南北朝時代が舞台。新田義貞・足利尊氏らが、鎌倉幕府を倒す。しかし後醍醐天皇の建武新政は、武士たちに不評。この状況を見て、足利尊氏が離反。北朝を建て、南朝方の後醍醐天皇と対立し内乱となる。新田義貞は、南朝方につくが、敗死。その子、新田義興(ニッタヨシオキ)も、武蔵国矢口渡で船底に穴をあけられ、謀殺される。義興の家老由良兵庫助(ユラヒョウゴノスケ)は、新田家を見限り、城を明け渡し尊氏方につく。さらに足利尊氏は、新田義興の嫡子徳寿丸を殺そうと狙う。
《感想》兵庫助が、新田家を見限ったのは、時代を見る目があると言える。由良家の安堵のためには正しい選択。だがそれでは、物語が成立しない。すでに江戸時代の観客にとっては、遠い昔の話。波乱が起きなければ話が詰まらない。
序幕「東海道焼餅坂(ヤキモチザカ)の場」: 義興の奥方筑波御前(ツクバゴゼン)が、行方知れずの我が子徳寿丸を捜す。兵庫助の妻湊(ミナト)が、夫と異なり、新田に忠義を尽くし、筑波御前に付き添う。新田の遺臣南瀬六郎(ミナセノロクロウ)が六部(巡礼)に身をやつし、背負う笈(オイ)に徳寿丸を隠し、尊氏方の追っ手から逃げる。
《感想》笈が小さいので、その中に徳寿丸が、本当に入れるのか心配。
二幕目「由良兵庫之助新邸(シンヤシキ)の場」:兵庫助は尊氏方から恩賞を受け、新邸を構え大出世。尊氏の信任の厚い江田判官(エダノハンガン)が、兵庫助に、義興の弟義岑(ヨシミネ)の詮議を依頼。兵庫助は従う。この新邸に六部姿の南瀬六郎と徳寿丸がやって来る。兵庫助は、時代の流れに疎い六郎をあざ笑うが、かくまう。そこへ足利の重臣竹沢監物(タケザワケンモツ)が追ってきて、「徳寿丸の首を渡せ」と命じる。兵庫助は、六郎を殺し、徳寿丸の首を監物に渡す。
《感想》いくら時の流れとはいえ、「なんという新田への裏切り!」と兵庫助が、憎々しい。
二幕目(続):この場に、筑波御前と湊が来る。徳寿丸の遺骸を見て筑波御前は気を失い、湊は、夫兵庫助に斬りかかる。すると兵庫助が「徳寿君、御安泰にてましますぞ」と徳寿丸を抱いて現れる。実は、兵庫助は、新田家再興を六郎とともに計略していた。監物に渡した首は、兵庫助と湊の子友千代だった。足利側を欺くため、友千代を徳寿丸に仕立て上げていた。六郎は、計略を完全にするため、兵庫助に討たれた。
《感想》兵庫助の忠義がすごい。敵を欺くため、筑波御前も湊も、だましていた。しかも我が子を主君のために犠牲にした。六郎の忠義も見事。二人とも、武家道徳の鏡である。
三幕目「生麦村道念庵室の場」:新田義興の弟義岑と傾城うてなが、尊氏方の追っ手を逃れ、新田家の元旗持ちだった道念の庵に、たどり着く。道念は、稲荷明神に成りすますという計略で、二人を守る。
《感想》「江戸時代には、稲荷明神は霊験あらたかなのだ!」と一瞬、驚いた。しかし、ここは滑稽な場面。当時の人々も、「稲荷明神が現実に出現する」とは思うまい。あくまで、コメディ的設定。
大詰「頓兵衛(トンベエ)住家(スミカ)の場」:頓兵衛は、矢口渡で新田義興の船底に穴をあけた張本人。大枚の褒美の金を、足利方より受け取り大儲けした。その家に義岑(ヨシミネ)とうてなが、今、一夜の宿を頼む。頓兵衛の娘お舟が、義岑に一目ぼれ。頓兵衛は、また褒美の金を得るため、義岑を殺そうとする。ところが、義岑に惚れたお舟が身代わりとなり、頓兵衛の刃を受け深手を負い、結局、死ぬ。頓兵衛は、お舟の死を何とも思わず強欲の権化。そして逃げた義岑を船で追う。そこに新田義興の神霊が出現、矢を放つ。頓兵衛は、射殺される。
《感想》義岑に惚れたお舟の一途さが、哀れ。このような激情がリアルなのかどうか、疑問もある。虚構なので、許されるという事だろう。
作者は、福内鬼外(フクウチキガイ)、すなわち平賀源内。矢口の新田神社の依頼で、祭神である新田義興の霊験を広めるため執筆された。軍記物語『太平記』に描かれた義興の最期を題材とする。家臣由良兵庫助は実在だが、ストーリーは創作。頓兵衛とお舟は、架空の人物。
《感想》新田神社近くに「頓兵衞地蔵」がある。頓兵衞が前非を悔いて建立したという。架空の人物が伝説になった。つまりこの義興の神霊の物語は、すっかり有名になったわけで、執筆者の意図は、実現されたと言える。