて一区画に20、30人住みだし、使いすぎて水が出なくなり白人が逃げだした」という部分ですが、その経験も単なるうわさを伝え聞いただけだと後に認めています。また、ヨハネスブルグに長く在住している日本人の方に、実際にそんなことがあるわけがないとも言われています。
とにかく、曽野氏は移民には特別な法律を作ってそれを守らせるとか、日本の移民は人種ごとに別に居住する制度を設けるべきだとはっきり書いているのであって、それこそがアパルトヘイトなのですから、彼女が日本もアパルトヘイトをやれと主張したのは動かしがたい事実なのです。
しかし、曽野綾子の曽野綾子たる所以はここからで、まず彼女は朝日新聞に弁明を寄せたのですが、その全文が
「私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。
私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。
私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。」
です。
もう、突っ込みどころ満載なのですが、まず、曽野氏は第一次、第二次安倍政権で何度も公職についており、2013年から安倍政権の教育再生実行会議の委員を務め、2014年には、道徳教育の教科化をにらんで文部科学省が配布した教材『私たちの道徳』の「誠実」の項目で取り上げられているのです。
とにかく語る資格のないことばかり語る人。
よりによって、誠実!に取り上げる文科省のセンスを疑いますが、安倍首相の私的諮問機関の委員をやっているのにアドヴァイザーであったことはないと、「不誠実」極まりない嘘をつく心根が信じられません。
また、曽野氏は安倍政権の下で自分がアパルトヘイトを主張しておきながら、それを批判する人を「まちがった情報に基づいて興奮している人々」とけなすのですが、まあ上から目線でよく言えたものです。コラムにはっきり書いてあるのだから間違いようがないし。
また、「アパルトヘイトを称揚したことはありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう、って、チャイナタウンもリトル東京も、制度として居住区が隔離されたのと違うの!法的に居住区を変えられているわけじゃないの!
日本の対外イメージをこれでもかとばかりに傷つけた曽野綾子氏。これぞ国辱もの。右翼はなぜ糾弾しない?
第一、あなたは
「移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。」「居住区だけは、白人、アジア人、黒人と分けて住む方がいい」
ってはっきり書いたでしょうが!なにがチャイナタウンやリトル東京はいいものだ!!誤魔化すな!!!
さらには、曽野氏は2月20日付のジャパン・タイムス紙に、南アメリカに於ける日系移住者専用の植民地について言及し、日本国内に「ブラジル人移住者用のコミュニティーが存在」し、彼等は自ら進んでそこに居住していると述べて、言い訳したのですが、これについても
「これはブラジルに住む日系人にとっても、日本に居住するブラジル人にとっても事実の歪曲だと言える。」
と、駐日ブラジル大使アンドレー・コヘイア・ド・ラーゴ氏に徹底批判されています。
このように悪あがきすればするほど、まさに自縄自縛に陥っている曽野綾子氏なのですが、今度は冒頭に書いたように、何をとち狂ったか南ア大使とテレビ番組に出てかえって傷を深くしてしまったのです。
曽野氏御用達の右翼的な番組なので、これまたタカ派で知られる司会者が必死で曽野氏を弁護しているのが酷いものなのですが、それでも、ペコ大使は首尾一貫して
「今でも、南アフリカ共和国はアパルトヘイトの傷とともに生きているし、傷はまだ癒えていない。曽野氏があの時代を思い起こさせるものを提案されたことを残念に思います」
として譲らなかったのです。
ペコ駐日大使
だって仕方ないでしょう?
アパルトヘイトを思い起こさせるもの、と南ア大使は武士の情けでオブラートに包んでくれましたが、曽野氏がアパルトヘイトそのものを主張したのははっきりしているのですから。活字ってごまかしがきかなくて怖いものですね。
それを一番知っているのは曲がりなりにもずっと作家をやってきた曽野氏のはずで、いくら口で誤魔化そうとしても、彼女の書いたことは永久に消えません。
曽野綾子さん、あなたはこれまでの罵詈雑言人生を締めくくる暴言で晩節をさらに汚したのです。
悪いことは言いませんから、これ以上悪あがきしないで引退して、筆を折った方が身のためです。
老い過ぎ。冒険しすぎ。
こんな人の本をみんなが買って半世紀もベストセラー作家にしているとは、日本人って本当に恥ずかしい国民だ。
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追伸
曽野綾子という人の暴言録は酷いものです。
たとえば、女性の労働者は甘えている、出産したら仕事を辞めろ、といつの時代かと思うようなことを書いています。
こういう人を教育再生実行委員に選ぶ安倍首相は、どんな教育再生を成し遂げ、どういう男女共同参画社会を作ってしまうんでしょうか。
産経新聞の同じコラムに、曽野氏は「お金がなければ貧乏を甘受せよ」(!!)と書いています。
「貧乏人は麦を食え」と半世紀前に言った池田勇人首相の霊が降りてきたんかいな。
今時こんな主張を載せる産経新聞ってどんな新聞や。
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産経新聞『曽野綾子の透明な歳月の光 労働力不足と移民』全文
最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならないという立場に追い込まれている。
特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。
どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活はまもなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
曽野綾子氏、抗議した南ア大使とニュース番組で論戦
スポーツ報知 3月6日(金)23時11分配信
作家・曽野綾子氏(83)のコラムをめぐり、「アパルトヘイト(人種隔離政策)を容認した」と抗議した南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使が6日夜、BSフジの「LIVE プライムニュース」で曽野氏と共演し、議論を戦わせた。
曽野氏は産経新聞の連載コラムで「労働力不足と移民」と題し、「20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、移住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」と書いていた。
これに対し、ペコ大使は「アパルトヘイトを許容し、美化した」として、同14日に産経新聞社宛に抗議文を提出。NPO法人「アフリカ日本協議会」も同社や曽野氏に撤回を求める要望書を出したが、曽野氏は撤回の意向はないと明言していた。
番組内でペコ大使は、「今でも(南アは)アパルトヘイトの傷とともに生きているし、傷はまだ癒えていない。あの時代を思い起こさせるものを提案されたことを残念に思います」と主張。これに対し、曽野氏は「区別と差別は違う。(たとえば南アで)クサヤの干物を食べたくなっても、アパート中から文句が出るので食べられないでしょうね。でも、日本人村があって、そこに住めば安心してクサヤが食べられるなら、私はそこに住むと思うんです。ですから区別はする方がいい」と持論を展開した。
2人は、騒動後に既に南ア大使館で面会。ペコ大使は、意見こそ違うものの「曽野さんは素晴らしい方。友情を育てていきたいと思っております」とも話しており、議論は穏やかな雰囲気の中で行われた。
曽野綾子氏に在京大使反論=日本移民は文化残して統合=駐日ブラジル大使=アンドレー・コヘイア・ド・ラーゴ(Andre Correa do Lago)
曽野綾子氏が2月11日付け産経新聞に掲載した「労働力不足と移民」をテーマにしたコラムを発表し、移民導入を肯定する論調の中で、南ア首都にある白人用マンションが人種差別廃止以来、黒人が済み始めどんどん一族を呼び寄せて一区画に20、30人住みだし、使いすぎて水が出なくなり白人が逃げだした事例を挙げて、《人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住区だけは別にした方がいい》と締め、《適度な距離を保って受け入れを》と論じた。
これに対し、「アパルトヘイト(人種隔離)擁護する発言か」と批判を浴びた。それを受けてジャパンタイムス紙が同月20日付けで、曽野氏の真意を取材し、《自分の意図は、異なる人種の人々に「本人の選択による住み分け」を勧めることだった》と説明した。
具体例として《ペルーの首都リマなど南米の都市では、日系人専用の移住地(dedicated colonies for Japanese)がある。そこでは、日本語や日本文化が損なわれずに残っている。日本にもブラジル移民のコミュニティがあり、これらの共同体はほぼ自然に湧いて出たものだが、いずれも隔離はされていない。人々は、そこに住みたいと思うから住んでいるのであって、出るも入るも本人の自由である。私は、本人の選択による住み分けは、何ら悪いことだとは思わない》という意味の自説を話した部分がある。
それに対しアンドレー・コヘイア・ド・ラーゴ在京ブラジル大使が右のような英字反論文をジャパンタイムス同月25日付けで発表した。今回掲載したのは、その日本語訳。
ブラジル人、日本人と人種融合の成果=2月25日付ジャパン・タイムス紙に掲載(訳文)
在日外国人コミュニティーへの支援に日常的に取り組んでいる我々にとって、去る2月11日に曽野綾子氏が産経新聞に掲載したコラムに関する論争は傍観できない問題である。
モハウ・ペコ駐日南アフリカ共和国大使が同紙に宛てた書簡は、一見して人畜無害な文言である「分離」の名の下に、甚だしい人権侵害が過去に於いて正当化され、書き表されていた事実に警鐘を鳴らす。幸いなことに、二十一世紀の世の中ではその様な行為の余地はない。
2月20日付のジャパン・タイムス紙は、曽野氏が問題となった最初の記事の趣旨を説明する試みを掲載する。その中で同氏は南アメリカに於ける日系移住者専用の植民地について言及している。同氏はまた、日本国内に「ブラジル人移住者用のコミュニティーが存在」し、彼等は自ら進んでそこに居住していると述べている。これはブラジルに住む日系人にとっても、日本に居住するブラジル人にとっても事実の歪曲だと言える。
一世紀以上も前に日本人がブラジルに移住し始めてから、彼等はより恵まれた環境を求めて特定の都市または地域に向かう傾向を見せた。
ブラジルに渡った日本人移住者は全国に散り、ブラジルの文化を身に付け、現地の人と結婚して子孫をなした。要するに彼等は祖先の文化を放棄することなくブラジル社会に溶け込んだのである。日本を含む海外各国から移り住んで来た人々は、外国人が各々の祖国の文化遺産を保ちつつも完全なブラジル人となり得る、真の意味での多文化国家としてのブラジルを築き上げる事業に貢献したのである。
現在、150万人を上回る数の日系人がブラジル社会の良き市民として暮らす。彼等は完全なブラジル人であると同時に日本のルーツに誇りを抱く。日本人移住者は当初、農業の働き手としてブラジルに渡った。努力とブラジル社会への溶け込みと通じて、子孫である日系ブラジル人たちは今ではエンジニア、芸術家、医師、公務員、実業家として各分野で活躍するに至った。
ブラジルで最も権威のある名門サンパウロ大学で、日系人の若者達が学生総数の12%を占める。社会として、ブラジルは国内に住む全ての人々をより良く迎え入れることに努めている。この様な努力は国家の政策にも影響を及ぼしており、その一例として人種平等政策推進局が進める重要な一連の取り組みが挙げられる。
一方では約17万人のブラジル人が現在、日本国内に居住する。その大部分が日系人であり、「自ら進んで隔離して住む」わけではない。ブラジルが日本人移住者に提供したのと同様の機会と度量を求めて彼等は来日したのである。
大部分が就労を認める査証を得て来日し、何年か働いてからブラジルに帰国することを夢見ていた。しかし年月が過ぎるにつれて多くの人々が日本と深い絆を結び、家庭を築き、事業を始めた。
幾多の困難にもかかわらず、これ等の在日ブラジル人たちは日本の社会に尊敬の念を抱きつつ当地に溶け込もうと努めている。日本の社会と隔てる壁を設けることなく、むしろ同化し、貢献することを追い求めている。
ブラジル人たちが日本の社会に同化し、溶け込めるように多くの関係者が尽力している。東京、名古屋、各浜松の総領事館だけではなく日本側の政府、地方自治体、一般社会、企業等々の参加が見られる。
これ等の取り組みに何等かの形で加わっている全ての人々が認識する一つの明白な事実がある。日本は、当地に在住するブラジル人の才能、文化、努力を上手く取り込んで活用する絶好の機会に恵まれている。日本が「分離」を主張する意見を退け、自らの未来をより強くより豊かにし得るこの様な好機を活かすであろうと期待し、且つ確信する次第である。
曽野綾子がアパルトヘイト発言で大炎上! でも安倍政権の移民政策も本質は同じ
曽野綾子が大炎上している。いや、炎上するのも当然だろう。以前から数多の差別発言で知られる曽野センセイだが、今度は産経新聞でなんと、アパルトヘイト導入を主張したのだ。
問題のコラムは2月11日朝刊の「労働力不足と移民」と題された回。曽野センセイはまず、日本では若い世代の人口比率が減っているとして、高齢者の介護のための労働移民の条件を緩和すべきだと主張する。そして、その理由をこう述べている。
〈高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。〉
〈優しければそれでいいのだ。〉
〈「おばあちゃん、これ食べるか?」という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。〉
ようは介護なんて誰でもできるから、貧乏な外国人労働者にやらせとけ、といっているのだ。これだけでも、介護という仕事を全く理解していない差別と偏見にあふれた発言だが、本題はここからだ。
さんざん移民は必要だと言いながら、曽野センセイは〈しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。〉と、強者の論理丸出しの主張を展開。
そのうえで唐突に、南アフリカ共和国で人種差別撤廃後、白人だけが住んでいたマンションに黒人が移り住んできたため白人がそのマンションから逃げ出したというエピソードを紹介し、こう結論づけるのだ。
〈居住区だけは、白人、アジア人、黒人と分けて住む方がいい、と思うようになった。〉
〈爾来、私は言っている。「人間は事業も建築も研究も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」〉
ようするに、日本でも労働移民は受け入れるが、市民権を与えずに、居住区を隔離しろ、と言っているのである。これはもう、どこからどう読んでも人種隔離政策=アパルトヘイト。もっといえば、奴隷制度導入を主張しているとしか思えないものだ。
当然、ネットは「曽野綾子がアパルトヘイト肯定してる」「国連から制裁受けるレベルだわ」「『第9地区』みたいな世界を作りたいのか」「バカな外国人を二級市民として日本に入れて低賃金で雇ってあげてスラムに押し込めようって」「曽野綾子氏、介護職をバカにしすぎ」といった批判であふれかえった。
問題は曽野の文章を掲載した産経新聞にも飛び火し、「これをそのまま掲載する産経新聞て」「アパルトヘイト良いよねというオピニオンが全国紙に載るのもスゴい」「産経新聞、恥を知れ」といった非難が殺到している。
ただ、これまでの曽野の姿勢を見ていると、こうした発言が飛び出すのは全く不思議ではない。人種隔離政策についても過去に何度も口にしているし、本サイトでも指摘したように、これまでも弱者を差別し、貧困層を蔑視する発言を繰り返してきた。
産休制度を利用する女性社員を「迷惑千万」と切り捨て、エリート男性のセクハラを全面肯定し、中越地震や東日本大震災の被害者を国に頼り過ぎだと叱る......。世間では何かの識者のように誤解されているが、その思想は、自分の事を完全に棚上げして、ネットや路上で弱者叩きと、女性叩き、マイノリティ差別をわめき続けているネトウヨとほとんど変わりはない。
実際、昨年5月、「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」が書店員に対して「嫌中憎韓本」の販売状況を調査したところ、これらのヘイト本を購入する客層が「曽野綾子の読者層とほぼ一致する」との回答があったという。
そういう意味では、今回のアパルトヘイト発言も介護職蔑視もまさに"らしい"発言といえるのだが、しかしだからといって、「やれやれ」と冷笑してすませることができないのは、彼女がそのへんのネトウヨとは比べ物にならない影響力をもっているからだ。
曽野綾子はこれまでもさまざまな公職についてきたが、2013年から安倍政権の教育再生実行会議の委員を務め、昨年には、道徳教育の教科化をにらんで文部科学省が配布した教材『私たちの道徳』の「誠実」の項目で取り上げられている。ようするに、この国は、アパルトヘイトを肯定する人物を道徳の教科書に載せて「誠実」の手本にしているのだ。もはや狂ってるとしか思えないが、実は、移民政策についても、安倍政権がやろうとしていることは、今回、曽野の主張した移民隔離=アパルトヘイトと本質の部分で完全にシンクロしている。
安倍首相は昨年4月、経済財政諮問会議と産業競争力会議の合同会議の席上で、まさに今回の曽野と同様、介護や家事の分野に外国人労働者を受け入れるよう各方面に指示した。
ところが、これを受けて政府が打ち出したのは外国人労働者使い捨てともいえる制度だった。
通常、国家が外国人労働者を受け入れる場合は移民局などの部署を設けて、外国人と自国民が共存できる環境と法制度を整えることになっている。ところが、日本政府はそれをやらずに、外国に日本の技術を伝えること目的とした「技能実習制度」を悪用。これをすべての職種に広げ、数年間限りのビザを出して期限がきたらさっさと帰らせる制度にしようとしているのだ。
この背景にはもちろん、労働人口の減少で働き手は必要だが、 日本に居ついて子どもや家族をつくられては困るという身勝手な論理がある。技能実習制度については、米国務省からも「人身売買制度」と批判を受けているが、日本政府は改めるどころか、まさに曽野の言う「移民としての身分を厳重に守らせる奴隷制度」づくりを行っているというわけだ。
そう考えると、今回の曽野のような差別的言説が全国紙に掲載されるのも偶然ではないだろう。政権自体が曽野的な価値観を是としているからこそ、こういう言説が大手をふって流通する。
彼らに対しては、ネットでの炎上もおそらく効果がないだろう。曽野はそもそもネットの反応なんて一顧だにしていないだろうし、マスコミは作家タブーに阻まれて曽野を批判できない。そして、産経も商売に直結するユダヤ団体にはすぐ謝るが、弱者の介護職やアジアの労働者には謝罪なんて絶対しないだろう。
曽野と産経の編集幹部の間では今頃、「いやいや曽野センセイ、ご高説が大反響でして、さすがですな」「あらそう? 正論を言ったまでですわ」などという会話が交わされているかもしれない。
彼らはおそらく、今後もこうした言説をふりまくことをやめないだろう。そして、安倍政権も対外的には「人種差別には断固反対する」といったタテマエを口にしながら、国内では弱者を虐げ、差別をむき出しにする曽野的な価値観をじわじわと拡げていくはずだ。
そして、その先にあるのは、保守主義や民族主義ですらない、国家主義と新自由主義とをかけあわせたグロテスクな差別国家である。
(野尻民夫)
曽野氏コラムで南ア駐日大使が本紙に抗議
2015.2.14 19:50 産経新聞
産経新聞に掲載された作家、曽野綾子氏のコラムをめぐり、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使は14日までに、産経新聞社宛てに抗議文を送付した。
ペコ大使が問題視しているのは、2月11日付で掲載されたコラム「曽野綾子の透明な歳月の光」。「労働力不足と移民」と題した中で、介護の労働移民について条件付きでの受け入れを提示したほか、南アフリカで人種差別が廃止されても生活習慣の違いから分かれて住むようになった例を挙げ、住まいは別にした方がいいとの考えを述べた。
これについてペコ大使は「アパルトヘイト(人種隔離)を許容し、美化した。行き過ぎた、恥ずべき提案」と指摘。アパルトヘイトの歴史をひもとき、「政策は人道に対する犯罪。21世紀において正当化されるべきではなく、世界中のどの国でも、肌の色やほかの分類基準によって他者を差別してはならない」としている。
NPO法人「アフリカ日本協議会」も産経新聞社と曽野氏に抗議している。
曽野綾子氏「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです」
小林毅産経新聞執行役員東京編集局長 「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」
曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」
2015年2月17日05時35分 朝日新聞
曽野綾子さん
11日の産経新聞紙上に掲載されたコラムが「アパルトヘイトを許容している」との抗議を受けたことについて見解を求めたところ、作家・曽野綾子氏は朝日新聞に次のコメントを文書で寄せた。
曽野氏コラム、共生願う心に波紋 「国際社会で通じぬ」
◇
私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。
私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。
私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。
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〈その・あやこ〉 1931年生まれ。堕胎を扱った「神の汚れた手」など著書多数。2003年、夫の三浦朱門氏に続き文化功労者。13年1月に安倍政権の教育再生実行会議委員(同年10月辞任)。保守派の論客として知られ、同年8月には週刊誌で「女性は赤ちゃんが生まれたら、いったん退職してもらう」「職場でパワハラだセクハラだと騒ぎ立てる女性も、幼稚」などと発言し、論争になった。エッセー集「人間にとって成熟とは何か」は13年のベストセラー。
そうですよね。こんな考えの人が政府の諮問機関の委員だなんて恥ずかしい。
大日本帝国は多民族国家でしたが、けっして居住区分離のような馬鹿げた政策はとらなかった。
むしろ民族融和を建前としていたはずです。
民族が混じり合うことで新たなものが生まれて、国家の発展につながっていく。
これは大日本帝国に限らず近代国家の理念であると思います。
右翼が「民族協和」や「八紘一宇」の理念を継承しているなら非難しない方がおかしいですね
。
○例えば「選挙権・被選挙権」が無いとか。
○そして「居住地を分ける」でしょう。ズバリ「アパルトヘイト」じゃないですか。
○曽野の言っている事は「アパルトヘイト」の部分を除いてもおかしいんですよね。
○「介護の仕事に専門知識なんて要らない。」みたいな事言ってますが、身内の面倒を見るのと他人の面倒を見るのとでは大違いなんですよね。
○ただ、曽野はこうした「暴論」を吐く事が生き甲斐みたいな人だし、騒いであげるとますますヒートアップしそうですよね。
○同類に石原慎太郎がいましたけど、こういう人達って無視してあげたほうがいいような気がするんですけどね。そうしたら大人しくなるんじゃないでしょうか。
アパルトヘイト政策が人権侵害だということも、きっと理解していないと思います。
お嬢様は決して奴隷になることは無いので、「便利に労働者を使える良いシステムなのに、何故皆が批判するのかしら」、「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」ってところでしょうか?(実際にお嬢様の友人が似たような発言をして、周囲を引かせた場に居合わせたことがあります)。
多分、民主主義の意味も、理解していないかも。
「お花畑」というのはこういう方のことを言うのではないでしょうか。
こんな人の本が売れる国だもの、慰安婦の人権を理解も出来ない人が存在するのは必然なのでしょうね。
日本人の足を引っ張らないよう、早く御引取願いたいです。
そのわりには一つの党が単独で六割も議席を獲得しているのは興味深いですが、逆にいうと、大政党に有利な選挙制度にすればその党がもっと議席を獲得できるのに、そういう選挙制度にはしていない、多様性を尊重する選挙制度にしているというのはすごいなと思います。
まあ、政党に所属しなければいけない点や、政党が決めた候補者の当選の優先順位を有権者が変えられない(拘束式名簿)というのは、良くないとは思いますが…。
参考↓
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E8%AD%B0%E4%BC%9A_(%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB)
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2014_14.html