核の恐怖を世界に伝えて G7外相、原爆慰霊碑に 

2016/4/11 13:42 日本経済新聞

 原爆投下により無数の命が失われた被爆地・ヒロシマで11日、ケリー米国務長官ら主要7カ国(G7)の外相が犠牲者に鎮魂の祈りをささげた。核保有国を含む各国の外相は広島市の平和記念公園にある広島平和記念資料館(原爆資料館)を見学した後、原爆慰霊碑に献花し、予定外の原爆ドームにも足を運んだ。国内外で被爆体験を伝え、核廃絶を訴えてきた被爆者らは改めて平和な世界の実現を願った。

 8歳の時に被爆した広島市東区の岡田恵美子さん(79)は核保有国の要人などの広島訪問を心待ちにしてきた。国内外で被爆体験を伝える活動を続けているが、海外では原爆投下の事実があまり知られていないと感じている。各国外相の訪問を機に、核の恐ろしさが世界に伝わり、核廃絶に一歩近づくことを願っている。

 1945年8月6日、岡田さんは爆心地から約2.8キロの自宅で被爆した。閃光(せんこう)に襲われた後、爆風で家の外まで吹き飛ばされ、母はガラスの破片が全身に刺さって血だらけになった。直前に自宅を出た姉の行方は今も分からない。

 あちこちで火が上がり、避難してきた人が「水をください」と訴えながら目の前で次々と行き倒れた。今でも真っ赤な夕焼け空を見ると、当時の記憶がよみがえるという。

 思い出したくもなかった体験を語り部として伝えるようになったのは約30年前、米国の平和運動家、故バーバラ・レイノルズさんとの出会いがきっかけだ。民間団体の仲介で渡米し、バーバラさんと共に米国内の学校など約40カ所を巡って被爆体験を語った。

 「戦争や暴力はすぐにでも始められるが、平和は一人ひとりが築いていくもの」。その時投げかけられたバーバラさんの言葉に共感し、「姉の死を無駄にしない」との思いを強め、帰国後も国内外で体験を語り、核廃絶を訴えてきた。

 昨年12月には被爆者として初めてノーベル平和賞授賞式に招待され、ノルウェーを訪れた。一般市民の前で被爆体験を語る機会があり、参加者から「それは本当にあった話ですか」と質問を受けた。「まだまだヒロシマの悲劇は知られていない。もっと世界に向けて発信しなければ」。思いは一層強まった。

 岡田さんは2008年の北海道洞爺湖サミットの際、各国の首脳に広島来訪を求める手紙を送ったが、米国など4カ国の政府から「日程がとれない」との返事があっただけで、実現には至らなかった。「核の恐ろしさを知らなければ、また同じことが繰り返される。各国の外相にはあのキノコ雲の下で何があったかを自らの目や耳で感じ、記憶に焼き付けてほしい」。そうすることが世界平和や核を無くすことにつながると信じている。

 「核廃絶への一歩」「被爆者の苦しみを知って」。G7外相による原爆資料館訪問を広島の被爆者や被爆2世は様々な思いで受け止めた。

 広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長(90)は「核廃絶に向けての一歩。核兵器を持つ国と持たない国の外相が一緒に原爆被害の悲惨さを知ることは大きな意味がある」と評価する。

 これまで核拡散防止条約(NPT)の検討会議などに合わせて訪米を重ねてきたが、核廃絶への見通しが立たないことに危機感を募らせる。「我々のような原爆による被害者を二度と出してはならない。この(広島訪問の)機会に核廃絶の議論が一層進むよう願っている」と話した。

 「今も続く被爆者の苦しみにも目を向けて」と話すのは、18年間、原爆資料館で語り部の活動を続ける松本都美子さん(84)。13歳の時に被爆し、両親と弟2人を亡くした。戦後、生き残ったことを申し訳なく感じてきたといい、貧血など体調不良にも悩まされている。「核兵器の被害がどれだけ深刻か、各国の外相には理解してほしい」と訴えた。

 広島市のピアノ調律師で被爆2世の矢川光則さん(63)は5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)も念頭に、「今年は日本が世界に平和を訴える好機」と強調する。原爆で傷ついた「被爆ピアノ」の修復や国内外での演奏活動に取り組んでいるが、訪問先の米国で「なぜ日本はもっと核廃絶を訴えないのか」と聞かれたことがあったという。「日本政府が中心となって、世界の核廃絶に道筋を付けてほしい」と求めた。

 ▼広島の原爆資料館 原爆被害の惨状や核兵器の廃絶を国内外に訴えるため、1955年に広島平和記念公園内に開設された。原爆投下直後の写真や被爆者の遺品などを展示しており、被爆者証言の収集活動も行っている。
 核保有国の現職元首や外相が訪問した例はないが、米国のカーター元大統領が退任後の84年、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領も退任後の92年に立ち寄っている。
 国内外からの一般来館者や修学旅行生が訪れるほか、県内の児童・生徒の平和学習にも利用されている。2014年度は約131万人が来館。開設以来、同年度末までに約6583万人が足を運んだ。
 資料館がある平和記念公園には慰霊碑や世界遺産の原爆ドームがあり、毎年8月6日には平和記念式典が行われる。原爆を投下した米国からはこれまで、ケネディ駐日大使と前任のルース氏が参列した。

 

G7外相 平和公園を訪問

 

広島市で開かれているG7=主要7か国の外相会合は最終日の11日、各国の外相らがそろって平和公園を訪れて、原爆慰霊碑に献花するとともに、アメリカのケリー国務長官の提案で原爆ドームを視察しました。

来月の伊勢志摩サミットを前に、広島市で10日から開かれているG7外相会合で、最終日の11日、核保有国であるアメリカ、イギリス、フランスを含む、各国の外相らはそろって広島市の中心部にある平和公園を訪れました。
そして、原爆資料館を視察し、原爆慰霊碑に献花したのに続いて、アメリカのケリー国務長官の提案で、当初の予定には無かった世界遺産の原爆ドームまで歩いて移動し、視察しました。
一連の行事のあと、岸田大臣は「今回の史上初めてのG7外相による平和公園訪問は、『核兵器のない世界』に向けた機運を再び盛り上げるための歴史的な一歩になったと思う」というコメントを出しました。
G7外相会合は、昼食をとりながら最後の議論が行われています。そして、会合の閉幕後、議長の岸田外務大臣が記者会見して議論の成果などを盛り込んだ共同声明に加えて、核軍縮・不拡散に関する「広島宣言」を発表することになっています。

ケリー国務長官「最初の訪問を誇りに思う」

アメリカのケリー国務長官は自身のツイッターで、「広島市の平和公園と原爆資料館を訪れる初の国務長官となったことを誇りに思います」とつぶやき、みずからが記帳した芳名帳の写真を投稿しました。
芳名帳には、ケリー長官の署名とともに、「世界中の人々がこの資料館を見て、その力を感じるべきだ。ありのままで、厳しく、そして人を引き付ける展示は、私たちに核兵器の脅威を終わらせる義務があるだけでなく、戦争そのものを避けるために全力を挙げなければならないことを思い起こさせる」と記されています。
さらに、「戦争は最後の手段であり、決して最初の選択肢であってはならない。この資料館は、世界中の人々が切望する平和な未来を築くため、そしてこの世界を変えるため、もっと努力するよう訴えかけている」と記され、平和な世界の実現に向けた決意を強調しています。

官房長官「被爆の実情見て感じて」

菅官房長官は午前の記者会見で、「世界の指導者に被爆の実情に触れてもらうことは、核兵器のない世界に向けた機運を高めていくうえでも極めて重要なことだと考えている。各国外相には、しっかり被爆の実情を自分の目で見て、ご自身で考え、感じていただければと思う」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は、アメリカのオバマ大統領の広島訪問について、「オバマ大統領の日程はアメリカ側が決めることであり、政府としてコメントすることは控えたい」と述べました。

広島市民「平和を願う契機に」

アメリカのケリー国務長官の初めての平和公園訪問について、原爆でめいとおいを亡くした広島市の75歳の男性は「初めての訪問をうれしく思い、歓迎します。ケリー国務長官や各国の外相には、今回の広島訪問を改めて平和を願う契機にしてほしい」と話していました。また、原爆で姉と妹を亡くし、みずからも爆心地から1キロ余りの場所で被爆した広島市の86歳の男性は「ケリー国務長官や各国の外相には原爆資料館などを見ることで原爆の悲惨さを肌で感じてもらいたい」と話していました。

 

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