LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

死と生の関係。

2013-11-14 06:45:13 | サイキックの眼

       
         
死と生の関係。
      
         
このテーマも、本にすると何百冊・・何万冊では到底足りない内容量になります。
いま・・「到底足りない」という言葉を用いましたが、書いてみて納得の表現です。
このテーマの疑問の底。
定義の底の底辺に到達しえない程の・・という意味で用いた言葉でしたから、相当にあてはまります。
    
            ◇◇◇◇◇
      
今回のテーマ。
「死と生の関係」の世界に、今から皆様をご案内致します。
生きてる間に全員が体験することは、到底無理な世界です。
なので今回はまず専用の観光列車にご乗車いただき、車窓からのみご案内致します。
途中で列車を降りての観光はございません。
何故ならば、一度下車致しますと・・2度と帰ってこれないからなのです。
じゅうぶんご注意下さいますよう、宜しくお願い致します。
      
観光旅程は次の通りです。
    
【現在の駅】をご出発⇒【生死の境駅】(通過)⇒【死の世界駅】(通過)⇒【無の境地駅】(通過)⇒⇒⇒⇒《《無の世界》》(車窓からの観光をお楽しみ下さい)⇒⇒帰路⇒⇒【現在の駅】にご帰着後解散。
※食事なし
※当観光のご注意  ◎【主要駅】以外にも沿線には60兆もあるすべての駅を通過致します。終着駅となりますのは【無の境地駅】ですが、この先の《《無の世界》》に入りますと、軌道も駅も無く・・肉眼では何もご確認戴けるモノはございませんので、あらかじめご了承下さい。
※なお「現在の駅」のプラットホームには、各駅停車の「銀河鉄道の夜」方面行きが停車中ですがそちらではなく、ご乗車戴く列車は特別急行の「無の世界」方面行きですので、くれぐれもお乗り間違えのなきようにご注意下さい。
もし各駅停車にお乗りになられますと、・・・どのような事が起こりましても責任は負いかねますので、宜しくお願い致します。
    
では間もなく出発致しますので、列車にご乗車下さい。
         
            ◇◇◇◇◇
         
      
と!まぁ・・テーマパークのアトラクションのオープニング風に演出してみました。
が、これはここまで。笑
      
死と生の関係。
または
死と生の関係。
      
宗教だてた説明は一切致しません。
       
私達がこの世で肉体を持ち、有機物として生きているこの今世の人生の間は、『生』の世界の一部なのです。
      
そして、肉体が役目を終え、有機物が灰になり肉体が無くなり・・今世が終わると、『死』の世界の一部となるのです。
      
つまり。
『意識を持った有機物』が『生』で。 
『意識だけになった無機物』が『死』なのです。
      
人間として生きていても、人間として死んでいても、「意識」は無くなりません。
ただ、無意識な人は・・死んでも無意識です。
例えば、宗教観念の意識を持った人は、死んでも宗教観念意識です。
      
つまり、この世の多種多用な「意識」は、死の世界の中でも同じだけの「意識」が存在するのです。

※↓各記号は其々私達人間の個性意識とします。
      
無機物 〔死〕
□○▽☆◇△
         
有機物 〔生〕
■●▼★◆▲
      
有機物としてのこの世の人生の中で、各々が培ったモノは、無機物となる死後の中でも変わりません。
隣人に恨みを持ったまま死んだ人は、その隣人への意識は変わらず・・時間が止まったままなのです。
或いはは、志しを持ち続けて「生」をまっとうした人は、その志しの意識を持ったまま、その志し意識に合った時間軸に生まれかわって、またひとりの有機物として生きるのです。
      
先の隣人に恨みを持ったままの人で言えば、死んだ後も隣人のストーカーをしていますし。そしてまたその隣人が死んで・・生まれかわった後も、同じようにまた隣人となって生まれ、恨みの続きを行うのです。
生死を越えたストーカーですよね。
    
無機物の「死の世界」では、時間が止まっています、
時間が動いている有機物「生の世界」の隣に在るのです。
つまり。
「生」と「死」は一対(いっつい)なのです。必ずです。
「有機物」と「無機物」も一対、相対的。
「有時間」も「無時間」も一対です。
      
ちなみに。
「志し」と「恨み」も相対的に一対なのかも知れません。
この部分のお話しだけでも、膨大になりますので・・また他の記事テーマ内容をご参照下さい。
    
       
ここまでのお話し。
例えば、聖書やマンダラや・・様々な密教や宗教でも説いています。
      
しかし相対的理論から言うと、これだけではないのです。
    
総ては一対(いっつい)なのです。
最低原理として必ず一対となっています。
      
先程も・・何回も言っておりますように。
「生」も「死」も一対(いっつい)です。
そして。
「昼」も「夜」も一対です。
「喜び」も「苦しみ」も一対です。
    
何かが片方だけ存在していることはありません。
    
くどいようですが・・ここまでなら色んな思想観念や数学・・物理学でも研究され唱えています。
      
      
無機物 〔死〕
□○▽☆◇△
       ↑↓       
有機物 〔生〕 
■●▼★◆▲
      
上の図をご覧ください。(記号は各々の意識)
    
(無機物〔死〕)×(有機物〔生〕)=《この世の総てです》
       
物理学者や数学者、宗教学者も・・この方程式の解読をされ続けています。
いわゆる、宇宙全体です。
広大な宇宙の全体です。
死後の世界の無機物も含んでいます。
上の図は簡単な記号でパターン性を表していますが(笑)、本来は少なくとも《60兆個》から~以上の記号を並べて表すのが正当です。
            
       
そして本題であり、末筆にもなるのですが。
      
無機物 〔死〕
□○▽☆◇△ ⇔
       ↑↓         ⇔有無の概念の無き『無』の世界
有機物 〔生〕 ⇔
■●▼★◆▲
      
上の図をご覧ください。
      
【(無機物〔死〕)×(有機物〔生〕)=《この世の総て》】=【 無 】
       
つまり、〔生と死〕を含めた限りない宇宙、これだけでも恐ろしく膨大な容量なのですが。
その膨大容量と同等量の【 無 】も存在するのです。
      
有を全く含まない【 無 】 です。
    
「無」なんだから、「ム」と言えるのはおかしい?という事が言えるのですが・・。その理屈が正しくて、言葉にとか絵や図に起こすことは出来ません。
    
数字や物理や思想では測れません。
その総ての概念が無い世界なのです。
      
しかし広大な宇宙が存在しているという事が、その証拠です。
広大な果てしない宇宙が存在している傍らに、【 無 】と呼ぶしか方法のない「無」←「それ」が存在するのです。
    
《全宇宙》⇔《 無 》
      
なので、《 無 》の事を「無」と名指し出来るのは、《全宇宙》と言うお方だけなのかも知れませんね。笑
《全宇宙》さんの一対(いっつい)のパートナーが、《 無 》なのです。
      
僕は、その《 無 》さんと・・出逢ったことがあるのです。
ホンの一瞬でしたが、全身全霊が覚えています。
      
《 無 》に触れると言う事は・・、同時に総ての《 有 》の存在に触れる事も《一対(いっつい)》で起こるのです。
      
      
終わります。
      
      
サイキック  山本 浩二
      
       

●あとがき 
この内容を纏める上で、今まで血がにじむ・・死を覚悟の経験が何度もありました。  肉体に関わる事だけではなく・・精神を越える作業が何よりも苦しかった。  本来・・知識や経験は、精神や感情と直結しています。  知らなければ・・経験が無ければ、理解は産まれません。片方だけではなく、その逆を知り、一対(いっつい)とした時に理解が伴うのです。
これまでに身を持って解釈に至った・・ほんの一部を端的に纏めた内容に致しました。

      
       

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