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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

橋下・維新の会「君が代斉唱時起立義務化条例」は思想良心の自由侵害で憲法違反 最高裁合憲不当判決批判

2011年06月01日 | 橋下維新の会とハシズム


昨日、最高裁の不当判決が出たところで、私の主張と最高裁判決の論理とどちらが説得的か、読んでご判断ください。


須藤正彦裁判長は、起立斉唱命令について「個人の思想・良心の自由を間接的に制約する可能性はあるが、特定の思想を強制するものではなく、合理性、必要性も認められる」として初の合憲判断を示し、上告を棄却しました。4人の裁判官全員一致の結論でした。

結論として、この事案を思想良心の自由を直接制約するものではないとして合憲とした判断は全く不当です。

しかし、最高裁は、君が代斉唱時に起立を命じる東京都教育委員会の職務命令について

「起立斉唱は、国旗・国歌に「敬意を表明する要素を含む」とし、個人の歴史観に反するとして敬意を表したくない人には「間接的な制約になる」と指摘。制約の度合いと命令の目的や内容などを比較し、命令に必要性や合理性が認められれば「制約は許容される」との判断基準を示しました。

以上の判断基準を前提にしても、橋下大阪府知事と「大阪維新の会」が制定しようとしている、君が代斉唱時起立条例は「必要性」も「合理性」もないので、制約は許容されず、違憲とされる可能性は十分あります。

この日の最高裁判決は、公立学校での起立斉唱命令を合憲と判断する一方、人権制約にも明確に言及しました。結論は4人の裁判官全員一致の意見でしたが、補足意見で、須藤正彦裁判長は「(教育現場における)強制や不利益処分は可能な限り謙抑的であるべきだ」、ある裁判官は「国旗・国歌が強制的ではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えるべきだ」と述べています。「教育は強制ではなく、自由闊達(かったつ)に行われることが望ましい」などと指摘した裁判官もおり、教育現場における過度の「強制」や懲戒をけん制したともいえます(なら違憲判決出せよ!)。


 

この部分も今後の事案の判決に影響を与えます。

また、今回の判決は、都教委による再雇用拒否の是非について判断を示しておらず、命令に反した場合に過度なペナルティーを科すことまで容認したわけではありません。橋下知事が目指すような、命令に反した場合に懲戒免職とする措置は、一度定年退職した人を再雇用しないケース以上に「裁量権の乱用」で違法であると判断される可能性は高いのです。

今回の判決が橋下府知事と維新の会の条例案に「お墨付き」を与えたものとは到底言えません。


橋下さんが司法試験のときの憲法の勉強を思い出して、踏みとどまれるか。

彼も、「(教職員の)思想・良心の自由に影響が及ばない仕組みを考えたい」とコメントしたところを見ると、法律知識より野生の勘(笑)で、これは危ないと気づいたようです。

なお、違憲違法な条例に関して出費すれば、住民監査請求、住民訴訟の対象となり、橋下さん、あなたの個人の財布から大阪府に返還しなければならなくなることをあらかじめ警告しておきます。

 

 

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以下、新 君が代斉唱起立義務化は「橋下知事大阪維新の会」対「既成左翼政党・労組」問題じゃない 人権問題の大幅加筆改訂版です。


ではさっそく、宮武レック専任講師の「一介の弁護士による最高裁への反逆(笑)」憲法講義を始めたいと思います。

 

お題は「君が代斉唱義務化条例は思想良心の自由を侵害して、憲法違反である」。

思想良心の自由は絶対無制約で、制約は必ず違憲、例外なし、は憲法学の常識です。

では基本的人権はどういうときに制約できるのか。なぜ、思想良心の自由の制約は許されないのか。

憲法を勉強していると最初の方で、基本的人権の保障と「公共の福祉」による制約を勉強します。基本的人権は生まれながらにして人が人たるが故に保持する権利で無制限に保障され、制約はされないのが原則ですが、人間も社会を営み他者と共存するのが前提である以上、他者の人権を侵害しない形で人権というものは存在しています。これを人権の内にある制約、『内在的制約』といいます。
公共の福祉というのは全体のために個人は我慢せよ、ということではなくて、人権と人権が衝突するときの調整の原理なんですね。たとえば、表現の自由は原則として制約されませんが、他人のプライバシーや名誉権という人権を侵害してはならないでしょう?表現の自由が保障されると言っても、もともとそれら他者の人権を侵害しない形になっているのが人権というものなんですね。だから、その形以上に制約しない限りは法律や条令で制約しても違憲ではありません。

 

喫煙権と嫌煙権が人権かは微妙ですが、とにかく調整は難しそうですが、まあ、分煙とか、調整の仕方はありますよね?


ところが、思想良心の自由は、内心領域の精神的自由権です。自分の心の中でどんな世界観や人生観、信条を持っていても、それは国家から侵害されません。ある特定の思想を押しつけられませんし、どんな思想を持っていても不利益を受けないという人権です。
心の中で何を思っていても、それが言動に出ない限り、他人の人権を侵害しないですよね?ですから、思想良心の自由は絶対無制約とされています。
もともと、宗教的対立が激しかったヨーロッパでは信仰の自由と思想良心の自由は明確に意識されずにいるようですが、日本の場合は戦前の絶対的天皇制の下、特高警察に象徴されるように徹底的な思想弾圧が行われたので、世界でも珍しい思想良心の自由規定が制定されました。

憲法第19条
思想及び良心の自由はこれを侵してはならない。

憲法学の泰斗(泰山と北斗七星をあわせたような人と言うことですね)、故芦部信喜先生はこう書いておられます)「憲法」第5版 高橋和之補訂 有斐閣)
「このような思想・良心の自由を『侵してはならない』とは、第一に、国民がいかなる国家観、世界観、人生観をもとうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり、国家権力は内心の思想に基づいて不利益を課したり、あるいは、特定の思想を抱くことを禁止することができない、ということである。たとえ民主主義を否定する思想であっても、少なくとも内心の思想にとどまる限り処罰されない、と解すべきである。」

憲法学の常識でも、受験生でも間違っている人がいます。実は、今回、法科大学院対策講座を担当したのですが、大阪大学法科大学院では2009年に、東京都のピアノの先生が入学式に君が代の伴奏をしなかったという事件(あとの新聞記事参照)を題材に、事実をほぼそのまま出題しています。

憲法(PDF)


驚いたことに、レックから送られてきた合格者!の答案に、

「思想良心の自由といえども、外部に表現された場合には、制約を受ける」

と書いてあったのです!!
そんな新しい憲法学上の議論があるのか、と、急いで紀伊國屋にはしって片っ端から憲法の基本書を読みましたが、どこにもそんな記載はありませんでした。

(こんなレベルでも合格させなければいけないのか、とあらためて、法科大学院の先生方のご苦労が偲ばれました)

だって、思想良心の自由が外に現れたら、それは表現の自由の問題とか教育の自由の問題ですからね。

君が代斉唱の時に、起立を義務化する、起立をしないと懲戒処分にして場合によっては懲戒解雇するというのは、起立したくないという内心の思想に対する侵害になるのではないかが問題となるわけです。教職員の起立しないことで入学式や卒業式での雰囲気が悪くなったり、国歌に対する尊敬を教育しようとする目的が損なわれる可能性があっても、教職員の内心の世界観や信条を自由に持つ自由を侵害してはならないのです。


ここで大事なのは、第一に、この問題が本当にその教職員の譲れない思想良心の自由の問題かと言うことです。謝罪広告も無理矢理判決で謝らされるわけですが、単なる道徳心とか反省心とかならそれは絶対的に保障されるものではないと考えられているのです。

戦前の絶対的天皇制の下、外には侵略戦争を仕掛け、日本国民300万人と他国民1000万人が亡くなったと言われている。それは天皇を神格化し、大日本帝国は神の国であるという国家神道体制が可能にしたものでした。
また、内では、神社神道以外のありとあらゆる宗教を信じる人々信じない人々が迫害されました。共産主義者、社会主義者、労農主義者、自由主義者、多くの人の人権が侵害され、獄死した人も多数でました。



特高警察に拷問され死去した作家小林多喜二


君が代の歌詞は、「千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」というものです。
普通に読めば、天皇の御代が千代ももっともっと、小さな石が岩となって苔が生えるまでつづきますように、と読めますね。これは素直に考えれば、絶対的天皇制国家の国歌としてはふさわしいけれども、民主主義の象徴天皇制の国の国歌としてはそぐわないものでしょう。だから、「民が代」にしたらいいという折衷案もあります(笑)。


戦前の絶対性天皇制の教育が子ども達を死に追いやった、だから、個人としてそのような君が代を歌いたくない、起立したくないという世界観を強く持った人がいても不思議ではありません。また、生徒達の未来を考える教職を天職と選んだ先生達の中に、そのような君が代を国歌として盲目的に信奉するような態度を生徒達の前で示したくないという先生がいても不思議ではないのです。

この君が代斉唱時に起立しない、したくないという世界観・信条は、憲法が絶対無制約で保障する思想良心の自由の問題であると言うべきです。



第二に問題になるのは、最高裁の言うように、君が代斉唱起立を懲戒処分を使って強制することが、思想良心の自由に対して、「特定の思想を強制したり特定の思想の有無について告白を強要するものではない」から、「思想・良心の自由を直ちに制約するとは認められない」といえるのかということです。

君が代斉唱時に起立を強制すれば、君が代を国家にふさわしくないと考える人に対して、国家として扱うことを強制するわけですから、これは文句なく特定の思想を強制していると言えます。内心で君が代を軽んじていても形式的に君が代斉唱の時に立てばいいだけではないかとは言えないのです。

たとえば、思想良心の自由のもとになった、信仰の自由を例に取りましょう。

江戸時代にキリスト教信徒を探し出し処刑するために、キリストの描かれた絵を踏ませましたね。

確かに絵を踏んでも内心ではキリスト教信仰を持ち続けることは出来ます。しかし、キリスト教を信じるものにとってはキリストの絵を踏むこと自体が耐えがたい苦痛なのです。だから、信仰の自由を侵害する最たる例とされています。

同様に、君が代を拒否しているものにとって、君が代斉唱時の起立を強制されることは、その人の世界観、信条を踏みにじられる体験なのです。自分の思想からは絶対に出来ないことをさせられるのですから。これぞ思想良心の自由の侵害です。

国家神道体制を否定している人に、靖国神社に参拝しなければ懲戒処分を食らわすと言っているようなものなのです。

もちろんこの場合腕力で無理に立たせるわけではありませんが、立たなければ懲戒処分を食らうのですから、これが強制に含まれることには最高裁も含め法律家の間に争いはありません。

従って、君が代斉唱時に起立を強制しても特定の思想を強制するものではないと判断した部分が、最高裁判決の最も間違った部分です。



第三に問題になるのは、そうはいってもそんな考えが思想良心にまでなっている人は少数なのだから、民主主義国家では、多数決に従うべきではないかと言うことです。大阪府知事に圧倒的多数から選ばれた橋下府知事と大阪府議会議員選挙で多数を占めた維新の会が、君が代起立強制の条例を作るのであれば、それに従うべきである。公務員なら当然である。という考えです。

実際、大事な儀式で国歌君が代が流れ、多くの人々が立っているのに、座ったままでいる人はごく少数です。私の体験をお話ししましょう。

私は、浪速のジョーこと辰吉丈一郎選手が世界チャンピオンに返り咲く、その世界戦の会場にいました。もちろん、ジョーが大好きで、試合のあと顔を腫らしたチャンピオンの最高の笑顔を大阪城ホールの隣のホテルで拝見して、握手もした大ファンです。

 


▲1997年11月22日大阪城ホールで、辰吉丈一郎は、無敗のWBC世界バンタム級チャンピオンのシリモンコン(タイ)とタイトルマッチを戦った。20歳の王者に対し、世界戦3連敗で後のない辰吉。周囲の「絶対不利」説を一蹴して、辰吉は7回TKO勝ちで3年半ぶりに頂点に返り咲いた。この試合で97年の最優秀選手にも選ばれた。
(写真は辰吉丈一郎さん提供)

そのチャンプの試合で、不意に君が代斉唱になったんです!
しまった、会場の外に出ておけば・・・と思いましたが後の祭り。私はなんとジョーを応援するために集まった場内1万人のファンが起立して君が代を大合唱する間、椅子に座っていたんです。どうよ!?
しかも、タイのチャンプの国歌斉唱の時には立つんですよ。あかんでしょ、辰吉丈一郎ファンとしても、日本国民としても(笑)。ジョーを応援する熱狂さでは人後に落ちないのにそれを態度で表せないからじれったくてね。
実際、いい席でしたから、周りは体育会系といいますか、武闘派系といいますか、パンチパーマにリーゼント、剃り込み、角刈り、まゆ毛なし系の方々が多数ですからね。勇気要るなんてもんじゃないです。今、思い出して書いていても脇に下に汗出てきました。

だから、匿名でのみ人の悪口書き散らす、ネットでだけ威勢のいい、上にネのつくウの方々とは、虚弱に見えても肝の据わり方が違うのです!?

大阪府立体育館で、大相撲。これで君が代斉唱、日の丸掲揚でも立ちません、歌いませんやからね。周りはパンチ・・・(以下、略)。


ヒューマニスト、オールドリベラリストをやるのも楽やないねん。根性いるねん(爆)。


ま、そんなわけで、自分の思想信条が1万人に1人の、絶対的少数派であることは重々、身にしみて承知しているわけですが、じゃあ、そんな人の人権は保障されないかというとそうではありません。
基本的人権は人間が人間であるが故に、生まれながらにして持っている権利です。国家や憲法が与えてくれたものではありません。ですから、多数決でも奪えないのです。
こういう、少数者の人権保障まで配慮する民主主義のことを立憲民主主義といいます。憲法は、多数の横暴で少数者の人権を侵害するような憲法違反の法律や条令が制定されても、それは無効であるとはっきり書いています。だから、少数者の人権を保障することを立憲主義というのですね。

具体的にその担い手は、法律条例の違憲判決を書ける裁判所です。ですから、司法権は少数者の人権擁護最後の砦といわれています。

弁護士、検事、裁判官となろうとする法科大学院生、その受験生、司法試験予備試験受験生、司法試験受験生のみなさん、あなた方、砦の守備隊員に日本の将来はかかっている!がんばれ!!

レ・ミゼラブルより パリ・コミューン


さて、橋下さんや石原さんが信奉している民主主義は多数決主義的民主主義といいます。
彼らも、上にネのつくウの方々も、多数の決定であれば、その内容の正しい間違いは一端置いておいて、まずはそれに従うべきであるとほぼ盲目的に信じているかのようです。
これは、個人主義じゃなくて彼らが嫌いな全体主義に近いですね。ウの方々の発想は私から見ると実は朝鮮半島の北方の国のあり方とそっくりに見えます。



しかし、民主主義は絶対のものではありません。民主主義は自由主義を達成するための政治的手段です。民主主義の本質は、国民と同質の代表者を選べば、まさか、自分たちの首を絞めるような人権侵害の法律条例を作ることはないだろうという発想です。これを「治者と被治者の自同性の原理」といいます。ほら、王族や貴族やローマ教会は庶民と同質じゃないから、国民の首を絞めすぎてしまうと言うわけです。市民から代表を選ばなければ危ない。
このように、民主主義は自由と人権を守る政治的手段です。ですから、究極的にどちらかを選ぶとなれば自由主義を犠牲にして民主主義を取ることはあり得ないのです。


どうですか、そんなに問題は複雑ではないでしょう?

思想良心の自由は絶対無制約である。
君が代斉唱起立は思想良心の自由を制約するから違憲である。
ちなみに、多数決でも少数者の人権を侵害することは許されない
よって、大阪府の君が代起立条例案は憲法違反であり、制定されても、いつの日か違憲無効判決が出ることになる。

でも、それは事後救済。それまで、人権侵害がまかり通っていいとは言えないのです。

なにか、ロースクールと平行して関西学院大学法学部で憲法を教えていたことを思い出してきました。
本、書いたろか(笑)。その前に「司法試験短期合格の作法」をなんとか(大汗)。



そして、最後に、子ども未来法律事務所から、教育の問題に一言。


 

先生が、生徒達の前で苦渋の決断を迫られる。

君が代斉唱時に立たないことで、担任のクラスを奪われるかも知れない。何度か繰り返せば懲戒解雇となるかも知れない。

そうでなくても寄らば大樹の陰の風土・文化。あの大阪城ホールの孤立感。そして、天職として選んだ仕事を奪われる脅迫。君が代斉唱時に立たないでで居られる先生はまず1万人に1人もいないでしょう。


多くの先生が立つ。立たない先生もいる。なぜ、いろんな先生がいるの?

そのままでいいのです。そこに疑問が生まれ、学びが始まる。

世の中にはいろんな考えの人がいて、正しい・間違いはそんなにはっきりしていなくて、たいてい、それを受け入れていいのだということがわかる。寛容を知る。


逆に、君が代斉唱時の起立が義務化されたらどうなるか。

先生が自分と家族のことを考えて、自分の思想を曲げさせられて、屈服している。

入学式で、卒業式で、晴れの舞台で、生徒達がそれを目の当たりにする。

それが真の教育だとは思いません。



ご静聴、ありがとうございました。

 

 

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君が代不起立訴訟の最高裁判決を受け会見する申谷雄二さん(中央)と支援者=東京・霞が関の司法記者クラブで2011年5月30日午後5時5分、塩入正夫撮影
君が代不起立訴訟の最高裁判決を受け会見する申谷雄二さん(中央)と支援者=東京・霞が関の司法記者クラブで2011年5月30日午後5時5分、塩入正夫撮影

 東京都の都立学校長による君が代の起立斉唱命令を合憲とした30日の最高裁判決は、公立学校の教職員個人が持つ思想・良心の「間接的制約」になると位置づける一方、「全体の奉仕者」としての義務や役割を強調する内容となった。都教委が命令の根拠となる03年の「10・23通達」を出して以降、繰り広げられた論議が一応の決着をみたことで、約20件に上る同種訴訟だけでなく、「大阪維新の会」が大阪府議会に提出した義務付け条例案にも影響を与えそうだ。【伊藤一郎、田村彰子、堀文彦】

 ◇必要性有無、基準に 補足意見で過度の強制けん制

 「憲法が保障する思想と良心の自由を間接的に制約する面がある」

 この日の最高裁判決は、公立学校での起立斉唱命令を合憲と判断する一方、人権制約という負の側面にも明確に言及した。結論は4人の裁判官全員一致の意見だが、補足意見で「教育は強制ではなく、自由闊達(かったつ)に行われることが望ましい」などと指摘した裁判官もおり、教育現場における過度の「強制」やペナルティーをけん制したともいえる。

 学校行事での「君が代」斉唱を巡る合憲判断は、07年2月の「ピアノ伴奏命令訴訟」に次いで2件目だ。ピアノ訴訟の判決で、最高裁は校長が音楽教諭に君が代の伴奏を命じる職務命令について「思想・良心の自由を制約しているかどうか」を明確に検討せず、合憲とした。

 だが、今回は起立斉唱命令について「歴史観や世界観に由来する行動との相違を生じさせる点で、間接的制約となりうる」と踏み込み、制約を許容する新たな基準として「必要性と合理性の有無」を示した。通常、式典で伴奏が期待される音楽教諭への命令ではなく、教職員全体に及ぶ起立斉唱命令をこの基準から妥当とした影響は小さくない。

 そのためか、4人中3人の裁判官が補足意見を提示。須藤正彦裁判長は「(教育現場における)強制や不利益処分は可能な限り謙抑的であるべきだ」、千葉勝美裁判官は「国旗・国歌が強制的ではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えるべきだ」と述べた。

 今回の判決について、奥平康弘・東大名誉教授(憲法学)は「3人の補足意見を見ると、『起立命令の合憲性はぎりぎりだ』という悲鳴が聞こえてくるようだ。結論はピアノ訴訟と同じだが、裁判官たちの判断の経緯に苦労がうかがえ、実質的に違憲判決に近くなった印象を受ける」と一定の評価を示した。だが、ピアノ訴訟の原告側代理人を務めた高橋拓也弁護士は「新しい考え方を持ち出してはいるように見えるが、必要性や合理性という基準の定義があいまいだ」と批判する。

 判決を明確な合憲性を示した一つの決着と評価する識者もいる。百地章・日本大教授(憲法学)は「妥当な判決。学習指導要領に基づいて生徒を指導すべき教師が職務命令に違反した以上、厳しい処分はやむを得ない。この判決で、国歌斉唱時の起立を巡る混乱が収束することを期待する」と話した。

 ◇再雇用拒否の是非、争う余地 懲戒免職案には高い壁

 判決を受け、原告の元教諭、申谷(さるや)雄二さん(64)の代理人弁護士は、同種の約20件の訴訟について「残念ながら影響があると言わざるを得ない」と懸念した。

 都教委が「国旗に向かって起立して国歌を斉唱する」と定めた「10・23通達」を出したのは03年。以来、437人を懲戒処分しているが、処分人数は減少傾向にある。09年度以降は卒業式、入学式ともに処分者は10人未満で、今年度の入学式での処分は1人だった。

 都教委の担当者は「通達が浸透し、生徒に不起立を促すような教員は全くいなくなった」。この日の判決についても「通達などは何も変更するところはない」と強気の姿勢を崩さない。

 石原慎太郎都知事は5月20日の定例記者会見で、起立斉唱について「(都の)先生たちには義務づけていますよ。しない人にはペナルティーを科しているけれども、免職まではやったことはありません」と余裕を見せた。

 一方、大阪府議会では、府内の公立学校教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例案が議論を呼んでいる。橋下徹知事はさらに、同条例に複数回違反した教職員を懲戒免職にする条例案を9月府議会に提案する方針も示す。

 「組織のルールに従えないなら、教員を辞めてもらう」。知事が促してわずか2週間余り後の今月25日、条例案は提出された。「本来、条例化とはなじまない。知事が不起立教員への処分をちらつかせているのもおかしい」(府議会民主幹部)と反発の声も上がる。

 ただ、今回の判決は、都教委による再雇用拒否の是非について判断を示さず、命令に反した場合に過度なペナルティーを科すことまで容認したわけではない。橋下知事が目指すような、命令に反した場合に懲戒免職とする措置は、一度定年退職した人を再雇用しないケース以上に「裁量権の乱用」が争われる余地がある。今回の判決が条例案に「お墨付き」を与えたものとは言えない。

毎日新聞 2011年5月31日 東京朝刊

 

 

 教諭に卒業式での君が代起立斉唱を命じた東京都立高校長の職務命令について合憲判断した最高裁第2小法廷の判決(30日)の要旨は次の通り。

 公立高校の卒業式等で日の丸の掲揚と君が代の斉唱が広く行われていたことは周知の事実で、起立斉唱行為は一般的、客観的に、慣例上の儀礼的な所作としての性質を持つ。原告の歴史観や世界観を否定することと不可分に結び付くとはいえない。職務命令は、特定の思想を持つことを強制するものではなく、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するとは認められない。

 もっとも起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科や事務内容に含まれず、国旗と国歌に対する敬意表明の要素を含む行為。自らの歴史観や世界観との関係で、日の丸や君が代に敬意を表明するのは応じがたいと考える者が起立斉唱を求められることは、思想及び良心の自由の間接的な制約となる面がある。

 個人の歴史観や世界観には多種多様なものがあり得る。内心にとどまらず行動として表れ、社会一般の規範と抵触して制限を受けることがあるが、その制限が必要かつ合理的なものである場合は、間接的な制約も許容され得る。間接的な制約が許容されるか否かは、職務命令の目的及び内容、制約の態様などを総合的に比べ合わせて考え、必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当だ。

 今回の職務命令は、原告の思想及び良心の自由について間接的な制約となる面がある。他方、卒業式や入学式という教育上、特に重要な節目となる儀式的行事では生徒等への配慮を含め、ふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要。学校教育法は高校教育の目標として国家の現状と伝統について正しい理解を掲げ、学習指導要領も学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めている。

 地方公務員の地位や職務の公共性にかんがみ、公立高の教諭である原告は法令及び職務上の命令に従わなければならない。原告は、地方公務員法に基づき、学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した都教委の通達を踏まえて、校長から卒業式に関して今回の職務命令を受けた。

 以上の諸事情を踏まえると、今回の職務命令については、間接的な制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められる。原告の思想及び良心の自由を侵して憲法19条に違反するとは言えない。

 ■補足意見

 <須藤正彦裁判長>

 最も肝心なことは画一化された教育ではなく、熱意と意欲に満ちた教師により、生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされること。今回の職務命令のような不利益処分を伴う強制が教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせれば、教育の生命が失われかねない。一律強制に踏み切る前に、教育行政担当者で可能な限りの工夫と慎重な判断をすることが望まれる。

 <千葉勝美裁判官>

 司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが、必ずしも問題を最終的な解決に導くことにはならない。国旗及び国歌が強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要だ。

毎日新聞 2011年5月31日 東京朝刊

 

 

 橋下知事「条例不要という流れに」君が代訴訟


 君が代の起立斉唱命令を巡る訴訟で、最高裁は30日、命令を「合憲」とする初判断を示し、長く教育現場を混乱に陥れてきた憲法上の論争に終止符を打った。

 ただ、命令を拒否した教員らにどのような処分を下すのが妥当かまでは判断しておらず、「火種」は残されている。
 
 今後の訴訟では、命令を拒んだ教職員に下される処分が、どの程度なら許容されるかが大きな争点となる。
 
 東京高裁は3月、都教委の通達に反し、減給や戒告の懲戒処分を受けた教職員らについて、「処分は重すぎて、裁量権の範囲を逸脱している」と述べ、処分を取り消す判決を出している。
 
 この日の判決は、命令を拒んだ教職員に対する処分の妥当性については判断をしていない。むしろ4人の裁判官のうち2人が補足意見で、処分について慎重な対応を求めた。
 
 須藤裁判官は「教育は強制ではなく、自由闊達かったつに行われるのが望ましい」とし、「強制や不利益処分は、可能な限り謙抑的であるべきだ」と慎重で抑制的な姿勢が必要と指摘した。
 
 大阪府の橋下徹知事が率いる地域政党・大阪維新の会の府議会会派は、府内の教職員に対し、国歌斉唱時の起立を義務づける条例案を提案している。6月3日の府議会最終日に可決する公算が大きいが、教育現場には条例案に反対する意見が強い。橋下知事も30日、「判決によって、逆に『条例まで必要ないんじゃないか』という世論の流れになると思う。条例は必要だが、丁寧に説明しないといけない」と述べた。
 
 9月議会に、不起立を繰り返す教職員の処分基準を定めた条例案を提案する意向だが、「処分は謙抑的であるべきだ」とした補足意見を踏まえ、「(教職員の)思想・良心の自由に影響が及ばない仕組みを考えたい」とも述べた。どの程度の処分が適切なのか、今後も議論する必要があるだろう。


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2 コメント

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hierarchy (noga)
2011-06-01 07:18:06
我が国の序列体制の美しさは、教育勅語の中で語られている。

我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそわが国体の誉れであり、教育の根源もまたその中にあります。
(我カ臣民克ク忠ニ克孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス: ワがシンミン ヨくチュウに ヨくコウに オクチョウココロをイツにして ヨヨソのビをナせるは コれワがコクタイのセイカにして キョウイクのエンゲン マタジツにココにソンす )


忠:  主君に専心つくそうとするまごころ。
孝:  よく父母に仕える。父母を大切にする。
国体:  主権のありかたにより区別される国家の形態


返信する
多様性を認める社会を (はてな)
2011-06-01 13:09:25
rayさん、2回目の憲法講義ありがとうございました。お疲れ様でした。
この判決、昨日ニュースで知ったときは維新の会の追い風になるかと、最初は、思ってしまいましたが、よく読みこむと、起立強制は間接的に人権制約になりますよ~と、忠告しているんですね。
丁寧なご解説感謝です。

nogaさん、
確かに忠も、孝も理念自体は立派なことと思います。
ですが、それが国家、国民の関係に当てはめられると、どうでしょう?権力者が、全く過ちを犯さないことが、いままでの歴史の中であったでしょうか?
思想統一されていた方が、時の権力者にとっては好都合。Rayさんも、このブログで仰っていますが。

何が、私たち国民のためになる政治なのか、政治家任せでなく一人ひとり、考えてみる必要があると思います。

天皇も、以前将棋の米長さんに対して「君が代・国家斉唱を強制にならないように」と、やんわり仰っていましたが。。。
このお言葉は、私的発言であり、公的発言とは受け止めてはもらえないんでしょうか~。

なんだか、天皇もお気の毒と思います。

法的な感想でなく、単なるつぶやきですみません。



rayさんのお言葉に甘えまして、この場をお借りして情報提供。ありがとうございます。

以下友人からの転送メールです。
ご賛同いただける方、ご協力宜しくお願いします。
***************

大阪維新の会へに対して、条例案の提出に反対する声を届けてください!
>>    TEL 06(6946)5390 FAX 06-6946-5391
>>   所属議員へのメールはこちらから 
>>>>
>> ◆他の会派には、条例案に反対し、成立させないように働きかけてください!
>>   自民党         TEL 06-6941-0217 FAX 06-6
>> 944-2244
>>   民主党・無所属ネット TEL 06-6941-0219 FAX 06-69
>> 41-8411
>>   公明党         TEL 06-6941-0286 FAX 06-6
>> 942-4060
>>   日本共産党      TEL 06-6941-0569 FAX 06-69
>> 41-9179
>>
>> ◆各議員への働きかけは、大阪府議会HPから
>> >>
>> 以下の文案、「適当に修正」して使ってもらっていいです。
>>
>>
>>
>>
>> …………
>> 【1】「君が代」起立条例はやめてください!(維新の会用)
>> 「君が代」に起立しないからといって、辞めさせるなんて、行き過ぎです。
>> こんなことをして欲しいから、投票したのではありません。
>> とても恐ろしいことです。条例化、やめて下さい。
>>
>> 【2】起立条例に反対します
>> 橋下知事は、「バカ教師」の思想信条の自由はない、などと言ってますが、暴言
>> にもほどがあります。
>> 思想信条の自由は、憲法で保障されている権利ではありませんか。こんなことが
>> 許されていくなら、「ニートを拘留して労役を課す」(橋下知事のテレビでの発
>> 言)として、失業者の身体の自由も奪われることになりかねません。条例化に反
>> 対します!
>>
>> 【3】
>> 国歌に対してどういう態度をとるかは、ルールの問題ではなく、思想・良心の問
>> 題です。
>> かつての戦争にはたした役割を考えると、起立しない先生がおられても、当然の
>> ことと私は考えます。公務員をふくめ、誰も強制されてはなりません。百歩ゆ
>> ずってマナーの問題だとしても、それに反したからといって、生活の手段を奪う
>> などということは、許されることではありません。条例には反対です。廃案を求
>> めます。
>>
>> 【4】
>> 公立学校に子どもを通わせる保護者です。
>> 橋下知事は、子どもは「場合によっては起立しなくてもいい」などとおっしゃっ
>> ていますが(当たり前ではないですか!)、先生方に強制することは、子どもに
>> 強制することです。先生方が全員起立している式典の中で、苦しんでいる子ども
>> の気持ちを想像してみてください。起立しなければ辞めさせられるなんて、そん
>> な恐ろしい学校で、他人をおもいやる気持ちなど育つはずがありません。
>> 「起立条例」には絶ホに反対です。廃案にしてください。
>>
>> 【5】(野党用)
>> 橋下知事と維新の会の横暴にうんざりしています。
>> 公約でも争点でもなかった、しかも思想信条や生活権(維新の会は、先生をクビ
>> にする条例も出すとのこと)にかかわるこんな条例がまかり通るとしたら、異常
>> です。維新の会に投票した有権者の中にも、「クビにするほどの悪事?」「処分
>> のような強制力には疑問」「条例に反対。信条は自由」「思想信条を侵す」「自
>> 分の意思で決めればいい」「やりすぎ」「ナンセンス」「理由を聞いて(不起立
>> を)認めるべき」「君が代に抵抗がある」「人間が人間に対してやってはいけな
>> いことの領域」といった意見があるとのことでした(朝日新聞)。大阪の政治が
>> 冷静で理性的なものであるためにも、今回の条例案は、なんとしても廃案にして
>> ください。お願いいたします。
>>
>> ……
>>
>> 教育常任委員
>>
>> ◆委員長
>> 谷川 孝(公明) TEL 06-6941-0286
>>          FAX 06-6942-4060
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