LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

魂の消化不良

2013-11-13 04:54:46 | サイキックの眼

       
       
魂の消化不良
      
      
我々は、産まれ。
    
そして、環境に置かれる。
       
         
環境(*)とは
「父親・母親・両祖父・両祖母・生業・地域性・社会・国・時代域性、そして宇宙域性まで。」
    
    
僕は多くの人の《透視》を行い、人の魂に携わってきた。
    
人の「魂」とは、ちょうど銀河系の中心の太陽のような位置にある。
僕の眼から《視た》人の姿は、ひとりひとりが銀河系の図のような形になっているのです。
      
◎銀河系の全体が、その人の全体。
●銀河中心核の太陽が「魂」。(核魂 カクタマ!笑)
〇太陽を除く空間量が、過去・未来性・知識・学び・細胞と肉体・あらゆる情報・環境(*)。
      
つまり
(●太陽=核魂)+(〇太陽・核魂以外のすべて)=(◎銀河系=人間個体)
      
「魂」を中心に、放射状に広がる情報と時間。
僕は、その人の中心にある「魂」を軸に、それを取り巻く情報を一気に読み解くのです。
      
つまり、銀河の構成と、人間個体の構成システムは同じなのです。
そして銀河と銀河が集まる宇宙もまた同じですし。
宇宙と宇宙が集まる・・・・・。どこまでも限りなく同じ。
何故か?ということは、また別の機会にお話し致します。
      
      
今回のテーマは「魂の消化不良」
       
「魂」は、環境(*)という地点に産まれ置かれる。
そして、環境(*)のアンバランスさを感じるのです。
何故アンバランスさを感じるのかと言うと、産まれたばかりの「魂」は、絶対バランスを純粋に持っている状態だからです。
人生の中で銀河系の肉付きが一番少なく、ほぼ太陽がむき出しになっているような状態。
      
そこから、環境(*)を取り入れ、ひとつの個体が完成するのです。
いわゆる・・三つ子の魂なんとやらです。(なんか泥臭いね)
      
病気が多発している国の子供達は、 環境(*)から・・「大きくなったら医者になりたい」という将来の夢を語るのを耳にします。
    
あたり前のコトかも知れませんが、続けて聞いて下さい。
      
精神不安定な親のもとに産まれた子は、大人になって精神科の仕事を選びます。
      
身体が弱く・・健康でない家系の子は、健康になる為の知識を学びます。
    
時代性にあった極端な思想家の家に産まれた子は、それを打ち倒すテロリストになるかも知れません。
   
お金がすべて。極端にお金ありきの家庭に産まれた子は・・お金ではどうすることも出来ないモノを持って産まれてくる。
(お察しください)
    
近年のスピリチュアル・癒し系ブーム世代で、やれ天使だ・・神だ、パワースポットだと駈けずり回っている親を持つ子供は、将来の現実をしっかり見据え、賢さと強さを持つ努力をするでしょう。
      
つまり、「魂」はどのような状況でも全身全霊で、置かれた環境からバランスを持とうとするのです。
      
      
「魂の消化不良」の話しを進めます。
       
しかし本来、絶対バランスを誰もが持って産まれ置かれていても・・バランスが取れず、苦しい状況がおおいに在ります。
それは今回のテーマ、「魂」が消化不良をおこしているのです。
      
地球上の動物・植物、それだけではない総ての自然物質は、「発生」と「消化」をおこなうのです。
      
古い言葉で言うと、「食物連鎖」です。
しかし「消化連鎖」も同時に行うことが出来るのが、絶体バランス。

それが『生物の流儀』なのです。
    
      
この世に産まれ置かれた赤ちゃんが、環境(*)から未来・将来を選択します。
バランスを持つ為に、「発生=生む力」を選び、また「消化=分解する力」を選びます。
そして、その両方の機能能力・機能器官を持ち合わせています。
      
しかし近年の人間域では、「発生」のみが先行し・・「消化」が追いついていないのです。
いいえ、「消化」しない人工物を「発生」させているのです。
    
自然動植物や物質は、『生物の流儀』を踏まえた姿と器官を併せ持っています。
(自然という言い方も不自然ですが)
人工的発生物質は、消化が滞っているのです。
なので、人工の消化不可能なモノは、人間域同士で「相殺」します。
      
例えば。
      
根拠不明な宗教という「人工発生物」。「消化」が出来ません。
なので、他宗教同士が「相殺」し「消化」します。
      
相手に対する「想い」という『生物の流儀』から「発生」するモノは、受け取る相手の中で「消化」するのです。
    
宗教がなぜ「消化不良」を起こすのかというと、宗教はマニュアルなのです。
マニュアルは時間が止まっています。
成長しません。
宗教は、経験ではないのです。学びでもありません。
教え、マニュアルを噛み砕いても、消化は出来ません。
例えば、電気製品を買って箱を開けて見たら、商品本体が無く、説明書だけが入っているようなモノです。
車の免許教習所に行って、教習所の中だけで永遠にドライブしているようなもの。
      
      
僕は子供の頃から、将来は・・親子が互いに殺し合うことをするだろうと・・いつも思っていた。大変怖かった。
買っては捨てて。
産んでは捨てる。
根拠の無い「発生」は、「消化」が出来ないのです。
根拠の無い行為から産まれてきた子供は、自己消化に苦しむのです。
何の為に産まれてきたのだろう・・と悩むのは、親が子に想う根拠が無いからです。
なので・・その子供は、消化不良をおこし・・死ぬ理由にすら悩みます。
苦しんでも・・苦しみぬいても、答えはなく。
根拠無き→根拠の親を殺してしまします。或いは自殺。
でなければ、想いという生を「消化」出来ず、新たな「発生」も望めないからです。
「発生」が無ければ「消化」もない。
「根拠ある発生」があるから「根拠ある消化」が成り立つのです。
      
ちょうど、福島第一原発のタンクに溜められている大量の汚染水と同じです。
根拠無き「発生」は、「消化」出来ずに溜まる一方で。
「消化不良」を起こしている、人間域の根拠なき心と同じなのです。
      
総ての物質と動植物も、そして人も「発生」と「消化」が同等でなければなりません。
それが、「自然」という名前なのかも知れません。
それが、『生物の流儀』なのです。
    
根拠ある愛も憎しみも喜怒哀楽も、あなたの「魂の核意識 」から肉体・記憶を通り、常に放射状に広がり「発生」しています。
それは受け取る相手の中に届き、相手の肉体・記憶を通り「魂の核」の中で「消化」するのです。
(憎しみと書いたのは、憎しみすら根拠のある責任においてと言う意味。)

魂が「消化不良」をおこしている。
それは『生物の流儀』も、「自己根拠」も無いからなのです。
    
自然の動物も植物も、「自己根拠」を持っています。
だから、迷いません。
      
迷いなき自然の動物の眼差しと、
消化不良をおこしている人間の眼差しの違いを感じてみて下さい。
    
          
おわりに。
    
今回のテーマ記事ですが、実は昨日・・これ以上に深く解りやすくうまく書き上げられのですが、最後にすべて消してしまったのです。
スグにまた書き起こそうと試みましたが、同じようにはいかず・・でもなんとか今日纏めました。
毎回一発勝負ノンストップで書きますので、昨日は悔しく・・大変でした。泣
「発生と消化」ではなく・・「発生と消去」でした。笑
テーマも初めは「魂の消化器官」という題だったのですが、改めました。
         
         
サイキック  山本 浩二
      
      

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