霊犀社2

第2霊犀社(元祖第一は、田中逸平主宰の私塾)@霊際社@P。ネタ帳・メモ書きなど、まあガラクタ。嫌疑76件わざと表示拒否中

普段から歴史を見る視線を鍛えておき、うっかり他人のために動員されてしまわないようにすること

2007-07-19 01:21:51 | LinkRecords
 並べ方や取捨選択は著者の主観以外の何者でもなく、その点を読み取ることこそが歴史書の醍醐味
http://www2.xml.gr.jp/log.html?MLID=xmlmoji&TID=1741&F=0&L=10&R=1
 ・・・公式の文書であればあるほど、全体のつじつまを合わせるために事実がねじ曲げられて記載されている可能性があり得ると見るべきでしょう。

 議事録等の様々な文書に本当のことが書かれているとは限りません。

 証言もあてになりません。規格文書のとある文言の正しさを承認した理由が、実は委員によって違うこともあります。妥協の産物として生まれた仕様なら、共通認識は「妥協した」という事実だけであり、それについての解釈が一人一人全く違うかもしれません。

 それにも関わらず、「正しい歴史」を語る行為はしばしば見られます。それには、3つの可能性が考えられます。

1) 素直に本人がそう思い込んでいただけ
2) 公開された議事録等の公式の歴史に反する俗説の流布を阻止するため
3) 自らの立場を強化する「政治的なツール」として

 ここで注意が必要なのは、3)のケースです。このようなケースは、強化しなければならないほど自らの立場が弱体化したケースで積極的に用いられる可能性があり得ます。

 さて、ここで注意すべきは、「政治的なツール」として動員された「正しい歴史」を、うっかり「本当に正しい歴史」だと思い込み、応援してしまうケースです。これは、他者の抗争に無償奉仕する道具として動員されてしまうことを実質的には意味します。

 そういう状況から考えると、普段から歴史を見る視線を鍛えておき、うっかり他人のために動員されてしまわないようにすることも重要ではないか……と思うわけです。

 そしておそらくは、その段階を乗り越えた先で、研究者ごとに持つ個性ある歴史観を味わう……という贅沢が可能になるわけですね。
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